第15話
麗子との戦闘で負傷を負い、気を失っている歩美と茜の2人。
先に呻き声を上げながら目を覚ましたのは、歩美であった。
「ッ…!」
身体を起こした際に後頭部に強い痛みを覚え、思わず表情を歪める。
殴られた箇所である顎の辺りにも、違和感を覚えていた。
「(顎…外れてないわよね)」
自分の顎に触れて異常を確認しながら立ち上がり、辺りを見回す。
「これは…」
辺り一面、イリシオスの死体。
それが再び立ち上がり襲ってくる事を考えなかったワケでは無いが、歩美に慌てた様子は無い。
慌てた所で、1体でも起き上がったのなら諦めるしか無いとわかっているからであった。
歩美はしばらくの間、そのイリシオス達と辺りに散らばっている薬莢を見つめていたが、すぐにパートナーの事を思い出し、彼女の姿を探した。
「茜…?」
忙しなく辺りを見回す。
すると、彼女の姿はすぐに見つかった。
しかし、ぐったりと倒れている彼女に起き上がる気配は無い。
「ちょっと…なんとか言いなさいよ…」
歩み寄って声を掛けてみるが、返答は無い。
歩美は思わず最悪の事態を考えてしまう。
「嘘…でしょ…?」
茜の側にしゃがみ込み、彼女を揺り起こす。
「起きなさい…起きなさいよ…!」
それでも彼女は微動だにしない。
「茜…」
歩美の目元がじわりと熱くなったその時、押し殺すような小さな笑い声が、目の前の茜から聞こえてきた。
「ふふ…。ちょっと、意地悪が過ぎたかしら?」
茜はそう言って、身体をぐるりと回して歩美の方に向ける。
彼女は面白おかしそうに笑っていた。
死んでしまったのではないかと思っていた茜のその気の抜けるような表情を見て、歩美は呆然としてしまう。
「あんた…」
「珍しいもの見せてもらっちゃったわね。あんたの涙目なんて、長い事一緒に居て初めて見たかも」
「ッ…」
歩美は急に恥ずかしさを覚え、顔が真っ赤になる。
誤魔化すように茜の肩の辺りを軽く叩いたが、それは更に彼女を良い気分にさせるだけであった。
「ごめんごめん…。ちょっとからかいたくなったのよ」
「黙りなさい…!」
「ふふ…。はいはい…」
その時、エレベーターの扉が開き、1人の女性が現れる。
「あら…。ごめんなさいね、いちゃいちゃしてる所に」
いたずらっぽい笑みを浮かべて意地悪くそう言ったのは、葵であった。
「葵…」
「なんなら出直してあげても良いけど…どうする?」
「つ、つまらない冗談は止めなさい…!」
「ふふ…それは失礼…」
葵はくすくすと笑いながら、2人の元にやってくる。
「随分と手痛くやられたようね?」
そして、茜にそう訊いた。
「そりゃね…。鳩尾の辺りに穴が空いたんじゃないかと思ったわよ…」
「大丈夫よ。人間の身体は丈夫にできてるんだから」
「そうだと良いけど…」
力なく笑う茜。
すると、歩美が立ち上がりながら葵に訊いた。
「それで、何か話があるんじゃないの?」
「あら、どうして?」
「そう思ったからよ」
「へぇ…なるほどね…」
くすくすと笑う葵。
歩美は改めて、いつも同じ笑い方だなと思い、何となく鼻で笑う。
「どうしたの?」
「何でもないわ。それで?」
話を打ち切り、本題に進める。
葵は何かを取り出しながら、話を始めた。
「津神麗子について、色々と探ってたのよ。そしたら…」
「何故?」
「え?」
突然話の腰を折られ、驚いたように歩美の顔を見る葵。
先程までは神崎姉妹にからかわれて顔を赤くしていた歩美であったが、すっかりいつもの調子に戻り、腕を組みながら鋭い視線で葵を見返した。
