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その七 ほんとうのことを知りたいけど

 廊下の窓からはななかまどのひからびた実が、ふらふら揺れているのが見えた。

 もう分厚いコートを着ないと耐えられない時期に差し掛かっていた。

 ──明日からダッフルコートで学校に来ようっと。

 評議委員会の時に試し塗りさせてもらったリップクリームの、ちょっと濃いめの色を今度買っておこうと決めた。そっちの方が断然、可愛いから。

 

 次の日、立村くんに『高校入試レベルの数学問題』の答えを手書きして渡した。

「いつもありがとう、なんだか、申しわけないな」

「いいよいいよ、お互い様なんだから。今度借りは英語で返してもらうからね」

 軽口を叩きながら席に付き、隣の加奈子ちゃんをちらっと見やった。

 準備万端、教科書、問題集、ノートを開いていた。

「おはよう、加奈子ちゃん」

 おだやかな笑顔が返ってきた。

 加奈子ちゃんを見た限り、私と立村くんに対してやきもちを焼いたそぶりはない。

 まだこずえは来ていなかった。

「私、この問題、難しくて途中までしかわからなかったの」

 抑揚のない声で加奈子ちゃんは私を見てもう一度微笑んだ。

「清坂さん、どう解いたの?」

「どの問題かなあ。加奈子ちゃんが当たっていた問題ってどれだっけ」

「ううん、それは大丈夫なの。この、問題なの」

 指差したのは、立村くんが当てられたのと同じ、星印三つの問題だった。

「いちおう、うちでやってみたんだけど、難しいの。できなくて。清坂さん、よかったら教えてね」

 ざわつく気持を落ち着かせながら、私はノートを開いた。立村くんに渡したとおりの答えを、そのまま加奈子ちゃんに見せた。すぐに加奈子ちゃんはそれをノートに写した後、

「ありがとう、やはり、予習しておいた問題が解けないのって、おちつかないから」

 お礼を言ってくれた。私の表情が硬くなったのには気付かない様子だった。


「やったあ! 今日も自習だあ! ラッキーっ!」

 貴史がチャイムと同時に飛び込んできた。遅刻では絶対にない。だって私と一緒に学校へ来たんだもの。たぶん、職員室で油を売っていたんじゃないだろうか。生活指導の先生に、服装の乱れをチェックされて、ついでに世間話してきた可能性が強い。

「貴史、ねえねえ、本当に今日自習って言っていた? 数学、まだ私荷物取りに行ってないんだけど」

「まじまじ、数学関係の先生がみーんな、研修か何かに出かけるんだと」

 ここまでは私に、次に隣の立村くんに、それぞれ一言ずつねぎらいの言葉をかけた。

「よかったなあ、立村。今日も数学で地獄見ないでさ」

「拷問から逃れたってことだよな」

抑揚のない声で立村くんは答え、

「でも数学だったら、自習用のプリント用意されているかもしれないな。取りに行ってくるか」

 はっと私の方を見た。なにか思いついたって顔していた。

「とりあえず、問題集の借りは、ここで返しておくからさ」

「代わりに行ってくれるの? ありがと!」

 わざと隣の加奈子ちゃんに目がいかないように、無理やり顔を横向けている風に見えた。

 立村くんと入れ替わりにこずえが、「おっとっと」とか言いながら入ってきた。

「わあ、びっくりしたあ。今ごろ立村、どこいくのよ、朝抜いてくるの忘れたの」

 すれ違いざまに立村くんへ「朝の一発」をかましていた。なんかわからないけど、こっちが視線逸らしたくなるからやめてって言ってるのに。立村くんも無表情のままあっさり交わしていた。

