第14話
「津神ッ…!」
不気味な笑みをこちらに向けている麗子に、リボルバーの銃口を向ける結衣。
「よく来たわね。お二人さん。…恥ずかしい所を見せちゃったかな」
「影村…?」
梨沙が呟く。
麗子の足元で倒れている雲雀はぐったりと顔を伏せていたが、意識はあるらしく、梨沙の声に反応して顔をゆっくりと上げた。
「綾…崎…」
雲雀は何かを言おうとしたが、麗子が彼女の頭を踏みつけてそれを遮った。
「あら…?誰が喋って良いって言ったの?」
雲雀の頭を踏みにじり、楽しそうに笑う麗子。
「おい、やめろ。その子死んじまうぞ」
「別に良いんじゃない?」
麗子は結衣を見てそう言った。
「…何?」
「この子ね、さっきここに来て私にこう言ったのよ。縁を切りたいって。勿論、理由も訊かずに快諾してあげたわ。私、優しいからね」
「快諾したようには見えねぇな」
「縁を切ったって事はもう部下じゃないんだし…殺さないでいる理由は無いでしょう?」
「殺す理由もねぇだろうが」
「それはどうかしら?ただ、1つ言える事があるとすれば…」
麗子は言葉を切って、雲雀の身体を結衣と梨沙の元に蹴り飛ばす。
そして、言葉の続きを言った。
「ムカついちゃった」
「………」
情の欠片も感じられない麗子の笑顔に、結衣は言葉を失って苦笑いを浮かべる。
梨沙は何も言わずに、ボロボロになっている雲雀の身体を抱き抱えた。
「綾崎…逃げ…ろ…」
「あんた…どうして?」
「早く…はや…く…!」
「影村…?」
その時、突然雲雀が咳き込み始め、梨沙の身体を突き飛ばして地面に吐血する。
それと同時に、麗子が喋り始めた。
「言い忘れてたけど、あなた達が来る直前に、その子にウイルスを投与してあげたの。改良した新型のね」
「な、何だと…!?」
「縁を切りたいって言葉の前に、力を付けたいだの強くなりたいだの言っていた気がしてね。望みを叶えてあげたのよ。…ふふ、私って優しいわよね」
そう言って、麗子は結衣に向かって歩き出す。
「てめぇ…覚悟しろよ…!」
「結衣ちゃん、あなたは私には勝てないわ。…ほら、撃ってみなさい」
「ッ…!」
挑発を受け、麗子の眉間に狙いを付けて引き金を引く結衣。
射出された銃弾の弾道は確かに麗子の眉間を捉えていたが、その銃弾は当たらなかった。
麗子は当たる寸前で首を傾け、銃弾を避けていた。
「…!?」
「よく狙いなさい。ほら、私はここよ?」
結衣は再び発砲したが、結果は先程と変わらない。
3発目、4発目も避けられたが、結衣が素早く狙いを心臓に変えて発砲した5発目は、避けられずに命中した。
しかし、麗子は衝撃で少し怯んだだけであり、ニヤリと笑って再び歩き出す。
「そうか…てめぇも人間辞めたクチか…」
「えぇ。恭子ちゃんや、明美ちゃんのようにね。…ただ、彼女達とは少し違うと言えば違うんだけど」
「どういう事だ」
「ふふ…さぁね…」
その時点ではまだ麗子との距離は5メートル程あったが、次の瞬間、麗子は結衣の目の前に居た。
「ッ…!?」
瞬きの間に接近され、結衣は何が起きたのかを理解できずに思わず身体が固まってしまう。
麗子は結衣の首を片手で掴み、顔を近付けてこう言った。
「また会いましょう…」
結衣の身体を梨沙の元に投げ、麗子はエレベーターへと歩いていく。
「ま、待て…!」
結衣はすぐに立ち上がって麗子を追おうとしたが、背後から雲雀の悲鳴が聞こえ、思わず振り返る。
「屋上に居るわ。その子を倒したら、上がってきなさい。…倒せたらね」
麗子は背を向けている結衣にそう言ってから、エレベーターに乗ってその場を後にした。
「畜生…」
