その九 もうひとりの恋心
あれから貴史にも「班ノート」に関する話を一切振らなかった、
なにごともなく「班ノート」ページが重なっていくのを、私は黙って様子見していた。
『裏・ノート』自体はいったん休止状態らしい。貴史は自分の番が回ってきてからそれ以降、思うところあって後立村くんに渡さなかったようだ。たぶん、私と一緒に品山のハンバーガー屋さんに出かけてからすぐに、そうすることに決めたらしい。ただ立村くんに子細を説明したかどうかは定かではない。
立村くんも全くそのことに対して触れることがなかった。
──浜野とかいう番長風の奴と一対一の『決闘』をやらかすだけ度胸ある人だったのかな? 教室へ出刃包丁を持って通って信じられないよ。六年間しつこくいじめられてきたって本当なの?。
立村くんの端正な表情と曇りないまなざしは変わることがなかった。
私は何度も、榎本の口からこぼれた「物語」を噛み砕いた。
榎本との付き合いをばっさり切り、私は何したいんだろう? 何、知りたいのだろう?
「清坂氏、どうした?」
英語の副読本に関する訳文を、立村くんから写させてもらっていた。立村くんは私にさらりと尋ね、じっと私を観察するように見つめていた。
「ううん、なんでも。訳、ありがとう」
作り笑顔って、汚い、みっともない。わかってる。
言わなくちゃいけないのに、どうしても言えない。
あの「班ノート」に綴られたことが「裏」ではなく「事実」だと知ってしまった以上、私は立村くんにどう振舞うか、結論を出さなくてはならないのに。このままだと、嘘つきになってしまいそうでいやだ。知らないままで通すことができるような事実じゃなかったのだから。
一週間、私は立村くんのいぶかしげな表情に知らん振りをしつづけた。
「あのさ、立村、この中であんたが好きなのは、どういうタイプ?」
後ろで今度はこずえが、立村くんの机にアイドル歌手のブロマイドを広げていた。たぶん芸能雑誌の付録カードだろう。新人歌手ばかりでなく、かのグラビアアイドル『榛名七草』も混じっていた。
「ああ、俺もそれ聞きたいなあ、立村」
悪乗りする貴史の声。私はそっと振り返った。
「お前あまりそういうこと言わないだろ。白状しちまえよ」
露骨に知りたそうな顔をしていると思われたくなかった。できるだけさりげなく。
立村くんの反応はと見ると、無表情のまま、広げられた五枚をじっと見つめているだけだ。
「どうしたのよ、かたまっちゃって。目移りしている?」
「いや、なんていうか、誰、これ」
か細い声で答えていた。貴史から聞いたとおり、立村くんは芸能人の顔判別ができないのだろう。テレビ日常的に見ていないらしいし。
「立村、テレビとかで見ないの? 名前なんてどうでもいいけどさ、好みくらいはあるでしょうが」
黙ったままの立村くんを見かねたのか、貴史が助け舟を出した。
「俺は、鈴蘭優ちゃんあたりかなあ」
──鈴蘭優、か。ああ、貴史の最愛なる子役アイドルね。チャンス、と早速私も割り込んだ。
「貴史、まだこの子小学五年生じゃないの。あんたみたいなのをロリコンっていうのよ」
ちなみに鈴蘭優とは、子役出身の美少女アイドルだ。現在小学校五年生。両耳の上に、髪をおだんごにして結んだヘアースタイルが大人気だった。もっとも私はこの路線が苦手で、貴史の好みが理解できなかった。いつだったか貴史に
「お前もなあ、優ちゃんみたいな髪形にすればもっと男子受けよくなるのになあ」
と、勘違いしたアドバイスを受け、思いっきりけりを入れたこともあった。半年前のことだった。
「うるせえ、うちの父ちゃん母ちゃんも、年はみっつ離れているんだ」
