第2話
ゾンビが蔓延る大通りを通って、町にある一番大きな病院にやってきた恭子と亜莉紗。
病院の中には、多くのゾンビが彷徨いていた。
「やはり奴らの巣窟となっていましたか…」
「そりゃそうでしょう…。人が集まる場所なんですから…」
「問題はありません。邪魔をする個体だけ、蹴散らせば良いのです」
「簡単に言うなぁ…」
「簡単ですもの」
恭子は病院のロビーに足を踏み入れる。
当然、その辺りに居るゾンビが恭子に気付いて近付いてくるが、彼女は少しも動揺せずに歩き続ける。
そして、組み付こうとしてきたゾンビの顎を、掌底で殴り上げた。
「邪魔ですわ」
それを合図にしたかのように、他のゾンビも彼女に襲い掛かる。
そんな様子を遠くの柱に隠れながら見ていた亜莉紗は、溜め息を吐いた後、クロスボウに矢を装填する。
「(援護くらいはしとこうかな…。後で何言われるかわかんないし…)」
恭子の背後に迫っていたゾンビの頭を射抜く亜莉紗。
その援護に気付いた恭子は、亜莉紗を見てニッコリと笑う。
誰しもが感謝の意だと受け取るであろうその笑顔を見て、亜莉紗は苦笑を浮かべた。
「(あれは感謝じゃない…。"そんな所で隠れてんじゃねぇよ殺すぞ"っていう笑顔だ…)」
いくら何でもネガティブ過ぎる亜莉紗の考え。
「(自分は隠れながら攻撃…後で折檻ですね)」
見事に的中していた。
「(とはいえ、彼女に出てきて貰っても気が散るだけではありますが…)」
左手側に居るゾンビの顔面を、左足で突き刺すように蹴りつける。
「(これしきの数、私1人で充分ですわ)」
正面から迫ってきたゾンビの顔面を右手で掴み、くしゃりと握り潰す。
「(あと6体…一瞬で終わらせましょう)」
姿勢を低くして、身構える恭子。
次の瞬間、恭子は背後に立っていたゾンビの背後に立っていた。
背後を取られたゾンビは振り返る間もなく、心臓を恭子の右手に貫かれる。
間髪入れず、近くに居たゾンビの元に一瞬で接近し、顔面を掌底で殴りつける。
殴られたゾンビは、顔の下顎から上の部分が吹っ飛んで無くなり、崩れ落ちた。
振り向き様に、左手側に居たゾンビの頭を右手で掴み、自身の左膝に叩きつける。
続けて、正面に居たゾンビの顔面を逆手にした右手で抑えるように持ち、ゾンビの頭を抑えつけるように落とすと同時に、背中を右膝で思い切り蹴りつけた。
その衝撃でもげたゾンビの頭を横に居たゾンビに投げつけて怯ませ、懐に潜り込んで右手の掌底によるアッパーを放つ。
最後のゾンビは、真正面から近付き、右手で頭部を叩き割った。
「ふぅ…。さてと…」
ゾンビを殲滅した恭子は右手を血塗れにしたまま、狼狽している亜莉紗の元へ歩いていく。
「あ、あのですね…。私も手伝おうとはしたんですけど何というか入る余地が無かったと言いますか別に戦うのが怖かったとかそう言うワケじゃないんですけどあのですね」
「………」
右手を振り上げる恭子。
「ひゃあっ!死ぬ!」
亜莉紗は頭を叩かれるかと思い、目をつぶって両手で頭を覆う。
しかし、恭子の右手は亜莉紗の頭ではなく、彼女の背後に居たゾンビの頭に叩きつけられた。
「あれ…?生きてる…?」
恐る恐る目を開け、頭部が粉砕されたゾンビの死体を見て、きょとんとする亜莉紗。
「何をぼーっとしていますの?早く行きますわよ」
「は、はい…!」
歩き出した恭子に、亜莉紗は慌ててついていく。
「あの…怒ってないんですか…?」
「何の事です」
「私が隠れて戦わなかった事…ですよ」
「ふふ…。端から期待などしていませんわ。あなたの援護無しでも、私1人で乗り切れますもの」
「そ、そうですか…」
亜莉紗は無能扱いされた事などいつもの事なのでどうでも良く、恭子が怒っていないという事に安心する。
そんな亜莉紗を見て、恭子はくすりと笑い、こう言った。
「ふふ…。大変ですわね」
「た、大変…とは?」
「私の顔色をいつも伺っているでしょう?疲れませんの?」
「そりゃもう。あ、いえ、違う…」
「ふふ…。別に怒ったとして、あなたを殺したりはしませんわよ。もう少し気を楽にしてみてはいかがです?」
そう言われ、亜莉紗は小動物のような弱々しい目で恭子を見る。
「ほ、本当に…?」
「えぇ。あなたと私はパートナーなんですから、もっと信頼を寄せ合っても良いと思いますよ」
それを聞き、亜莉紗は子供っぽく笑った。
