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その五 真打登場

 立村くんはトラッドっぽい薄茶のシャツをふわっと着ていた。微妙に色の濃さが強めのベストを羽織り、シャツのすそをきれいに外へ流していた。見た目寒そうに見えた。貴史の後からそっと、細く戸を開いて滑り込んだ。

「これで全員揃ったということだ、立村。ま、そっちに座れよ」

 貴史は美里の隣を指差した。私に手で、少し場所を空けるよう仰ぐようにした。

 明らかに戸惑った表情を見せ、立村くんは私と貴史の顔を交互に眺めやるとと、

「別に、いいなら」

 片腕に抱えていた黒っぽい羽織物を私の隣にそっと置いた。私に軽く頭を下げ、視線をさらっと流すように見た。

「結構、時間かかったんじゃないの?」

「だいたい、四十分くらい」

 私と立村くんとの境目に、黒いコート。

 そっと片手で触れた。

 ごわっとしていて、ぬくもりがなんとなく残っていそうだった。

 ──これが、あの、「とんびのマント」なのだろうか?

 貴史が階段を降りて立村くんの分ココアを運んでくるまでの間、私はできるだけ気付かれないようにそのコートに触れた。腕のあたりに切れ目が入っている。

「ね、立村くん、このコート、貸してくれる?」

「どうして」

「これって、『とんびのマント』なんでしょう。すごく似合うって貴史が言っていたよ」

「そんなことないよ」

 細い唇がかすかに震えていた。立村くんは自分のコートを後ろに追いやろうとした。

「見るだけだったら、いいでしょ。今、誰もいないんだから」

 返事を聞かずに私は一気にコートを膝の上に広げた。膝がたっぷり隠れる大きさで暖かかった。シャーロックホームズが着ている、小さなケープつきのコートの無地もの。飾り気のない筒型のコートの上に、肩をすっぽり覆うケープが縫い付けられていた。

 立村くんはあっけに取られた表情で私の手元を見つめていた。

「別に、そんなめずらしくなんかないって。まだ雪降っていないから、学校に着ていかないだけであってさ」

「たぶん、目立つと思うけどな、立村くん、ちょっとこれ、私はおってみていい? 貴史の部屋って鏡がないから、どんな格好か自分で見られないんだよね」

「かまわないけどさ、そんなめずらしいか?」

「だって、私持ってないもん。着ている人、見たことないもん」

 さっさと立ち上がって着た方が勝ち。さっそく袖を探して両腕通してみた。肩に巻きついたケープはちゃんと最初から縫い付けてられていた。暖かい。すそが長すぎる。私もそんな背が高いほうではないから、膝にちょこっとかかってしまう。歩きづらいかもしれない。 

「なんだか重たくない? 立村くん、肩凝らない?」

「慣れているから」

 短く答え、立村くんは私を見上げてほんのちょっとだけ、笑顔を見せた。

「でも、いいかもしれない。私こういうデザインって、嫌いじゃないよ。ね、今度は立村くんが着てみてよ」

「いいよ、俺はそんなの」

「よくないってば、着てきたとこ、見るの、ふふ、楽しみだったんだ」

 脱ぐ前にくるっと回ってみた後、すぐ、立村くんに押し付けた。つられて立ち上がった立村くんも断りきれなかったらしく、ゆっくりと羽織りはじめた。着慣れているだけあって、ケープ部分がひっくりかえっていないかどうかまで、ちゃんと指先で確かめていた。

 貴史が階段を昇ってくる足音が聞こえてきた。

「貴史、早くおいでよ。立村くん、着ているってば。とんびのマント」

「別に、そんな、いいだろ、そんなこと」

 戸惑いというよりもはにかみ加減。ささやき声に近かった。

「じゃあ、開けろよ、美里」

 げらげら笑いながら、私は片手でノブをひねった。貴史が両手ふさがったままで入ってきて、一言。

「立村、今度学校に着てこい。絶対、お前そっちの格好の方が、似合っている」

「冗談言うなって。『華美な格好』で来るなって、書いてあるだろ」

「黒だから『華美』には入んないんじゃないかな。ね、貴史」

「いや、一応、何かあった時にだけ、着ろって言われているから」

 語尾をにごらせた後、立村くんはまたコートを脱ぎ、丁寧にたたんで後ろに置いた。


 貴史と立村くんとはふたり、しばらく男子同士でしか通じない暗号風の会話を交わしていた。話の内容から想像すると、この前貴史が立村くんの家に訪問した際、出た話題らしい。学校では相談を一切していなかったようで、なんで今更そんなこと確認しているんだろうって感じの話ばかりしていた。