結衣は閉まっているエレベーターの扉を見て舌打ちをした後、よろよろと立ち上がっている雲雀に向き直った。
「綾…崎…」
苦しそうに肩で息をしながら、こちらに向かって歩いてくる雲雀。
「………」
赤くなっている彼女の目を見て、結衣は全てを察した。
「梨沙ちゃん。この子を楽にしてやろう」
「そうですね」
躊躇いの無い梨沙の返答に、結衣は少し面喰らって彼女の横顔を見つめる。
「…意外だな」
「こいつに…影村に思い入れはありません。それに、こいつを倒さない以上私達に"先"は無いでしょう」
「そっか…」
2人は武器を構えて臨戦態勢に入る。
その際に、梨沙が小さな声でぼそっと呟く。
「…まぁ、嫌いじゃなかったけど」
「………」
結衣にその声は聞こえていたが、彼女は何も言わずにリボルバーの撃鉄を引き起こした。
そこで苦しそうに見えた雲雀の様子が平常に戻り、彼女は突然腰元の2本のナイフを抜いて2人に襲い掛かる。
「いきなりかよ…!」
並んでいた2人は素早くサイドステップでそれぞれ別の方向に回避し、距離を離す。
「大人しく眠ってもらおうか…!」
結衣は雲雀の背中にリボルバーを向け、引き金を引いた。
雲雀は背を向けたまま身体を僅かにずらして銃弾を避け、間髪入れずに結衣に接近する。
銃弾を回避される事は想定の範囲内であったらしく、結衣は動揺せずに身構え、攻撃に備える。
雲雀のナイフの斬り下ろし攻撃を後ろに下がって避け、続け様の突き刺し攻撃に対しては、雲雀の腕を左手で掴んで抱き込むように受け止め、右肘によるエルボーを顔面に打ち込む。
腕を取られて身動きが取れない雲雀にその攻撃は直撃したが、彼女にダメージを負った様子は一切見えず、取られていないもう片方の手のナイフを結衣の腹部に突き刺した。
「ッ…!」
その攻撃を見て素早く身体を離し、回避する結衣。
しかし、完全に避ける事はできなかった。
「中々…痛いねぇ…」
直撃こそは免れたものの、結衣の腹部には刺し傷ができていた。
「結衣さん…!」
「大丈夫…これくらいどうって事無いよ…」
致命傷にはならなかったものの、その傷からはぽたぽたと血が流れ出ている。
梨沙はそれを見て何かを思い付き、ナイフを構えて雲雀に突進していった。
それに気付いた雲雀は身体を梨沙の方に向け、2本のナイフを構えて迎撃態勢を取る。
飛び掛かるように接近し、ナイフを上から振り下ろす梨沙。
そのナイフを雲雀は手に持っている2本のナイフを交差させて受け止め、右足で梨沙の腹部を蹴りつける。
梨沙は蹴られる寸前で後ろに下がって直撃を免れ、すぐに体勢を立て直し、ナイフを構え直した。
「結衣さん!私がこいつの気を惹きます!その間に止血をしてください!」
「そいつはありがてぇ…そうさせてもらうよ…」
結衣は2人から少し離れ、上着を脱いで患部に強く巻き付ける。
その際に雲雀が結衣の元へと向かおうとしたが、梨沙が彼女の肩を強く掴み、こちらに身体を向かせた。
「ちょっと。あんたの相手は私よ」
そう言って、渾身の左ストレートを顔面に叩き込む。
意外にもその大振りな攻撃は命中し、雲雀は派手に転倒した。
「今ので目は覚めたかしら?」
殴り慣れていない梨沙は殴った左手をぶらぶらと振りながら、嘲笑を浮かべる。
すると、雲雀は殴られた頬を手で抑えながらゆっくりと立ち上がり、梨沙に向かってこう言った。
「…バカを言え。今のちんけな攻撃で目が覚めるくらいなら、私は苦労しない」
「あんた…意識があるの…?」
「さぁな…。あるのか無いのか、私にもわからない」
「は?」