「数学の自習課題、取りに行ってくるだけだよ」

「あれ、でも数学って美里の当番なんじゃなかったっけ? あんた数学ったら蛇蠍のごとく嫌ってるもんじゃないの、どういう風の吹き回しかなあ」

「だから、清坂氏の代わりに」

「ふうん」


 廊下に立村くんが出て行った後、こずえはすぐに隣へ座り込み、かばんから教科書を取り出しつつささやいた。肘でつんつんしてくる。にやつくのはやめてって言いたい。

「いい感じじゃない。美里の代わりだってよ、チャンスよチャンス」

「良くないってば」

 あくまでも、加奈子ちゃんに聞こえないように。こずえもそのことはよく気遣ってくれていたようだった。

「でも、ま、いっか。って感じかな」

「立村もずいぶん気を利かしたことするよねえ。そいじゃあとで、立村にかまかけてみっかあ。さてさて、美里のことどう思ってるかを、しっかりとチェック」

「変なこと、言わないでよ! 変なこと言ったらやだからね」

「大丈夫よ、絶対ばれないからってば。私を信用しなさいってば」

 こずえは親指立てて、ぐいぐいと二回私の鼻先に近づけた。

「立村っぽい性格の男子はね、うちの弟で十分扱い慣れてるからねえ。まだまだガキんちょ、大人の色香で一気に落としてやらなくっちゃね!」


 立村くんが大量のプリントを抱えて戻ってきた。この前の社会自習とは違い、数学の授業は前もって自習予定が決まっていたということもあり、ちゃんと自習用プリントを残していったようだ。あーあ、期待してたのにな。ほんとの「自由時間」になるって。一抱えもあるプリントを見て、クラス全員「ぶわあ」と大きなため息をもらした。訳すると「大きなお世話、うんざり」ってとこだろうか。私はすぐに立村くんの持っている分を半分受けとるため駆け寄った。評議委員の相棒としての義務だ。

「なにその量。一人何枚配れって言うのよ、信じらんない」

「十種類あるって言っていた。どうしようか、まず、分けてから全員に配るか」

 ──全部を自分で配るつもりでいるんだろうか?

 一人一人綴じたものを、いつも渡すものだと思っているようだった。なんというか立村くんって、そういうところ不器用というか、要領が悪いのだ。私もそのあたり、入学当初から気が付いていないわけではなかったけど、あえて言わないでおいた。知らんぷりしてさっさと私が仕切ればいいことだった。

「そんな面倒なことしなくてもいいよ。ね、給食台、きれいでしょ。そこに並べて、各自一枚ずつ取っていってもらおうか。それの方が楽だよ」

「そうしようか。全員に渡すなんて気が狂いそうになるもんな」

 許可が出たらあとはやるだけ。すばやく私は給食台の上に十種類のプリントを並べた。一声掛けた。

「悪いけど、上から一枚ずつ、もらっていってくれる? 全部で十枚あるから、間違えないでね」

 私語嵐が吹いていたけども、私の声はしっかりみんなに伝わったらしい。

「あーあめんどっちいなあ」

「こんなにプリントあるわけ? もうやだあ」

とかぐちぐち言いながら、全員が四方八方から手を伸ばし、あっという間にプリントを受け取っていった。給食台には一枚も残っていない。我ながら手際良し。満足満足。

 私はぼおっとしたまま立ちすくんでいる立村くんに、最初の段階で分けておいた分のプリントを渡した。

「立村くん、いつも自分ひとりで抱え込まなくていいよ。みんなにやってもらえることは、やってもらおうよ」

「うん、でも、なんだか仕事、さぼっているような気もするな」

 申しわけなさそうな表情でつぶやいている立村くんに、私は強い口調で言い返した。

「何言ってるのよ。立村くんはいつもやることやっているじゃない。評議委員として十分過ぎるくらいだよ!」

「ごめん、また変な」

「変なこと言ってないから、あやまんなくたっていいよ!」

 いきなりかあっとなりそうで、慌てて私は席についた。立村くんに私が今日、変なんだってことばれたらどうしよう。


 受け取った数学の自習プリントをシャープの先っぽでつつきながら、私は前の日にこずえが言った言葉を一言ずつ思い出していた。

 ──私ね、立村がいじめられていたとすれば、ガキのくせに背伸びしようとするあの性格に問題あったんじゃないかなって思うんだよね。言いたいことを言わないっていうのかなあ。自分で全部背負ってかっこつけたがるとこ、男子ってあるよねえ。美里も一緒にいること多いから、その辺、わかるよねえ。


 貴史が私に話した通り、立村くんは暗い過去を隠している。

 そう私は確信していた。

 たぶん、小学校時代にいじめられていたか何かしたのだろう。表の「班ノート」に書いてあったことも、多少は事実なのだろう。私以外の人にもきっとそれは伝わっているはずだ。こずえもなんとなく勘付いているようだし、なんてったって貴史が即、気付いたくらいなのだから。

 「たかが小学校時代のことなんて誰も気にしないよ!」なんて、私は言い切れない。

 半年前の私だったら絶対に、そういう男子と友だちづきあいなんてしていないに決まっている。もちろん外見でなんとなく、好みかな、とは思うかもしれない。だけど、自分のことを徹底的に隠そうとして白々しい嘘をつく男子なんて、最低、そんな奴とは縁を切りたい。たとえ今が完璧な人格者だったとしても、私は最初の印象を変えていないはずだろう。

 そう、たった半年しか経ってないのに。

 ──なんで立村くんにだけ、私、違うんだろう。

 私はただ、もっと、立村くんのことを知りたかった。 

 「裏・ノート」の奥に隠している本当のことを、全部聞いてあげたかった。

 小学校時代の私なら、もしかしたら立村くんを嫌っていたかもしれない。だけど今は違うのだ。私はあの頃の私じゃない。ひとつの嘘で全部立村くんを嫌っちゃうようなことなんてしない。本当のことを教えてもらえれば、ずっと私、友だちでいられると信じている。

