第13話
午前2時…
「…!」
不意に目が覚め、寝過ぎてしまったと思い慌てて身を起こす歩美。
壁に掛けられている時計を見て、歩美は安心したように溜め息をついた。
「2時か…」
身体を伸ばしてあくびをする。
そこで歩美は、隣の布団で寝ていた茜の姿が無くなっている事に気付いた。
「…茜?」
立ち上がり、廊下に出る。
すると、近くの扉の向こう側から、物音が聞こえてきた。
「茜?居るの?」
扉を開ける歩美。
その扉は、バスルームへの扉であった。
「きゃあッ!?」
突然現れた歩美に驚き、慌ててバスタオルで身体を隠す茜。
「ッ…!?」
茜に驚かれた歩美もまた驚き、慌てて扉を閉める。
「い、居るなら返事しなさいよ…!」
「呼ばれてから1秒も経たない内に入ってこられてどう反応しろってのよ!バカ!変態!スケベ!」
「そんなに言わなくても…」
「うるさい!私の大切な何かを返せ!」
「あーもう悪かったわよ!謝れば良いんでしょ!」
「謝って済む問題じゃないわよ!」
「じゃあどうすれば良いってのよ!」
「知るか!」
「はぁ!?」
2人のやり取りは、しばらく続いた。
その後、2人の熱が冷めた事で一連の騒ぎは治まり、冷蔵庫に入っていた缶コーヒーを飲んでいた歩美の元に、茜が濡れている髪の毛をタオルで拭きながらやってきた。
「絶対に許さない」
「第一声がそれってなんなのよ…」
「あんたの行為は許される事では無いわ。覗きは犯罪なのよ?」
「…あれは事故よ。まさか風呂上がりだとは思いもしなかったもの」
「それで済んだら警察はいらないのよ。覗き魔。変態。…変態!変態ッ!!」
「うるさいわね!耳元で叫ばないで頂戴!私が悪かったわよ!」
「全く…。まぁ、謝るなら許してあげない事も無いけど…」
とは言ったものの、茜は冷蔵庫の中を探りながら歩美に対しての文句をぶつぶつと呟いている。
そんな茜の様子を見て、歩美は溜め息をついてから部屋を出た。
「…しばらく休んでなさい。私も汗を流してくるわ」
「どうぞごゆっくり!」
「…はぁ」
呆れた様子で再び溜め息をつき、歩美はバスルームへと向かった。
「ふぅ…」
湯船に浸かり、全身の気だるさが癒されていく感覚に思わず息が漏れる。
「(こんな事してる場合じゃないけれど…まぁ少しは良いか…)」
何も考えず、ただぼーっとする歩美。
そこでふと頭に浮かんだのは、数時間前に別れた明美の事であった。
「(奴は私達よりも先に津神からウイルスを奪おうと考えてるハズ…。人である事を捨ててまで、一体何をしようと言うのよ…?)」
実の妹の思惑が見当もつかない事に苛立ちを覚え、歩美は溜め息をつく。
「(…考えたってわからないか。とにかく、奴よりも先に津神を捕まえないと…)」
それからもうしばらく湯船に浸かり、歩美は風呂から上がる。
「あっ」
バスルームの扉を開けた先には、きょとんとした顔でこちらを見ている茜が居た。
「………」
何も言わずに扉を少し閉め、身体を隠す歩美。
「ねぇ、私の腕時計知らない?お風呂に入る前に外して、ここら辺に置いといたんだけど…」
「知らないわよ…。とりあえず出てって貰えるかしら」
「…やっぱりあなたにも恥じらいってあるのね」
「い、良いから出てけ…!」
「はーいはい…」
茜はくすくすと笑いながら部屋を出ていく。
「全く…」
溜め息をついてから、バスルームを出る歩美。
すると、今出ていったばかりの茜がすぐに扉を開けて戻ってきた。
「あ、バスタオルこれ使って?」
「何か言ってから来なさいよッ!!」
「あら…失礼…」
その後、充分な休息を取れた2人は準備を整え、アパートを出て麗子が待っているという町の北側へと向かう。
「結衣ちゃん達、大丈夫かしら」
「待ってなさい。今連絡してみるわ」
歩美の呼び出しに、結衣はすぐに応答した。
『はいはい』
「私よ。状況はどうなの?」
『今さっき例の研究所に着いて、先に到着してた恭子達と調べてたんだけど、そこに津神が現れてね。逃げた津神を追って今外に出た所なんだけど…』
「…見失ったの?」
『…面目ねぇ』
「…まぁいいわ。恭子達は一緒なの?」
『いや、いきなり現れた変なクリーチャーの相手をしてくれてる。恭子なら問題無いと思うがね』
「そう…。奴が向かった場所の見当はついてるわ。そこに向かいなさい」
『そりゃどういう事だい』
「実は、ちょっと前に津神と対峙したのよ。その時に奴の魂胆を聞く事ができたわ」
『魂胆って?』
「他にやるべき事があるから、私達と決着をつけたいと言っていたわ」
『やるべき事…?』
「それはわからないけれど、どうせロクな事じゃないという事だけはわかるわね。奴は北側にある町で一番高い建物の屋上で待っていると言っていたわ。そこで捕まえてしまえば、やるべき事も何も関係ありゃしないわ」
