2.
ほんの数時間ほど滞在しただけであり、俺が目にした場所はかなり限定されるのだが、ノーフォーク王国の王都であるノリッジの街は、かなり荒廃しているように見えた。
一方の、こちら、キンバリー伯爵領の領都であるウッドハウスの街は、はっきり言って寂れていた。
そう。目の前に広がる光景は、現在の俺が生活しているキンバリー伯爵家のお屋敷と同様に規模や造りなどは立派なんだが、通りを行き交う人々に活気はなく人影も疎らな寂れた街、そのものだ。
朝から晩まで屋敷に篭って積み上がっていた事務仕事をひたすらに片付け続けた成果もあり、昨日くらいから少しばかり余裕が出来てきたので、本日の俺は、お膝元である領都の街へとお忍び(?)で訪れているのだった。
お供に、ハロルド氏を伴って。
「お忙しのに、すいません」
「いえ、大丈夫ですよ。本業の方は、ある程度まで、目途が立ちましたから」
俺が街に出たいと言ったところ、燻し銀な壮年の騎士さんでありロンズデール伯爵家お抱え騎士団の団長さんでもあるハロルド氏が、護衛として付いて来てくれる事となったのだ。
何となくではあるが、常に忙しいそうに見える人なので、申し訳ない気分だ。
ちなみに。
ハロルド氏は、俺をラッセル王国の王都からノーフォーク王国の王都を経由してウッドハウスの街まで強行軍で連れてきて各種の調整と手続きを済ませた後、俺と同じ屋敷に滞在し、約束通りに俺の身の安全を確保すべく、俺の周辺警備の体制構築に取り組んでいるようだ。
ハロルド氏の立場上、流石に本人が自身でいつまでも俺の身辺護衛を続ける訳にはいかないし、当然ながら、他国の貴族であるロンズデール伯爵家お抱え騎士団から多くの人員を割き続けることもまた容易ではない。
ので、現地調達、即ちキンバリー伯爵家が保有する既存の人員の中からの選抜で、俺の専属護衛と護衛部隊を構成して立ち上げるべくして、色々と苦心されている姿を何度か見掛けた。
当初は目も当てられない状況だったようなのだが、どうやら、何とか、俺の護衛の選抜と訓練にはある程度の目途がついたらしい。本当に、お疲れ様でした。
俺は、何ともチグハグな格好をした住民が入り混じる街の様子をボンヤリと眺めながら、ハロルド氏の苦労を心の中で労う。
うん。これは、口に出して慰労してはいけないパターンだよね。たぶん。
「では、ハロルド殿は、そろそろエレンの街に戻られるのですか?」
「そうですね。そろそろ、少なくとも一旦は、戻らないとなりません」
「それでは...」
「いや。まだ、あと数日は、こちらでお世話になる事になるでしょう」
「...」
「鍛えがいのある人材も一人おりますし、もう少し、滞在させて頂くことになるかと」
何やら、ハロルド氏は、楽しそうだった。
そんな、自然体でゆったりと散策を楽しむ態を装いながらも全く隙なく周囲に目を配っているハロルド氏に合わせて、俺も、街中での散策を楽しんでいるフリをしながら、周囲の様子を観察しつつ他者には内容が漏れず不自然でない程度に声を潜めて会話を続ける。
領地の人員から選抜した俺の専属護衛候補と護衛部隊には、日常の訓練スケジュールと勤務シフトの割り当てを終えたので、連れて来た部下の中からは数名を選抜して護衛の補助と指導を兼ねた連絡係として残すことに決めた。と、ハロルド氏が、柔らかな表情で語る。
俺の専属護衛もほぼ確定した、と話すハロルド氏は、何やら嬉しそうだ。
その専属護衛を、近いうちに紹介してくれる、らしい。
専属護衛が、筋肉隆々でむさ苦しくて威圧感のあり余った人物でないことを、秘かに祈っておこうと思う。
役に立たないお飾りの取り巻きが欲しい訳ではないが、四六時中ずっと付きっきりで警護してくれる人物との相性は、大切だと思うのだ。
