第16話
「…それじゃ、私は行くわよ」
そう言って、歩美は茜から離れてエレベーターへと歩いていく。
「歩美」
茜の声に、立ち止まる歩美。
「気をつけてね」
茜が発した、何気ないその一言。
歩美は嬉しさと気恥ずかしさが入り交じり、顔が赤くなる。
そしてその顔を見せまいと、慌てて背中を向けて歩き出す。
「…じゃあね」
「ふふ…。えぇ。待ってるわよ」
歩美の赤面した顔を見ていた茜は、いたずらっぽく笑っている。
歩美はそのまま、エレベーターに向かって歩いていき、到着するなり急いでボタンを押す。
エレベーターが到着し、扉が開く。
「あ、あんた達…」
エレベーターには、結衣と恭子が乗っていた。
「なんだ、お前もか?」
結衣がおかしそうに笑いながら、そう訊いてくる。
「…結局、あんた達も行くのね」
歩美は呆れたように苦笑しながら、エレベーターに乗る。
「決着を着けないまま帰る事など、私にはできませんわ。沢村さんも、そうではなくて?」
「まぁ…ここに居る全員、そういう人間でしょう。そんな事だろうとは思ったわ」
恭子はくすくすと笑う。
扉が閉まり、3人を乗せたエレベーターは屋上に向けてゆっくりと上がり始めた。
その場に残った茜は1つ小さな溜め息をつき、背中から倒れる。
「(後はあの3人に任せるとしましょうか…)」
茜は疲れきった様子で、再び溜め息をつく。
その時ふと頭に浮かんだのは、閉まっていくエレベーターの扉の向こうで葵が見せた、哀しそうな顔。
「姉さん…」
思わず呟き、考える。
彼女が見せた表情の意味、彼女の魂胆。
何1つ、答えは浮かばなかった。
その時、茜の無線機が鳴り出す。
ぼーっとしていた茜は少し反応が遅れ、慌てて応答する。
「どちら様?」
『茜さんですか?私です。亜莉紗です』
茜の表情が明るくなる。
「あら、どうしたの?デートのお誘いかしら?」
『残念ながら違いまして…。今、屋上に向かったメンバーを除いて全員合流しようという事になりまして。歩美さんは居るんですか?』
「歩美なら、屋上のメンバーよ。私はお留守番だけど」
『それなら、茜さんも合流しましょうよ。ちょっと怪我人が居て、そちらに行く事は難しいのですが…』
「大丈夫、私がそっちに行くわ。場所はどこ?」
『18階です。茜さんは…?』
「2つ上に居るわ。すぐに向かうわね」
『わかりました。ありがとうございます』
「えぇ。それじゃ、後でね」
茜は無線を切って、気だるそうに立ち上がる。
「結構…重傷ね…」
亜莉紗には平気なふりをしていたものの、茜は歩くことすら苦痛に感じる状態。
それでも尚、亜莉紗達の前では弱気な姿を見せまいと思ったのは、年下には弱気な姿を見せたくないという茜のプライドの表れであった。
屋上に止まっているエレベーターを呼び出し、それに乗り込む。
18階のボタンを押す。
扉がゆっくりと閉まっていき、18階へと下りていく。
「うふふふふ…」
その最中、茜は実に幸せそうな、いやらしい笑顔を浮かべていた。
18階に到着して扉が開くと、茜が想像していた光景が目に入る。
そこには亜莉紗、亜莉栖、梨沙の3人と、葵と因縁の決闘を行った少女影村雲雀、そして津神の元部下であった銀髪の少女幾島深雪が居た。
「あらら~!」
顔がほころぶ茜。
年下の少女に目がない茜にとっては、正気を保つのが難しい光景。
それを知っている亜莉紗と梨沙は"相変わらずだな"という苦笑を浮かべるだけであったが、面識が少ない雲雀と深雪の2人はただただ困惑するだけ。
そんな2人の元に、茜はつかつかと歩いていった。
「あなたは影村雲雀ちゃんよね!そっちの大きい子はみーちゃんね!」
「お、大きい…?」
そう呟いた後、茜が自分の胸の辺りを見て恐ろしい笑みを浮かべている事に気付き、慌てて腕で胸を隠しながら身体の向きを変える。
「うふふふふ…。そんなに照れなくても良いのよ~?雲雀ちゃん、あなたはこうしてよく見てみると、中々大胆な服装ねぇ…」
「だ、大胆…?」
ノースリーブのシャツを着ている雲雀の肩の辺りを見て恐ろしい笑みを浮かべている茜に、雲雀は引き気味に苦笑を浮かべる。
「あ!亜莉栖ちゃーん!」
次に亜莉栖が視界に入った茜は、彼女に向かって走っていく。
身体の痛みなど、今の彼女は忘れ去っていた。
「亜莉栖ちゃん亜莉栖ちゃん亜莉栖ちゃん!」
「茜…近い…」
「何も問題ないわ!すりすりしちゃうわよ~!」
「うぅ…」
恐ろしいスピードで頬をこすり付けてくる茜に、亜莉栖は嫌そうな顔をしながらもただただ耐えるだけ。
見かねた梨沙が、それを止める為に声を掛ける。
「茜さん…亜莉栖ちゃん嫌がってるじゃないですか…」
「梨沙ちゃん…!」
「げっ…」
目と目が合った瞬間、梨沙の顔が嫌悪に歪む。
鼻息を荒くしながら猛スピードで迫ってきた茜であったが、彼女が梨沙に飛び込む寸前で亜莉紗が引き止めた。
「待って…!梨沙ちゃんは今怪我人なんです…!」
「あら、そうなの?」
冷静になった茜と、目が合う亜莉紗。
「………」
顔がひきつっていく亜莉紗。
「………」
茜はにこっと笑った。
5分後…
