第16話
葵がその場から去り、10分程が経過する。
傷の痛みもあってしばらくぼーっとしていた結衣であったが、再び気を失っていた梨沙が目を覚まし、彼女の呻き声を聞いて結衣は我に返った。
「梨沙ちゃん。大丈夫かい?」
「大丈夫では…ないですね…」
「まぁ…そうだよね…。しばらくここで休んでいなよ。ここなら敵は来ない…と思う」
梨沙を安心させる為にそうは言ったものの、結衣自身その言葉に確信は無かった。
当然、梨沙はその事に気付きはしたものの、何も言わずに目を閉じる。
「それなら…良かった…」
それは結衣の好意を無下にしたくないという、梨沙なりの気遣いであった。
結衣はその気遣いを嬉しく思い、照れ臭そうに笑う。
その時、その場に居るもう1人の人物が、呻き声を上げながら目を覚ました。
「おーおー。やっぱり頑丈だねぇ、キミ」
結衣は冗談っぽくそう言いながら、目を覚ました雲雀の元へ歩いていく。
雲雀は結衣を見て一瞬目を尖らせたものの、すぐに力が抜けたかのように溜め息をついて、表情を和らげた。
「…悪かったな」
雲雀のその発言に、結衣は目を細める。
「…こいつは意外だね。キミから謝罪の言葉が聞けるとは」
「殺したければ殺せ。恨んだりなどはしない」
「へぇ?」
「力の無い人間は死んで当然だ。煮るなり焼くなり…」
雲雀の言葉を遮るように、結衣は手を差し伸ばした。
「立てるか?」
雲雀はその手を、不思議そうに見つめる。
「おいおい…」
苦笑を漏らす結衣。
「そんな目で見られても困るな…。ほら、掴みな」
雲雀は怪訝な様子ではあったものの、その手を取って結衣に引っ張られながら立ち上がる。
そして、こう訊く。
「…何故だ?」
「何が」
「綾崎と言い、神崎葵と言い、何故私を生かす…?お前もそうだ、何故私に手を差し出した?」
「そうだねぇ…」
結衣は気だるそうに息を吐き出しながらそう言って、考える素振りを見せる。
「別に深い意味は無いさ。ただ、手を差し出したかったから、差し出した。それだけの事よ」
「………」
今度は雲雀が、何かを考え込む。
「どうした?」
「お前らは…敵を助けて何がしたいんだ?そんな事したって、また命を狙われるだけじゃないか」
結衣はその問いに少々驚いた様子で、雲雀の顔を見た。
そして、今度は本当に考え込む。
「何がしたい…とかじゃないんだよなぁ…。そもそも、敵って認識が間違ってるのかも」
「敵…じゃないのか…?」
「何というかな…。例えば、そこら辺で蠢いてるゾンビ共は間違い無く敵。でも私にとって、キミやもう1人の津神の手下の子は、一言で敵とは言い切れないんだ」
それを聞いて、雲雀は1つの答えを出す。
「…人間は敵じゃないと言いたいのか?」
「いんや、津神は敵だ。十中八九ね」
「………」
難しい顔になって、再び考え始める雲雀。
そんな雲雀を見て、結衣はおかしそうに笑い出した。
「そんなに難しい事じゃないよ。勘みたいなモンさ」
「…私にはわからない。麗子様だって私だって、同じ敵じゃないか」
「そう言われちまえば、まぁそうなんだけどね」
「…??」
「ははは!ま、いつかわかるさ。私達の周りに居る愉快な連中とツルんでればね」
「………」
「その前に…」
結衣は言葉を切って、離れた所に居る梨沙に視線を移す。
「あの子にも、何か一言言ってやったらどうだい?」
雲雀は結衣と一緒になって梨沙を見ながら、結衣に訊き返す。
「綾崎に…何をだ?」
「そりゃ私に訊かれても困るな。自分で考えな」
結衣はそう言って、エレベーターに向かって歩いていく。
「おい、どこへ行く?」
「仲間の様子を見てくるよ。キミは梨沙ちゃんと一緒に居てくれ」
「はぁ…?何故私が…」
「いーから。さっきの疑問の答えが出るかもよ?」
「おい待て…!」
「じゃあね~」
結衣は雲雀の呼び止めを無視して、エレベーターのスイッチを押す。
すぐに到着したエレベーターに結衣はそそくさと乗り込み、いたずらっぽい笑みを浮かべながら雲雀に手を振って見せた。
「………」
雲雀はエレベーターの扉が閉まっていくのを呆然と眺めた後、梨沙の方に顔を向ける。
目を閉じていたので起きているかはわからなかったが、雲雀は彼女の元へと歩いていく。
「…おい」
「何?」
すぐに返答が返ってきた事に、雲雀は少々面食らう。
「な、何だ…起きてたのか…」
「起きてちゃ悪い?」
「いや…別に…」
いきいきとしている戦闘の際と異なり、もじもじと気恥ずかしそうな彼女に梨沙は思わず小さく笑う。
「何よ。どうしたの?」
「苦手…なんだよ…。人と普通に話すの…」
「そうなの?戦ってる時はやけにいきいきしてたけど」
「戦ってる最中の軽口は何とも思わない。どうせどっちか死ぬんだからな」
「なにそれ…」
呆れたように、鼻で笑う梨沙。
雲雀は何を話して良いのかがわからず、梨沙から視線を外して気まずそうに黙り込む。
そんな彼女を梨沙は面白がるように見ていたが、雲雀が重い口を開いて、話を切り出した。
「傷は…大丈夫なのか?」
「傷?」
訊き返す梨沙。
「苦しそうに見えるからな」
「そりゃ苦しいわよ。主に、誰かさんに胸を蹴られたせいでね」