「関係ないじゃないの」
こずえは貴史の趣味に、少し戸惑った表情だった。そりゃあ気になるだろう。大好きな貴史のタイプがまた明らかになってしまったのだもの。ファンとしては心複雑なはずだ。
「ふうん、羽飛って年下が好きなんだあ」
それでもさらっと流し、矛先を別の方に向けた。
「それはそうと、立村、あんたはどうなのよ。白状しなよ。ね、美里」
「なんでここで私に水向けるのよ」
私は黙って立村くんの表情をうかがった。
──榛名七草だったらどうしよう。
立村くんは一枚一枚、ゆっくりと手にとって眺めた。
側でこずえがにやにやしながら私をつついた。ちょっとだけむかついた。
「しいてあげれば。わからないな」
言葉を飲み込んだ。立村くんはまとめてこずえに手渡し、
「いったい、何を知りたい」
穏やかな表情で尋ねた。
「だから立村、あんたはガキだっていうのよ。お姉さんは情けなくなるわ。ひとりくらい誰か、好みだとかそういうのって感じなかったの?」
「うん、感じない。答えられないよ」
「じゃあ、せめてさ、うちのクラスで好みのタイプって、誰?」
「人をからかうのもいいかげんにしろよな」
落ち着いて交わす立村くんと、さらにつっこみつづけるこずえ。
「じゃあ、今のところ、男にしか興味ないんだあ。ホモって奴?」
「ばかばかしい」
立村くんは呆れ顔で、こずえの質問を打ち切った。
「古川さんの弟、五年生だったんだよな」
「そうだよ、本当にあんたとおんなじ」
「同情するよ」
私も立村くんの意見にひそかに同意した。
姉弟愛なのだろうが、私だったらちょっとご遠慮したい。
立村くんの好みがわからなかったのが残念だった。
今後の参考にしたかったのだけども。
加奈子ちゃんはそんな私たちの会話をにこにこ笑って聞いていた。
榎本から仕入れた情報によると加奈子ちゃんは本品山中学の彼氏持ちだという。
しかも、小学校時代は番を張っていた奴だともいう。
全く想像がつかない。
信じられないこともあって、あれからずっと加奈子ちゃんの様子をチェックしていたのだけど、全く「彼氏持ち」らしき気配は感じなかった。かなり用心して隠しているのだろう。青大附属といえばやはり「優等生」であり「エリート」のイメージが強いのだから、もし公立中学在学の、お世辞にも「優等生」とは言えない奴と付き合っていることがばれたら、若干のイメージダウンは否めないだろう。
しかしその一方で、加奈子ちゃんと立村くんはどこかで落ち合っているらしい。
他クラスの琴音ちゃんが話すくらいなのだ。噂になるくらい二人の寄り添う様子は目に付いたという。
でもどうしてD組ではその噂が全く立たなかったのだろう。不思議だった。加奈子ちゃんの場合、特別部活にも委員会にも所属していないので、帰りの掃除が終わるとさっさと学校を出ているはずだ。反対に立村くんは評議委員でしょっちゅう先輩たちに呼び出されているので、仮に加奈子ちゃんと待ち合わせしようとしても学校ではまず難しいような気がする。
──だけど、加奈子ちゃんは本品山中学に、彼氏を迎えに行ってるはず。
榎本の話によると、浜野とかいう奴はサッカー部だそうだ。部活が終わるまで加奈子ちゃんがおとなしく待っていたとして、立村くんがその頃に品山へ到着していたとしたら、顔を合わせられないことはないだろう。加奈子ちゃんは自転車通学生徒だし、全く可能性がないわけではない。
──でも、いくらなんでも、自分の彼氏とクラスの男子と、顔突き合せたがるようなこと、ふつうしないよ。それ以前に、あの二人は付き合っているの? クラスの連中に気付かれないよう、こっそりと待ち合わせ場所を決めて、二人で帰っているの?
