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1.

 広大とまでは言わないが、街の中心部を占有する広々とした敷地。

 年期が入っている上にその細部には綻びが見え隠れはしているが、貴族の邸宅らしく立派なお屋敷。

 そして。豪華絢爛には程遠いものの、必要な設備は整い質実剛健な重厚感がそこはかとなく漂う執務室。


 この一週間ほど俺は、そんな場所で、ただ只管に延々と、キンバリー伯爵家の家令であるリーズデイル男爵から随時の説明を受けながら領地運営に関する書類の決裁業務を行っていた。


 前世に得ていた知識のお陰で、今世では十分な教育を受けているとは言い難い俺でも、何とか説明されれば理解できる内容も其れなりにあったので、当初の単純な了承と署名をする自動機械から自律的なアクションの出来る普通の事務員レベルにまでは進化を遂げた、と思う。

 今は、手続き上の問題で領主の承認待ち状態のまま積み上がっていた処理待ち案件の山も()けたので、多少は善し悪しの判断が要求される決裁書類の処理を、リーズデイル男爵から補足説明を受けては二~三の質問をしてから、稀に差し戻しを指示しながら、黙々と捌いている。


 うん。頑張ってるぞ、俺。


 最初は露骨に懐疑的で見下した感もあったリーズデイル男爵は、徐々に態度が軟化し、現時点では少し出来の悪い若者を温かい目で見守りつつ然りげなく必要に応じて補完する、といった感じの態度になっていた。

 頑固で自他ともに等しく厳しい要求をする御仁ではあるが、意外と好々爺なところもある人物だ。と、感じられる程度には、俺たちの距離感は縮まった、と思う。

 まあ、この国とこの伯爵家の俺に対する扱いに思う処が全く無い訳ではないが、人は十日も経つと慣れてしまう生き物のようで、片付けても片付けても次から次へと何処からともなく湧いて出て来る領主代行としての事務仕事に、生まれながらの天職でもあるかのように従事している今日この頃なのだった。


 そんな感じで着実に現状へと順応が進んている俺に対し、リーズデイル男爵が、本日になって突然、人払いをした上で改まった態度となって膝詰めで、一つの課題を提示してきた。


 伯爵家が長年に渡って築き上げてきた資産を、領地と領民に還元する施策の立案と施行。


 ノーフォーク王国が帝国の息の掛かった隣国との紛争に敗れ、キンバリー伯爵家がこの地を追われる事態となった場合でも、領民に対する略奪など起こらない形態での、領民への還元と投資を行う。

 勿論、キンバリー伯爵家による統治が継続する場合も想定内とした、長期的な視野に於いても無駄のない形での施策であること、も条件とする。


 う~ん。


 領主としての知見も実力も不足した初心者マークの俺でも、前世の知識から何かとヒントを得て、いくつかの案が思い浮かばない訳でもないのだが、色々と悩ましい課題だ。


「猶予がどの程度あるのかも、問題なんだよなぁ...」


 思わず口から漏れてしまった俺の声が、広々とした浴室内に響く。


 微妙にエコーが効いている上に呟き程度の小声だったので、俺自身にも何を言っているか聞き取れないレベルだったのは不幸中の幸いだった。

 下手に返事などされてしまったら、恥ずかしいからなぁ...。


「クリストファー様、お呼びになりましたか?」


 と、上品で落ち着いた綺麗な声が聞こえた。

 かと思うと...間髪入れずに、浴室と脱衣所の間の扉が開き、綺麗なお姉さんが顔を覗かせた。


 あちゃ~、聞こえちゃったか。


「いえ。何でもないです。独り言です」

「あら、そうでしたか。失礼致しました」

「いえいえ」

「何でしたら、(つい)でですし、御背中でもお流し致しましょうか?」

「いやいや、滅相もないです」

「ほほほほほ。ご遠慮なさらずに」

「いや、ホントに。揶揄わないで下さいよ、ジャネットさん」


 このお屋敷に来た当初から身の回りのお世話をしてくれている侍女のジャネットさんが、朗らかに笑いながら、俺が置きっぱなしにしていた風呂桶や椅子などを流れる様な所作で片付け、戻って行った。


