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その八 夕暮れの再会

「あとで食い物代返せよ!ったく、金かかることしか考えてねえ奴だっ!」

 貴史が激怒するのももっともだ。羽飛家の小遣い額は小学校時代・千円、中学で三千円、高校入学後一律五千円と定められている。

「ちくしょう、絶対、中学に入ったらバイトしてやる!」

 これが貴史の口癖だった。

 もっとも学校側では事情のない限りアルバイトは禁止となっている。願い、果たせずにいる。

「だからさ、今のうちにバイト先の下見しておけばいいでしょうが。ここの店、時給五百円ってことだしちょうどいいんでない?」

「ハンバーガー屋かよ。んな人の多いところにいたら、一発で補導されるに決まっているだろ。そのくらい頭働かねえのか、お前は」

「じゃあ他にどういうバイトある? お正月のしめ縄飾り売りだったら学校でも許可出ると思うけど、年末まで待たなくちゃ」

「ちくしょう、父ちゃん母ちゃんはバイトオッケーだっていうのに、なんで学校では禁止なんだあ? 納得いかねえ」

 ななかまどはすでに枝から落ちていた。十一月、半ば。かすかに光る太陽。夕暮れ色の橙に刻々と食いつぶされてゆく。貴史と私はその太陽を無視してハンバーガーにかぶりついていた。

「このあたりって、青大附中の奴って見かけねえよなあ」

「制服、みな学生服だよね」

 客の中で私たちの姿は明らかに浮いていた。目立たないトイレの前にあるボックス席を押さえたのも、その意識からだ。黒い学生服の集団に飲み込まれてしまい、変な記憶のされ方をしてしまうだろう。青大附属の制服、いったん家に戻って着替えてくればよかった。

 家から品山まで自転車で三十分以上かかった。放課後、無理やり貴史を突き合わせ、私は勢いで濃いできてしまったというわけだった。もし一晩置いて考えたとしたら、そこまでの気合を保てないような気がしたからだった。

 

「小学校で言えば、この店、品山小学校と本品山小学校の中間地点ってとこよね。立村くんもこの辺で遊んでいたんじゃないの」

「金があれば、の話だろ。小学生の懐事情よく考えろ。お前だってそうだろが」

「どうしてあんたはそうお金に対してわびしいことばかり言うのよ」

 小遣い額五千円に加え必要によってはプラスアルファーしてもらえる、我が家の経済的余裕を見せつけるようにポテトを追加した。

 指差して、貴史に促した。貴史はもぐもぐと礼も言わずに食べつづけた。

 どう見たって、私と貴史がデートしているようには見えないだろう。えさを与える飼い主って感じだ。

 ──絶対、立村くんには見られたくない。


「ところでだ、さっきの話」

 口に塩のつぶつぶをつけたまま貴史は切り出した。

「本当にそいつが、立村の過去を知っているのかよ」

「わからないけど、本品山中学に通っているって言ってたよ」

「けど、立村とは顔を合わせたことがないんだろ」

「小学校が違うからね。あの児童館に立村くんは出入りしていなかったから、まずないと思うんだ」

「じゃあ、もし、かすっていたらどうするんだよ。美里、そいつに連絡したのかよ」

「今から呼び出すに決まっているじゃない」

「どうやってだよ」

「もうちょっと待とうよ。貴史。もう少し店が空くまでさ」

 私はオレンジジュースを飲み終えた。氷をストローでかちゃかちゃつつき溶かした。

「班ノート、見せて」

 問題の一ページ。

 ──表か裏か。

 立村くんは裏を主張していて、私と貴史はひそかに表と読んでいる。


十一月十四日 班ノート 立村 上総


 誰にも言いたくない過去はあるだろう。いじめで自殺した中学生の話を聞きながら、いろいろ考えたことがある。

 僕の経験したことに多少似ていたからだ。

 理由はわからないが僕はずっと「いじめられっこ」といわれる人間だったと思う。そんなに人より目立つようなことはしなかったし、むしろ引っ込み思案だったんじゃないだろうか。でも、されたことは、例の中学生とほとんど変わらなかった。