「とりあえず、十一月が期限だな」

「やっぱり、そこは譲れないってか」

「ぎりぎりだ。このあたりまで待てば、そろうものも揃うしさ」

 すっかりこいつら、私の存在を忘れてる。面白くない。

 けど割り込むのも、「女子のくせにしゃしゃり出ている」とか思われそう。

 こういう時にこそ、テープレコーダーを持ってくればよかったんだ。じっくりあとで聞いて、「ちょっとこの話、どういう意味?」とか言って、脅してやりたい気分だった。今の私にはわからなくても、なんとなくあとでわかるような内容なのかもしれないし。

 ま、そういう秘密の場所に私も入れてもらえたから贅沢言えないのはわかっている。でも、やっぱり一言くらい説明が欲しい。同じ部屋にいるんだから。

 仕方ないので私は、立村くんをじっくり観ることにした。


 黒いトンビのコートを羽織った瞬間の横顔が、いわゆる「王子さま」っぽい気品を感じてしまったなんて、こずえにも誰にも言えない。でもほんと、そう思ったのだ。立村くんってこういったはっきりした黒を着ると、もともと持っている色の白さが際立つ。唇の薄さ、髪の毛の柔らかさ、瞳のあどけなさ、いろいろなものが入り交じる。隣でげらげら笑っている貴史みたいながきっぽさがない。

 他の女子と付き合うなんてことにはなってほしくないな、くらいは思っていた。

 もう一歩、おしゃべりできる仲になれたらいいな、そのくらいの期待しかなかった。

 おとなしそうに見えて実は頭の切れる、それでいて私のことを「清坂氏」って特別あつかいで読んでくれる人。ちょっとクラスでは浮き加減な存在。それが私にとっての立村くん。

 見つめすぎて鼓動が早くなったことに、戸惑った。

 

「清坂氏、さっきから俺が言っていること、もしかして聞いていないだろ」

 あわてて私はわれに帰った。

 立村くんが隣で軽い笑みすら浮かべながらこちらを見ていた。

 素直にうなずくしかなかった。

「ごめん、実はその通り」

 貴史にどやされた。

「二度手間かけさせるなよ、な、立村」

「いや、俺の説明がまずかった。ということで、羽飛、なんか書くものあるか?」

「別に気を遣わなくたっていいのに」

「よろこんでいるくせに」

 貴史の一言だけよけいだった。やっぱりあとで羽交い絞め一発かけておかなくちゃ。私は立村くんの側に寄り、書いているものを読ませてもらった。


 ・十一月までにしなくてはならない事

 ・十一月以降にする事

 ・予定されているらしい編集について


 全く見当がつかなかった。

「まず、ひとつめの説明をしてほしいな」

 立村くんは片膝を立てた格好で、器用に頬杖をついた。

「例の班ノートについてなんだけどさ。菱本先生の言われた通りに『自分の思っていることを素直に』書くような振りをしてみたところなんだけどさ」

「読んでいる方が恥ずかしくなるよ。大丈夫?」

「覚悟はしていたし」

 目をちらっとそらせて立村くんはすぐ、シャープの先で箇条書きの点をつついた。

「思ったとおり、菱本先生も他の連中も、班・ノートに書いたことが本当だと思い始めている。覚悟していたことだけどまだ一週間くらいしかたっていないのにな。計算違いだったって、昨日も羽飛と話していたんだ」

「真っ正直に信じている子の方が多いんじゃないの? 立村くんって、見た目まじめそうだから。裏でいろいろ考えてるなんてこと、まず他の女子は気付かないよね」

「本当のことを知っているのはこの三人だけだってこと。わかってる」

 ふたたび立村くんは貴史の方を見た。貴史もうなずいた。

「この状態が続くのは、俺にとってもあまりうれしいことじゃない、清坂氏、だいたい見当つくだろう」

 私は立村くんの目を見つめてうなずいた。

 戸惑ってそらそうとするのを、追いかける感じでたぐった。

「もうひとつ、これはまだ噂でしかないことなんだけど」

 貴史が後を引き取って続けた。

「菱本先生、十二月にクラス文集を作りたそうなこと、言っていただろ、美里」

「ああ、誰も聞いていなかったみたいだけどそんなこと言ってたね。」

 後を引き取って立村くんが説明してくれた。

「今年卒業した先輩から聞いたところによると、菱本先生の『クラス文集』に賭ける情熱は、生半端なものじゃないんだそうだ。最初はたかをくくっていたけど、聞いていてぞっとしたよ」