貴史にそのあたりを探ってもらおうかとも考えた。でも私の方から頼み込むのはプライドが許さなかった。授業に身が入らず、しょっちゅう宿題を忘れてしまい、こずえにノートを貸してもらう日々が続いた。
仮にだ。立村くんが加奈子ちゃんと付き合っていたとしたら、どういうところを好きになったのだろう。
加奈子ちゃんはおとなしそうで、どのグループの子とも仲良くできて、それでいて言いたいことはきちんと伝えるだけの、しっかりしたところがある子だ。おとなしそうで芯の強い女子に、男子はきっと弱いのだろう。立村くんを例外として考えることはできない。
なにかの拍子で、ふらふらっとしたのだろうか。
でも、加奈子ちゃんには彼氏がいるのだ。噂をあっちこっちに張り巡らせてやりたいけれど、まだ、それもできなかった。
ぼんやりしているうちに帰りの時刻。菱本先生の愛あるお説教が終わった後、立村くんはすぐ起立、礼の号令をかけようとした。口を開きかけたとたん、いきなり菱本先生が顔を挙げ、
「立村、お前は少し残っていろ」
まただよ、と言いたげな雰囲気が、教室の中に漂った。
立村くんが呼び出しを食らうというのは珍しいことではない。本人もため息を吐いて、しかたなさそうに首を回した。貴史が軽く肩を揉んでやろうとし、露骨に手をひっぱたかれていた。怒るでもなく、貴史はやんわりと尋ねた。
「哀れよのう、立村お前。今度は何やらかした」
「わからない。まあ、いつものようにうまくすかしてくるよ。この前の実力テストで、数学の点数が悪かったからかなあ。羽飛よりなぜ俺の方を呼び立てるのか、理由がわからないよな」
「待ってっか?」
「いや、いいよ。たぶん長引くだろう」
立村くんは号令をかけ終えた後、しぶしぶと職員室に向かおうとした。
私も、さっさと教室から出ようとした。
「あの、立村くん、いいかしら」
不意に加奈子ちゃんが立村くんの側に寄った。戸口でふたりはいきなり、二言三言、何か言葉を交わしていた。やわらかい笑顔のままでいた。
呼び止められた立村くんの表情は明らかに曇った。
小声で何かを約束しているらしい。
さりげなく寄ろうとして、私は耳をそばだてた。
がたがた椅子の音が響く中で、私が聞き取ったのは。
「本品山中学前で、あとで」
目をそむけたままつぶやく立村くんの一言だけだった。
加奈子ちゃんはにっこり頷いた。急ぎ早に教室を出て行った。
私と貴史はふたりで校門を出た。私が誘ったのだ。D組の連中は何も言わなかった。いつものことだもの。他のクラスの男子たちがひゅうひゅう冷やかすこともないわけではないけど、無視していればいい。小学校の頃から慣れっこだ。
「いいかげんあんたもこずえとくっついちゃいなよ」
貴史からは気のない返事が返るだけだった。
「冗談やめろって。関心ねえよ」
こずえの片思いは誰もが知る状態だった。
『清坂美里は羽飛貴史をめぐるのライバルではない』
判明した家庭科室の放課後。
それまでは若干、私に遠慮もあったのだろう。
その誤解があっさり解けたこともあって、こずえはさらにパワーアップしたアタックを繰り返していた。体育の授業中、バスケットボールの試合している時、シュートを狙う貴史へ「羽飛、ゆけーっ!」と絶叫するなんて、いい根性していると思う。私にはとってもだけど出来ない。
「あんたも本音を言いなさいよ」
「古川って苦手」
残酷な言葉をあっさり貴史はつぶやいた。こずえには聞かせたくない。
「じゃあ、誰が好きなのよ。鈴蘭優とは言わせないよ」
「代わりの奴、探しているところだろうが」
疲れたように言い、貴史はあくびをひとつ。
「美里みたいに、付き合いある奴がどっさりいるわけじゃないんだからな」
榎本の件への嫌味だろうか。あの日からだいぶ経ったけれど、貴史の方から持ち出すことはなかった。どうやら私の方から打ち明けるののを待っているかのようだった。私が全然その気ないので、かなりいらいらしていたらしい。
「児童館での知り合いは、あいつだけよ。あとはいないわよ、何がどっさりよ」
「俺に言い訳してどうするんだ、それよかな」
貴史は本題に移った。
