第7話
「…それで、今からどうします?イヴのお陰で狙撃手は居なくなったみたいですけど」
大木の陰から少しだけ顔を出して展望台の方を伺いながら、亜莉紗が恭子に訊く。
「勿論。先程の狙撃手を探しにいきますわ」
「いや…あの…」
「私を狙撃しようなど愚の骨頂。どこの馬の骨だかは存じませんが、それを教えて差し上げないと」
不適な笑みを浮かべながら、展望台に向かって歩き出す恭子。
「…そーですね」
反論しても無駄だと判断した亜莉紗は肩を竦めて、てくてくと歩き出した亜莉栖と共に恭子についていった。
展望台に到着したと同時に、クロスボウを手に持ち矢を装填し、亜莉栖を自分の背後に追いやるように立たせる。
「何が起こるかわからないから、ちゃんと私の後ろに居てね?」
「恭子の後ろの方が安全じゃないの?」
「そ、それは…まぁそうなんだけど…。ここはお姉ちゃんに任せなさい!」
「心配。凄く」
「い、いーから…!」
「ふふ…。行きますわよ、お二方」
姉妹のやり取りを微笑ましく見届けた後、恭子は展望台の入口であるガラス扉を開ける。
そこは、広い空間に多くの椅子や自動販売機が置いてある、休憩スペースのようになっていた。
その空間の東と西に、亜莉栖が階段を見つける。
彼女は迷う事無く、西の階段の元へと向かった。
「亜莉栖?」
「こっち。イヴはこっちを登っていった」
「な、なんでわかるの…?」
「…なんとなく?」
「訊き返されても困るんだけどな…」
「…てへぺろ」
「楽しそうでお姉ちゃん何よりだよ…」
三人は西側の階段を登り始める。
しばらく登った所で、亜莉紗が立ち止まって膝に両手を置き、息を切らしながら嘆くようにこう呟いた。
「結構長い階段だなぁ…。エレベーターとかあればいいのに…」
その言葉に、恭子が答える。
「エレベーターなら、ありましたわよ?」
「え、何で使わなかったんですか…?」
「こういう時は、大体電源が落とされているものですもの。以前拝見した映画で確認済みですわ」
「それは映画だから…」
「ふふふ…。ぐだぐだとほざいていないで足を動かしてくださいな。その口を引き裂きますわよ?」
「(笑顔でとんでもない事言うなこの人…)」
亜莉紗は疲れきった様子で溜め息をついた後、階段を登る事を再開した。
一方…
三人が登っている階段の先にあるエレベーターホールには、先程三人を狙撃した銀髪の少女と刃物傷の少女、そしてもう1人、美しい黒紫色の長い髪を持つ女性が居た。
彼女達の向かいには、唸り声を上げながら睨み付けているイヴの姿。
「麗子様。この狼、どうしましょうか」
刃物傷の少女が、黒紫色の髪の女性を、麗子と呼ぶ。
彼女が、津神麗子であった。
「殺しちゃいなさい。あとちょっとすれば、峰岸恭子達もやってくるハズよ。その前にね」
「では私が…」
ナイフを取り出す刃物傷の少女。
「待ちなさい」
それを、麗子が止める。
麗子は銀髪の少女に視線を向けて、彼女にこう言った。
「深雪ちゃん。あなたにやってもらうわ」
「…私?」
「自分の不始末。カタをつけるのは自分じゃないと…ね?」
微笑みかける麗子。
しかし、深雪と呼ばれた銀髪の少女は、その笑顔見て、恐ろしい物でも見るかのような、怯え気味の表情になった。
「うふふ…。ちゃんと見てたわよ?さっき仕留めるチャンスがあったにも関わらず、あなたは仕留め損ねた。…峰岸恭子は厄介な存在よ。自分の失態の重さ、わかってるかしら?」
「…すみません」
怯えた様子で、謝る深雪。
その時、ずっと唸っているだけであったイヴが、痺れを切らしたように、麗子に向かって突進する。
しかし、麗子がイヴを睨み付けるように見た途端、イヴの足がピタリと止まった。
「…ま、失敗は誰にでもある事だわ。上手くやって、ミスを帳消しにしてね?深雪ちゃん」
「…はい」
麗子は再び深雪に優しく微笑み掛けた後、エレベーターに向かって歩いていく。
それについていく刃物傷の少女であったが、麗子が何かを思い出したようにこう言った。
「あぁ、それと、雲雀ちゃんはそっちの階段から降りてね。大神結衣達が来てるハズよ」
「はい。わかりました」
二つ返事で承諾した雲雀と呼ばれた刃物傷の少女は、踵を返して東側の階段へと向かった。
麗子もエレベーターに乗り、その場に残ったのは深雪とイヴだけ。
その時、西側の階段から、恭子と上条姉妹の三人が現れる。
イヴだけであれば何とかなると思っていた深雪は、思わず舌打ちをした。
「…参ったな」
