第6話
意識が無い二人に襲い掛かろうとしていたゾンビ達の動きが止まったのは、どこかから聞こえてきた狼の遠吠えがこの場に届いたのと同時の事。
ゾンビ達がのろのろと、遠吠えが聞こえてきた方向を見てみると、そこには一人の少女と、一匹の狼が居た。
それと同時に、狼が途轍も無いスピードでゾンビ達の元に駆けていく。
到着するなり、狼は正面に居たゾンビに飛び付いて首に咬み付き、肉を喰い千切った。
ゾンビ達は突然現れた狼に対し、本能的な脅威を感じ取ったのか、恭子と亜莉紗をそっちのけにして、狼を先に仕留めようとする。
しかし、のろまなゾンビが狼の俊敏な動きについていけるハズもなく、ゾンビ達は次々と、狼の牙と爪の餌食になっていく。
その場に居るゾンビの殲滅に、長い時間は必要としなかった。
「ご苦労様」
遅れてやってきた少女が、ゾンビを殲滅した狼を優しく撫でる。
そして、倒れている亜莉紗の元に歩いていき、彼女を揺すり起こす。
「起きて」
しばらく揺らしていると、亜莉紗は意識を取り戻し、うっすらと目を開けた。
「うぅ…」
「…良かった。起きた」
「うん…?」
小さく笑っている少女を見て、しばらく呆然とする亜莉紗。
頭の霧が晴れ、目の前に居る少女を認識した瞬間、亜莉紗は飛び起きて大声を上げた。
「うわぁッ!?あ、亜莉栖…!?」
「うん」
「うん…じゃなくて…なんでこんな所に居るのよ…!?」
「心配だったから、助けにきたの。お姉ちゃんを」
亜莉紗の妹である少女、上条亜莉栖は、小さく笑ってそう言った。
「ど、どうやって来たのよ…?この町は完全に隔離されてるでしょ…?」
「普通に来たよ」
「壁は…?」
「壊した」
「…は?」
その時、入口の方から、二人の人物がやってくる。
「コテンパンじゃねーか…。何があったの?」
別の場所を捜索しているハズである、結衣と梨沙であった。
「恭子気絶してるし。本当に何があったってんだい」
結衣が亜莉紗の元にやってきて、気を失っている恭子を見てそう訊いた。
「結衣…。どうしてここに…?」
「歩美に頼まれたんだよ。…そんで、何があった?」
「もう原型は留めてないけど、そこに転がってるヤツが襲ってきたの」
亜莉紗が指差した肉の塊を見て、苦笑を浮かべる結衣。
「…肉の塊にしか見えないけど」
「えーと…。真っ赤なサングラスに、黒いマントを着てたよ。結衣も見たことあったと思うけど」
「…榊原町の時のヤツか」
「そうそう」
結衣は恭子達が交戦したクリーチャー、D-13リーパーだったものと思われるそれをしばらく見た後、再び恭子を見る。
「そんで、バケモンが肉塊になったのに、何で恭子まで倒れてんのさ?」
「それなんだけど…」
亜莉紗は自分の首を右手でさすりながら答えた。
「…恭子さん、おかしかったんだ」
「いきなり悪口かよ」
「そういう意味じゃなくて…。最初は普通だったんだけど、バケモノが投げた投げナイフが背中に刺さって倒れてから、恭子さんが恭子さんじゃ無くなったみたいになって…」
「これもうわかんねぇな…」
「恭子さんが倒れて、また起き上がった時、私が何を言っても反応してくれなくて…。それで、その時の恭子さんの目が…」
「目?」
「うん…。赤かったの…」
「………」
「私、そこからは覚えてないの。恭子さんに…首を絞められて…」
恐ろしい記憶が蘇り、思わず声が震える亜莉紗。
その時、気を失っていた恭子が、突然はっと目を覚まし、身体を起こした。
「亜莉紗さん…!」
「うわぁぁぁーッ!!」
突然名前を呼ばれ、喫驚してしまう亜莉紗。
「恭子。大丈夫か?」
「結衣さん…。私は…一体…」
「私も今さっき来たところでね。詳しい事情は知らないよ。ただ、私が思うに…」
結衣がそう言い掛けた所で、少し離れた場所で亜莉栖と話していた梨沙が彼女と共にやって来た。
「今の悲鳴は何です?」
梨沙が結衣に訊く。
「恭子が起きたんだよ。んで、亜莉紗が悲鳴を上げたと」
「…?」
「私が思うに、多分、暴走してたんだと思う」
「暴走?」
「んー…なんて言うか、死に際の底力っつーの?恭子はナイフが背中に刺さって、おかしくなったらしい」
「でも、彼女は生きてますよ?」
「途中で気を失ったらしい。本人も、今呆然としてる所」
「はぁ…」