 特に四年生の頃は、何度も死のうと思った。

 五年生の時は、学校に毎日、出刃包丁を持っていった。

 六年生の時は、あぶなく人を殺しそうになった。

 追い詰められると、何をしでかすかわからないと、その時感じた。

 でも僕はまだ救われていた。中学は青大附中に行くことになっていたし、過去のことを気にしないで友達になってくれる同級生がたくさんいた。

 過去を振り捨てることができたと思う。

 でも自殺した中学生の場合、小学校から高校までずっと、加害者の同級生と顔をあわせていなくてはならない。十二年間いじめられ続けるくらいなら、死を選ぶ彼の気持が、僕には痛いほど、よくわかる。

 ただ、彼には自分を殺すよりも、相手を殺してほしかったと思う。罪になったとしても、生きている方がはるかに幸せだったと思う。

 本当はこういうことを書くつもりではなかった。永遠に忘れてしまいたかった。でも、このクラスの人は、きっとそういう僕の過去をも受け入れてくれるだろうと、信じている。


「あれは、本当にしめられてねえば、書けねえよ」

 貴史はもう一度ノートを取り返し、問題の個所を読み返した。

「これから榎本を呼び出して、立村くんが殺しをやらかしそうになったとかそういうことがわかれば、あの班ノートは表と裏、本当のことだってわかるわけね」

「知って、そうだったらどうするんだよ」

 貴史は最後のポテトをかじり終えた。

「加奈子ちゃんから取り返す」

 さっぱりぴんとこない顔で、貴史は

「杉浦か?」

 と問い返した。私も返事はそれ以上せず、テレホンカードを胸ポケットから抜き取り、立ち上がった。生徒手帳にはさんである。

「そいつを、呼び出すのか」

「貴史、スタンバイ、お願い」

 私が、電話ボックスの陰からトイレ正面のボックス席を覗きこむとと、貴史はその斜め後ろに位置する、カウンター席に荷物を移動させていた。

 十分声の届く距離だった。


 榎本の電話番号を手元に残しておいてよかった。古い住所録はまだ処分していなかった。

 ──こんなかたちで、また逢うことになるなんてね。

 大きく息を吸って、ボタンを押した。

 三回コールした後、聞き覚えのある男っぽい声で「はい」と名乗った。すぐに私は「清坂です」と自分の苗字を告げた。すぐに声音が代わり、ちょっとくだけた感じで返事してきた。

「清坂、か。俺です」

「うん、元気?」

 私はできるだけさりげなく言ったつもりだったけど、榎本の方はなんとなくしゃちほこばっていた。貴史に全部今の会話聞かれているわけだし私は私でしゃきしゃき返事できるわけだけど、榎本がそんなの気付いているわけもない。

 まずは用件を伝えることにした。

「あのね、今、あんたの学校の近くに用があって来たんだ」

「ふうん」

「ハンバーガー屋さん、知っているでしょ。すぐそばだよ。本品山中学の」

 榎本ははっと息を呑んだようだった。しばらく沈黙が続いた。

「でね、ちょっと、榎本に教えてほしいことがあるんだ。出てきて、ちょっとだけ、話、しない?」

「俺の家なら駄目か。今誰もいない」

「いいよ、私、おごるから」

 きっぱり答えた。

「じゃ、私、来るまで待っている」

「え? おい、清坂、どうかしたのかよ」

 慌てた声がびんびんと響く。私は店の名前を二回繰り返した後、一方的に受話器を置いた。貴史とすれ違いざまに目が合った。軽くうなずいた。元いたボックス席に分かれてひとりで座り、かばんから薄いアルバムを取り出した。

