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その二 裏・班ノートのはじまり

『裏・ノート』企画が始まった。

「あれ、班ノートと一緒に入ってるから」

 「班ノート」という語句にさりげなくアクセントをつけて、立村くんは私に大きな封筒を渡してくれた。

 「班ノート」と「裏・班ノート」。

 立村くんと貴史、ふたりが見せる表と裏の顔。

 表立って二人の間に入り込めないのが悔しかった。いいんだ、どうせ。

 立村くんは、私にだけ、見せてくれるんだから。


「班ノート」十月二十一日 立村上総


 この学校に合格できてうれしいと思うのは、やはり友達といっしょに話をしている時だろう。今まではひとりでいることが多かったせいだろうか。あまり話の合う人がいなかった。たぶん、僕の家庭環境のせいだと思う。小学校の頃はいろいろあって同級生をうらやんだりしたこともある。またそう思っていることを見抜かれていじめられたこともある。でも、青大附中にはそういうことをする奴は一人もいない。なんでかわからないけれど、居心地がいい。人の弱みをあげつらってばかにする奴はいない。


「裏・ノート」 十月二十一日 立村上総


 記念すべき第一日目。むしずが走る。

 「班ノート」に書いたことは九十九パーセント、フィクションだ。

 第一、俺は小学校の頃いじめられたことなんてない。「人の弱みをあげつらう奴」なんて、この組には結構いるしな。

 誰とは言わないが羽飛、悪かったな。

 数学の平均点を落とした張本人だと認めてやる。



「裏・ノート」十月二十一日 羽飛貴史


 まだエンジンかかってないんじゃないか。第一日目だから恥ずかしい気持があるのもわからなくもないけど、もっとパワーアップしなくてはならないんじゃないか。もっと不幸と涙が必要だぞ。


 では、俺がお手本を書いてやる。


「班ノート」十月二十二日 羽飛貴史


 俺もそれ、すごく思う。立村くんが暗い過去を背負っていること、昨日のノートを読むまでぜんぜん知らなかったし、それに、立村くんがこんなにクラスのことを思っていてくれるなんて想像しなかった。うまく書けないんだけど、立村くんがうらやましいと思う。誰よりもいやなめに合ってきているのに、強くいられるんだから、俺は本当に、立村くんが好きだなって思う。


「裏・ノート」十月二十二日 羽飛貴史


 どーだ、立村まいったか!


「裏・ノート」十月二十二日 立村上総


 どうも誤解しているんじゃないのか。こういった文面が残るのかと思うと、俺は瞬時に焼き捨ててしまいたくなる。第一、お前に愛の告白されたってちっともうれしかないって。


「班ノート」十月二十三日 杉浦加奈子


 羽飛くんの言うとおりだと思います。立村くんは辛いとか悲しいとか言いません。私が立村くんのような立場だったら毎日ないていたと思います。

 羽飛くんもやさしい人ですね。私はこのクラスにいてよかったと思います。


「班ノート」十月二十四日 古川こずえ


 いったいこの班ノートは何が起こったって言うのよっ! 羽飛も立村も三日前からなんでくそまじめ人間に変身したわけっ? 

 いったい何考えているのよっ! 

 とにかく、私は今までどおり、マイペースで行くから、先生そこんとこ、よろしくね。

 もちろん清坂さんだって、そうでしょ。

 あーあ、来週は国語の書き取りと数学の追試、理科の星座をて写しするっていう宿題が山積みなのよっ!

 そのあとで実力試験ですってえ? 

 冗談じゃないわよ!


「班ノート」 十月二十五日 清坂美里


 私はどうだっていいんだけど、今日学校に来る途中である人の噂話を聞いてしまいました。

 雨が降っていたんで、バスで来たのね。そしたら、学生服の男子(当然、公立)が数人、後ろでぎゃあぎゃあわめいているのね。

「おい、○○(あえて伏せ字にします)が附属行っているんだってな」

「あいつらなら、いじめられて当然だぜ」

「でも、うまくいっているみたいだって、△△が言っていたぜ」

「あいつのことだから、猫かぶっているんだろ。それに、附属の奴ってぼっちゃんぼっちゃんした奴が多いから、あいつの同類ばかりうじゃうじゃしているんでないの」

「学校際の時、乗り込んでばらしてやっかな」

 とかなん○○とは、我がクラスの男子であることを告白しておきましょう。

 武士の情けで、こればかりは私の胸にしまっておきますわ。

 ということで、私はやっぱり不真面目に書きました。

 菱本先生、ごめんあそばせ。


「裏・ノート」 十月二十五日 立村上総


 まだ菱本さんの反応はない。悩んでいるのか、感動しているのか、それとも単に忙しいだけなのか。文句がこないだけいいか。

 それはともかく、明日のネタ探し、頼む!


