第3話
日が完全に沈んで闇に包まれた町。
身を隠している結衣、梨沙、奈々の3人は、廃ビルの中で朝を待つ事に。
「結衣さん。窓から離れた方が良いのでは」
「…そうだね」
梨沙に指摘され、結衣は窓からイリシオスの姿を観察する事を止め、ソファーに座り込む。
「せっかく隠れてんのに、見つかっちゃ元も子もないよね」
「奴らの視力がどれくらいなのかはわかりませんが、万が一という場合もありますので」
「キミが正しいよ」
結衣はそう返事を返した後、再び立ち上がる。
そして、部屋の中をうろうろしながらこう呟いた。
「なーんか…落ち着かないんだよなぁ…」
「何か食べます?どうぞ」
缶詰を投げ渡す梨沙。
「頂くよ。奈々ちゃんはお腹空いてないのかい?」
結衣はそう言って、ソファーの上で毛布にくるまっている奈々の横に座る。
「私は…食欲が無くて…」
「そいつぁ困ったね。果物でも良いから、何かしら腹に入れておきな。いざという時、動けなくなっちゃうよ?」
「でも…」
「しょうがないなぁ…。はい、あーん」
梨沙から受け取った缶詰を開け、中に入っている洋梨の一切れをフォークで刺し、奈々の口元に持っていく。
「え、あの…」
「口開けてー。ぐわーっと」
「ちょ、まっ…んぐっ…」
結衣はほぼ無理やり、奈々の口に洋梨を詰め込むように入れる。
「美味しいでしょ?」
「は…はい…。ちょっと甘過ぎる気もしますが…」
「ははは。缶詰のシロップってやたら甘いよね。口直しにこれ食べる?鯖缶」
「洋梨の後に鯖はちょっと…」
「おぉ、そりゃそうか」
その時、建物のどこかから、ドンッという大きな音が響き渡る。
結衣と梨沙は素早く立ち上がり、入口に向かって武器を構える。
しばらく息を殺して様子を見ていたが、梨沙が武器を下ろし、小声で結衣に訊いた。
「見に行きます?」
「勿論。奈々ちゃんはここで待っててね」
歩き出す2人。
「ま、待って…!」
2人を、奈々が呼び止める。
「どしたの?」
「私も…行きたい…です…」
「え?」
「ダメよ」
結衣は彼女の話を訊こうとしたが、梨沙は有無を言わさず突き返す。
「ただのゾンビだったら何とかなるけど、新種の奴だったらどうなるかわからないわ」
「………」
「戦えない人間が来た所で、足手纏いになるだけよ。ここで待ってなさい」
梨沙に辛辣な意見を述べられ、押し黙ってしまう奈々。
すると結衣が、後ろから梨沙の頭を軽く小突いた。
「痛っ」
「話くらい聞いてあげようよ。何か理由があるんじゃない?」
「でも、彼女死にますよ?」
「私達が守ってやりゃ良いだけじゃない。それとも、自分の事だけで精一杯?」
「ッ…」
結衣にあしらわれた梨沙は一瞬だけ彼女を睨んだが、"勝手にしろ"と言った様子でそっぽを向いた。
「というワケで奈々ちゃん。どうしてついてきたいの?」
「…1人で居るのが嫌なんです」
「ほうほう」
「耳を塞いでも聞こえてくる…奴らの声が…怖い…」
「ふむふむ」
「だから…」
「じゃあ行こっか!」
「…え?」
驚き、結衣の顔を見上げる奈々。
「ついてきたいならついてきな。理由なんてハナから気にしちゃいないよ」
「結衣さん…!」
訴えようとしてきた梨沙の口に人差し指を当て、彼女を黙らせる結衣。
「戦えないからこそ、だよ。仮に奈々ちゃんをここに待たせておくとして、私達が出てる間に奴らがここに来たらどうするの?」
「それは…」
「多少危険でも、連れてった方が良いと思う。さ、音の正体を確かめに行こう」
そう言って、部屋を出て行く結衣。
「あ、あの…」
気まずそうに、奈々が梨沙に呼び掛ける。