どうやら俺は、体育会系のガチムチ野郎タイプの方々とは余り気が合わない性質のようで、どちらかと言えば隠れマッチョ的なタイプで飄々とした感じの人物との方が、相性が良さそうなのだ。
ここ暫くの間の、俺の警護を引き受けてくれていたハロルド氏の部下である方々には、色々なタイプの騎士さんが居たのだが、経験則としてもその様に感じていたので、その旨をハロルド氏にも既にキチンと伝えてある。
けど、まあ。俺は、まだまだ腹芸が不得手なままでレベルアップが出来ていないので、そんな事などハロルド氏にはお見通しであった、とは思うのだが...。
と。そんな雑念にも囚われながらも、初めての領都ウッドハウスでの街歩きを続けている訳だが、やはり、チラホラと見かける何ともチグハグな格好をした住民の姿が目に付いて、気になる。
街中に、サイズが合ってなかったり傷みが激しくて見栄えの悪くなった服を着た若い女性や子供たちの姿が、やけに目立っているのだ。
長期化する隣国との紛争、帝国の属国であり手先でもある隣国に力尽くで押し込まれての戦線の後退により、戦火に追われて避難してきた難民が増えている、とは聞いていた。
このような街の様子は、その影響が現れた事象の一つ、なのだろう。
着のみ着のままで逃げてきた為に蓄えもなく、生活に追われている上に衣服の替えも十分にないから傷む一方なのだろうし、子供は直ぐに成長して短期間で衣類のサイズが合わなくなってしまうものだから、余計にその対処も遅れがちになる。
その結果が、俺の目の前で露わとなっている光景なのだ。と、嫌でも気付いてしまう。
そう、なんだ。俺が漠然と思っていた以上に、この国の置かれた状況は厳しい、という事だ。
お家第一と言って憚らないリーズデイル男爵でさえ、領地と領民への還元を真剣に考える程に状況は芳しくない、という事なのだろう。
まあ、よくよく考えてみると。ハロルド氏も当初から、俺が向かう場所に平穏無事などあり得ない、と断言していた程なんだから、当然ではある。
やれやれ。俺の、脳天気で平和ボケした感覚にも、困ったものだ。
もっと危機感を持って、早く手を打たないといけない。と、心も新たにする。
とは言え。今の俺に何が出来るのか、といった問題もあるのだが...。
「あれ、何だ?」
「...」
俺は、たまたま視界に入ってきた不穏な光景に、思索に沈んで呆けた意識へと即座にカツを入れ、眉を顰めた。
ちょうど通り掛かった広場の外れ、屋台と言うよりは行商の馬車の荷台で広げた露店らしき場所とその周囲に、先程からずっと俺の意識を引き付けて已まないチグハグな格好をした子供たちと若い女性たちによる密集地帯が出来ていた。
そして。そんな一角に、見るからにガラの悪そうな男達が数人、今まさに乱入して略奪行為を繰り広げようとしている、かのように見えるのだ。
ハロルド氏が、俺の周囲を少し離れた位置で周囲の警戒にあたっていた彼の部下たちに、目配せする。
と。護衛の皆さんがスッと流れるように移動して隊形を変更し、その中から抜け出した数名が、騒動の場へと素早く向かって行った。
勿論。俺も、慌ててつつも平常心の維持を心掛けながら、その後を追う。
露店の店主と思しき若い女性と小さな女の子が、果敢にも、売り物らしき衣類や布地を無理矢理に奪おうとする暴漢たちへと抵抗する。一方で、唐突に始まったその暴力的な光景に、唯々、茫然としている群衆。
その場にいた子供たちの中の何人かは、突き飛ばされて転倒したり、持っていた衣類を強引に奪われた勢みに尻もちをついたり、茫然自失となっている。
そこに音もなく流れるように駆け付ける、腰に剣を佩いた屈強な騎士二人。
俺がハロルド氏の厳重な警護を受けながらその場に駆け付けた時には既に、狼藉者である五人の男達が、縄で縛られ地面に転がされ、大人しくなっていたのだった。