 秋の写生会の際、菱本先生が写したスナップ写真と、クラス団体写真が混じっていた。

 班行動も多かったから、メンバーも同じ顔ぶれだ。

 中に一枚だけ私と立村くんが斜に隣り合っている写真が挟まっていた。別にツーショットを狙ったわけじゃない。立村くんの隣にいたはずの貴史がたまたまフレームに入らなかっただけだ。

 ひそかに一番のお気に入り写真だった。 

 あまり待たされないだろうとたかをくくっていたけど、やっぱりすっぽかされたらどうしようって気にはなる。貴史とはもちろんしゃべることができない。退屈だけどしょうがなかった。

 

 榎本が姿をあらわしたのは夕暮れも終わりかけの頃だった。一目で気付いた。手を振り、トイレの前のボックス席に榎本を呼んだ。榎本は漂白したジーンズに、濃紺のTシャツを表出しし、黒いジャンバーを引っ掛けていた。ジーンズが少しきつそうに見えた。

「来てくれたんだ」

 アルバムを閉じ、ほろっとつぶやいた。

「待っていたんだろ」

 ジャンバーを脱がないまま、榎本は私と向かい合わせに座った。私が制服のままで来たのにびっくりしただった。

「学校から、まっすぐきたのか」

「家から青大附属、遠いもの。それよりなんか頼んだら? 私おごる」

 すぐに本題にはいりたかったが、そこはがまんした。。

 榎本はコーヒーを二杯分運んできた。さっき貴史と飲んでいたジュースは氷を溶かした分まで飲んでしまい、もう空っぽ。手持ちぶたさの私の分だった。

「私、頼もうと思っていたんだ。いくらだった? 払うよ」

「俺のおごりだって」

「そういうのなんかやだな」

 財布を取り出し二人分、四百円を取り出すが、榎本は受け取らなかった。

「俺に聞きたいことって、なんだよ」

 指先を榎本はカップの柄で冷やすようにしていた。その指を私の持っているアルバムに向けた。私はまだ、アルバムを閉じたままにしていた。もちろん榎本に見せるために持ってきたものだから、勝手に見てもらおう。

「これ、見て欲しいんだけど、いいかな」

 私は真中あたりの写真を見開きにして差し出した。どの写真にも撮影年月日が入っている。九月の初め、二学期直後の頃だった。

「青大附属の遠足か?」

「本品山でも行くでしょ」

「まあな、でも附中って写生会やるんだなあ。すごいよ。俺たちなんて、登山遠足だぜ」

「あ、それなら五月に終わっちゃった」

 榎本の通っている中学とは違うのりみたいだった。やっぱり青大附属と公立中学って、そのあたりも違うのかなって思った。

「なぜ、ジャージを着てないんだ? みんな制服だよな」

 事細かに聞かれた。聞かれてみると確かに制服で遠足に行くのって違和感がある。

「前開きの白いジャージで水色のラインが入っているの。薄い色だとすぐ汚れるから、二着買っておくのが常識なんだ」

「俺たちなんかだっせえかぶりの芋ジャージだぜ、いいよな、前あきだったら、すぐ脱げてさ」

 榎本は二、三ページめくり、また尋ねてきた。

「こん中に俺の知り合いでもいるのか」

「いたら教えて欲しいの」

 私は立村くんの写っているページへの反応を注意していたけれど、榎本の指先に反応は見られなかった。例のツーショット写真も、榎本にはすれ違いの一枚としか見えなかったらしい。ページが揺れるたび息が止まった。

 全部見終わって、榎本は私に向き直った。どうやら何かぴんとくるものがあったらしい。

「一人、もしかしてって、奴はいるけど」

「誰?」

「この子。よくこの辺で、クラスの奴と歩いている」

 指差したのは、女子班員三人のスナップ写真だった。

 私、こずえ、そして加奈子ちゃんがアップで写っている。

 膝を抱えて加奈子ちゃんは微笑んでいた。

 榎本の指は、加奈子ちゃんの顔真っ正面を突いていた。


「週に一回は必ず、校門のとこで待っているんだ。本品山ではちょっと有名だなあ。友だちの彼女なんだってさ。青大附属の制服着ているから、清坂のこと知っているかなあとは思ってたけどな、やっぱり友だちの彼女だし聞けねえよ」