品山小学、卒業式での『決闘』騒ぎについて、である。
「あそこまで一字一句合っていたとはなあ」
聞くべきところは聞き漏らさなかったらしい。
「つまり、浜野っていう品山で番張ってた奴が、立村に負かされたってことか。立村が『あぶなく人を殺しそうになった』っていうのは、勝負の時に自転車でつっこんで転ばせるかなにかして、坂から突き落としたってことを言っているんだな」
「つじつまが合うよね」
「これって、一歩間違うと警察沙汰になるかもしれないぞ。立村、ひっかからなかったのかな」
「相手の名前を一言も言わなかったっていうから、たぶん、互い納得の上での勝負だったと思う」
「これこそ、警察沙汰だからなあ。附中の合格取り消しにならないともかぎらんし」
貴史は白く重みを増した空を仰いだ。昼間でも鉛色の空と誰かが言った空。手に届くのはあの重たい空の色だけなのかもしれなかった。たまらなくやるせない真実。
「浜野って奴、きっと立村くんにやられたことが悔しくてならなかったんじゃないかなあ。だって、榎本の話で行くと『仕返ししようとは思わなかったって。なぜ自分が、そういう気持になったのかを、考えていくって』なんてきざなせりふを言ったってことだし」
「確かに。美里もたまにはいいこと言う」
貴史は足を止め、自転車をがっしりと安定させた。人通りの無い道に立ち止まり、私と並んだ。
「なあ美里。俺たちがもし、小学校の頃ばかにしていた奴から、殺されそうになったら、どう思う?」
「いっぱいいすぎてわからない。でも、悔しくて悔しくて死にたくなるんじゃないかなあ」
「死にたくなるほど、悔しいよな。俺もそうだ」
私はいつも、許せない奴らをとことんたたきのめして今まで来た。そのことが間違っているとは全く思っていなかった。あいつらはそれなりのことをして、それなりの罰を受けたはずなのだ。そいつらからいきなりしっぺがえしされたとしたら、私は生きていくのもいやになりそうだ。私のしてきたことがみんな間違いだったと、せせら笑われること。それが許せなくて悔しい。
「そんなこと、他の奴らに言えると思うか?」
「絶対に、言えないね。あんな奴らにずたずたにされたとしたら、私は断然、復讐を誓うね。でも、誰の手も借りたくないよ。そいつらの名前を口に出すと、舌がただれてしまいそうだもん。自分以外の誰にも、知られたくないよ」
「だろう。な、浜野って奴も、同じだったんじゃないか」
貴史はまた空を見上げた。何を見つめているのだろう。探したくて声を掛けた。
「卒業式で、浜野は立村くんに復讐されたのね。全く、想像したことのない、負け方だったのね。立村くんって、そういうことができる人じゃ、なかったのね」
「たぶんな」
「でもねえ、浜野は立村くんにやりかえさなかったみたいよ」
「そこが俺にもわからなかったんだ。ずっと考えていたんだけどな。実は、浜野ってすげえいい奴だったんじゃないかなあ」
「いじめの筆頭だった奴なのに?」
「いくら立村が附属に逃げてきていたって、小学校が品山だったら、顔を合わせる機会はいくらでもあると思うんだ。番張っているくらいだから、仲間も腐るほどいるだろうし。立村ひとりを締め上げるのは難しくねえと思うんだ。けど、浜野は潔く負けたことを認めたんじゃないか。たとえ立村との勝負がどういうものであったにせよだ。一対一で勝負するくらいのプライドを持っていたんじゃねえか」
貴史は空を見上げるのをやめた。
「そうかなあ」
口ではあいまいな相槌だけ。ぴたりと重なっていた。
榎本から聞いている間も、浜野という『品山小学校の大将』に対して、全く不快感を感じなかった。自分が片思いしている立村くんをねばっこくいじめつづけていたということについては卑怯だと思うものの、『決闘』で生き様を改めた姿は潔いと思った。
小学校時代ならともかく、中学で顔を合わせていたら、ぜひ友達として徹底的にしゃべってみたいタイプだった。
なによりも『決闘』という手段を取ったことが偉いじゃないの。