一方で、先程首を絞めてきた、起きたばかりの恭子を、少し警戒気味に見る亜莉紗。
「恭子さん…私がわかります…?」
「………」
恭子は呆然としたまま、亜莉紗を見つめる。
しばらくすると、恭子の目が、じわりと涙でうるんだ。
「ごめんなさい…私、なんて酷い事を…」
「わぁぁ!泣かないでくださいよ!私なら大丈夫ですから…!」
「でも…」
その会話を聞いていた結衣が、何かに気付く。
「(恭子の口振りからすると、意識はあったって事だよな…?)」
「…結衣さん?」
梨沙が結衣の顔を覗き込む。
「…ちょっと気になってね。歩美に訊けばわかりそうな事だけど」
「…?」
無線機を使おうとする結衣。
しかし、彼女は無線機が使えなくなっている事を思い出し、溜め息を吐いた。
「忘れてた…面倒臭ぇなぁ…」
「やっぱり場所なんでしょうか。私達の無線機が壊れてるんじゃなくて」
「一応、確認しとこうか」
結衣はそう言って、恭子と亜莉紗の元へ。
「亜莉紗、ちょっと良い?」
「どうしたの?」
「無線機、使える?」
「え?使えるけど…」
亜莉紗は自分の無線機を弄り始める。
すぐに、異常に気付いた。
「…あれ?おかしいな…」
「…恭子も?」
結衣に訊かれ、恭子も試す。
恭子は無線機を弄った後、静かに首を横に振った。
「結衣…?これどういう事…?」
「多分、電波を妨害する機械でもあるんでしょ。私達のも使えないからね。そんな偶然、あるワケ無いよ」
「妨害って、誰が…」
「一人しか居ないじゃない」
結衣はそう言って、ニヤリと笑った。
「…そう言えば、この公園の展望台に、津神麗子の姿を見ましたわよ」
恭子の言葉に、梨沙が驚く。
「津神麗子が…?」
「はい。遠目ではありましたが、間違いありませんわ」
「じゃあ、沢村さん達を呼ばないと…」
「どうするおつもりですか?」
恭子の問い掛けに、結衣が答える。
「一度、公園の外に出てみるよ。外なら無線機は使えるハズ」
「それでは、私達はここで見張っておきますわ。展望台から、津神麗子が逃げないようにね」
「それはありがてぇけど…恭子、お前大丈夫なの?」
「えぇ。もう大丈夫ですわ。身体が軽くなった気がします」
「…そっか」
結衣は安心したように微笑み、亜莉栖とイヴの元へ歩いていく。
「亜莉栖ちゃん。悪いんだけど、二人と一緒に居て貰っても良いかな?」
「…結衣は?」
「私はちょっと用事が出来ちゃってね。大丈夫、済ませたらすぐに戻ってくるよ」
「…わかった」
「ありがとね」
結衣は亜莉栖に微笑みかけた後、しゃがみこんで、彼女の足元で大人しく座っているイヴの喉元をくすぐる。
「よろしく頼むぞ。お前が主戦力なんだからな?」
イヴはくすぐったそうに目を細め、嬉しそうに尻尾を振った。
「結衣。連絡を取ったら、すぐに戻ってくるんだよね?」
亜莉紗が確認するように、そう訊いてくる。
「用事を済ませたらね。…場合によっちゃ、少し遅くなるかも」
「…え?」
「まぁ何とも言えないかな。とにかく行ってくる。お前達は休んでてよ」
「ちょ、ちょっと…!」
亜莉紗の制止を気にもせず、歩き出す結衣。
「えーと…行ってきます…ね」
結衣の意図はわからなかったが、梨沙も結衣を追って、その場を離れた。
「どうしたんだろ…結衣…」
「お姉ちゃん」
結衣が去っていった方向を見たままぼーっとしていた亜莉紗は少し反応が遅れ、亜莉栖に呼ばれてから一呼吸挟んで返事を返す。
「…どうしたの?」
「結衣、どこ行ったの?」
「ん…。ごめん。私にもわかんない。何か思い付いたような様子だったけど…」
「…そう」
亜莉栖はその一言だけ返し、足元に居るイヴの喉元を撫で始める。
その時、展望台の方を見つめていた恭子が、何かを見つけ、二人に呼び掛けた。
「…お二方。少し、よろしいですか?」
「…?どうしたんですか。恭子さん」
「こちらに来てください。ゆっくりとね」
「…?」
恭子の意図はわからないが、二人は言われた通りに彼女の元へと歩いていく。
二人が側までやってくると同時に、恭子は突然二人を抱えて近くの大木の元に飛び込むように倒れ込んだ。
それとほとんど同時に、先程まで三人が居た位置に1発の銃弾が飛んでくる。
「な…何が…」
亜莉紗が訊く前に、恭子が口に出した。
「展望台の上から狙撃されていますわ」