「それっていつから?」

「入学してからすぐ。そいつがいうには、六年の頃から付き合っているって」

「でもこの子、この辺に住んでいないよ」

 加奈子ちゃんにそのあたりは聞いていた。小学校、品山の方じゃないはずだ。

「友だちの方が品山なんだ。彼女は確か、塾で知り合ったって言っていた」

 貴史が週刊誌を丸めている音が聞こえた。音が響く。聞き耳を立てているようすだ。

「ねえねえ、じゃあ、榎本にも品山小学校出身の友だちって、結構いるの?」

「そりゃあいるに決まってるだろ。同じ学区内なんだしな。それがどうした」

「私が知りたいのは、品山小学校のことなんだけどね」

 加奈子ちゃんがうろついている理由も気になるけれど、まずは本題に突っ走った。一番大切なのは立村くんのことだもの。まずははっきり切り込んだ。

「品山中学って、いじめとかあったのかなあ」

「俺、本品山小学校だし、そんなに長くいたわけじゃないから、わからねえよ」

「ちょっとくらいは聞いていない? その、品山の友達とかからは」

「女みたいに噂話なんて、そうしねえよ」

 無駄かもしれない。でも私は食い下がった。正攻法をあきらめ、方向を変えて突っ込むことにした。コーヒーは苦く、スティックシュガー一本では甘さが足りない。榎本が使わなかったもう一本をもらって入れた。

「じゃあさあ、品山小学校の友達で、ボスっぽい奴っていなかった? 品山小学校って一学年三クラスしかないって聞いてたんだよね。六年間同じ顔ぶれだから、みんな顔覚えてるって言うし」

「そんな奴のこと調べてどうするんだよ」

「榎本に紹介してもらおうかな」

「清坂をどう紹介すればいいんだよ。別に俺の彼女ってわけでもないし」

「友だちでいいじゃない」

 あっさり流してみたものの、どこか榎本の口調がひっかかった。

 そりゃあ、別に彼女じゃない。

「やだよ、こっちの立場も考えろ」

 だいぶホットコーヒーの中身も減っていた。口にするたびにぬるい苦味が舌に転がった。冷えていくのを確かめるたび、私は榎本といる時間が間延びしていくのを感じた。

「ちょっと待っていろ、思い出してみるからな。清坂は要するに、品山小学校のバトル関係を知りたいんだな。何か、ひどいことされそうになったかして」

「もしかして、聞いている?」

「もうちょっとだ、思い出せるかもしれない」

 私は両手でカップを抱えた。

「品山で番を張っていたとすれば、浜野かな。もしかして、あれかな……」

 榎本は、しばらく独り言を繰り返した。『浜野』という名を何度かつぶやいた。

「違うかもしれねえぞ」

 語り出した。私のカップもゆっくりと、テーブルに下りた。


「浜野ってのは、あの写真の子と付き合っている奴なんだ。もちろん品山小学校出で、結構押しの強い奴でさ。サッカー部のエースになるんでないかって噂もあったんだけど、いろいろあって今はベンチ。けど、先輩たちもあいつには一目置いている。まあ、品山の元同級生が言うには、いじめなんかする奴じゃないんだ」

 「いじめ」という語句に力を入れるところが怪しい。私は頷いた。

「いじめがない学校じゃねえってのは認めるよ。一学期の半ばだったか、一年の間で気にいらねえ奴を相手に『解剖』やらかした奴は実際いたぞ」

「なに、その解剖って。サルのこと?」

「違う、気に入らない奴を閉じ込めて、素っ裸にするんだ。そのまんま廊下に押し出して、股隠す布だけ渡されてうろうろしちまうって悲惨な奴」

「やだ、それ放課後? もちろん、そうだよね」

 榎本は目をそらして話を続けた。

「やられた相手はいわゆるちくり魔で、一言で言っちまうと嫌われ者だったんだ。はっきり言うけど同情する奴は全然いなかったんだ。むしろばれてしまった段階で、服を脱がした連中を助けたいって意見の方がわさわさ出てさ」