「お待ちなさい」
後退りをして展望エリアに逃げ込もうとした深雪を、恭子が呼び止める。
「先程私達を狙撃したのはあなたですね?」
「…何の事やら」
「ふふふ…。白々しい…」
おかしそうに笑い、恭子は歩き出す。
素早くスナイパーライフルを構える深雪。
「止まれ。撃つよ」
「ご自由に…」
深雪は容赦なく引き金を引こうとする。
しかし、引き金が引ききられる寸前で、ずっと様子を見ていたイヴが、深雪に飛びかかった。
深雪は慌てた様子も無く、難なくイヴの身体を避ける。
そして、恭子に視線を戻す。
恭子は、深雪の目の前にまでやってきていた。
「いけませんわ。私から目を離すなんて…」
「ッ…!」
素早く背後に下がり、恭子との距離を離す深雪。
同時に彼女は、所持していた煙幕手榴弾を地面に投げ、一同の視界を煙幕で遮る。
その隙に、深雪は展望エリアへと逃げ込んだ。
煙幕を振り払うように両手を動かしながら、恭子は手探りで深雪を探す。
何も見えない煙幕の中、恭子は深雪を見つける事はできなかったが、代わりに、とある音を耳にした。
「(この音は…?)」
何かの機械と思われる、低く唸るような駆動音。
音を便りにそちらへ向かうと、そこにはエレベーターがあった。
直感的に、恭子は誰が乗っているかを察した。
「(津神麗子…!逃げられましたか…!)」
扉の上についているランプは、現在エレベーターが二階まで降りている事を表している。
エレベーターを呼んで待っていては逃げられてしまうと判断した恭子は、視界不良の中、自分の方向感覚を頼りに急いで階段へと戻っていく。
それと同時に、亜莉紗の声が聞こえてきた。
「恭子さんこっちです!さっきの女の子はこの部屋に逃げました!」
亜莉紗の言葉を聞き、忘れていた深雪の存在を思い出し、思わず立ち止まる。
「(あの少女を制圧しない限り、外に出ると同時に狙撃されてしまいますわ…。ですが、このままでは津神麗子にみすみす逃げられてしまいますし…)」
どうすれば良いのか、少ない時間の中、必死に考える恭子。
しかし、方法は既に考え付いていた。
それを実行できるかどうかが、不安であったのだ。
「(…仕方ありません。迷っている時間はありませんね)」
恭子は先程聞いた亜莉紗の声を頼りに、彼女の元へ向かう。
そして、展望エリアへの入口の前に居た亜莉紗の姿を見つけ、彼女にこう言った。
「亜莉紗さん。あなたにお願いしたい事がありますの」
「な、なんですか…?」
「今、エレベーターに乗って誰かが下に降りています。恐らく、津神麗子でしょう」
「え…!?じゃあ早く追い掛けないと…!」
「えぇ。勿論ですわ。…ですが、先程逃げた銀髪の少女、彼女を放っておけば、間違いなく外に出た時に彼女に狙撃されてしまいますわ」
「………」
恭子が言った"お願いしたい事"を察した亜莉紗は、口元を僅かに歪ませる。
「…できますか?」
一瞬たりとも、亜莉紗の目から視線を離さないでそう訊く恭子。
すると、亜莉紗の顔から苦笑いが消え、彼女は強い眼差しを恭子に向けて答えた。
「…できますよ」
その眼差しを見た恭子は、気が抜けたようにふっと笑う。
そして、亜莉紗を優しく抱き締めた。
「…お気をつけて」
「恭子さんも…ね」
一時の別れの挨拶を済ませ、恭子は階段に向かって走っていった。
「さてと…。亜莉栖。あなたはここで、イヴと一緒に待っててね?」
「お姉ちゃん…?」
「…大丈夫。すぐに戻ってくるから」
クロスボウを手に、亜莉紗は展望エリアへと足を踏み入れる。
「必ず…戻ってくる」
亜莉紗は心配そうに見つめてくる妹に背を向けたまま、呟くようにそう言った。
一方、エレベーターで下に降りた麗子を追い掛け、階段を駆け降りていく恭子。
踊り場から踊り場へと一気に飛び降りているので、駆け降りるという表現は間違っているとも言えた。
何はともあれ、恭子が1階に到着したのは、あっという間の事であった。
「(…流石に、もう居ませんわよね)」
エレベーターを見て、既に1階に到着している事を確認する恭子。
「恭子!」
外に出ようとした時、彼女が降りてきた階段とは反対の東側の階段から、結衣が現れた。
「結衣さん!話をしている時間はありません!」
「津神麗子だろ?奴の仲間から聞いたよ。急ごう!」
展望台から出る二人。
すると、少し離れた所に、歩いて展望台から離れていく麗子の姿があった。
「待て!津神麗子!」
結衣の声を聞き、立ち止まって振り返る麗子。