「ですが…」
「え?」
左手で、亜莉紗の頭を小突く恭子。
「痛っ!」
「先程の件を水に流すつもりはありませんよ?」
「いや、私達はパートナーなんですから許してほしいなー…」
「ダメです」
「やっぱり信頼してないじゃないですか!」
「えぇ。あなたに背中を任せろと言われたら、全力でお断りしますわ」
「言ってる事おかしいよこの人!」
「信頼は努力で築くもの。精進なさい」
「うぅ…。いきなりもっともらしい事を…」
2人は受付口の近くにある、案内図の元に向かった。
「それで…どこを調べるんです?」
「感染の拡大に、この病院を使った可能性があるかもしれません。薬品貯蔵庫に行ってみましょう」
「薬品貯蔵庫ですか。そこは…地下ですね」
「では、あそこの階段を使いましょう」
「了解です」
2人は近くにあった階段を降りていった。
到着するなり、亜莉紗が鼻を手で覆う。
「うっ…!何…この臭い…」
地下は、何かの薬品と思われる激臭が充満していた。
「…有毒だったら危険ですわね。亜莉紗さん、身体に異常は?」
「今の所は大丈夫です…」
「そうですか。少しでもおかしいと思ったら、遠慮はせずに仰ってくださいね」
「は、はい…」
恭子は歩き出しながら銃を取り出したが、すぐに再び銃をしまう。
「(よくわかりませんが…この充満しているものが引火性のものだとしたら、発砲は自殺行為ですわね…)」
奥に行けば行くほど、激臭は強くなっていく。
亜莉紗の鼻が限界に達する寸前で、恭子が立ち止まった。
「…ここですわね」
半開きになっている血塗れの扉の前で、そう呟く恭子。
「亜莉紗さん。あなたは少し離れた所で待っていなさい。私が見てきますわ」
「す、すみません…。お願いします…」
亜莉紗は苦しそうに、来た道を引き返す。
恭子は扉の上にあるプレートの薬品貯蔵庫という文字を確認し、扉をゆっくりと開ける。
「…なるほど。納得しましたわ」
割れた薬のビンの破片とその中身が、部屋の地面に大量に広がっていた。
そして奥には、血塗れの白衣を着た1体のゾンビ。
「…医者なら、薬品の管理は厳重にしなさい」
恭子はそう呟いて、近付いてきたゾンビの首を折った。
「(さて、一刻も早くこの部屋から出たい気持ちは山々ですが、津神麗子に関する情報が無いかを確認した方が良いですわね)」
通常の人間なら気を失ってもおかしくない臭いに不快感を抱きながらも、大量に並んでいる薬品を調べ始める。
しかし、恭子が探していたものは、何も見つからなかった。
「(無駄足でしたか…。病院を利用しての伝染はしていないという事ですね)」
部屋を出て、通路に戻る。
すると、涙目になっている亜莉紗がやってきた。
「だ、大丈夫でしたか…?」
「無駄足でしたわ。…あなたは、大丈夫ではなさそうですね」
「は、早く戻りましょーよー…」
「はいはい…」
2人は階段の元へと戻り、地上に出た。
ロビーに戻ると、先程とは違うゾンビが集まっていた。
「ゆっくりしている時間はありませんね。建物を出ましょう」
「待ってください。ここに残るっていう選択肢もアリじゃないですか?」
「はい?」
「そろそろ日が暮れますよ。拠点を探すのも面倒だし、いっそのこと、ここで過ごすってのも良いんじゃないかなって」
そう言われ、恭子は窓の外に視線を移す。
まだ日没には時間があったが、外は少しだけ暗くなり始めていた。
「…そうですね。では、ここで安全な場所を探しましょう」
1階はかなりの数のゾンビが彷徨いていたので、2人は階段を登り、2階へと上がる。
しかし、2階にも、ゾンビの姿は何体か確認できた。
「2階もダメですか…。もう1つ上に行きましょう」
そのまま、階段を登っていく。
3階に到着した所で、恭子が通路に向かおうとしたが、亜莉紗がそれを止めた。
「恭子さん。屋上はどうでしょう?」
「屋上?」
「恐らく、どのフロアにもゾンビは居るハズです。それなら、普段人が立ち入らない場所に行くのが得策ではないかと」
「良い案ですわね。では、屋上を見に行きましょうか」
3階、4階、5階と通過し、2人は屋上に到着した。
屋上への扉は鍵が掛かっていたものの、亜莉紗がピッキングでそれを開ける。
すると、屋上には人は居なかったが、隅の方に、人が居た痕跡は見つかった。
2つの寝袋と、いくつかの食料。
端沿いで少し離れた場所には、2つ組の靴が、揃えて置いてあった。