その視線を受けた葵は、少し困ったように苦笑する。
「何故って…まぁ、気になったから?」
「真面目に答えなさい。津神が気まぐれで調べられるような人物じゃない事ぐらい、私だって知ってるわ」
「ふふ…ごもっとも…」
先程取り出した書類を、歩美に渡す。
「その資料に津神のウイルスの詳細が載ってるわ。あなたにはまだ見せてなかったわよね」
「どこでこんなものを?」
「ちょっと前に、津神の"ゲーム"に付き合ったじゃない。その戦利品よ」
「あぁ…」
数時間前の出来事を思い出しながら、歩美は受け取った資料に目を通す。
そこには確かに、麗子が製作したウイルスの詳細が記されていた。
一通り読み終えた歩美は、書類を葵に返す。
そして、再び訊く。
「…それで?」
「何が?」
とぼける葵。
歩美は何も言わずに、睨み付ける。
しばらくその視線を見つめ返していたが、堪えきれなくなったのか、葵は不意に笑い出した。
「そんなに見つめられても困るわね…」
「あんた、何を考えてるのよ」
「そうねぇ…。今日の昼食は何を食べようか…かしら?」
「………」
「冗談よ…」
そろそろ歩美が本気で怒ると判断した葵は、諦めたように溜め息をついた。
「津神麗子。麻薬に関する取引では、日本じゃ一番力を持っている人間」
「それは知ってるわ。そんな奴がどうして生物兵器に手を出したのかも、何となくは知ってる」
「じゃあ、あなたが知りたいのは?」
「そんな奴の事を、何故あんたが調べてるかよ」
「へぇ…。そんなに気になる?」
「答える気があるのか、無いのか、どっちなの?」
「うーん…。あるような…無いような…」
「いい加減に…」
「あぁもうわかったわよ…。私が調べてるのは、奴のウイルスが人間にどういった影響を及ぼすのかって事よ」
答えを聞いても尚、歩美は怪訝な表情のまま。
「それを知ろうとしてる理由を答えなさい」
「何よ、随分と突っ掛かってくるじゃない」
「胡散臭いのよ。何となく」
「何それ…」
葵は呆れたように鼻で笑う。
歩美は表情を変えずに続ける。
「ウイルスの詳細を知った所で、あなたに得があるとは思えないわ。何を考えているの?」
「気になる事を調べる事が、そんなに変かしら?」
「話を逸らさないで。そろそろ答えなさい」
「全く…せっかちさんねぇ…」
葵はそう言って、踵を返して2人に背を向ける。
「ちょっと。どこに行くのよ」
「気の向いた場所に行くのよ」
「…はぁ?」
「質問の答えなんだけどね…」
葵は顔だけを2人に向けて、何を考えているのかわからない不気味な微笑を浮かべる。
そして、歩美の怪訝そうな顔を見ながらこう言った。
「今私が答えずとも、すぐにわかるわ」
「それはどういう意味かしら」
「ふふ…。どういう意味かしら?」
「………」
歩美は葵に、デザートイーグルの銃口を向けた。
「歩美…?」
茜の不安そうな声。
葵は向けられた銃口を見て、実に楽しそうに笑い出した。
「ねぇ歩美…。それはどういう意味かしら?」
「さぁね。どういう意味かしら」
お互いの魂胆は察しているものの、2人はお互いにとぼけて見せる。
葵の右手が、鞘に納めてある刀の柄に触れた。
「そう言えば…あなたとやり合った事はまだ無かったわね」
「正直、私はやりたくないわ。大人しく質問に答えて頂戴」
「嫌だって言ったら?」
「引き金を引かせて貰うわ」
「ふふ…。そう…」
身体を歩美の方に向ける葵。
先に仕掛けるのは歩美か、葵か。
今にも戦闘が始まりそうであったその時、茜が声を上げた。