立村くんがどういう方法で『決闘』を申し込んだのかはわからないし、自転車でぶつけ合うかなにかして突き落とすだけの根性がどこにあったのかもわからない。もし『決闘』がばれてしまった場合、青大附中合格を取り消される可能性も考えなかったわけじゃないだろう。浜野がもし心底腐った男だとしたらだ親なり友達に泣きついてそれなりの手段を取っただろう。
決闘は紳士的な方法で行われ、勝利者、敗者ともに、納得の上けりがついた。
はっきり言ってすごいことだと思う。
「貴史、ここまで知ってしまった以上、『裏・ノート』なんてもう書けないよ」
貴史もうなずいた。
「そだな。立村は班ノートにおいて本当のことを書いたんだ。あれを嘘だと言って売り込むことは、もうできねえよな」
「他の女子に伝えることはもう出来ないよ。嘘、吐きたくないから」
「わかった。立村には何気なく、『裏・ノート』に飽きたって、言っておく」
「はっきり言ったらいいのよ。あのことが本当だってわかったけど、私も貴史も、なんとも思ってないって。立村くんはきっと、本当のことがばれたら縁を切られるって思っているよ。そんなことないからって、言ってあげれば」
「でもな、どうやって知ったのか、聞かれたらどう答えるんだよ。美里の昔の相手と」
「そんなんじゃないってば!」
かっとなって私は叫んだ。
「貴史が思っているような下品な相手じゃないんだからね。何考えているんだか、もう」
「手を握り合っていたくせに」
「あんたってばあ!見ていたのね!」
「見るもなにも。仕方ないだろ」
「あんたもまさか、私が男ったらしだって言いたいつもりなの。最低!」
「ばあか、美里がめろめろに惚れているのは立村だけだってわかっているって。少なくとも杉浦には勝てるだろう」
聞きたくない名前が貴史の言葉に出てきて、私は手を口に当てた。こぼれてきそうだった。
「どうした、美里」
貴史は私の顔を下から見あげた。私がなぜ動揺しているのか、わかっているかのようだった。
教室を出る前に私はこっそり通りすがりの振りして約束を聞いてしまった。
聞こえてしまったんだもの、ほんとは盗み聞きなんかじゃない。
加奈子ちゃんと立村くんの、何か訳ありな雰囲気が気にならないわけじゃなかったけど。
──本品山中学の前で、あとで。
なんて、なんで彼氏もちの加奈子ちゃんがそんなところ指定したんだろう。
よりによって、本品山中学の前でなんて。
立村くんの立場だったら死んだって行きたくないところじゃないの。
「貴史、男子の間で、立村くんが好きな女子って誰だと思われてるわけ?」
もう隠しても無駄。思い切って「好きな」という言葉を使ってみた。貴史は驚くこともなく、
「誰って、なあ。あいつ好みのタイプ言わないからわからねえよ」
あっさり答えた。なあんだ。気にしてた私がばかみたい。力が抜けた。
「加奈子ちゃんってこと、ないよね」
「なんでお前杉浦にそんなこだわるんだ?」
このあたりでけげんそうな顔をする貴史。どうやら私が立村くんのことを気にしているのは感じているけど、加奈子ちゃんとの関係については今ひとつピンと来ていないみたいだった。説明の必要ありだろう。付け足した。
「だって、立村くんと加奈子ちゃん、影でこっそり会っているみたいなんだよ。今日も帰り、本品山中学の前で待ち合わせの約束していたんだもん」
「奴は今ごろ、菱本先生につるしあげられているだろ、違うのか」
「終わってから後で、本品山で待ち合わせするって」
「んな遠くでなんで会わねばならないんだ?」
「私だってそんなの、わかんないよ。だってそんな」
身体がぶるっと震え、私はフードをかぶった。
「杉浦の相手は浜野だといっていたな」
貴史もコートの先を軽く引っ張った。
私の耳もとに確認するかのよう、尋ねた。
「相手が品山だったら、立村が知らねえことはねえだろうな」
「だよね、だよね」
「何かあるな」
突き当たったらしい。貴史の表情がだんだん険しくなっていく。
空を見上げ、ふっと息を止めたふうに私の目をじっと見た。
「あいつ、杉浦に横恋慕していたってことか」
私は貴史に答えず、ただ黙って目を見つめた。