「裏・ノート」 十月二十五日 羽飛貴史


 俺たちが突然まともな書き方しはじめたことを怪しまれているような気がするんだ。そう思わないか? だいたい、今までが今までだったから、いきなりお涙ちょうだいい路線に切り替えたって、すぐには信じてもらえないって。

 時間が解決してくれるよな。

 どうでもいいけど、立村よ。このこと誰かに話したのか。

 あえて、『武士の情け』で、そいつの名前は書かないが。


「班ノート」十月二十六日 立村上総


 明日の日曜は、小学校の頃担任だった先生のところへ遊びに行く予定だ。

 別に用はないのだけど、友達に誘われてしょうがない。きっと先生も寂しがっているからと、わけのわからないことを言っている。

 僕自身も久々に小学校の友達と遊びたいと思う。もちろん多少つらいこともあったけれど、自分を強くしてくれたきっかけならば、かまわない。僕は今の生活が充実していることと同時に、あの頃のひねくれた自分をさとしてくれた先生にお礼を言ってくるつもりだ。


「裏・ノート」 十月二十六日 立村上総


 さて、真相はこれだ。

 誰が小学校の担任なんかに会いに行きたいと思うかよ! 月曜には空間図形の追試があるんだぞ! たとえ数学で満点取っていたとしても、誰がそんな時間の浪費するかって!

 思い出すだけで腹が立つ。

 なんだかんだ言っては、授業中に言うんだからな。

「強くなるのよ。お母さんがいなくなっても負けないでね」とか。

 あの時は一瞬、殺してやろうかと思った。

 もし、俺が附中入試にすべっていたとしたら絶対あの教師のせいだ。

 書いているうちに腹が立ってきた。

 永久保存版でここは資料として残しておきたい。以上。


 「裏・ノート」企画から一週間が経った。


 土曜日の四時間目は美術授業だった。早めに絵を書き上げた後、私はパレットを洗いに席を立った。おなかもすいてきたし早く片付けたかった。絵の具を筆でこすり落とし、腹の虫がきゅるきゅる鳴くのをなだめていた。

 後ろからぎゅっと腰に手を回される気配がする。

 いきなりおへそのあたりに触れられた。硬直してしまった。やだ、ちかん? そんなわけない。私は身体をゆすってその手を払った。やる子は決まっている。

「やだ、こずえでしょが!」

「やっぱり感じた?」

 一年D組においてすでに「下ネタ女王」の名前を頂いているこずえしかいない。すでにパレットの始末を終わらせ、手を洗おうとしている。隣の蛇口をひねり、緑の水石鹸をあわ立て、指と指の間をこすっていた。

「美里って、痩せているように見えるけど、おなかはそうでもないみたいね。それなりについてるかなって感じ?」

「見えないんだからいいじゃない!」

「そのくせ、胸のお肉はついてないみたい。すっごくつるつるよね。これから毎日、もんでもんで大きくしなくちゃね」

「なんでそんなことしなくちゃなんないのよ!」

 幼児体型がちょっぴり残っているから毎日、贅肉解消のために腹筋背筋三十回ずつやっているなんて、絶対言うもんか。

 こずえはブレザーのポケットを探りながら、つんつんと私の肩をつついた。ハンカチ持ってこなかったのかな? スカートのポケットに入っているから、貸してあげようか。

「持ってるからいい、それよりいいかな」

 あっさりとこずえは首を振り、私の耳元へ口をつけた。

「ちょっくらお願いしたいことがあるんだけどなあ。美里しか、聞き出せないこと!」

「なによ、また貴史のこと? 言っとくけど、こずえが思ってるよか私詳しくないからね」

 毎日貴史の小学校時代についてとか、好みのタイプとか、そういうことをこずえは丹念に聞き出そうとしてくる。私もわかる範囲内で教えてあげてるけど、もうそろそろネタも尽きてきた。というよりも、あまり深いこと掘り出しちゃうと、今度は私の立場が誤解されてしまいそうなので、今は控えているだけなんだけど。