 だから、話してくれたっていいじゃない。

──加奈子ちゃんじゃなくたっていいじゃない。


 思い立ったらすぐに行動せずにはいられない。

 チャイムが鳴った。数学の自習時間は終了だ。次の授業は英語。荷物運び当番の立村くんはすぐに職員室へ向かった。こずえも他の女子と何か本を片手にやり取りしている様子だった。席についているのは私と貴史だけだった。振り返って貴史の様子を見やると、かなり数学の自習プリントに難儀している様子だった。かなり難しい問題ばっかりだったものね。解けなかった問題は今日中に解いておかないといけない。今夜は私もそうだけど、貴史も徹夜になりそうだ。

「ちょっと待て、このプリント、量が多くて片付かなねえよ、美里お前どこまで解いた? あとで出来たところだけでも写しあおうぜ」

「そんなの後でいいから、ちょっと廊下まで来て」

 ちっと舌打ちしたけど、貴史も私に何か普通じゃないものを感じたのだろう。すぐに立ち上がり、ちろっとにらんだ。

「すぐだろ、廊下寒いだろうが。美里早くしろよ」

 まだ立村くんが教室に戻ってきていないことをざっと確認した後、私は廊下の窓際へ貴史を引っ張っていった。窓から糸をひいたような細い風がすり抜けた。首筋だけちょっとひんやりとした。

「貴史、ちょっと確認したいんだけど。あのこと、今でも調べている?」

「あのことってなんだよ」

「『裏ノート』の過去のこと」

 あいまいな言い方だったけれどすぐに勘付いてくれた。さすが永年の付き合いなり。

「……美里。だいたいもうわかっているだろ。あいつ本人が、本当のこと書いているんだからな。俺はもう、探る必要ねえんじゃねえかって思っている」

 十一月十四日の立村くん担当日記にあることはすぐに気付いた。

「ミイラ取りが、ミイラになったって、ことよね」

「まあな」

 貴史は目でちろちろとすれ違う生徒たちを見やりながら、用心深くささやいた。

「あいつは暗い過去を班ノートで作り上げたつもりでいるな。自分にはこういうことなんてなかったと言いたいんだろう。『裏・ノート』でもそう言い訳しているし」

「私もそう思う」

 ため息で返し、私も窓の外を眺めたまま呟いた。

「あんた過去を知って、立村くんと親友づきあいしたいって言っていたけど、それ、できる? 今」

「けどな、そんなに隠してえ過去なのかよ。女々しい奴だぜ。いまさら俺が、立村のこと嫌いになるなんてことないってのにな」

「あんたの言うことは正しいと思う」

 貴史の言うことはいちいちごもっとも。私のたどり着いた結論と一緒だった。少しほっとした。

「でもね、貴史。このまま、『裏・ノート』の存在を立村くんの計画通りに嘘八百並べていった場合、あとあととんでもないことになりそうな気がするの。」

「じゃあどうするってんだよ」

「本当のことをとことん調べるのよ! それしかないじゃない」

 私ははっきりと言い切った。

「なんで立村くんが『裏・ノート』 なんてこしらえてまで、小学校時代のことを嘘で塗り固めようとしているか、そのわけを調べるのよ。その上で、これからどうするかを決めるの。でないと、もし本当のことがばれた時、もう一度立村くんが嫌われてしまいそうで。私、それ、絶対いやだから。あんた、立村くんと親友でいたいんでしょ。嘘ばっかり信じていたら裏切られたって思っちゃうかもしれないけど本当のことを知っていたら、他の人たちから守ってあげられるじゃない」

 言葉が自分でもわけのわからないまま飛び出した。言おうと思ってなかったのになんでだろう。私から目をそらし、貴史は廊下の壁をつま先で蹴飛ばした。

「お前、立村の秘密を握って、さらに引き寄せようって魂胆かよ」

「そんなわけじゃないけど」

「美里ってそういうところは頭働くよなあ」

 明らかに勘違いされているけど、言わないでおいた。確かめたいことはひとつだけだった。

「貴史、手伝ってくれるよね」

 ──貴史と一緒だったら、絶対うまくいくに決まってる。


「お前って、やっぱり変な女だよな」

 貴史は答えを出さずに教室へ戻った。私も後を追おうとして、やめた。しばらく窓ガラスの側にたたずんでいた。

 窓を閉めれば、うごめく影。

 あんなことを言ってしまったけれど、本当に私は、立村くんの過去を受け止められるのだろうか。

 窓の向こうにはひからびたななかまどが見えた。手を伸ばせば届く。窓を開けて、きりつける風を除けて、つまみとることができるのだろうか。そして、本物のななかまどのように苦くて、甘くない答えだったら、私、どうしたらいいんだろう。


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