「前もって、原稿集めて、それを綴じるだけじゃないの?」

「いや、もっと手が込んでいる。菱本先生があれだけ班・ノートにこだわる理由、わかるか? 本当のことを知りたくて、生徒の中に入りたくて、とかなんとか言っているだろ」

「交換日記ののりが好きなだけじゃないの? 昔、彼女作って交換日記したくてもできなかった恨みがあるとかないとか。それとも、班・ノートからネタを集めようとたくらんでるとか?」

 何気なく思いついたことを口にしただけだった。

 立村くんの顔にははっとしたものが浮かんだ。

「俺が言いたかったのはそこなんだ、この前、評議委員会が始まる前、本条先輩から聞いたんだけど……」

 

 本条先輩とは、評議委員会の先輩で、現在二年生。立村くんのことをめちゃくちゃ可愛がっていると評判の人だった。ううん、立村くんが一方的に懐いているような気もするし。この前の評議委員会合宿の時には「本条・立村ホモ説」まで出てしまうくらいお神酒徳利のごとくくっついていた。言っちゃなんだけど、雰囲気全然違うのにな。本条先輩はいかにもかっこよさげで女子受けよしの人気者、一言で言ってしまうと「派手」。しかも二年生にしてすでに「ラブホテル」の経験ありという、なんかちょっと違うって感じの先輩だ。立村くんとは共通点がどう見たって少ない。反面立村くんは、一年男子の中でもとにかく地味だし、女子たちからは馬鹿にされちゃってるし、「陰気」だとか言われている。どうしてあんなに本条先輩が他の先輩たちに向かって「ああ、立村はな、俺の弟分だから、俺が責任とるわ」とかわけのわかんないこと言っているのか、理解できない。

 もっとも立村くんだって、そんな本条先輩の真似をしているわけではない。

 絶対に、「ラブホテル」なんて行ったことがあるわけなんてない!

 なんだか頭に来た。私は唇をかみ締めて、立村くんの話に集中した。でないと、またいらいらしてしまいそう。 


「普通、文集というと、原稿を集めてコピーして、綴じる、それだけよな。菱本先生の考えている方法っていうのは、クラスの出来事や生徒の何気なく書き残したこと、言葉などを全部拾い上げて、『編集』したいらしい」

「『編集』って?」

「よくわからないし、はっきりしたことは言えない。ただ、去年菱本先生が担任していた人たちは、一部の委員を除き、文集というものが存在することを知らなかったみたいなんだ。十二月前後から二人だけこっそり声を掛けて、『文集のネタを集めてくれ』とか言って」

「でもクラス内で選ぶわけでしょ。こっそり集めることはできないよ。それにみんなばかじゃないから気付くに決まってるじゃない」

「それがさ、結局三月卒業式の当日まで誰も気付かなかったらしいんだ」

「もしかして文集が出来上がったのが、卒業式当日ってこと?」 

「そういうこと。あの男がご苦労にも自分で編集し、卒業記念にクラス全員にプレゼントした、というわけなんだ」

 とうとう立村くん、菱本先生を「あの男」とまでこき下ろしている。

 相当恨み真髄までってとこなんだろう。

「内容はどういうことだったの? それによっては、楽しみじゃない?」

「見てみればわかるよ。羽飛、どかしていいか?」

 汚しちゃまずいと思ったのだろう。立村くんはお菓子とカップをテーブルの下におき、ふきんで軽く拭き、かばんからB5版の小冊子を取り出した。

 クラス文集と呼ぶには豪華な表紙だった。入学式から遠足、文化祭、いろいろなカラー写真がコラージュ風にまとめられている。小学校卒業の時作った文集なんて比較にならない。

 表紙はカラー。分厚いページ数約二百ページ。ぺらぺらしたページ。費用削減というのがありありと伺える。ぱらぱらとめくってみた。

 