『そりゃそうだ。つまり、私達はその北側にある町で一番高い建物とやらに向かえば良いんだな?』
「そういう事よ。それと、弾薬の補給はしておきなさい。津神が何を用意しているかはわからないからね」
『りょーかい。ほんじゃな』
「えぇ。私達も今から向かうわ。じゃあね」
通信を終えて歩き出した歩美を、茜が呼び止める。
「歩美。恭子ちゃん達には連絡しないの?」
「クリーチャーと交戦しているらしいわ。今連絡しても出ないハズよ」
「クリーチャー…ね。そう言えば、イリシオスが居ないわね」
「町に居る大半は、ちょっと前に私達が処理したからね。とは言え、そろそろ再生が終って私達を探し始めてもおかしくはないのだけれど」
「永遠に眠ってれば良いのに」
「全くね」
それからしばらく2人の間に会話は無かったが、10分程歩いた所で茜が口を開く。
「ねぇ、歩美」
「何?」
「明美の事、どうするつもり?」
訊かれた歩美は立ち止まって、隣を歩く茜に顔を向けた。
「…それを聞いてどうするつもり?」
「どうするつもりもないけど…また殺し合う気なのかしらって思ってね」
「だとしたら?」
刺のある歩美の声に、茜は思わず苦笑を浮かべる。
「…ちょっと、そんなにむすっとしなくてもいいじゃない」
「してないわよ。ただ、私とあいつの間の事はあんたには関係無いわ。首を突っ込まないで貰えるかしら」
「そんな言い方…!」
「私はあいつを止めるわ。それが私にできる唯一の…」
歩美は不意に、言葉を切った。
「…唯一の、何よ?」
「…行くわよ。津神が待ってるわ」
質問には答えずに歩き出す歩美。
しかし、茜は足を止めたままこう言った。
「罪滅ぼし…って言いたいの?」
「………」
「答えてくれるかしら。あんたの罪滅ぼしって、誰に対してのものなの?」
「…黙りなさい」
「あの子達の為?そうだとしたら見当違いよね。あんたと明美が殺し合う事なんて、あの子達が望んでいるワケが無いわ」
「黙りなさいッ!」
歩美は銃を取り出し、茜に銃口を向けた。
それを見て、茜は一切怯む事なく嘲笑を浮かべる。
「…気に触れたのなら一応謝ってあげるわ。でも、もう一度冷静になってよく考えてみなさい。罪滅ぼしは明美を殺す事なんかじゃないって事を」
「じゃあ他にどうしろってのよ…あいつを止めるには殺す以外に方法は何も無いわ…!」
「方法なんて自分で考えなさい。考えて考えて、苦しんで、それでこそ罪滅ぼしと言えるんじゃないかしら?」
「ッ…!」
歩美は引き金を引いた。
「………」
銃弾がかすった頬に軽く触れ、力が抜けたように鼻で笑う茜。
「…本当に撃つとは思わなかったわ」
「…私は明美を止める。誰に何を言われようともね」
「好きにしなさい。言いたい事は全部言ったし、もう口出しはしないわ」
「………」
銃をしまい、再び歩き出す歩美。
「元々、口で言ってわかるような奴じゃないか…」
茜は哀しそうにそう呟いた後、彼女に続いて歩き出した。
一連のやり取りがあった後はお互いに気まずくなり、言葉を交わさないのはそれより以前からであったが、無言で歩いている2人の距離は先程よりも少し離れていた。
「(ちょっと言い過ぎた…かな…?でも謝った所で、あいつが笑顔で許してくれるなんて事を全くもって想像できないわ…)」
「茜」
「は、はい…!」
不意に声を掛けられ、頓狂な声が出てしまう茜。
「…どうしてさっき、あんな事を訊いたの?」
「あんな事って…明美の事?」
「…えぇ」
「えーと…そうね…」
茜は歩調を速めて歩美の隣に並び、答える。
「別に深い意味は無いわ。ただ、あなた達の争いを止めたかっただけ」
「何故?」
「何故って…」
顎に手を当てて考え込むような素振りを見せる茜。
「世の中には色んな姉妹が居るわ。姉が妹を溺愛していたり…妹が姉を尊敬していたり、とかね。そんな傍ら、事情はあれど、互いに殺し合うような姉妹だって居る。でも、そんな関係は必要ないと思わない?」
「事情はあれど、と言ったわね。…それなら仕方がないじゃない」
「えぇ、言ったわ。その事情が本当にやむを得ない事情ならばの話だけど」
「…?」
歩美は茜の話に興味を持ったが、茜はふっと小さく笑って質問には答えずにこう言った。
「あんたに話してもわからないわよ。私はもう口出ししないわ。好きなようにやって、ケリを着けなさい」
「………」
「でも…」
「?」
「後悔だけはしないようにね」
「…わかってるわよ」
並んで歩いている2人の正面に、20階建ての大きなマンションが見えてきた。
「(そろそろ片付いた頃かしら…?)」