 脱がされた奴がどんな相手だったかにもよるけど、私は素直に頷けずにいた。榎本の話を黙って聞きながら共通点を探していた。何かが見つかりそうで、見つからない。

「浜野がもし、その『解剖』事件を無視してたら、たぶんいじめってことにはならなかったと思うんだ。学年みな、やった連中に対して同情的だったし。けどな、浜野の判断は違ってたんだ。俺も驚いた」

「浜野の判断? 何したのよ」

「実行犯をあとで呼びつけ、ぶん殴った。それでチャラ」

「どうして榎本、そこまで知っているのよ」

 私は慌てて確認した。

「それ以前に、学校側にその皮むき事件、ばれたわけ? それで怒られたわけ?」

「一応ごまかした。やられた奴も反省して、それ以来一切ちくらなくなったから、徹底無視してるだけだ」

 ということは、「解剖事件」そのものがなかったことにされたってことだろうか。

 けど、いくら男子だっていっても、丸裸にされて前隠すものしか渡されず廊下に突き出されるなんて、これこそ一種のリンチだろう。青大附属だったら停学ものだ。

 私がそのことを尋ねると、榎本は身体を丸めて一口コーヒーをすすった。

「まあ聞けよ」

 息を整えた。

「浜野が言うにはな、『ああいうひ弱な奴ほど、一度切れたら何をしでかすかわからないんだぞ。あまり追い詰めるな。ちくりをやめさせたいんだったらもっと他にやり方あるだろが』ってな。実行した奴らの中には、浜野と同じ小学校出身の奴もいて、なんか猛烈に納得してたんだ。思い当たる節があるっていうか」

「思い当たる節」

 だんだん繋がっていく。浜野という男子が品山小学校出身という以上、立村くんのことを知っているのは確実だろう。もし立村くんがその「解剖」の場所にいたとしたら同じく頷いていただろう。思い当たる節があると、言っただろう。

 疑問を感じた私に、納得顔で榎本は続けた。

「俺もその時、変だなって思ったから、あとで品山の奴らに聞いたんだ」

「何を?」

「浜野は小学校の頃、クラスで嫌われてた奴に卒業式の帰りに決闘を申し込まれて、そこでぼろ負けして以来、性格が変わっちまったって」

「へえ、番張ってた奴が負けたの」

 繋がる繋がる。答えがだんだん、立村くんの綴った「班ノート」に繋がっていく。


「土手のサイクリングロードがあるだろ。川沿いの」

 わかるわけないのに榎本は、店の奥を指差した。

「土手に落っこちるか落ちないかってとこすれすれで自転車をぶつけ合ったらしいんだ。で、浜野は嫌われ者に突き落とされて、ひでえけがしたらしいんだ。かなり後遺症が残ったってたから、そうとう酷い怪我だったんだろな。けどあいつの出来たとこは、本当のことを全部自分の胸に収めたままきたらしいんだ。もちろん事情はばればれだったし、同じ小学校の連中も犯人が誰かくらいはわかってたらしいんだけどな。浜野の意志で、絶対に誰にも言うなってことで緘口令敷いたんだと」

 緘口令、だなんて、大げさな言葉使うほどのことだったのだろうか。

 後遺症、だなんて、そんな事件起こしたら表沙汰にならないわけないのに。

 ──六年生の時は、あぶなく人を殺しそうになった。

 立村くんは確かに「班ノート」へそう書いていた。

「もっとわかりやすく教えて。浜野ってどんな感じの奴なの」

 あくまでも興味本位、という顔で私は榎本を促した。なんとなくだけど榎本は調子に乗り、軽軽しい言い方をし始めた。私がだんだん気が重くなっているのを気付いていないようだった。 