「止められないんだ。私の身体に流れている血が、貴様を殺せと騒ぎ立てている。頭の中には麗子様の命令の声が繰り返し聞こえている。…抗えるワケが無いだろう」
「そう…。そういう事なら…」
距離を詰め、ナイフを斜めに振り下ろす梨沙。
「半殺しにして目を覚まさせてやるわ…!」
「そいつはありがたいね…!」
梨沙のナイフを弾き、体当たりをして体勢を崩させる雲雀。
梨沙は後ろによろめいたが、雲雀の追撃をバク転で回避する。
それをすぐに追い掛け、雲雀は2本のナイフで斬りかかる。
梨沙はそのナイフを弾き、避け、攻撃の命中を防ぐ。
防戦一方になってはまずいと思った梨沙は、雲雀の攻撃の合間を縫って小振りな蹴りで彼女の足元を狙う。
雲雀は素早くその蹴りを蹴り返し、体勢が崩れた梨沙の首にナイフを振り下ろす。
ナイフが彼女の首に当たる寸前で、1発の銃声と共に雲雀の手からナイフが飛んだ。
雲雀がその出来事に動揺した瞬間を見逃さずに、梨沙は後ろ回し蹴りを彼女の頭部に放つ。
雲雀は身体を後ろに反らしてその蹴りを辛うじて避け、素早く離れて梨沙が居る方とは別の方向を見た。
そこには、リボルバーをこちらに向けている結衣が居た。
「中々良い動きだ。影村ちゃんとやら」
「大神結衣…」
彼女の名前と実力を知っている雲雀は、改めて彼女の存在が厄介な事を思い出し、撃ち落とされたナイフを拾いながら舌打ちをする。
「そんな出血で戦うつもりか。動き回っている内に倒れるぞ」
「しぶとさだけは誰にも負けない自信があるんでね。腹をナイフでぶっ刺されるくらいの傷なんて慣れてるしな」
「そうか…なら遠慮はしない…!」
風のような恐ろしいスピードで距離を詰め、2本のナイフを結衣の首に突き刺そうとする雲雀。
結衣は片方のナイフを銃で弾き、もう片方の手を掴んで止める。
そして、雲雀の顎に下から銃口を突き付けて引き金を引いた。
身体を反らしてその銃撃を容易く避けた雲雀は、先程弾かれた左手のナイフを再び振り下ろす。
そのナイフを至近距離から銃で撃ち落とし、今度は眉間に銃口を突き付けて引き金を引く。
雲雀はナイフを撃ち落とされた事に驚き反応が少し遅れたものの、結衣の腹部の切創を蹴り付けて銃撃を回避する。
お互いの距離は離れ、仕切り直しとなった。
「ちっ…刺し傷の上蹴られりゃ…流石に痛ぇや…」
上着を巻いて止血している傷口を蹴られ、あまりの痛みに力無く苦笑を浮かべる結衣。
そんな彼女に追撃を入れようと接近した雲雀であったが、梨沙がそれを阻止した。
「無視は困るわね」
避けられたものの、雲雀に死角から蹴りを入れる梨沙。
「なんだ、居たのかお前」
「………」
雲雀のたった一言で、梨沙はブチギレた。
とにかく1発殴りたかったのか、ナイフをしまって雲雀に殴りかかる梨沙。
雲雀は当然その攻撃を避けながら反撃を狙ったが、スタミナの温存など気にもしない梨沙の猛攻に、中々チャンスは訪れなかった。
「バカな奴だな…!そんなに攻めればすぐにバテるぞ…!」
「殴らせろ…1発殴らせろ…!」
「聞いてないし…」
一瞬の隙を突き、梨沙の腕を取って関節を極めながら足を引っかけて転ばせ、彼女の身体を地面に叩き付ける雲雀。
そのまま雲雀はナイフをくるりと回して逆手に持ち、梨沙にこう言った。
「終わりだ。死ね」
「そっちがね」
1発の銃声と共に、雲雀の胸部に風穴が開く。
突然胸部に走った衝撃に困惑しながらも、雲雀はゆっくりと振り返る。
いつの間にか背後に居た結衣が、リボルバーを構えていた。
「くっ…しぶとい奴め…」
風穴が開いた胸部を手で抑えながら、結衣を見て舌打ちをする雲雀。
そのまま戦闘は終わるものかと思った結衣と梨沙であったが、雲雀は倒れる事なく、先程撃ち落とされたナイフの元へ歩いていき、それを苦しそうに拾い上げる。