梨沙は大きな溜め息を吐いた後、歩き出しながら、奈々にこう言った。
「…離れるんじゃないわよ」
「は、はい…!」
奈々は嬉しそうに、梨沙についていった。
「結衣さん。どこへ?」
「上から聞こえた気がするんだよね。さっきの物音」
結衣を先頭に、3人は階段を登っていく。
「もしも新種の奴だったらどうするんです?戦闘は避けろと言われてますが」
「やらざるを得なくなったらやるさ。やらなくて済む事を祈るけどね」
この状況でも緊張していないらしい結衣が、あくびを噛み殺しながらそう答える。
そんな彼女に、呆れた様子を見せる梨沙。
「しっかりしてくださいよ…。どうしてこんな状況であくびなんか出るんです?」
「んー…。…眠いから?」
「あぁそうですか…。とにかく、奴らが出てきたら…」
そこで梨沙の話を遮ったのは、上の階から聞こえたガラスが割れる音。
「上だね。行くよ!」
結衣はニヤリと笑い、3階の捜索を打ち切って、4階への階段へと向かった。
そんな彼女の楽しそうな様子に困惑している梨沙と奈々は、きょとんとしているお互いの顔を見合わせた後、結衣の後に続く。
先に4階に到着した結衣が、物音の正体を発見した。
「間近で見ると…恐ろしいモンだねぇ…」
結衣は壁に隠れ、顔を少しだけ出してその姿を観察する。
赤黒い肌、真っ白な眼、両手には見るだけで鋭利な事がわかる程鋭い爪。
昨日歩美の書類で見た、イリシオスの姿と完全に一致していた。
「結衣さん」
梨沙と奈々が到着する。
「…向こうに居る。まだ気付かれちゃいないよ」
「どうするんです?下の階に降りてきたら厄介ですよ」
「それはわかってるけど…」
2人はイリシオスに気付かれないように、小声で会話をする。
しかし、イリシオスの耳には、2人の声がハッキリと聞こえていた。
「…待って。何か変だ」
イリシオスの異変に気付いた結衣がそう言って、再び壁の向こうを覗き込む。
いつの間にかイリシオスは、結衣の目の前にまで来ていた。
「ッ…!?」
イリシオスは奇声を上げながら、結衣の目に爪を突き刺そうとする。
結衣は後ろに倒れ込んで、それを間一髪で避ける。
「畜生…よく聞こえる耳をお持ちのようで…!」
避けた際に爪がかすって出てきた頬の血を、手で拭いながら立ち上がり、素手のまま身構える結衣。
飛びかかってきたイリシオスに、隠れていた梨沙が奇襲をかけた。
イリシオスの喉元に深く刺さる、梨沙のナイフ。
更に彼女は、ナイフを横に払うように引き抜き、イリシオスの首を引き裂く。
引き裂かれた首が、だらんとぶら下がる。
「死ん…だの…?」
梨沙の確認する言葉を裏切り、イリシオスはぶら下がっている首を両手で持ち、断面同士をくっつけた。
傷口は一瞬で元通りになり、イリシオスは梨沙に飛びかかる。
「う、嘘でしょ…!?」
反応が遅れた梨沙は避け損ねて、飛びかかってきたイリシオスに押し倒される。
組み合いとなったが、イリシオスの怪力に抵抗できず、梨沙は両手を地面に抑えつけられ、動けなくなる。
拘束された梨沙の顔に、イリシオスは顔を近付ける。
梨沙の目の前でイリシオスの口が裂け、おぞましく羅列している牙が露出する。
イリシオスが奇声を上げて梨沙の顔に咬み付く寸前で、イリシオスのこめかみにリボルバーの銃口が突きつけられた。
「そこまで」
引き金が引かれ、銃口から発射された44マグナム弾が、イリシオスの頭部を貫く。
イリシオスは吹っ飛び、頭から壁に叩きつけられた。
「大丈夫かい?」
倒れている梨沙に、手を差し出す結衣。
「…もっと早く助けてくださいよ」
結衣の手を取って立ち上がりながら、梨沙は呆れ気味にそう答える。