マンションに向かう前に、恭子との連絡を試みる歩美。
無線機を弄ってしばらくした所で、恭子の声が聞こえてきた。
『はい』
「恭子?私よ」
『沢村さん?なんでしょうか?』
「結衣から聞いたのだけれど、クリーチャーと交戦していたらしいわね」
『えぇ。あくびを噛み殺すのが大変でしたわ』
「…それを聞いて安心したわ。例の暴走現象も大丈夫みたいね」
『問題ありませんわ。沢村さんは、今どちらに?』
「津神の元に向かっている所よ。町の北側にある一番大きな建物。結衣達は先に向かったわ。あなた達も向かいなさい」
『了解しました。今から向かいます』
「そうして頂戴。それと、研究所がある建物の外に補給物資が届いているわ。弾薬とか、必要なものがあれば使いなさい。…とは言え、あなたにはあまり銃なんて必要ないでしょうけど」
『ふふ…どうでしょうか?』
「…まぁ良いわ。話は以上よ。じゃあね」
『えぇ。それでは、また後で』
通信を終えた歩美に、茜が訊ねる。
「恭子ちゃん?」
「えぇ。クリーチャーが片付いたから、今から向かうみたいよ」
「そう…」
相槌を打ち、正面にある大きなマンションに目を移す茜。
「津神さん、ここに居るのよね」
「奴の話ではね。…終わらせるわよ」
止めていた足を動かす2人。
その時背後から、既に聞き飽きている叫び声が聞こえてきた。
「…来たわね」
振り返る歩美。
そこには、こちらに向かって歩いてきている7体のイリシオスの姿が見えた。
「…歩美、こっちからも来てるわよ」
茜が歩美とは別の方向を見てそう言う。
そちらからも5体のイリシオスが迫ってきていた。
更に別の方向にも3体確認し、歩美は取り出しかけていた銃から手を離す。
「…逃げた方が良さそうね」
四方の内、三方向を塞がれた2人はやむを得ずに残った一方へと走り出す。
その先には、目的地であるマンションがあった。
「誘導ってワケ?今更逃げたりなんかしないってのにね」
茜が呟く。
「脅しみたいなものでしょう。何があっても逃がさないって事よ」
「上等ね」
2人はイリシオス達に追いやられるような形でマンションの中へと入った。
それと同時にイリシオス達は追跡を止め、入口の前で2人の退路を完全に塞ぐ。
「…進む他ないわね。強制されるのは気に入らないけれど」
イリシオス達を睨み付けるように見た後、歩き出す歩美。
茜は彼女についていきながら、建物の造りを観察していた。
煌々と光を放つ綺麗な照明、地面の黒いタイルはその光を受けて艶やかに輝き、白いタイルで覆われた壁は汚れ一つすら見当たらない。
「いかにも高級マンションって感じね…」
茜は感心したのか、感慨深そうにそう呟いた。
しばらく歩いた所で、歩美の無線機が鳴り出す。
「私よ」
『あら…?あなた私って名前だったの?』
聞こえてきた嘲笑は、麗子のものであった。
「…居場所を教えなさい。今すぐに向かって、とりあえず1発ぶん殴ってあげるわ」
『それは楽しみね…。私は最上階の20階に居るから、エレベーターで来ると良いわ』
「変な小細工、仕込んでないでしょうね」
『うふふ…。そんなつまらない事しないわよ…。これから始まるのは、言わばメインイベントなんだから…』
「…今から行くわ」
『えぇ。…楽しんでね』
歩美は通信を終え、エレベーターを探して通路を歩き始める。
「茜。奴は最上階に居るらしいわ。準備と覚悟は良いわね?」
「これと言った準備は無いし、覚悟なんてこの町に来た時からできてるわよ」
「…なら良いわ」
エレベーターを見つけ、呼び出す為にボタンを押そうとする歩美。
すると、20階からエレベーターが降りてきていたらしく、歩美がボタンを押す前にエレベーターのドアが開いた。
歩美はエレベーターに足を踏み入れる前に、外から中を見て安全を確認してから乗り込む。
茜も乗り込み、彼女が20階のボタンを押す。
ドアが閉まり、エレベーターはゆっくりと上がり始める。
「津神さん、どんな策を用意してるのかしらね」
「さぁね。ま、何があっても奴を逃がしはしないけれど」
銃を手に持ち、それぞれ弾倉を確認する2人。
20階に到着する寸前、エレベーターが18階を通過したその時、外から銃声が聞こえてきた。
「今の…!」
「…結衣ね。レイジングブルの音だったわ」
「もう到着してたのね…」
結衣と梨沙の事を考える間もなく、エレベーターは20階に到着する。
ドアが開き、同時に銃を構えて警戒する2人。
そこは町の景色を一望できる広い展望エリアになっていた。
そして広いその部屋の真ん中に、1人の女性の後ろ姿が見える。
銃をそちらに向ける2人。
しかし、2人はすぐに銃を下ろした。
そして、歩美が呟く。
「明美…?」
第13話 終