「そ…狙撃…!?」
「えぇ。…私が囮になります。その間にお二人はどこか別の場所へ隠れてください」
「お、囮って…。狙撃を相手に囮なんて自殺行為ですよ…!」
「大丈夫ですわ。仮に被弾したとしても、1、2発なら耐えられます」
「うわぁ…凄く頼もしい発言…」
苦笑しながらも、承諾する亜莉紗。
しかし、
「ダメ」
亜莉栖が、大木の陰から身を出そうとしている恭子を止めた。
「亜莉栖さん…?」
「…イヴ。できる?」
亜莉栖がイヴにそう問い掛けると、イヴは亜莉栖の頬を優しく舐める。
「…いいこいいこ。気を付けてね」
亜莉栖に頭を撫でて貰ったイヴは、大木の陰から勢い良く飛び出した。
人間とは比べ物になら無い速さに加え、蛇行するような動きで駆け抜ける狼の小さな身体を撃ち抜く事は容易ではなく、展望台の上に居る狙撃手の銃弾はことごとく外れ続ける。
「うわ速っ…流石は狼だね…」
「イヴ…!」
「あぁ、ごめんごめん…」
亜莉栖にキッと睨まれた亜莉紗は、苦笑いを浮かべながら謝る。
そんな短いやり取りの内に、イヴは展望台の入口に到着した。
「ここからが問題ですわ。狼に…失礼、イヴさんに展望台の狙撃手を探す事ができるのか…。展望台の内部がどうなっているのかはわかりませんが、流石にそこまでは難しいですわよね…」
「狼ですもんねぇ…」
亜莉栖に聞こえないように、恭子に耳打ちで同調する亜莉紗。
しかし、亜莉栖はけろっとした様子でこう答えた。
「できるよ」
「…根拠は?」
あまりにも軽い返答に、恭子は心なしか少し不機嫌そうに訊く。
しかし、亜莉栖は一切表情を変えずに答えた。
「火薬の匂い」
「…火薬?」
「そう。銃の。それに、その人の匂いだってわかるハズ」
「………」
恭子は、半信半疑と言った様子。
しかし数秒後、狙撃手が展望台の上から居なくなっている事を確認した恭子が、小さな溜め息を吐いて亜莉栖にこう言った。
「…疑ってしまった事、お詫びを申し上げますわ」
「誰にでも間違いはある。気にしなくていいよ、恭子」
そう言った亜莉栖は、嬉しそうに勝ち誇っているようにも見えた。
一方…
「…逃がした」
スナイパーライフルのスコープから目を離し、忌々しそうにそう呟く。
展望台の上から恭子達を狙っていたのは、1人の少女であった。
綺麗に染められた長くも短くもない銀髪を風になびかせながら、機械のような無表情で建物の中に戻る少女。
「…仕留めたのか?」
戻ってきた銀髪の少女にそう訊いたのは、中で待っていた別の少女。
長い栗色の髪を頭の後ろで縛り、腰元左右には苦無のような2本のナイフ。
そして何より特徴と言えるのが、右手側の首元にある痛々しい刃物傷の痕であった。
「狼を逃がした。多分、すぐに現れる」
「…峰岸恭子はどうした」
「隠れてる。出てこない限りは撃てない」
「逃がしたという事か。折角の機会を無駄にするとは、お前もまだまだ二流という事だな」
「………」
刃物傷の少女に煽られ歩みを止めた銀髪の少女は、壁に寄りかかって腕を組んでいるその少女の方に顔を向け、鋭い目付きで睨み付ける。
しかし、すぐに再び歩き出し、今居る部屋から出ていった。
「(…まぁいい。全ては麗子様の思惑通りに進んでいる。…さぁ来い雑魚共。斬り刻んで生皮を剥いでやる)」
刃物傷の少女は不適な笑みを浮かべ、銀髪の少女に続いて部屋を後にした。
第6話 終
登場人物
上条 亜莉栖
12歳。亜莉紗の実の妹であるが、2人を見た者が全員口を揃えて似ていないと言う程似ておらず、性格も姉とは異なり物静かな少女。死体やゾンビを見ても一切動揺しない異常なまでの胆力の持ち主であるが、それ以外は言動など年齢に相応しい子供っぽい点が多く見て取れる。生活費として大金を置いていったまま連絡が取れなくなっていた亜莉紗と過去の騒動の時に再会を果たし、再び共に暮らし始めた。今回は事情を説明されて留守番を頼まれたものの、頼りない亜莉紗を心配してとある人物達と共にこの町にやってきた。いつも一緒に居るペットのイヴは一見大人しい普通の狼犬のように見えるが、優れた戦闘能力と人語を理解しているとしか思えない程の聡明さを持ち合わせており、亜莉栖のボディーガードのような存在。その正体は飼い主である亜莉栖も知らず、謎に満ち溢れている生物であるが…