「基本的には口より手が先な奴だけどな。結構面倒見いいとこがあってさ。よっぽど腐った奴でない限りぶん殴ったりしねえよ。あいつ、よく言うんだよ。『小学校の時の自分はいやってほど、いきがっていた』ってな。例の彼女がきっかけで、人生変わったってじじい臭いこと、たまに言うんだよ。ほんと、すっげえいい奴だよ、浜野は」

「あんた相当、浜野のこと、好きなんだね。けど榎本みたいな奴とあんたが付き合ってるってのは、正直、びっくりよ」

 私は正直な気持ちを口にした。

「清坂も会ってみたらあいつの良さ、わかるって」

 ──加奈子ちゃんの彼氏よね。

 まだ頭の中が混乱していて整理しささっていない。私は目の前の榎本をじっと見つめ、背中に感じる貴史の視線を跳ね返そうとした。テレパシーなんてないから伝わるわけないんだけど。紙コップのコーヒーに口をつけるけど、だんだん甘ったるくなってきて、胸のところがむかむかしてくる。どうしてなんだろう。しかたない、口に出してみるしかなかった。

「榎本、ひとつ聞いていい?」

 私は榎本に尋ねた。

「あんたなんでその浜野って奴と仲良くしているの?」

 突拍子もない質問だってわかっている。だけど、聞かずにはいられなかった。コントロール不能状態だ。

「今の話聞いた限りだと、いくら相手が嫌われ者だとしても、浜野がやってたことっていじめだと思うよ。いくら今更反省したって、いじめやった過去は消えないと思うんだ。そんな奴とつるんで、あんた楽しい? それにもう一つわからないんだけど、なんであんた、浜野からそんな過去聞き出すことできたの?」

「そりゃ偶然」

「偶然にしては変だよ」

 コーヒーが少し温み、やがて冷えた。

「あんたってさ、小学校の頃はあまり押しの強い奴って好きじゃなかったよね? 私の知ってるあんただったら、そのちくり魔くんや嫌われ者の男子にもっとやさしい言い方する奴だと思ってたよ。なのに中学に入ったとたん、いじめる立場の奴と仲良くしてるわけなんだ。いじめられて当然の奴だなんて言うんだ。まさかあんた、その『解剖』に参加してたなんてこと、ないよね」

 一秒前までは考えていなかった言葉が、溢れ出してしまう。

「そこであんた、張本人として浜野に殴られてたなんてこと、ないよね! それがきっかけで友だちになったなんてこと、絶対にないよね!」

 榎本は無言で答えなかった。

 

 榎本はどちらかいうと、自分から行動を起こすタイプではない。私がななかまどのジャムを受け取った時も、児童館でなんとなくさよならする時も、そして一年前のあの時も何もしようとしなかった。

 あの頃の榎本だったら、浜野タイプの番張るタイプに惹かれて友だちになるなんてこと、絶対にありえないだろう。確証はないけど、「嫌われ者」とされていた男子の味方でいるはずだ。たとえちくり魔だったとしてもそいつを素っ裸にしようなんて考えるわけがない。

 けど今の榎本が口にする言葉はみな、浜野サイドから発したものばっかりに聞こえた。

 そんな奴じゃなかったのに。 

 今は、児童館に入れない二人。

 制服を脱いでも、戻れない。


 しばらく言葉が途絶えた。

 なんと相槌を打てばよいかわからず、私はうつむいた。今の榎本が、浜野という腕っ節の強い奴とつるんでいるという事実が、まだぴんとこなかった。ただそれで変わってしまった榎本晶という男子が、そこにいる。私はただ、榎本の言葉をまっすぐ受け止めることしかできなかった。