 こずえはちっちゃく首を振った。また耳元に息を吹きかけて、

「美里も気付いているでしょ。班ノートのことだってば」

 指先にかかる水が急にひやっとした。唇をかんで、なんにもわからないふりをした。こずえは気付いてなかったみたいで、ひとつため息ついたあとに続けた。


「最近さあ、立村と羽飛、やたらとホモっぽい友情ををほのめかすようなこと、書いているよねえ。今まではぜんぜん、そんなことなかったのにさ?」

「あの二人、気が合うみたいよ。評議に推薦したの貴史なんだもん、もともとなんじゃないの?」

 こずえは鋭い。しっかり見ている。びっくり。やっぱり貴史のこと、本気で見てるんだ。うっかり口を滑らせないように私はパレットを洗い続けた。

「でも、羽飛には似合わないよ。あんな書き方ってさ。羽飛はやっぱり、アホネタを軽く流す方が似合っているしねえ。なんか立村の泣き言を聞いて、羽途が調子を合わせているだけでさ。まあ立村ならわかるよ。あいつほんっとにガキだからねえ。うちの弟とたぶん精神年齢同じくらいだと思うよ。それにやたらと隠そうとするじゃん。ま、あんなふうにぐたぐた書くのも、あいつには必要かなって気はするよ。けどさあ、羽飛って、そういうこと死ぬほど嫌いそうなタイプじゃん? 私、『俺は本当に、立村くんが好きだなって思う』なんて書くような気持ち悪い奴だったら惚れないよたぶん」

「私に答えられるわけないじゃない。自分で聞けばいいじゃない」

「それができればねえ、私も苦労しないよ。第一、羽飛は私になんか本当のこと話すわけないもん。付き合い短いからさ、誰かさんと違って」

 ──ま、それはそうだけど。 

 こずえも表面は明るく貴史に好意のアプローチをかけている。

 けど友達以上。それ以上ではない。

 ──貴史も言ってたもんなあ。「古川はしゃべってるとおもしれえしさ、嫌いな奴じゃねえけどな、やっぱ鈴蘭優ちゃんにはかなわねえよ。やっぱ女子は清らかでないとなあ」って。

 アイドルと比べるのはどうかと思うけど、もう少しこずえにも気を遣えって私は活を入れてやったのだ。まだ先は長そうだった。けどそんなこと言えるわけないじゃない。

 それに、もっと言うと、貴史も二学期以降それなりに考えることがあったらしい。

 意識して遠ざけようとしている感じがした。私だけかもしれないけど、そう感じた。こずえが話しかけると、無理やり立村くんとか私とかを引きずり込み、話題を膨らませるように仕向けていた。こずえがほんとは、何かのチャンスをつかんで、仲良く二人っきりになりたいと狙っているのを避けるようにだった。私ですら露骨だと感じたのだから、こずえが気付かないわけがないと思うのだけど。気付いてるのかなあ。貴史は追いかけられるのが苦手なタイプなのだ。ここんところも今度、教えてあげたほういいのかな。自分の感情が動かないと、絶対行動しない奴だって。

「私だって、一緒につるんでいた時期が長いだけだよ」

「美里、お願い!」

 なかなか取れない緑色の硬い絵の具かす。私は筆の付け根で強く擦り取ろうとした。こずえはいきなりパレットをひったくり、水気をふき取った跡後の指でこすり落とした。あっというまにこずえの人差し指が緑色に染まった。

「そんなに知りたいの?」

「恋する乙女だもん、しょうがないじゃん! ひとつでも、ふたつでも。羽飛の秘密を知っときたいっていう、乙女心、美里にはわからないかなあ? そりゃ、十年来の幼なじみにはかなわないかもしれないけど、羽飛が何を考えているか、少しずつでも私の頭に残しておきたいって思うの、やっぱし、女心ってやつじゃん?」

 ──たぶん、無駄だと思うよ。

 断りきれず、私はうなずいた。

「でも、あてにしないでよ。本当に、聞くだけだからね」


 私も「裏・ノート」のこと、立村くんから聞いているけど、貴史は今の段階じゃ、私にだって教えてくれないよ。立村くんと貴史の間での秘密。

 立村くんは貴史に内緒で私にだけ、教えてくれたけどね。まさかこずえには、でしょう?