 ──この文集は、学級日誌、および班ノートを通して、三年A組の日常を拾い上げたものです。

 本来ならば、A組のメンバーひとりひとりがそれぞれの思いを綴ってもらうのが筋なのでしょうが、どうもそういうやり方に、僕は納得がいきませんでした。心の奥にフィルターをかけたまま、言いたいことを言えず、本音をぶつけ合えないまままとめられた文集の空虚さに、僕はいつも疑問を抱いていたのです。

 

 そこで今回A組の三年間をまとめるにあたって三年A組担任の僕は、次のような手段を考えました。

 

 1 過去三年間、A組では三百六十五日、班ノートの提出を義務づけてきました。およそ千日分以上の記録をすべて読み直し、その上でひとりひとりの本音が表れている部分のみを取り出し、それぞれの言葉と想いを伝えた一冊にまとめる。

 ──こんなことだったら、一年ずつまとめて置けばよかったよ……次回の反省に。


 2 いわゆる押し着せのクラススナップ写真を使用せず、担任がこまめに収集してきた日常のA組写真を掲載する。これはすべて、僕が折々に撮り溜めてきたもので、おそらく君たちの知らない表情が映されていることでしょう。


 3 それぞれの思い出に対する僕自身の反省(が、ほとんどです)を、僕自身の言葉でもって残しておくこと。


 あえてA組メンバーには、了解を得ないままこの文集を作成することにしました。

 なぜかというと、一度形にすると決めた段階で、大抵の人たちはよそいき顔を意識し始め、本音を隠してしまいがちだからです。また、読んでいただくとおわかりでしょうが、すべてがすべて、楽しい思い出ばかりではありません。人を傷つけてしまったこと、辛かったこと、悔しかったこと、恥ずかしかったこと。たぶん、このような形で残ってしまうことに抵抗を感じるメンバーもいることでしょう。

 

 それでもあえて、こういう形で残したかったのは、

 中学三年間、混沌とした中で口にしたり書いたりした言葉が

 必ず五年後、十年後、自分自身の中で必要になる時があるからです。

 これは僕の経験です。

 人によってその時期がいつになるのかはわかりません。

 受験の時、恋愛の時、結婚の時、はたまた(?)自分の子供が生まれた時。

 通り過ぎた言葉たちをもう一度味わう時が来るはずです。


 内緒にしていてごめん。

 でも、いつかこの一冊が、かげがえのない宝になることを祈りつつ。

 三月十五日 三年A組 担任 菱本 守 


「これって、何を言いたいわけ?菱本先生、妙にハイテンションだよね」

 他のページには、過去の班ノートから抜き出した内容をそのままコピーし、貼り付けて編集した内容がプリントされていた。まえがきに書き込んだ通りすべては載せきれなかったらしいので、一部抜粋という形を取ったらしい。私は立村くんに尋ねた。

「立村くん、読んだの?これ」

「一応、ひととおり。先輩達がものすごくかわいそうになった。だよな、羽飛」

「ごもっとも。二年生のところなんてひでえぞ。登校拒否した先輩がいたらしいけど、実名付きで全部、学校にくるまでの長い道のりを『A組の戦い』とかかっこつけて書いているんだぞ」

「でもその人はすぐに学校に戻ったんでしょ」

 立村くんの目が一瞬、凍りついた風に見えた。語調が荒くなった。

「だからなんだよ。もう済んだことなんだよ。どうしてそんなことを、形に残しておく必要あるんだよ!」

 貴史はなんも感じてないようだったけど、私はかなり驚いた。ちょっと後ろずさった。立村くんもすぐに我に返ったのか声のトーンをすぐに下げた。

「まあ、立村、落ち着けや。お前がこういうこと嫌いなのは、この前よくわかったから」

「ごめん、なんだか、変なこと言ったかも、しれない」

 テーブルの下に置いたココアをすすりながら、立村くんはいつもの落ち着いた表情で話し始めた。


「別にかまわないけどさ、菱本先生が文集作るのも。班ノートだってイラストを書いているとか破り捨てるとか、そういうことはしていないだろ。ちゃんとまじめに文章で書いているだけだろ。一種の義務を果たしているだけでは満足せずに、なんでずうずうしく人の心の中に入り込もうとしたがるのか、それがどうしようもなく腹立つんだ」

