01
『お母さん、何かさ、何か、変。分かんないけど、おかしい』
受話器から聞こえる娘の言葉は全く要領を得ないものだった。
「ちょっとアンタどうしたの。何言ってるの」
『だって、暗くて。こんなに暗くて。分かんない、何これ、分かんない!』
最初はこちらをからかっているのかとも訝かしんだが、娘の尋常ならざる様子に何事か起こったのだと確信する。
変質者にでも出会って追いかけられているのだろうか。それでパニックになって支離滅裂なことを口走っているのか。
「とにかく落ち着いて、何でもいいから大声出しなさい!誰にでもいいから助けてもらいなさい!」
何が起こっているにせよ、とにかく誰かに異常事態に気が付いてもらわなければならない。
『無理だよ。だってこんなに暗いもん。誰もいない、こんなに暗いと他に誰もいない……』
しきりに暗い暗いと繰り返す娘の言葉に、私は窓に目を向ける。日が傾いてきた時間帯とはいえ、まだ日没までには時間がある筈。視線の先の窓の外の風景は、やはり夕暮れの茜色だった。
まさか。娘は既に何者かに拉致されていてどこかに閉じ込められている?
ああ、私はどうすれば、どうしよう、何をすれば、ああどうしよう、誰か。
ああ…そうだ!通報!警察に早く警察に!電話、いやダメだ今この電話を切ってしまうと娘の状況が分からなくなってしまう。携帯はどこにある、どこに置いた?部屋を見回すが見当たらない。ああもうどうしてこんな時に限って!
「美登里、アンタ今どこにいるの?お母さん警察呼ぶから待ってなさい、いい?電話すぐにかけ直すからね!いいね?」
『まってお母さん、全然家に着かない。走ってるのに、どんどん暗くなるから全然着かない。周りの家も全部灯りが消えてるから、だから誰もいない』
家に、向かっている?誘拐された訳ではないのか。状況が掴めない。こんな状態の娘を僅かな時間でも放っておくことに不安を感じるが、しかしこのままでは私は何も出来ない。ともかく助けを呼ばなくては。いや、娘自身に通報させるべきだろうか。ダメだ、冷静になれない、上手く判断できない、どうすればいいの!
『ああ、よかった。家が見えた』
不意に。
娘の声音が落ち着いた調子に変わる。
『ごめん、お母さん。私ちょっとパニクっちゃって。もうすぐ家に着くから』
張り積めていた緊張が一気に抜け落ちる。どういう事なのかはよく分からないが、娘は無事らしい。気が付けば、私は床にへたり込んでいた。安心をして腰が抜けたようだ。
『ホントよかったあ、家には灯りがついてて。すごく明るいからよく分かるよ』
…え?
『お母さんの姿もよく見える。そんなに呼ばなくても大丈夫。すぐに着くから』
「美登里……?ちょっとなに言ってるの」
『手招きしてる。心配かけてごめんね』
「美登里!?ちょっと待ちなさい!どこに行こうとしてるの!待ちなさい!」
私は必死になって叫ぶ。
『だってあんなに呼んでるから。早くいかないと』
「お母さんが行くから!そこに行くから!!それまで待っ」
―――ただいまぁ
その声は。
確かに玄関の方向から聞こえた気がした。
受話器を放り投げ玄関に向かう。だが、静まり返ったそこに娘の姿はなかった。
ただ。
玄関マットの上には画面が粉々に砕けた娘のスマートフォンだけがポツンと置かれていた。
◇◇◇◇◇◇
「で、それもう一月以上前の話だろー?さすがにもう死んでるんじゃね?」
腕を頭の後ろに組んで歩く少年が投げ槍な調子で言った。
「しょうがないでしょ、まともな捜査機関が手に負えない、と判断してからあたし達にお鉢が回ってくる訳だからね。まあ、大抵の場合は手遅れだよ。可哀想だとは思うけど」
その後ろについて歩く少女が答える。
行方不明となっている女子高校生『笹島 美登里』の捜索、それが二人の受けた依頼内容だった。
二人は今、彼女の行方が分からなくなる直前、最後に通ったと思われる通学路。駅から彼女の自宅までの道のりを探索していた。
中学生程に見える男女二人組。例えまともではない捜査機関であっても、そんな仕事をさせるには幼すぎる人材に思えるが。
「でもま、全然希望がない訳じゃないよ。中には食べるよりも嬲ったり犯したりする方を優先する奴だっているんだし。そういうのに当たってれば一ヶ月位ならまだギリギリ間に合うかも」
「それもう、人間のカタチしてなかったりワケのわかんねーモン孕んでたり、むしろ生きてる方が気の毒なヤツじゃん」
「何にせよ、あたし達のやることは変わらないよ。見つけ出して、殺す。ついでに、助けられるなら、助ける」
少女が決意のこもった声音で告げると。
「今回、俺らの担当は人探しだけだけどなー」
からかうような調子で少年が答える。
「わかってるわよ。でも」
「ん?」
少女は少年を追い越し前に出る。一瞬迷うように視線を下に向けた少女だったが、すぐに顔を上げると真っ直ぐに少年の瞳を見つめた。
「な、何だよ」
「やっぱりさ、チャンスがあったらあたし達も仕掛けていこうよ」
「はあ?お前、なにを」
「そうじゃないと、あたし達みたいな下っぱにはいつまで経っても重要な仕事なんか回ってこないよ」
戸惑う少年に少女は畳み掛ける。
「大丈夫だよ、無茶はしない。無謀な事して仮に結果を出しても、評価されないのは分かってる。でも、冷静に判断した上でいけそうならさ」
「あー、分かった、分かったから」
少女の勢いに押され、少年は両手を挙げて降参のポーズをする。
「しゃーねーから付き合ってやるよ。でも、確実にいけそうな相手の時だけな?」
少女に乗せられた形にはなったが、少年としても、功名心が無い訳ではない。地味なサポート任務を続けるよりは手っ取り早く成果を挙げたい気持ちはあった。
「って、あれ?」
不意に違和感を感じ、少年は辺りを見回した。
「なに、どうしたの?」
少女の問いに少年は答える。
「何かさ、暗くないか?」
程なくして、探索班に配属されていた二人は「暗い、分からない」という内容の定時連絡を最後に消息を断つ事になる。