「この靴…そういう事ですよね…」
「狂った世界で僅かな可能性に賭けて生き続けるより、諦めて心中を図る方が楽だと判断したのでしょうね」
恭子はそれだけ言って、食料の確認を始める。
亜莉紗は靴の元に歩いていき、下を覗き込もうとしたが、真下が見える寸前で止める。
「………」
そして、目をつぶって両手を静かに合わせた後、恭子の元に戻った。
「恭子さん。食料、足りそうですか?」
戻ってきた亜莉紗にそう訊かれた恭子は、いくつかの缶詰めを彼女に手渡す。
「えぇ。何とか1人分ならありますわ」
「1人分…?それじゃあ足りないじゃないですか…」
「いいえ。足りますわ。私は要りませんもの」
「え、恭子さん…お腹も空かない身体なんですか…?」
「えぇ。結構便利ですわよ」
「そ、そうですか…」
亜莉紗は、恭子が人間ではないという定期的に忘れてしまう事を、改めて認識させられた。
そしてその度に、釈然としない気持ちが押し寄せる。
「(恭子さんが人間じゃない…なんて、やっぱり信じられないよ…)」
「…どうしました?」
いつの間にか恭子を見つめていた亜莉紗に気付いた恭子が、不思議そうに亜莉紗の顔を覗き込むように見る。
「あ、いえ…別に…何でも…」
「…本当ですの?何か考え事でも?」
「いや、本当に何でもないんです。本当に」
「………」
恭子は立ち上がって、亜莉紗に歩み寄る。
そして、顔をぐいっと近付けた。
「な、なな、何ですかっ!?」
「隠し事は許しませんわよ。白状なさい」
「いやだから、本当に何でもないんですって…!」
「隠し事をする悪い口は…この口ですか?」
「んむっ…!」
亜莉紗の唇を、左手の指で妖しくなぞる恭子。
「さぁ仰りなさい。私を見つめて何を思っていたのですか?」
「んむむっ…!…ぷあっ!な、何でもないんですって…!」
「まだシラを切るのですか…。わかりました。それでは折檻いたしましょう」
「ま、待って…!それはほんとにマズい…!」
恭子が亜莉紗を寝袋の上に押し倒した瞬間、屋内から、1体のランナーが現れた。
「あら…良い所でしたのに…」
「た…助かった…」
狂ったように叫び声を上げながら、2人に向かって走っていくランナー。
そのランナーは、恭子の掌底によって瞬殺された。
「入口を塞いでおく必要がありますわね。休眠中に襲われてはたまりませんわ」
「あ、あの…恭子さん…?何でこっちに来るんですか…?」
「何でって…先程の続きを…」
「あ、あの私、扉を塞ぐ物を探してきますね…!それでは…!」
亜莉紗は恭子から逃げるように、その場から走り去る。
「もう…。照れなくても良いのに…」
恭子はくすくすと笑って歩き出し、亜莉紗を追い掛けた。
その後、2人は階段の近くに放置されていた長い机を2つ持ち出し、屋上の扉を閉めて机を立て掛け、侵入口を塞ぐ。
それを終えた頃には既に日が沈んでおり、辺りは夜の暗闇に包まれていた。
「恭子さん。ここから見えますか?新しい化け物…」
亜莉紗が寝袋に寝転がりながら、柵越しに町の様子を観察している恭子にそう訊く。
「…恐らく、あそこに居る個体がイリシオスというクリーチャーではないかと」
「え、どれですか?」
亜莉紗は立ち上がって恭子の隣に行き、一緒になって町の様子を観察する。
「あそこです。あのトラックの近くの…」
「…あの赤黒い奴ですか?」
「挙動が明らかに他のゾンビとは違いますわ。自ら積極的に、獲物を探しているように見えます」
「ここに居れば気付かれないですよね…?」
「断言はできませんが…目視される事は無いかと」
「で、ですよね…」
その時、2人が観察していたイリシオスが突然立ち止まり、辺りを見回す。
「…?」
「な、何やってるんですかね…?」
2人が観察を続けていると、イリシオスは町中の隅から隅にまで聞こえそうな、大きな雄叫びを上げた。
恐ろしいその雄叫びに、思わず固まってしまう2人。
イリシオスが雄叫びを上げた意味は、次の瞬間に氷解した。
「これは厄介ですわね…」
雄叫びを上げたイリシオスの元に、次々と走って集まってくる他のイリシオス達。
「な、仲間を呼んだんですか…?」
「恐らく。そして、仲間を呼んだ理由は…」
10体は居ると思われるイリシオス達は、一斉に恭子と亜莉紗が居る方を見た。
「私達を殺す為…ですわ」
第2話 終