「立村くんはまじめだよね。私たちと違って。まあすることはしているけど」

「比較するようで悪いけど、俺も清坂氏も、そんな目立ったことはしていないと思うんだ。いろいろ小学校の頃、あったって聞いたことがあるけどもう過ぎてしまったことなんだから、それを持ち出してああだこうだ言うっていうのは、汚いと思う」

「賛成。過去のことは過去のことよ。今の自分を見てもらわなくっちゃね」

 いきなり貴史が意味ありげににやついたので、釘をさしておく。

「でも何よ、まさか貴史、また変なこと立村くんに言いつけたんじゃないでしょうね」

「過去だけど事実だってあるんだろ。立村、そんなに美里の過去なんて、むかつくことなんてねえだろ? なあ」

「ないよそんなの」

 ふだんだったら思いっきり貴史を締め上げるところだが立村くんの目の前、こらえることにした。全然気付かないで立村くんは言葉をほとばしらせている。

「俺が許せないって思ったのは、第一にあの班ノートの時のことさ。確かにうちの両親は離婚しているけど、それと俺本人とどう関係ある? 本当のことを聞かせろとか、ふざけるのをやめろとか、勝手に想像して決め付けるなって言いたい」

「だから『裏ノート』をこしらえたわけなんだ……」

「嘘でもいいから菱本先生の望む内容を書いてやろうか、そう思ったさ。でも、本来だったらそんなきれいごとを書くのは俺の主義に合わない。わかってもらえる人にはちゃんと、本当のことを残しておきたい、それで始めたんだ」

「ずいぶん入り組んでいるよね。でもまあ、確かに立村くんがむかつくのもわかるな。ね、本条先輩には話したの?」

「本条先輩には話をしたけれど、詳しいことは羽飛と……清坂氏だけ」

 そりゃ「ホモ説」が流されている大好きな先輩だもの、話さないわけないか。

 ちょっぴり胸のあたりがちくっとした。

「そうしたら、本条先輩が高校生の人からわざわざ文集を探し出してくれてさ。『一生の恥だぞ』とか言われて」

「立村くん、青ざめたでしょ?」

「血の気が引いたって、ああいう時のことを言うんだな」

 立村くんの言葉を引き継いで、貴史も意味ありげに頷いた。

「ほんとほんと、立村いったい何かとんでもないことやらかしたのか、ってあせったもん。話聞いたらたいしたことなかったけどなあ」

「羽飛、よくお前も冷静でいられるよな。あんな白々しいことがみな、文集に残るんだぞ。しかも、前書きのところもう一度読み直してみろよ」

 指差した一行をもう一度読んだ。


 ──こんなことだったら、一年ずつまとめて置けばよかったよ……次回の反省に。


 次回の反省。菱本先生が私たちを受け持つ直前の卒業担任クラスがこのA組だから、「次回」はおそらく私たちD組となるはずだ。でもそれは、

「でも深読みのし過ぎじゃないの?」

 立村くんは首を振った。

「うちのクラスで最近、文集作りについていろいろ、他の連中に声をかけ始めているらしいって噂があるんだ」

 そんなの聞いたことない。立村くんはさらに声を潜めた。私たちの他、誰も聞いてないのにね。

「美術のうまい奴とか、写真部の奴とか、そういうあたりに声を掛けているらしい。評議委員の俺には全くお声がかからないけどさ、この前も杉浦さんがそれっぽいこと、言っていた」

 いきなりぎゅっと心臓のところが痛くなった。息が詰まりそう。かろうじて尋ねた。

「杉浦加奈子ちゃん?」

 貴史も目をむいた。私ほどじゃないけど、きっと驚いている。

「杉浦が、おい、お前に文集委員させられたって言ったのか?」

「……まあ、そういうこと」

 私から目をそらせたまま立村くんは静かに答えた。

「本当は俺が文集委員にもぐりこめれば前もってつぶすことができたけどさ、前からうさんくさいってにらまれているようだし」

「菱本先生は立村くん、目つけているよね」

 この辺はわからなくもなかった。立村くんのここ半年振舞ってきた行動は、少し違和感を感じるところもあったから。

 貴史たちのように、それぞれ気の合うグループでまとまり、何か行事があると団結、それがD組の内部構成だった。私が教えてもらったところによると、男子は三グループに分かれていてそれぞれリーダーが立っている。立村くんの居場所は貴史がリーダーやっているグループなんだけど、他の二グループともそれほどトラブルなく付き合っているようだった。女子ほどではないけれど、群れの雰囲気によって合う合わないがあるらしいし、貴史だってもうひとつの男子グループ……規律委員の南雲くんがトップのとこだけど……は今ひとつ相性が合わないみたいでしょっちゅう小競り合いしているのを見たことがある。トップと戦っているグループとはそのメンバーもさほど近づいたりしないのだけど、立村くんは違っていた。全然気にせずに、つかず離れず、声も荒げないで話し掛けていた。