「ははは...」


 見ため三十歳前後の綺麗で上品なお姉様であるジャネットさんは、なかなかの強者だ。

 俺程度の若輩者では、とてもじゃないが、相手にならない。

 うん。軽くあしらわれて終わり、だった。


 と、まあ。それは兎も角。


 この屋敷には、源泉かけ流しの温泉がある。

 俺は今、その、お屋敷に備え付けの温泉で、一日の疲れを癒していた。


 贅沢なひと時、だ。


 無色透明なんだが、お湯には微妙に(ぬめ)りっぽい感じがあって、温泉気分が十二分に満喫できる。

 しかも。男性用と女性用といった扱いで便宜的に分けられた、二つの大浴場があるのだ。


 ただし。慣習的に、この浴場は貴族向けとされているため、二十四時間ずっと利用可能となっているにも関わらず、使用者が少なく、無駄に温泉のお湯が垂れ流しとなってしまっている。


 うん。勿体ない、よね。


 リーズデイル男爵に相談して、まずは、屋敷の使用人にも開放するよう取り計らって貰おう。

 そう。屋敷の使用人さん達との共同利用で、課題抽出とその対処策など検討を行い改善しながら、運用ノウハウを蓄積するのだ。

 そして。ゆくゆくは、街の住民にも何らかの条件付きで開放し、俺の癒しの時間を確保した上でこの街の公衆衛生の向上も同時に実現する。となれば、文句なしに完璧、だよな。


 と、まあ。こんな些細な事であっても、伯爵家が保有する財産の領民への還元、と言えなくもない。

 けど、まあ。リーズデイル男爵が求めているが、このレベルの事案ではないのは確か、だな。

 つまりは、もっと大規模な次期領主が主導するに相応しい新規事業を大々的に、といった感じだろうか...。


 う~ん。

 目立つ行為はあまり得意でないのだが、現在の俺の立場を考えると、そうも言ってられないんだよなぁ。と言うか、嫌味のない程度に目立つことが求められている、んだよな。間違いなく。


 はぁ。困った、こまった。


 けど、まあ。俺への注目度云々(うんぬん)は横に置いておいて、リーズデイル男爵の命題を満たす施策を考えてみる。

 うん。

 やっぱり、領民に他者から強奪されない財産を、となると...無形の財産、読み書きと計算の基礎能力、ってのは定番だよね。


 政策としては、領民に基礎教育を施す、といった感じかな。

 教養があれば、仮に他国や他領へと移ることに為ったとしても、仕事を得られる確率が上がり、仕事を得られればその地にそのまま定住する、といった展望も開けるだろう。


 とは言え。大人になってからだと、修得の難易度が格段にアップする上に、日中は生活のための仕事に従事しているので学習の時間を確保するのも困難だ。

 とすると。どうしても、教育を施す対象は子供たちに、となる。


 と、まあ。二十一世紀の日本人であれば、普通に考えつくような平凡な結論に至る訳だが、想定される効果は抜群なので、採用は確定、かなぁ。

 となると。もう一つ、大人向けの施策が別途に必要となる、よねぇ。


 むむむむむ。

 無形の財産というラインは諦めて、所有権や利用権の保持に関する要件を緩めに設定すれば、農地の開拓、って奴も選択肢の一つになる、だろうか。

 農地は、追い出されてしまったら領民たちの益とは成らないが、持ち運べる物品でもないので、その地域の財産としては残る。から、まあ、次第点、と言えるかな?


 ただし。課題は、どうやって短期間で多くの農地を開拓するのか、だよな。

 しかも。俺の手腕で、領民の記憶に残るような成果を上げる、って何気にハードルが高くない?


 この世界には魔法があるので、キンバリー伯爵家が受け継ぐ秘術とか俺の根性とかで、如何にかならないものだろうか...。

 うん。リーズデイル男爵にでも、相談してみるとしよう。


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