彼女は二人の姿を見るなり、にこっと嬉しそうな笑みを浮かべた。
「うふふ…。大神結衣ちゃんに、峰岸恭子ちゃんじゃない。ごきげんよう…と言った所かしら?」
「下らない無駄話は不要ですわ。大人しく投降して私達についてくるか、それとも抵抗して私達に殺されるか、選びなさい」
「大人しく投降なんてすると思う?」
「…ま、訊くまでもありませんでしたわね」
「その通り…」
不適に笑い、ゆっくりと歩いてくる麗子。
それを受け、身構える二人。
麗子は二人の実力を知っていたが、それでも尚、彼女は足を止めなかった。
間合いに近付くなり、麗子は先手を打つ。
先に狙いを定めたのは結衣。
滑り込むように急接近し、四股を全て使った連続攻撃を仕掛ける。
「(は、速っ…!?)」
捉えきれないその攻撃を結衣は防ぎきる事ができず、何発か打ち込まれてしまう。
そして結衣が体勢を崩した一瞬の隙を狙い、麗子は右手の掌底による重い一撃を鳩尾に放った。
しかし、攻撃が命中する寸前で、結衣はその攻撃を両手で受け止める。
「ナメんじゃ…ねーぞッ…!」
ギリギリの状態であるにも関わらず、結衣はニヤリと不適な笑みを浮かべ、左手で麗子の右手を掴んだまま右手で彼女の顔面に殴りかかる。
麗子はその攻撃を左手で受け止め、結衣の身体を側転させるように投げる。
投げられた結衣は掴んでいた右手を離し、その左手で地面に着地して体勢を素早く立て直す。
間髪入れずに、攻め立てる麗子。
しかし、恭子がそれを許さなかった。
「忘れていただいては困りますわ」
結衣に殴りかかろうとしていた麗子の右手を掴み、ぎりぎりと力を込める恭子。
恐ろしい力で手を握り締められている麗子であったが、ニヤリと笑い、掴まれていない左手で恭子の顔面を突き刺すように殴る。
恭子はその左手も掴んで攻撃を止め、右手と同じようにギリギリと握り締める。
それでも余裕を失っていないらしい麗子は表情を変える事無く、恭子の目を見つめ続ける。
そして突然、恭子の左足を右足で横から蹴りつける。
恭子は避け損ね、足を蹴られた事によって身体のバランスが崩れる。
恭子の蹴られた方の足の膝が地面に着いたと同時に、麗子は彼女の顔面に目にも止まらぬ速さでラウンドハウスキックを放つ。
しかし、そのキックは恭子の顔面に命中する一歩手前で、結衣が割り込むように放った前蹴りによって相殺された。
「忘れてもらっちゃ困るね!」
前蹴りを放って突き出したままの右足をそのまま捻るように動かし、麗子の顔面を狙って回し蹴りを放つ。
その攻撃は予想外だったのか、麗子は状況を有利に運ぶ為にその攻撃を受け止めるという事ができず、後ろに素早く下がって蹴りを回避する。
結衣の蹴りは、麗子の鼻先をかすめた。
立ち上がって結衣に目だけで感謝を伝え、結衣と共に麗子の元へ歩み寄っていく。
すると、麗子は呆れたように溜め息をつき、両手を上げて首を横に振った。
「2対1じゃ、流石に面倒臭いわね。ここは退かせて貰おうかしら」
「私達が黙って見逃がすとでもお考えで?」
「追い掛けてくるでしょうね。…彼らの相手をしてからね」
麗子がそう言った途端、近くの大木の上から、何かが彼女の前に飛び降りてくる。
それは、恭子が仕留めたハズであった、リーパーであった。
「…なるほど。これは中々の生命力ですね」
「…もう1体来やがった」
舌打ちをしてそう言った結衣の視線の先には、右手に巨大な斧、左手に巻かれた重々しい鎖、そして顔を隠すように麻で繕われた袋を被っている恐ろしい風貌を持つ兵器、"D-11 ユースティティア"であった。
「あら…。これはまた、いかにもなお方ですね…」
可笑しそうに、クスクスと笑う恭子。
「こっちは任せな。そっちの死に損ないは頼むよ」
そう言ってリボルバーを取り出し、ユースティティアに銃口を構える結衣。
「えぇ。今度こそ、息の根を止めて見せますわ」
恭子は去っていく麗子と入れ替わるようにこちらにやってくるリーパーに対して、身構える。
「それじゃ、頑張ってね。生きてたらまた会いましょう。…生きてたらね」
こちらに顔も向けずに、歩みを止める事無くそう言って、去っていく麗子。
二人からは彼女の顔は見えなかったが、彼女が楽しそうに笑っている事は、声を聞いただけでわかった。
「悪趣味な奴…」
「結衣さん。来ますわよ」
恭子がそう言ったと同時に、リーパーは恭子に、ユースティティアは結衣に、それぞれ手に持っている武器を振りかざした。
第7話 終