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2nd Nightmare  作者: 白川脩
恭子編
32/57

第15話


恭子の目の前に居るのは、もはや彼女が知っている優しくて賢い狼犬のイヴではない。


クリーチャーとしての凶暴性を取り戻してしまった、造られし生体兵器"D-03イヴ"であった。


背中から生えているグロテスクな赤い肉塊のような腕は、いまにも恭子に掴みかかろうと静かに狙っているように見える。


その本体であるイヴも、優しさなどは微塵も感じられない、殺意に満ちた赤い瞳で恭子を睨み付けていた。


お互いに様子を見るという状況が続いていたが、イヴが雄叫びを上げて恭子に突進していった事により、戦闘は始まった。


イヴの身体を避け、その小さな身体を横から蹴りつけようとする恭子。


しかし、その身体から生えている2本の腕に妨害され、やむ無く下がって距離を離す。


「(厄介な武器ですわね…)」


銃を取り出し、腕に向けて数回引き金を引く。


銃弾は全て狙った箇所に命中したが、腕も本体のイヴもダメージを負ったような様子は見えなかった。


今度はこちらの番だと言わんばかりに、イヴが素早い動きで距離を詰める。


恭子は再び避けてから反撃を入れようと考えたが、2本の腕が恭子を左右から挟み込むように動き、彼女の退路を塞ぐ。


必然的に残された後方へと下がるが、次の手を考える前にイヴが飛び掛かってくる。


その飛び掛かりを再び後方に避けたが、それとほぼ同時に2本の腕が恭子の頭を叩き潰そうと迫ってきた。


回避が間に合わず、その腕を両手で掴んで止める。


見た目から想像はしていたが、腕の力はその想像を優に上回っていた。


「くっ…!反則ですわ…!」


腕を抑えている間にも、本体のイヴが牙を剥く。


鋭い牙が、恭子の腹部に突き刺さった。


咬み付き程度なら耐えられるであろうと思っていた恭子であったが、腕の怪力に驚かされた時と同様に、イヴの咬合力は彼女の想像を上回っていた。


人外の恭子ですら耐えかねる痛みに思わず手の力が抜け、大きな腕が恭子の頭を潰そうと狙う。


頭を潰される寸前、胴体を咬み付かれたまましゃがみ込み、恭子は即死を免れる。


頭上で手が重なり、爆発音のようなけたたましい音が恭子の耳を襲う。


鼓膜が破れてもおかしくないその轟音に耐え、恭子は咬み付いているイヴを引き剥がそうとする。


「離しなさい…!この…!」


持ち前の怪力で上顎と下顎を持って力の限り広げる。


その力比べでは恭子が勝り、顎を引き裂かれそうになった所でイヴの方から口を外し、跳ねるように後方へと下がった。


ひとまず難を逃れた恭子は、咬まれた腹部の痛みに苦い表情を浮かべながら立ち上がる。


同時に、恐れていた事態が発生した。


突然胃から熱いものが込み上げてきて、思わずそれを吐き出す。


「ッ…!?」


地面に拡がった真っ赤な血を見て、恭子は目を見開いた。


それを見た途端、咬まれた腹部がうずき始め、身体が突然思い出したかのように熱くなり始める。


恭子は嫌でもその原因を理解した。


「(なるほど…そういう事ですか…)」


口から垂れている血を手で拭いながら、赤くなった瞳をイヴに向ける。


イヴの唾液に含まれるウイルスが、恭子の細胞を暴走させていた。


しかし、不幸中の幸いと言うべきか体内に入ったウイルスは少量であったので、前回の暴走のように身体が言う事を聞かないという事態には陥っていなかった。


それでも、気を抜けばすぐにでも意識が飛んでしまいそうになっており、恭子は必死に自我を保とうと気を入れる。


戦闘に集中する事は難しい状態であったが、当然そんな事は関係無しにイヴは襲い掛かる。


反撃の余裕などあるハズも無く、恭子はひたすらイヴから距離を離し続ける。


防戦一方になり、体力だけが減っていく。


しかし、しばらく逃げ続けている内に、段々と体調が戻っていく感覚を覚えた。


それどころか、以前よりも力が溢れてくる。


恭子の身体は接種したウイルスを取り込み、それを力へと変えていた。


「ふふ…なるほど…」


イヴの腕による攻撃を避けているだけであった恭子が、突然立ち止まる。


その様子を不審に思い、イヴも攻撃を止めて足を止めた。


それを見て、恭子はくすくすと笑う。


「勘が鋭いですこと…」


じりじりと歩み寄る。


下がりはしないが、イヴは目に見えて攻勢の勢いが削がれている。


先程までの形勢は、見事に逆転していた。


ゆっくりと近付いていた恭子が突然足を速め、風のような恐ろしいスピードで距離を詰める。