「む、むぅ…」
困ったように俯き、唸り声を上げる雲雀。
「まぁ、別に恨んでたりなんてしないわよ」
梨沙のその言葉に、雲雀は驚いた様子で顔を上げた。
梨沙は続ける。
「戦って怪我をしたからって、相手を恨む筋合いは無いわ。私があんたより弱かった、ただそれだけの事じゃない」
「………」
怪我をさせた張本人である雲雀は、賛同も否定もできない。
ただ気まずそうに、項垂れていた。
からかっているつもりは無いのだが、梨沙にはそんな彼女が面白く見えてしまう。
「そんなに落ち込まないでよ…。むしろ、自分の弱さを身に染みて知る事ができたわ。感謝したいくらいよ」
「感謝って…敵に感謝してどうする…」
力無く笑う雲雀。
その"敵"と言う単語に、梨沙の表情が少し鋭くなる。
ずっと目を閉じてぼーっとしてはいたものの起きてはいた梨沙は、先程の雲雀と結衣の会話を聞いていた。
「…あんたにとって、敵ってなんなの?」
「…は?」
予想外の質問に、雲雀は顔を上げて梨沙の顔を見る。
「結衣さんと話してたじゃない。ちょっと気になってたのよ」
「聞いてたのか…?」
「まぁね。それで、どうなの?」
「敵か…」
雲雀は迷わず答える。
「自分にとって邪魔な存在だ。だから殺し合うんだ、敵同士」
「邪魔な存在…ね。じゃあ訊くけど、あんたにとって結衣さんは邪魔な存在?」
雲雀は眉をひそめる。
「…何?」
「結衣さんはあんたにとって敵なんでしょ?だったら邪魔な存在って事になるじゃない。無論私だって、そうなるし」
「いや…それは…」
「それは?」
雲雀は困ったように、再び項垂れる。
彼女には答えが浮かばなかった。
結衣や梨沙が敵だという認識は持っているものの、邪魔な存在なのかと訊かれれば、今はそう思わない。
そこで初めて、雲雀は自分の中の矛盾に気付く。
そしてまた、敵だと思っているハズの梨沙を目の前にして、戦意が全く湧いてこない事にも疑問を抱いた。
それは彼女が弱っているから、と考えるものの、まだ戦えるであろう結衣と話していた時にも戦意は無かった。
雲雀は自分自身の考えがわからなくなり、やり場の無い苛立ちを覚えた。
「わからん…私は何がしたい…?」
思わず呟く。
「思い込んでるだけよ」
梨沙の一言。
雲雀は、はっと目を見開いた。
「自分の考えが絶対だと思う事は誰にだってあるわ。私も、結衣さんに会うまではそうだった」
何も言わずに話を聞く雲雀。
「でも、結衣さんの話を聞いて、こういう考え方もあるんだっていう風に思ったの。それからは、今までの偏見は捨てて、色んな考え方をするようになったわ」
「偏見…。それは…私にも言えるんだろうか…」
「そうでしょうね」
梨沙は即答した。
「敵とは邪魔な存在だって意見はわかるわ。それには私も同意する。でも、私が思うに、あんたは1つ勘違いをしてるわ」
「勘違い…?」
「敵は敵でしかない。それは何があっても覆らない、という事」
雲雀は頷く。
「それはそうだろう。敵が味方になるとでも?」
「そんな極端な話じゃないわ」
梨沙はそこで、雲雀のもう1つの誤解に気付く。
「…敵と味方以外、どんな関係があると思う?」
「敵と味方以外…あるワケ無いだろう。殺すか殺されるか、この世界はそういうモノだ」
梨沙は"やっぱり"と言った様子で、溜め息をついた。
「…家族は居ないの?」
「両親は殺された。妹が居るが、どこで何をしているのかも知らない」
「友達は?」
「そんなモノは居ない」
「あっそ…」
「何だ。何故そんな事を訊く」
「別に。ただ、何となく訊いただけよ」
「はぁ…?」
「とにかく…」
梨沙は痛みに耐えながら、身体を起こす。
そして、雲雀を見てこう言った。
「私があんたの友達になってあげるわ。そして、世の中敵味方だけじゃないって事を教えてあげる」
「と、友達だと…?そんなモノは必要ない…!」
「うるさい。とりあえずこの町出たら、ケーキでも食べに行くわよ」
「ケ、ケーキ…?私は甘いモノなんて…」
「じゃあ蕎麦でも牛丼でもなんでも良いわ。とにかく行くわよ」
「な、何で…」
「理由なんか無いわよ。行きたいから行くの。良いわね?」
まくし立てる梨沙に、雲雀は困惑を隠せない。
「どうして…そこまで…?」
「別に。深い意味は無いわ」
「嘘を言え。意味も無しにそこまでする奴が居るもんか」
「強いて言うなら…」
梨沙は雲雀を見て、小さく笑う。
「あんたの事、気に入ったの」
「は、はぁ…!?」
生まれて初めて言われたその言葉に、雲雀は思わず声が大きくなる。
「愚直でバカな癖に、変な所は気にする。見ていて面白いわ」
「き、貴様…!バカにしてるのか…!」
「ふふ…。そうかもね…」
梨沙は面白そうに、くすくすと笑う。
雲雀はそんな彼女の笑顔を見て、複雑な心境になる。
しかし、悪い気分では無かった。
「(友達…か)」
ふっと、小さく笑う雲雀。
それを見逃さなかった梨沙が食い付く。
「何よ。いきなり笑い出して。気持ち悪いわね」
「う、うるさい…!気持ち悪いとか言うな…!」
「ふふ…。ごめんごめん…」
再び笑う梨沙。
雲雀もまた、その笑顔を見て嬉しそうに笑った。
第16話 終
最終章に続く。