「はぁ…お腹いっぱい…」
満足げな様子の茜と、魂を抜かれたようにぼけっとしている亜莉紗。
そこに、深雪がやってきた。
「いい加減にして…。今後の事を話し合う為に集まったんだから」
「あら、ごめんなさいね。ついつい」
「む、胸を見るな…!」
「失礼失礼…」
咳払いをしてから、茜は真剣な顔になって改めて深雪を見る。
「1つだけ、聞かせて貰えるかしら」
「な、何…?」
「C?」
「は?」
「Dなの?」
「………」
「え、Eなのッ…!?」
「(こいつッ…!)」
深雪が思わずスナイパーライフルに手を掛けようとした所で、雲雀が間に入った。
「神崎茜…頼むから、真面目に話をしてくれないか…?」
「あら、私はいつだって大真面目よ。失礼しちゃうわ」
「…私の肩に何か付いてるのか?」
「いえ、何も」
「………」
茜が真面目に話をする気になったのは、それから更に10分後の事であった。
「…それで、今からどうする?」
亜莉紗が話を切り出す。
「脱出の手立てを考えた方が良いのでは?津神の事はあの3人に任せれば大丈夫だと思いますし」
梨沙が答えた。
それに便乗したのは雲雀。
「町は壁で囲まれてるからな。何かしら考えなければ、出る事はできないだろう」
「深雪達は、どうやって来たの?」
深雪にそう訊いたのは、亜莉栖であった。
「私達は、麗子様が騒動を引き起こす3日前から町に潜伏してたの。だから、町が隔離されてからは出入りしてないんだ」
深雪は亜莉栖に優しい口調でそう答える。
「お前達はどうやって来た?隔壁を登ってきたワケではあるまい」
雲雀が深雪以外の一同の顔を見回しながら訊く。
「それが、登ってきたんだよね。フック付きのロープを引っかけてね」
始めに亜莉紗が答える。
「私達は下水道を泳いで来たわ。酸素ボンベが必須だから、帰りは無理でしょうけど…」
次に梨沙。
「私は空からよ。歩美のバカがヘリコプターを用意して、そこからパラシュートでね」
という茜の言葉を聞いた後、雲雀は亜莉栖に視線を移す。
「明美が壁を壊してくれたの。そこから入った」
「明美…?」
その名前を繰り返したのは、深雪であった。
「明美って…沢村歩美の妹…?」
「そうだよ。力持ちなの」
明美の事を知っている茜、梨沙、亜莉紗は、"力持ち"というレベルではないと苦笑するが、話を止めないよう口にはしない。
一同の話を聞いた雲雀は、ううんと唸るように声を出す。
「現実的なのは、壁を登る事だな…。それ以外は考えられん」
「そうは言ってもこの人数だよ?1人じゃ登る事自体難しい子だっているワケだし…」
深雪が亜莉栖を心配そうに見ながら答える。
亜莉栖は何を思ったか、深雪に親指を立てて見せる。
「(登れるワケ無いでしょ…)」
口には出さず、深雪は苦笑を返した。
「体力に自信がある子がおぶってあげれば良いんじゃないの?ほら、恭子ちゃんとか、結衣ちゃんとか」
茜がそう言ったが、亜莉紗が首を横に振って見せる。
「それは確実では無いです。茜さん」
「と言うと?」
「津神との戦闘で、少なからずは消耗するハズです。そんな状態で誰かをおぶってロープを登るなんて…」
茜は深く頷き、納得の意を示した。
「…確かに」
「ヘリを呼ぶのはどうですか?」
そう言ったのは梨沙。
雲雀が眉をひそめる。
「誰に頼むんだ?」
「沢村さんの部下の人。要請すれば、すぐに答えてくれると思う」
「沢村歩美の部下…か。早速連絡してみよう」
「そうね…」
梨沙は自分の無線機に手を伸ばしかけ、"あっ"という表情になる。
「…私、周波数知らないわ」
「おいおい…」
「2人は知らないの?」
深雪が茜と亜莉紗の顔を見る。
しかし、2人は気まずそうに目を逸らした。
深雪は溜め息をつく。
「…ダメみたいだね」
「…沢村さんが帰ってきたら聞いてみましょう。あの人なら確実に知ってるわ」
梨沙もまた、気まずそうにそう言った。
それから少しの間、沈黙が訪れる。
「ところで…」
茜が口を開き、その沈黙を破った。
一同の視線が、茜に集まる。
茜は一気に集まった視線に少し困惑したが、話を続けた。
「…屋上、大丈夫かしら?」
その言葉に著しい反応を見せたのは、梨沙と亜莉紗の2人。
今まで口にはしなかったものの、やはり2人は茜と同じようにパートナーの安否を気にしていた。
俯いた2人を見て、深雪はわかっている事を訊ねる。
「…やっぱり心配?」
「そりゃね…」
亜莉紗が苦笑する。
「恭子さんは強い。それもかなり。…でも、それは津神にだって言える事。絶対に勝つなんて事は言い切れないよ…」
「………」
かける言葉が思い浮かばない深雪は、何も言わずに俯く。
また、その隣に居る雲雀は、結衣を心配して俯いている梨沙をじっと見つめていた。
「そこで提案なんだけど…」
気まずい空気が流れる中、再び茜が口を開く。
次に発した彼女の言葉には、その場に居る全員が喫驚した。
「屋上、行ってみない?」
時刻は午前5時。
朝日が差し込み、町は朝焼けに包まれ始めている。
決着の時は、刻々と近付いていた…
第16話 終
最終章に続く。