「ちょっと…!あんた達何始めようとしてんのよ…!」
ふらふらと立ち上がって2人の間に入る茜。
「邪魔よ、どきなさい。話す気が無いのなら、力ずくでも話させる必要があるわ」
「なんなら、あなたもそっちに加勢して良いのよ?茜。同じ事だろうけど…」
2人に引き下がる気配は無い。
そんな2人に、茜は思わず苦笑を漏らした。
「あんた達…何なのよ…」
「茜。葵は何かを企んでるわ」
歩美が銃口を葵に向けたままそう言う。
その言葉を聞いて、茜は歩美を不思議そうに見る。
「企んでる…?何を?」
「それはわからないけれど」
「は?」
「…勘よ。何となくの」
「あんた何言って…」
「鋭いじゃない。歩美」
茜の言葉を、葵が遮る。
茜は怪訝な表情を、歩美から葵に向ける。
葵は茜の顔を見てニヤリと笑った後、話し始めた。
「確かに、私はこの町に来てから、ある事を思い付いたわ。ほんとに、いきなりだったけどね」
「それがなんなのかを答えろと言ってるのよ…!」
ついに声を荒げた歩美は、銃を構えたまま葵に歩み寄る。
銃口を目の前にしても、葵は冷静さを一切欠かずに答える。
「まぁまぁそんなに怒らないで?…でも、今はその事を話す気分じゃないのよ」
「気分って…ふざけてるの…?」
茜の声からも、怒りが感じ取れてきた。
しかしそれでも、葵は相変わらず面白そうにニヤニヤと笑っている。
「そんなつもりじゃないわ。…とは言え、あなた達の怒り顔を見るのは中々良い気分だけど」
「答える気は無さそうね。それなら…」
歩美が言葉を言い切る前に、突然葵が素早く鞘ごと刀を振る。
鞘の先端が当たり、歩美のデザートイーグルは地面に叩き落とされた。
「ッ…!」
あまりの早業に反応が遅れたものの、歩美は素手で応戦しようと身構える。
「動いちゃダメよ…?次は鞘じゃないからね」
いつの間にか鞘から抜いていた刀の切っ先を歩美の喉に突き付けながら、葵はニヤリと笑った。
「…流石ね」
両手を上げて降伏の意を示しながら、歩美は困ったように鼻で笑う。
葵はそれを見て、刀をくるりと回してから鞘に納めた。
「もういいわね?さっきも言ったけど、今は話す気分じゃないの」
「はいはい…。さっさと行きなさい」
「ふふ…。じゃあね」
葵は2人に笑いかけ、エレベーターへと向かって歩いていく。
「…あ、そうだ」
何かを思い出し、足を止める。
「これ、あなたにあげるわ。私が持ってても、もう意味は無いし」
そう言って歩美に投げ渡したのは、先程彼女から返して貰った書類であった。
丁寧に四つ折りに畳まれているそれをキャッチして、歩美は眉をひそめる。
「…"もう"意味は無いってどういう意味よ」
「そのままの意味よ。もう私には必要無いの」
「…あっそ」
深く訊いてはまた先程と同じような展開になると思い、歩美はそれ以上の追求を止めた。
「待って」
今度こそこの場を後にしようと歩き出した葵を、茜が呼び止めた。
「…どうしたの?」
葵は背を向けたまま返事をする。
「姉さんの目的、まさかとは思うけど、明美ちゃんと同じって事は無いわよね?」
その言葉に、驚いた様子で振り返る葵。
彼女だけでなく、歩美も同じ様子で振り返って茜を見た。
しばらくの間茜と葵の2人は何も言わずに見つめ合っていたが、葵が重い口を開いて会話を切り出す。
「どうして…そう思ったの?」
「津神のウイルスは強力な代物って事は、私にも何となくはわかるわ。そんなウイルスの事を調べている内に、姉さんはその絶大な力に魅了された」
「…それで?」