「まだやるのかい?」
そう訊き、目を細める結衣。
雲雀は何も言わずに、結衣に向かって突進していく。
胸部を撃ち抜かれた事が効いているのか、雲雀の動きは先程と比べて少し鈍くなっており、彼女の攻撃を避ける事は容易かった。
それどころか雲雀は息が荒くなっており、結衣に攻撃を避けられた後、彼女はその場に膝から崩れ落ちた。
「まだだ…私は…まだ…」
「諦めないその心構えは評価してやる。だけど、身体は限界のようだぜ?」
「限界…」
その単語に反応し、雲雀は再び立ち上がる。
その時、結衣は雲雀の顔を見て思わず息を呑んだ。
「お、お前…!」
雲雀の顔の右半分が赤黒くなっており、左目と同じように赤くなっていた右目は周囲の皮膚の色に同化するように、やはり赤黒い色に変色していた。
「限界など…存在しない…。私は…誰よりも強くなるんだ…!」
言葉を言い切ると同時に、彼女は持っていたナイフをぐしゃりと握り潰して投げ捨て、結衣に駆け寄って彼女の首を片手で掴む。
突然の事に動揺した結衣は、それに反応する事ができなかった。
掴み上げられ、背中から地面に叩き付けられる結衣。
悲鳴を上げる事すら、ままならなかった。
「結衣さんッ…!」
ぐったりと倒れて動かなくなった結衣に駆け寄ろうとする梨沙であったが、鬼のような形相で割り込んできた雲雀に阻止される。
妨害を予想していた梨沙は、雲雀が伸ばしてきた手を素早くナイフで斬りつけ、続けて首に刃を突き刺した。
仕掛けた本人が喫驚する程にすんなりと決まった首への一撃。
通常ならば致命傷となる攻撃であったが、雲雀は梨沙の目を見て、不気味に口元を歪ませた。
刺されたナイフの刃身の部分を左手でぐっと掴み、もう片方の手で梨沙を突き飛ばしながら引き抜く。
突き飛ばされた梨沙はすぐに体勢を立て直し、身構える。
「どこを見ている」
その時には既に、雲雀は梨沙の背後に回り込んでいた。
梨沙は素早く振り返り、左手で裏拳を放つ。
雲雀はその裏拳を左手で受け止め、腕を捻って関節を極める。
そして動けなくなった梨沙の腹部に、右手で重い一撃を叩き込んだ。
避ける事も防ぐ事もできず、その一撃をまともに喰らった梨沙は呼吸ができなくなる。
そんな状態の梨沙が、続け様に雲雀が放った顔面への右ストレートに反応できるハズもなく、殴られた彼女は後ろに大きくのけ反る。
2発の攻撃がクリーンヒットした事で、梨沙の意識は朦朧となっていた。
トドメと言わんばかりに、梨沙の腕を引っ張って身体を引き寄せながら、彼女の胸部を蹴りつける雲雀。
梨沙の身体は人形のように、力無く地面に転がった。
彼女の息の根を完全に止める為、雲雀は梨沙の元へと歩いていく。
意識は何とか保っているものの、梨沙に立ち上がる気力は残っていなかった。
倒れている梨沙に雲雀が手を伸ばし、絶体絶命の危機と思われたその時、1発の銃弾が雲雀の手を貫く。
振り返った先には、立っているだけで精一杯と言った様子の結衣が、肩で息をしながらこちらに銃を向けている姿が見えた。
「…なるほど。確かにしぶといな」
「へへっ…言っただろ…?」
雲雀は梨沙の元から離れ、結衣に向かって歩いていく。
「畜生…」
体力的に戦えない事は自分が一番わかっているので、結衣は歩み寄ってくる雲雀を見て苦笑を浮かべる。
その時、エレベーターの扉が開き、誰かが降りてきた。
2人の視線がそちらに移る。
「次は私が相手をしてあげるわ。来なさい」
そう言いながら現れたのは、日本刀を片手に携えた茜の姉、神崎葵であった。
第14話 終