 ここ一ヶ月くらい、貴史の家からは足が遠のいていた。

 夏休み中はそんなこともなかったのだけど、最近やたらと貴史のお母さんがお茶やらお菓子やらもって部屋に出入りしすぎてるのが落ち着かない。時には、

「ねえねえ、みさっちゃんってどうなの? 男子にもてるほうなの? ねえ貴史、どうなのよあんた?」

 なんていきなり会話に割り込まれてしまう。お互い気まずい沈黙が流れるわけ、別にないけど、ただ話が尻切れトンボに終わってしまいがちだった。

 貴史のお母さんは私の母と中学時代からの大親友だと聞いている。私が青大附中を受験する時、ふたりでたくらんで貴史を無理やりその気にさせようとしていたのも知っている。結構貴史のご家族みんなには、私、好かれてると思う。

 けど、やっぱり、時と場合によっては迷惑なこともある。

 だって私が貴史の家へ行く時は秘密の相談を持ちかけることがほとんどなんだもの。

 学校では絶対に口にできないことを、ふたりっきりで話したい時って、誰でもあると思う。私の場合そういう相手がたまたま貴史ってだけであって、しかも男子だったってただそれだけなのに、ほんとに面倒だ。それに、なにかの拍子で……たぶん貴史の軽口で……立村くんに私たちの繋がりをいやらしく誤解されたら大変だ。


 絵描き道具片付けが手間取りかなり時間を食ったので、帰りの会は行われなかった。

「片付いた奴からさっさと帰っていいぞー! みんな、おつかれー!」

 菱本先生の許可もあって手の空いた人からさっさと教室を出て行った。

 立村くんも貴史の耳元へ二言三言ささやいた後、急ぎ早に姿を消していた。

 私は貴史が道具をしまうのを眺めていた。何度か貴史の座っている椅子の脚を蹴飛ばした。いいかげん早く帰りたいってのに。貴史は私をしかめっ面で見上げた。

「俺に用でもあるのかよ、美里」

 教室の片隅を指差し、貴史のかばんをひったくって窓辺に歩いていった。磨いたばかりの窓ガラスが白っぽい光を跳ね返していた。私と貴史の顔も、油っけのないさっぱりした感じでガラスの中に映っていた。

 単刀直入に聞くしかない。私はガラスから目を離し、貴史の顔を真正面から見つめてやった。

「突然どまじめになった班ノートについて聞きたいんだけど」

「はあ?」

「私に話せないようなこと、なんてないよね」 

 『裏・ノート』のことを聞いてない。これが前提だ。

「なんで美里がそんなこと聞くんだよ」

「あんたがさ、『俺は本当に、立村くんが好きだなって思う』なんてさ、書くのは、大抵何かたくらんでいる時に決まってるじゃない。私が気付かないとでも思ってた?」

「さあね、知らねえ」

 とぼけた口調で貴史は答えた。からかい調子、語尾が軽かった。

「明日の一時、あんたのとこに遊びに行くから、その時に白状してよ。それが条件」

「俺だって都合あるんだぞ、勝手に決めるなよ」

「あ、予定なんであるんだ、もしかして誰かとデート? ふーん」

「自分の願望を俺にさせようっていうのはやめろよな」

「話そらさないでよ。私に知られたらまずいこと、何かやってるんでしょ」

「美里が想像しているようなものは置いてねえよ」

 貴史はもごもごと、歯切れ悪く答えた。

「そんなんじゃなくて立村との約束があるんだよ」

「立村くんとデート?」

「そっちの趣味はねえよ 向こうが俺の家に来たいようなこと、言っていたからなあ」

 立村くんと仲がいいのはわかるけど、遊びに行きたがるほど仲いいなんて初耳だった。

 私だって、さすがに友だち同士のところに割り込もうなんて非常識なことしたくない。

 それに、

 ──立村くんに誤解されるのだけは絶対いや!