 気にするものでもないのだろう。だけど、そういう行動を取ること自体が、女子の私たちからしたら少し不可解だったことも否めなかった。女子たちの一部から

「立村って何考えてるんだかわかんないよね、誰にでもいい顔しようとしてるみたいで、不気味、最低」

 だとか言われていたのを聞いたことがある。そんなの私、知ったことじゃないけど。

 でも菱本先生はそういう立村くんがいちいち気に障るらしくて、この前の「班ノート」などちょっとしたことで呼び出し、注意を促すらしい。変な話、貴史よりも呼び出される回数が多いんじゃないだろうか。服装違反もなんもしてないのに、極端な扱いだと私も思う。


「本当はこういう企画なんてつぶしてしまえれば一番いい。誰もやる気ないということで、菱本先生にあきらめてもらえればいいんだけど、そうもいかなさそうなんだ。そこで」

「そこで?」

 ゆっくりと立村くんは私の顔を見つめてささやいた。

「このノートのからくりを、他の連中に、教えてやってほしいんだ」

「どういうこと?」

「班ノートに書いたことはほとんどが嘘っぱちで、仮に文集へアップされたとしても、本当のことは『裏・ノート』に書かれているということ」

 真剣な声だった。

 ──どうして、どうして、どうして私に?

 あやうく、自分が飲み込まれそうだった。見つめ合ってしまった。

 けど、瞬時に浮かんだ言葉を言い忘れたくなかった。

「どうして、立村くんは自分でそれをしようとしないわけ?」

 立村くんの表情がすっとゆるんだ。びっくり、それともきょとん、なのか区別がつかなかった。怒ってはいなさそうだった。

「そんなことだったら、無理に私でなくたっていいんじゃない? そんな小細工するより、立村くんがはっきり、菱本先生に言えばいいことじゃないの?」

 言葉がきりきりと耳元で火花を散らしているような音が聞こえてきた。

 ちりちりと孔をほじくってるみたいだった。

 立村くんとふたりの、いつかこんな時を待ち兼ねていたはずなのに、なんで歯向かいたくなっちゃうんだろう。貴史がこわばった空気をかき回してくれた。

「普通の人じゃ、つまらないっていうのはあるけどさ、何言ってるんだよ羽飛」

 頬に赤みがさしていたように見えたのは思い過ごしだろうか。こちらまで伝染しそうになり、あわてて口走った。

「まるで、私って、普通じゃないって奴? もう、やだあ、貴史変なこと言わないでよってば!」

 すかすかの会話で場を盛り上げようとしてくれる貴史に、こっそり感謝の両手を合わせた。長い付き合いだからこそ、わかってくれる。貴史の前では、何を言い放ったとしても縁を切られることはない。けど立村くんは違う。もしこの場で怒らせてしまったら、クラス替えのない中学三年間、地獄のだんまりが続くことになってしまう。怖い。怖いくせに、攻撃したくてならない。

 私は無理してもう一度やわらかい言い方をしてみた。もちろん、私的に、だけど。

「って、いうか。表立ってできない理由でもあるの?」

 頬が熱く、焼け焦げそう。 

 ──怒っちゃっただろうか。

 そのまま身動きせずに立村くんは上目遣いで私を見た。

 まつげが長い、初めて気が付いた。その瞳に私の姿が映っていた。どんな顔に見えてるんだろう? 黒目の奥に映っている私の顔。きっと仏頂面で可愛くないに決まってる。悔しい。けど、やっぱり、止められない。だって、卑怯だもん、そんなの。なんで、正々堂々と立ち向かわないんだろう? 


「立村くんくらい頭がよかったら、もっと別の方法を考えそうな気もするんだけど。もちろん『裏・ノート』も面白い方法だとは思うよ。なんだかめんどくさいじゃなあい? 二冊も作って、しかもいっぱい書いて。しんどいんじゃなあい? それだったらむしろ、文集委員の方にうまくもぐりこんで、思う存分書きたいこと書いて、先生をあっと言わせたほうがいいんじゃないかな。私だったらそうするよ」

 ──もしかして、私と貴史を利用しただけなんじゃないの?