イヴは背中の腕で迎撃を試みるが、頭上から振り上げられたその攻撃を恭子は一切スピードを落とす事なく身体を少しひねって軽々と避ける。


お互いの距離は完全に接近戦の間合いとなり、有利であったイヴのリーチは無くなった。


恭子は始めにイヴの背中の腕をそれぞれ両手で掴み、動きを止める。


そして、イヴ本体の顔面を荒々しく蹴り付けた。


空手などの武道の技ではない、力任せの荒々しい蹴り。


そんな蹴りでも、今の恭子の力では恐ろしい威力を持っていた。


蹴りが直撃したイヴの身体は、重々しい背中の両腕ごと吹っ飛び、地面に転がる。


並みのクリーチャーであればその時点でノックアウトと言った様子であったが、麗子が製作した新型のウイルスの力によって、イヴはすぐに立ち上がった。


そして、先程までの勢いを突然取り戻したかのように突進してくる。


少し前までは迫ってくるイヴの姿に苦笑を浮かべていた恭子であったが、今は余裕に満ち溢れた笑みを浮かべている。


不本意ながらも手にした新たな力は、恭子に今までに無い程の自信を与えていた。


その自信は決して似非のものではなく、現に突進してきたイヴの両腕を涼しい顔で受け止め、先程と同じように顔面を蹴りつける。


しかし今度は、その蹴りが避けられる。


両腕はそのままで恭子の動きを封じながら、彼女の腹部に喰らい付く。


先程腹部を咬まれた時と同じような展開。


異なるのは、恭子が新たな力を身に付けているという事。


それにより、次の展開も異なる事となった。


掴んでいた両腕を勢い良く下に下ろし、その腕をイヴ本体にぶつける。


大きな腕を勢い良く叩き付けられ、ひとたまりもないイヴは地面に突っ伏すように倒れ込む。


追い打ちをかけるように、倒れ込んだその身体を恭子は踏みつける。


その踏みつけを、イヴの背中の両腕が防いだ。


突然足を掴まれた恭子であったが動揺した様子は一切見えず、彼女は怪力をものともせずに軽々と足を引き抜く。


そして引き抜いたその足で再びイヴの顔面を蹴り付けた。


今度は避けられず、彼女の足が食い込む程の勢いで蹴りが命中する。


無惨に吹っ飛び、イヴはしばらく立ち上がる事ができなかった。


「さて…」


そろそろ終わらせよう、と心の中で呟き、倒れているイヴに歩み寄る恭子。


その時、彼女は突然膝から崩れ落ちた。


「ッ…!」


心臓を手で強く抑え、突然襲ってきたその痛みに耐える。


原因はわからず、恭子はパニック状態に陥る。


「(何故…!急に…!)」


息が荒くなり、視界が侵食されるように隅から黒ずんでいく。


取り込む事に成功したと思っていた麗子のウイルスは、まだ完全には死んでいなかった。


生き残ったウイルスが身体の中で再び暴れ始め、恭子は立ち上がる事もできなくなり、そうしている内にイヴがゆっくりと立ち上がる。


鋭い牙を剥きながら。


「(万事休す…ですわ…)」


必死に立ち上がろうとするが、呼吸すらもままならなくなる程の心臓を強く締め付けられるような痛みに抗えず、立て膝のまま悶えるだけ。


イヴが目の前まで歩いてやってきたが、恭子の身体は動かなかった。


イヴの背中の両腕が恭子の身体を乱暴に掴み、ぎりぎりと握り締める。


危機的状況であるが、それでも尚恭子は痛みで動けない。


それどころか締め上げられている事により、彼女の痛みは尚更強いものへと変わっていった。


怪力に締め上げられ、口から身体の中のものを吐き出しそうになる。


恭子の身体が限界に達しようとしたその時、エレベーターの扉が開いた。


同時に、イヴの腕の力がすっと抜ける。


恭子はその隙を見逃さず、力を振り絞って手を解き、脱出する。


咳き込みながらも何が起きたのかと困惑した恭子であったが、エレベーターから降りてきた人物を見て、彼女の困惑は更に深まった。


「あなた達…!」


エレベーターから降りてきたのは、亜莉紗、亜莉栖、深雪の3人であった。


「恭子さん!何があったんです!」


亜莉紗が駆け寄る。


「来てはいけません!すぐに戻りなさい!」


「それはできません!」


亜莉紗は即答して恭子の腕を肩に回し、彼女の身体を起こす。


そして、エレベーターの前に居る深雪と亜莉栖の元へと向かいながら、こう訊いた。


「…あれは、なんです?」


足は止めずに、視線だけを変わり果てたイヴに向ける亜莉紗。


訊きはしたものの、亜莉紗は見た時から既に答えを知っている。


それでも尚、その事実を受け入れたくなかった。


「…ごめんなさい。私は何もできませんでしたわ」


「恭子さんは何も悪くないです。悪いのは…津神ですから」