「さっきの続き、話して。その浜野って奴が小学校時代したこと、わかる範囲でいいから」

 話を逸らす形で、私は促した。榎本もしばらく紙コップを見つめていたけれども、意を決したように口を切った。

 殺されかける。殺そうとしたこともある。

 私は『十一月十四日』の一節を頭の中で繰り返した。

「その日、浜野はその相手に呼び出されるかなにかして、川沿いのサイクリングロードで待ち合わせたらしいんだ。闇討ちじゃなくて、決闘だと言っていた。ほら、向こうの川沿い。サイクリングロードに入る直前の踊り場で、自転車でぶつけ合い、倒れたほうが負けというルールを決めたらしいんだ。けど浜野も男子同士の決闘なんてめずらしくなかったし、普通にやれば負けるなんて思っていなかったらしいんだ。ところが、その相手はものすごい勢いで浜野に向けて突進してきて体当たりしたきたって。気が付いたらサイクリングロードを見上げる格好になって、全身を思いっきり打って、しばらく動けなかったんだって」

「決闘ならなんで他に立会人つけなかったのよ」

「知らねえよ。ただ、それ以来人生観変わったって」

 ぽつっと、榎本は呟いた。唇を手で拭った。

「そのことをされた理由も、されてしょうがない理由も、わかったような気がしたって。だから、仕返ししようとは思わなかったって。なぜ自分が、そういう気持になったのかを、考えていくって」

 私は手元のアルバムを撫でながら、三ページ目の写真に指を伸ばした。

 立村くんとの、なにげなくツーショット。


「浜野って奴、性格、いい奴かもしれないね」

 榎本の目をじっと見据えた。素直に言えた。

「けど、もう、逢わないことにしようね」

 私は席を立った。コートを羽織った。夕暮れは落ち、藍色の闇に包まれ、ファーストフード店のライトだけが場違いに明るく輝いていた。外のくらみに身体も溶けていきそうだった。眩暈がしてふらついた。榎本が慌てて追いかけるように立ち上がった。

「待てよ、清坂」

「ごめんね」

「送ってってやるよ」

「いい、大丈夫だから」

 貴史がいるから、とはいえなかった。後ろの席で貴史は身動きせず、雑誌をめくっていた。

 ──このまま、動かないでいて。

 ──とにかく外に出たいだけ。

 

 ごみを捨てて、私と榎本は店を出た。

 自転車の鍵を探しはずそうとした。隣に榎本がしゃがみこんだ。

 指がかじかんで、うまくはまらなかった。

「貸せよ」

 榎本の指は軽々とチェーンロックをほどいていった。

 ありがとう、とつぶやくつもりが、咽元に消えた。

 熱いものが指先に走った。榎本の手のひらが私の指を包んでいた。

 背中に人通りのあるのを感じた。榎本の指先は離れなかった。

「なんで、これっきりにしたいんだよ」

「だって、あんたの目が」

「俺の目がなんだって言うんだよ」

 私を見つめている時はいつも、児童館の失われた思い出を通してなにかを探している。児童館で卓球をしていた頃の、まだ幼い私を探している。

 ほろ苦い、ななかまどのジャムをなめて、あの時確かに私は榎本のことを思っていた。

 もう、どこにもいないのに。

 口篭もり、私は一番自分に近い言葉をひっぱりだした。

「もう私、あんたの味方、してあげられないもん」

 指が離れた。自転車の鍵がほろりと落ちた。

「だから、これっきりにしようね」

 榎本は言葉を失ってしゃがみこんだままだった。


 もし私が立村くんと友達でなかったならば。

 貴史と同じような親友でいられたのに

 でも、もう私は榎本と同じ場所にいられない。

 

 私はペダルを漕ぎ始めた。私の電話番号、住所も、榎本には一切教えていなかった。榎本が知っているのは、青大附中の清坂美里、それだけだった。

 干からびたななかまどの実をつぶしながら一本道に入ると、後ろから軽い軋み音が近づいてきた。振り返るとサドルの異様に高い自転車が後ろに見えた。貴史が追いかけてくる音だった。

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