 言葉に出す前、それだけは必死に飲み込んだ。


 立村くんはちらりと私のまなざしを捕らえ、すぐにそらした。指先でついと、こめかみを押さえた。

「なんて、言えばいいのかな。つまりさ、羽飛や清坂氏がふたりで、いつもいろいろ計画して、先生たちをはめこんでいたって、よく話していただろ。入学式の時のこととか」

 言葉が少しばらばらでとりとめなかった。

「真夜中に図書館に閉じ込められて脱走した話とか、いろいろ聞いていててさ。あまり小学校の頃って俺はあまりそういうこと、しないできたから、なおさら」

 いったい貴史は過去のバトルをどのくらい立村くんに話したんだろう。気になる口調だ。貴史をにらんでやった。奴は無視した。

「今回のことは、俺だけに降りかかってきたことだし、確かに清坂氏の言う通り、一人でやればいいことなのかもしれない。たまたま羽飛に話したらいろいろ案を出してくれてそれに乗ったわけなんだけど、でもさ、もしかしたら、羽飛と最強のコンビを組んでいる清坂氏だったら、もっと鋭いやり方を見つけてくれるかもしれないかなって、なんとなく思ったんだ。これは俺の勘なんだけどさ。俺はなんでも直感で判断するくせあるんだ、だから」

 ついうつむいてしまいもごもご、わけのわかんないこと言ってしまいそうになる。だって褒められなれていないんだもん。

「褒めすぎだよ、立村くん」

「そうだなあ、俺も美里の意見に同感だ、絶賛し過ぎ」

 だから、貴史の言葉はよけいなのだ。腹が立つ。

「巻き込んでしまうことになるのか、て言われると、何も言い返せないよ。でも、羽飛と清坂氏とだったら、なんだかうまく行きそうな気がするんだ」

 立村くんの瞳が、軽く下を向いた。はにかんでいる様子だった。

 ──これだけじゃないんだよね、きっと。

「羽飛と清坂氏以外には絶対に俺、頼みたくないんだ」


 ここで思い切り立村くんの矛盾点を突いて、真実を吐き出させることも簡単だとは思う。もし今の私が、立村くんのことをなんとも思ってなかったとしたら絶対そうしていた。

 だって納得がいかないもの。

 いくら立村くんが言い訳したって、「裏・班ノート」をこしらえてまでわざとらしく菱本先生をだまそうとするのは卑劣きわまりない。いい子ぶるわけじゃないけれど「班ノート」のこっそり捏造を止めさせたいんだったら、ロングホームルームでもどこでもいいから手を挙げて、証拠物件でも持ち出して、「文集なんてくだらないもの作るのはやめてください!」って叫べばいいんじゃないかって簡単に考えてしまう。もしくは私がさっき言ったみたいに文集委員になって、言いたいことを本音で全部書いてしまえばいいのだ。「いじめられたことがない」のだったら堂々と、そう訴えればいい。私と貴史だったらタッグ組んで絶対そうしている。

 けど、こういう裏をかかざるを得ないということは、やはり、それなりに小学校時代のことなど隠したいことがあるからではないだろうか? さっきの話を含めて考えると貴史もそれに勘付いているはずだ。神経質すぎるくらい「班ノート」の一節を気にするところとか、裏、表を極端に分けようとするとことか。どこか不自然だ。

 ──それでも貴史はやっぱり、立村くんと友だちでいたいって、思っているはず。

 負けない勝負は打たない。きっと立村くんはあとで本当のことを話してくれるだろう。どんなに言いたくないことでも、どうしてこうしなくちゃいけなかったかってことをすべて。最初から最後までだましっぱなしなんてこと、絶対にする人じゃない。

 そんな人、まさか、こんなに友だちでいたいなんて思うこと、決してない。

 立村くんに習い、私も直感に賭けることにした


「じゃあ私、どうすればいいの? 立村くんが、いじめられたり嫌われたりした暗い過去なんて持ってるわけないって言い続けてればいいのよね」

 私の顔をじいっと見つめ返し、

「他の人には、頼みたくないんだ」

 かろうじて聞き取れる程度の声で、立村くんは繰り返した。


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