麗子への怒りが伝わってくる、亜莉紗の静かな声。


恭子は自分のせいではないと言ってくれた亜莉紗の優しさと自分の不甲斐なさに言葉を失い、静かに俯いた。



「亜莉栖ちゃん…私から離れないでね…」


亜莉栖の前に立ち塞がるようにして、変わり果てたイヴにスナイパーライフルを構えている深雪。


その後ろで亜莉栖はイヴの姿を見て、驚いているような、哀しんでいるような表情で呆然と立ち尽くしていた。


そこに、イヴがやってくる。


背中を押し破るように生えてきたグロテスクな腕をゆらゆらと不気味に動かしながら、イヴはやってきた。


「イヴ…」


弱々しい、亜莉栖の震えた声。


深雪は更にグリップを強く握り締める。


目の前までやってきたイヴが背中の腕をぴくりと動かしたその時、離れた所で亜莉紗に介抱されていた恭子が駆け出した。


「離れなさいッ!」


彼女に反応し、イヴが身体をそちらに向ける。


それに合わせるように、深雪が亜莉栖の手を引っ張ってその場から離れる。


更に亜莉紗も、突然駆け出した恭子に驚きはしたものの、すぐに状況を判断してクロスボウに矢を装填する。


一番先に攻撃を仕掛けたのは、イヴであった。


駆け付けてきた恭子の身体をなぎ払うように、背中の腕を横に大きく振る。


その腕を脇で挟み込むように受け止める恭子。


しかし、体調が万全ではない彼女にイヴの強力な一振りは防げなかった。


恭子の身体が宙に浮き、彼女は受け身もままならずに背中から地面に落ちる。


そこにトドメを刺そうとイヴが歩み寄るが、亜莉紗がそれを阻止する。


射出された矢がイヴの腕を貫いたが、イヴに怯んだ様子は無く、ぎろりと亜莉紗を睨み付ける。


その眼光に、亜莉紗の方が怯んでしまった。


背中の重々しい腕を小さくたたみ、風のような速さで亜莉紗に接近するイヴ。


その姿に畏怖してしまった亜莉紗は身体が動かなくなり、そのままイヴの背中の両腕に叩き飛ばされた。


「亜莉紗ッ!」


倒れた亜莉紗の元に深雪が駆け付け、スナイパーライフルをイヴに向けて引き金を引く。


その銃弾をイヴは見切って素早い動きで避け、今度は深雪の元へと走り出す。


イヴが向かってくる最中も深雪は発砲を止めなかったが、銃弾が命中する事は一度も無かった。


接近を許してしまった深雪はイヴの背中の腕に頭部を掴まれ、持ち上げられる。


「ッ…!?」


頭を潰されそうになり、あまりの痛みに気を失いそうになる。


彼女の頭が割れる寸前で、少女の叫び声が聞こえてきた。


「止めてッ…!」


イヴの動きが、ぴたりと止まる。


深雪の身体を投げ捨て、イヴは声が聞こえた方向にゆっくりと身体を向けた。


「もう…止めて…。イヴ…」


そこには、ぽろぽろと涙を流している亜莉栖が居た。


彼女に向かってゆっくりと歩き出すイヴ。


そして、変わり果てた赤い瞳で亜莉栖を見つめた。


目の前に居る少女は自分を見て、怖れている様子は無い。


ただ哀しんでいる。


その様子に、イヴは不思議な感覚を覚えた。


「イヴ…私の事…わかる…?」


少女の言葉の意味など、イヴにはわからない。


それでも何故か、イヴは彼女の話を聞いているかのように大人しくしている。


ただ静かに、背中の腕すらも動かさず、ただ彼女を見つめている。


亜莉栖はその姿を見て、少しだけ顔が綻んだ。


「イヴ…」


そして自ら、目の前のクリーチャーに歩み寄る。


「亜莉栖さんッ!いけませんッ!」


何とか意識だけは保っている恭子が、声を上げる。


しかし、亜莉栖は足を止めない。


すると、近付いてきた亜莉栖を威嚇するかのように、イヴが唸り声を上げながら背中の腕を広げて見せた。


それを見て立ち上がろうとする恭子であったが、身体の中の細胞が言う事を聞かず、彼女は立ち上がれない。


ついに亜莉栖は、イヴの目の前にやってきた。


イヴは威嚇を止めない。


それでも亜莉栖には怖れている様子は一切無く、彼女はイヴの前に跪く。


そして、イヴの身体を優しく抱き締め、こう呟いた。


「ずっと…一緒だよ…」


その声を聞いた途端、イヴの身体からすっと力が抜け、背中の腕がゆっくりと下ろされていく。


それを見て、亜莉栖はくすりと笑い、イヴの頭を優しく撫でた。


「…いいこいいこ」


イヴの異様な赤い瞳が、すっと平常の黒いものへと変わっていく。


そして亜莉栖に身を任せるようにもたれかかり、ゆっくりと目を閉じた。


「…おやすみなさい」


腕の中のイヴに、亜莉栖は一言だけそう囁いた。


第15話 終



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