「そいつは悪かったね。奴の動きを確認したかったんだ」
「冗談じゃない…」
「ごめんごめんって。とりあえず、こいつを何とかしようよ」
「………」
ナイフを構えない梨沙に気付き、眉をひそめる結衣。
「…梨沙ちゃん?」
名前を呼ばれた梨沙は、冷や汗と苦笑を浮かべながらこう言った。
「…結衣さん、逃げましょうよ。多分、コイツは倒せません」
「え…?」
「見たでしょう。首を引き裂かれようが、頭に銃弾を撃ち込まれようが、すぐに傷口が再生する。不死身ってのは本当だったって事です」
梨沙がそう言ったのと同時に、イリシオスは立ち上がってこちらを見る。
「つまり、私達がどんな攻撃をしようと、徒労に終わるって事ですよ…」
「なるほどね…」
相槌を打った後、突然、結衣は右手にリボルバーを持ったまま、左手でイリシオスに殴りかかった。
「話聞けよ!」
反撃してきたイリシオスの爪を避け、顎にリボルバーを突きつけて引き金を引く。
イリシオスの顎は粉々になったが、すぐに再生する。
「流石に再生能力はズルくね…?…まぁいいや、キミには一旦退場してもらうよ」
リボルバーをしまい、素手のまま身構える結衣。
イリシオスは奇声を上げ、結衣に飛びかかる。
結衣はあえて避けずに、わざとイリシオスに押し倒される。
そして、地面に背がついたと同時に、イリシオスを柔道の巴投げのように投げ、背後にあった窓ガラスからイリシオスを外に落とした。
「4階から落として死なないんじゃ、お手上げだね」
「今の奴が死んだとしても、銃声を聞いた他の個体が集まってきてるハズです。急いでここから離れた方が良いかと」
「そうだね。とりあえず、2階に戻ろう」
3人はひとまず、2階へと戻った。
結衣と梨沙が部屋の安全を確認し、3人は中に入って扉を閉める。
「まだここには来てないみたいだね。静かにしてれば朝までやり過ごせるかな?」
「見つかったら終わりですけど…他に方法もありませんからね」
使っていた照明である小さな電灯を消し、3人の視界を照らす照明は月明かりだけとなった。
「奈々ちゃん。大丈夫?」
毛布にくるまっている奈々に、結衣が呼び掛ける。
「は、はい…。大丈夫です…」
「暗いけど我慢してね。さっきの奴らに気付かれたら面倒だし」
「あの…大神さん」
「おっと。私の事は名前で呼んでよ。気軽にね」
「あ、すみません…結衣さん。その…さっきの奴は…?」
「奴が夕方話した、イリシオスって名前の新種のバケモンだよ。どんな奴かは、見てわかったでしょ?」
「ま、まぁ…。綾崎さん、大丈夫なんですか?」
訊かれた梨沙は、あざがついている手首をさすりながら答える。
「…大丈夫よ。少し手首を痛めただけ」
「そうですか…」
梨沙の返答に安心したのか、奈々は小さな笑みが零れる。
気恥ずかしくなった梨沙は、話を逸らすように結衣に話し掛けた。
「結衣さん。明日、どうするんですか?彼女の姉を探すと言っても、何の手がかりもないワケですが」
「手がかり…ねぇ。確かに何かあれば良いんだけど…。奈々ちゃん、最後にお姉さんを見たのはどこなのかな?」
「結衣さん達と出会った飲食店がある大通りです。お姉ちゃんは、南側に行きました」
「南側…か。それって、歩美と茜さんが居るハズの中央部って事だよな…」
腕を組んでそう呟き、窓際に歩いていく結衣。
「お姉さんの特徴…みたいなのは、何かあるかな?」
「えーと…。髪の色は茶色で、私のとは違いますけど、服は学校制服を着ています。あとは…」
「それだけ情報があれば充分だよ。ありがと。ちょっと別行動してる仲間に訊いてみるよ」
結衣はそう言って、耳に掛けてある通信機をいじり始めた。