 一学期半ばに『清坂さんは結構男出入りがはげしいよね』と噂されたことがあった。その時は意地でも知らん振り通したけど、傷ついたんだから。たぶん立村くんもその噂、聞いているはず。「男ったらしの清坂さん」なんてイメージ、持ってほしくない。

 こずえにそこまでしてあげる義理ってあるんだろうか。もういらいらする。私はあっさり切り上げることにした。

「わかったわよ。別の日でいい。あとで電話するから」。

 背を向けたとたん、貴史に呼び止められた。

「美里、お前なあ、なあにそんなあせってる? さては立村にやきもち妬いているのかよ」

「誰が誰によ! なんであんたに妬かなくちゃなんないのよ!」

「立村にって、言っているだろが、ったくばーか」

 貴史は私の顔をじっと見つめ返した。

 ごまかすんじゃねえよ、って言われそう。これは私の方が出直した方よさそうだ。今の私じゃ、貴史に言い返せない。

「男に妬いて、どうするっていうのよ、ばっかみたい」

 言い捨てて教室を出た。貴史が私をどんな面して見送ったのか興味なんてない。廊下に人影はまばらだった。土曜の昼下がりだったからだろう。廊下側の窓辺にはななかまどの実が、まだ青いまま揺れていた。

 

 貴史がいきなり立村くんのことを持ち出して問い詰めるようなまねは、今までしたことなかった。あいつにぐいっと見つめられたこともなかった。

 私はいつもこずえに繰り返している言葉を、胸の奥に響かせた。

 ──私は、貴史と付き合っているわけじゃないって。


 他の人たちからしたら私と貴史はいかにも付き合っている同士に見えたのだろう。気兼ねなくおしゃべりし、登下校も一緒、途切れぬ会話を交わしているだけなんだけど、そういうことは付き合っていないとできないという先入観があるのだと思う。私からしたらほんの日常に過ぎないのに。

 私だって女子同士で話が済めば、そんなに貴史に張り付く必要はないわけだ。どうしても貴史を捕まえてしゃべらないと気がすまないのは、女子たちとの会話に物足りなさをいつも感じてきたからだった。女子同士の会話というのは、ほとんどパターンが決まっていて、「なんとかさんはだれだれが好きなのね!」というような噂話やアイドル歌手の新曲情報ばかり。露骨に「私はだれだれくんが好き!」なんて言えないもんだからわざと「あいつってばっかみたいだよねー!」とか言って嫌っている風に見せかける。そのくせ、気になる相手に誰か手を出すんじゃないかって気になってしょうがないような態度をとる。かまをかけては嫌味を言い合う。そんなのを更衣室や女子トイレで見るたびにむかむかした。

 

 五年の秋のことだった。

 同じ組の女子が児童会選挙の立会演説会中におもらししてしまったことがあった。

 たまたま私は選挙管理委員会の仕事をしていたのでその場を離れていて、まる一日知らずにいた。担任が事後、口止めをしたからだった。次の日まで秘密はしっかりと守られていた。

 ところが次の日、隣組の男子がしっかり見ていたらしく、

「おめえ、昨日、体育館でしょんべんもらしただろ!」

あそこでしてしまった子を露骨にからかい始めた。

 私はそいつらの言うことがでっち上げだと思い込み、つい、当事者の女子に 

「五年生なのに、おもらしすることなんて、あるわけないよね」

 真っ正面から尋ねてしまった。。

 当時、すでに生理が始まっていると噂されているような女子だった。それこそ好きな男子の話ばかりしているグループの子だった。私よりはるかに、大人っぽくみえた子だった。なのに、『トイレに行ってもいいですか』がいえなくてその場でまさか、なんて絶対ありえない、そう思えてならなかったのだ。

 その女子は事実を否定できなかった。激しく泣かせてしまい、私は彼女たちの友だちグループから露骨に無視された。幸い私にも別の友達がたくさんいたから孤立はしないですんだけど。

 決して彼女をばかにしようとしたわけではなかったのだ。汚名を晴らしてあげよう、そんな善意で言ってあげただけだった。でも私のしたことは、彼女の失敗を再確認させてしまっただけだった。さすがに私もこの時は、落ち込んだ。


 見かねたのだろう。その日すぐに貴史は、私に電話をかけてきた。

 事が起こった際の詳しい状況を説明してくれた。

「なあ、美里。たしかにしょんべんもらしたことでからかうのは最低なことだと思うんだ。でも、それをなかったことにしろ、忘れろというのは、できないと思うぞ。美里は知らなかったんだろ。それならああいうことを言ってしまったとしても、仕方がないんじゃないか」

