掌編「風を掻き分けて」
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時折、テレビの音が飛行機の飛ぶ音に掻き消される。この家は航路の真下らしい。何度も飛行機が通り過ぎるのを見て、正一はいつか俺も飛行機に乗ってあの人のところに行けたらと思った。また、仕事からの帰り道に去って行く飛行機を見て、あの飛行機に乗ってあの人とどこかへ行ってしまえたらと思った。テレビでは録画したライブ番組が流れてくる。これまでに彼が体験していないことだった。パソコンやDVDからライブ映像を観ることはあったとしても、選択ではなく、自動的に放送されるものによる全く知る機会のなかったものを知るということが彼には新鮮なことだった。なかには以前に聴いていたバンドを改めて確認する機会にもなった。しかし、彼はそのような体験は一種の慰めに似たものであって、先に彼が厳しい局面や状況に立たされていることを自覚してからこそともなう慰めであった。
新天地に赴き、正一にはその場所での習性で醸成している価値観に慣れていかねばならなかった。これまでの自分でいればすぐに呑み込まれてしまうほどのものだった。だからこそ、彼は自分がまだ未熟であることを感じた。学習できる可能性を感じた。それはこれまでに彼がいた場所にとどまっていては知らずに済んだことであった。凡そ、理解するのには精神力を消耗する。これまでが無風であったが、今は強風を肌で感じる。しかし、そうそう人の根が変わるものかは疑わしかった。強い風が静まるかどうかは彼自身の問題ではあろうが、風を強くさせたのは彼の意志ではなかった。だから彼は半ば自暴自棄ともいえた。昔もそうやって死にもの狂いの気力でなんとかがんばっていた頃があった。歳月は彼すらも微妙に変化させていた。追い込まれた時、彼の信じたものはその歳月に他ならなかった。新卒採用で入社した別の職種では信じられるものが欠けていた。その点が彼の起こす行動と忍耐の強度を変えていた。
自分の士気を高める時には、彼は格闘技のテレビ中継を見ることにしていた。彼自身武術の経験があったがために、対峙して闘う者の気迫や技術を見ていると勇気づけられるものがある。ある実用書に勇気が示される時は必ず恐怖を伴っていることが書かれてあって確かに頷けることだと彼は思った。だからこそ、その勇気が示される試合を観ることは彼には重要なことだった。特に彼が憧れる試合があった。一方はトーナメントリーグの常連優勝者、もう一方はニューカマーとして勝ち上がって来た実力者だった。体格から比較すると、優勝者の方が体格が大きく、若年の対戦相手は不利に思えた。事実、試合が始まり、ラウンドを重ねている内に体格から発揮される拳や蹴り足は威力が大きく、若い方は劣勢になっていた。正一はこの格闘技の試合は幾つも観ていたので、常連の優勝者の攻撃が幾つもの対戦相手をノックアウトさせることを知っていた。しかし、この若年の対戦相手は劣勢でありながらも、反撃することを止めなかった。その姿勢が正一を強く引きつけた。結果として、この対戦相手は以前の優勝者には勝てなかったし、そのまま常連の過去の優勝選手が連覇することになった。ただ、正一にとってはトーナメントの結果などどうでもよかった。実際に自分が当事者となって、体格の大きいものからの攻撃を受けてなほ、力を振り絞って反撃できるか考えると、とても自分にはそんなことはできないのではないかと思った。だから、負けはしたがこの挑戦者の闘う姿勢が彼の記憶に強く残ることになった。
その試合で闘う若き選手のことを思い出せば、正一自身その姿が支えや生きていく上での見本となってこれまでの自分の態度が変わっていくのではないかと思った。この選手に正一が見習おうとしても実際に格闘するということは全くないので、自分の日常に何かしら効果を及ぼすかといえば、確信はない。ただ実際に人が士気を高めたり、規律に従うときは行進曲とか軍用ラッパとか音を利用することを彼は知っていたので、音の受ける感覚が効果的であるなら、その音の状況を頭のなかで再生させる記憶だって科学的根拠を知らなくても効果的であるかと思えたのだった。
新しい場所に移ってから、仕事だけに限らず新しい交友関係を築いていくという気があまり彼になかった。こちらに来てから、バーや居酒屋などには行かず、家に帰ってから晩酌をしているから、地元の人と知り合うのは仕事を通してになるが、店での飲食を彼は節約したかった。こちらに移る前に、既に幾つか彼が考えていたことがあって、その通りに実行するには何度か実家と今の場所とを往復することが必要であり、紛れもなくその費用は彼にとっての多大な負担だった。そのため、毎月彼はどのようにやり繰りをしていくか工夫していかねばならず、そうした選択のあとで彼が新しい発見することがあり、彼は面白さを感じずにはいられなかった。
そして今日、正一は彼が見上げていた飛行機に乗ってみた。国内の移動を飛行機で行くことがあまり経験なかったので、その速さに驚いた。早朝出て、午前中に実家に着いたのだった。家に着くと彼はお気に入りのCDを流しては家族が帰って来るのを待っていた。世間を賑わす新しく更新される情報に彼はあまり興味がなかった。対して、未だ自分が新しい体験や発見をすることに彼の好奇心は掻き立てられていった。そのような体験をしたのち、自分が変わっていくのか行動を振り返ってみるのだが、根は変わっていない気がした。適応とは、その場での対応する変化であって人自体を丸ごと変えていくものではないのだろう。しばらくすると、玄関の閉まる音がして、彼は家の階段を降りた。皆が帰って来たのだ。