葵の顔から笑みが消える。
「津神からウイルスを奪おうと考えた。私達よりも、明美ちゃんよりも早く」
「………」
冷たい目付きで、茜を見つめる葵。
その突き刺さるような視線に茜は動揺を隠せない。
額にじわりと汗が滲む。
静寂が支配し、重苦しい雰囲気になる。
そんな雰囲気を壊したのは、突然吹き出すように笑い出した葵の笑い声であった。
「名探偵茜ちゃん…ってワケ?中々面白かったわ」
「…バカにしてるの?」
「とんでもない。探偵事務所でも開いてみたら?きっと有名になれるわよ」
楽しそうに笑いながらそう言って、葵は2人に背を向けて手を振る。
「ま、待ちなさい…!」
「茜。私を怒らせたいの?」
「ッ…!」
葵の刺々しい冷たい声に茜は思わず怯み、言葉を失う。
葵はそのまま立ち止まる事なく、エレベーターの元に到着する。
「歩美…!行かせて良いの…!?」
小声ながらも強い口調でそう訊くが、歩美は静かに首を横に振って見せる。
「止めれるなら止めてきなさい。私はまだ死にたくないわ」
「ま、まぁ…それはそうだろうけど…」
結局、葵はエレベーターに乗ってこの階を去っていった。
しかしその去り際、その時の葵の表情を見た茜が眉をひそめた。
「…茜?」
「今…姉さん…」
「…何よ。どうしたのよ」
茜はその事を信じられないのか、途切れ途切れ、曖昧に口に出した。
「泣い…てた…?」
「…はぁ?」
鮮明にハッキリと聞き取ったが、歩美は思わず耳を疑う。
「泣いてたって…何で葵が泣く事があるのよ…?」
「わからないわよ…!でも…確かに今…」
言葉を切って、黙り込む。
歩美もしばらく何も言わずに、難しい顔をしている茜を見つめる。
「…気になるわ。行きましょう」
そう言って歩き出した途端、茜は突然崩れ落ちるようにその場にへたり込み、胸の辺りを手で抑えた。
「茜…!?」
「大丈夫…よ…。ちょっと…さっきのがね…」
そうは言ったものの、荒い呼吸を繰り返している彼女は到底大丈夫なようには見えない。
「………」
歩美は茜の側に膝をつき、彼女にこう言った。
「あんたは仲間と合流して休んでなさい。葵の話は、私が聞いてくるわ」
「そ、そんな…私も行くわ…!」
「ダメよ。足手纏いになるだけだわ」
「ッ…」
気持ちは強いが、身体が動かない。
茜は悔しさに耐えきれず、唇を噛みしめた。
「…大丈夫。葵が何かを企んでるとしたら、それは私が止めるわ」
「無茶よ…あんた1人でなんて…」
「………」
説得の言葉が思い付かず、歩美は困ったように茜を見つめる。
しばらくした所で、歩美は突然、茜を優しく抱き締めた。
「あ、歩美…?」
「…お願い」
「え…?」
「あんたは死なせたくないの。お願いだから、今は下がって頂戴」
「………」
茜は何も言わない。
しかし、しばらくした所でふっと笑い出し、歩美の身体をそっと離した。
「今の言葉は本心?」
「…何でそんな事を訊くのよ」
「ふふ…。あんた、口先だけは達者だからね…」
「あっそ…」
歩美は呆れたように鼻で笑い、立ち上がる。
「私は行くわ。あんたは結衣達を探しなさい。…こっそりついて来ようなんて考えないでね」
「さっきの質問に答えてくれたら、そうしてあげるわ」
「…質問?」
いたずらっぽく笑っている茜を見て、歩美はあえてとぼけて見せる。
「本心か、出任せか…どっちなの?」
「………」
歩美は口をへの字に結び、こそばゆそうに人差し指で頬の辺りをいじりながら答えた。
「…本心よ」
「…そう」
茜は嬉しそうに、にこっと笑った。
第15話 終