「沢村さんに訊くんですか?」
梨沙が結衣の元にやってきて、そう訊く。
「うん。もしかしたら、2人が彼女を見つけてるかもしれない。訊くだけ訊いてみるよ」
結衣は無線機を操作して、歩美に通信を掛けた。
「歩美。聞こえる?」
しばらくして、歩美の眠そうな声が返ってくる。
『何よ…?』
「え、お前寝てたの?」
『寝るなら今の内よ。イリシオスは夜になればなるほど、活発になるからね』
「そのイリシオスなんだけどさ。聴力良いの?」
『え?…まぁ、かなり聞こえる方だと思うわよ。確か、そんな報告もあった気がするわ』
「なるほどね…」
『…まさか、奴と接触したの?』
「ちょっとだけだよ。そんな事よりも、お前に訊きたい事があるんだ」
『訊きたい事?』
「茶髪の女の子を見てない?」
『茶髪の女の子?見てないけど…どういう事なの?』
「実は、生存者を1人見つけてね。その子のお姉さんを探す事になったのさ。もしかしたら、見てないかなと思って訊いてみたの」
『ふーん…。悪いけど、見てないわ。というか、生きてるって確証はあるの?』
「無いよ?」
『あっそ…。なら、多分それ無駄よ。これだけゾンビが蔓延ってる町で、一般人が生き延びる事なんてできるワケがないわ』
「それはそーかもしんねぇけど…。無駄だっていう事の確証だって無いんだ。それなら探すべきだろ?」
『…まぁ好きにしなさい。本当の目的を忘れるんじゃないわよ。じゃあね』
「おう。ありがとさん」
通信を終えた結衣に、梨沙が話し掛ける。
「どうでした?」
「見てないってさ…。中央には行ってないんじゃないかな」
「だとしたら…一体どこに…」
「恭子達は南西部だから、流石に会ってないだろうし…。こりゃ手当たり次第しか無いかな…」
「手当たり次第って…この広さの町をですか…!?」
「まー何とかなるさ。とにかく、今日はもう休もう。奈々ちゃんも疲れてるだろうし」
そう言って2人が奈々を見てみると、彼女は毛布にくるまって座ったまま、うつらうつらとしていた。
それを見て、梨沙は小さく笑う。
「…そうですね。では、私が見張っておきます」
「それはダメだね」
「…え?」
「見張りは良いから、梨沙ちゃんも休みな。明日、持たないよ?」
「でも…」
「音を立てなきゃ気付かれやしないさ。扉に鍵は掛けてあるから、万が一奴らが来ても、扉を破ろうとする音でわかるし」
「うーん…」
結衣の説得を聞いても、梨沙は納得しない。
すると、結衣は梨沙をソファーの上に押し倒し、毛布を掛けて強引に寝かしつけようとした。
「な、何するんですか…!?」
「こうでもしなきゃ、キミは寝ないでしょ?」
「わ、私眠くないですから…!」
「うるさい。キスしちゃうよ?」
「なッ…!?」
「冗談冗談。はい、おやすみ」
「冗談キツいですよ…」
「ふふ…。また明日ね」
「…おやすみなさい」
梨沙は呆れたように溜め息を吐き、毛布を被って眠りについた。
「よしよし…。さて、奈々ちゃんもしっかり寝ようね」
「んぁ…。はい…」
結衣の声で目を覚ました奈々であったが、余程疲れているのか、すぐに身体を寝かせて再び眠りにつく。
「…キミのお姉さん、絶対見つけてあげるからね」
「はい…。ありがとう…ござい…ます…」
奈々は無邪気な笑顔を浮かべてそう言い、そのままゆっくりと眠った。
「(さて…。私も寝るかな…)」
2つあるソファーはどちらも空いていないので、結衣は余っている毛布を床に敷いて、その上に寝転ぶ。
「(後は、寝ている間に奴らが来ない事を祈るだけ…か)」
結衣はリボルバーを枕元に置き、眠りについた。
第3話 終