絶対に、口に出してほしくなかったこと。でも貴史がそう感じるのだから、受け入れなくてはならないこと。私と同じ、ひとつの答えにたどり着いたのならば、それはきっと真実だから。
「男子の方では杉浦の噂、聞いてねえな。美里、その噂は女子から流れてきたのかよ」
「私も、最近聞いたの」
がしゃんと気持ちが割れそうなのをこらえながら、私は一言ずつ質問に答えた。
「二人っきりでいたらしいのが、夏休み後。最近も、そういうこと、あったみたい。B組の琴音ちゃんが話していたんだ。甘い雰囲気じゃなかったみたいだけど。でも、私のことも話していたみたいなんだって。なんでかわかんないけど」
「屈折した奴。よりによって惚れた女子が、因縁の相手ときたかよ。ってことはだ美里」
貴史の口調は不意にやさしくなった。
「杉浦は、立村を振りたいんじゃねえの?」
答えが一緒だったはずなのに、いきなり分岐した。肩から力が抜けた。思わず首を振った。だって、そんなの、変だ。繋がらない。
「どうしてそんなことする必要あるの?」
「今、俺たちの推理が当たっていたとしたらだぞ」
貴史はてきぱきと説明してくれた。
「相手がいる杉浦としたらたまったもんじゃねえよな。とっくの昔に付き合ってる奴がいてだ。その相手が犬猿の仲と来て、しかも三年間クラス替えはなし。追っかけられる立場、んなことになったらどうする、美里」
「私ならば、たぶんあっさり切る」
「だろ。ただ、美里のように冷酷でなければ、断る方法を考えるだろうなあ」
「あんたがこずえにしているように蛇の生殺しの方がもっと残酷だと思うけど」
「俺のことはどうでもいいだろ。素直に聞けよ」
言葉は命令調なのに、なぜかやわらかかった。
「お前の知っている杉浦って、どういう感じなんだ? あんまししゃべらねえからよくわからねえけど」
「おとなしいよ。気持悪いくらい。どのグループにもうまく混じっているって感じで。どう考えても、番長タイプの男子と付き合うようには見えないな」
「立村に惚れているってことは、まずないな」
「ない……と思う。わからない」
断言できなかった。貴史は私の顔を見ず、空を指差し名探偵気取りで続けた。
「杉浦が自分の付き合ってる奴を本品山中学の前で見せ付けて、立村を振っちまおうってことはありえねえか? いっつも学校でふたり仲良く帰ってるって話だろ? それならそういうとこを見せ付けて、あきらめろって伝えるってか 」
「ずいぶん面倒なやりかたよね。直接言えばいいのに」
「言えねえだろ。誰もが美里じゃないんだからな」
するすると考えがまとまっていった。私の頭の中でつながらなかったピースひとつひとつがぴったりと収まり、貴史の推理に絡み合っていった。
文集委員に選ばれたことを知っていたのも、加奈子ちゃんの名前を出されたことに動揺していたのも、立村くんがずっと気にしていたためと考えれば納得がいく。
たどり着いた結論に、涙が出そうだった。でも泣かなかった。貴史の前でも、がまんできた。ごくんと咽の奥の塊を飲み込んだ。
「やはり、それしか、考えられないよね」
「もしそうだとしたらどうする」
「わかんないよ。そんなこと言われたって。立村くんの気持ちを私が変えられるわけないじゃない。自分の気持じゃないんだから」
「お前らしくないこというなよ。まだ決まったわけじゃねえだろ。俺だって、半信半疑だって」
貴史はぐるりと私の前を自転車ひきながら回り、戻ってきたところで言い切った。
「どうしても気になるなら、美里、決着つけて来い」
「え?」
耳を疑った。
「本品山中学であいつと杉浦が何をしようとしているか、確認してこいよ。どうせ、お前は知りたいことをとことん知らなくちゃ気がすまないだろ」
「貴史、あんたも来てくれるの」
「ばかやろう。これはお前の問題だろ、勝手にしろ」
すごい勢いで耳もとの風がすり抜けた。貴史が自転車を反対方向に向けて猛スピードで走り抜けた後だった。ぴりぴりとほおの粘膜を差すような冷たい風だった。ぎゅうと、泣くような風の音。かさかさするような、呼吸の響き。
すべて私の中に流れ込んだ。答えは一つだった。
私は本品山へ向けて、自転車を漕ぎ始めた。