 電話を切ってから、ベッドの上でしばらく顔をうずめていたことを覚えている。

 私なりの正義で行動したのは、間違っていない。ただ勘違いしてしまっただけ。

 でも女子同士ではやりとりひとつひとつに気を遣いながら伝えなくてはならない。

 そんなことを一切考えないで簡単に言いたいことを伝えられるのは貴史だけだった。

 代わってくれる相手は、男子女子関係なく誰もいない。

 『好き』ということばだけで男子と女子との間を結びつけようとする、くねくねした女子たちから逃げ出したかった。青大附中だったら、私と貴史を恋愛という色眼鏡で見ない友達と出会えるはず。どこかで私は信じていた。

 だから、きっと受験しようって決めたんだと思う。


 

 去年のクリスマス、たまたま貴史の家へ遊びに行った時、私は附中受験することを打ち明けた。

「貴史、私ね、附中受けることにしたんだ」

「え?」

 しばらく絶句していた。びっくりしたんだと思う。

 塾に十一月から週二回だけ通っていたことは、私のほうから一度も言わなかった。だから知ってたかどうか、正直なところわからない。しばらくトレーナーの毛玉を指でほじくっていた貴史は、口をとんがらせて、

「ふうん、なんでだよ。美里はまじめぶった連中が嫌いだってしょっちゅう言っていたくせに。附中ってまじめ人間の巣窟だって話だぞ、そんなとこ行きてえのかよ、ばっかみてえ」

「なによ、けどまあね、受かるなんて思ってないよ。たださ、一回、青大附属ってどんなとこかなって、覗いてみたいって気はあるんだ。まずなんてったって建物がきれいでしょ。全部暖房冷房が入っているんだって。学校の中にはレストランもあるんだって。受験でもなければ中を覗く機会なんてないじゃない! だから学校見学みたいなもの。記念受験よ」

「落ちたらいいけどなあ、受かったらやっぱ、青大附属に行くのかよ」

 ぶっきらぼうな口調でぼんぼん貴史は飛ばした。私も当然、受けて返した。

「もちろんよ! でも十中八九ありえないよねえ。だって私の内申書の内容、そうとうひどいに決まってるもん。さっきもらった通信簿見たけど、教師所見欄ってとこに『もっと協調性をもった生活を心がけましょう』だって書いてたよ。『協調性』って、どういう意味よ、あのむかつく連中に合わせろって奴? ふざけるなって感じしない?」

「クラスの連中に合わせて、おとなしくしろってことだろ」

「でしょ? たまったもんじゃないよね。私、おかしいと思ったことをおかしいとはっきり言っているだけだよ。それで私の言うことは、他の連中と意見が違うから、改めなさいって言われるんだよ。冗談じゃないよね。六年になって好きな男子がいないのがおかしいとか、そのくせ貴史としゃべっているのが変だとか言うんだもの。ひとりで意識してきゃあきゃあ言っているあんたらがばかだっていいたくなるよね。疲れちゃう」

「おまえ、相当このクラス、嫌っているよな」

 貴史はゆっくりと相槌を打った。

「大嫌い! つまんないんだもん。最近は遊んでなんかいないよ。塾に行っていることにしているから、断りやすいけどね」

「塾じゃねえの?」

「もちろん、塾にも行っているけど、週に二回くらいだよ。貴史に言ってなかったっけ。私、この前まで、線路を越えたところにある児童館で遊んでいたんだよ」

「あんな遠くまで何が楽しくて行くんだよ! ほんとにおまえばかじゃねえの」

「他の学校に行っている奴とバトミントンしたり、オセロやったりするためだよ。おもちゃがたくさんあってね、漫画も置いてあるんだ。他の小学校の子もたくさん来ていて」

「で、今も行っているのかよ」

「もう、行かない。決めた。塾もそろそろやめる。ひとりでやるんだ」

 貴史はそれ以上尋ねてこなかった。ふうん、ふうんと続けて。

「どうせだったら、俺もつきあうか」

 つぶやいたのを聞いた。


 結局、同じ小学受験者の中で私と貴史だけが合格し、受かった以上入学しなくてはならないはめとなり、現在にいたる。「優等生」というイメージはあとかたもなくなり、男女関係なくおしゃべりすることが普通となり、私にとっては居心地いい生活が始まった。たまに「一年のくせに付き合っているのかよ」なんて冷やかす奴はいるけど、それはそれ、これはこれってうまく流せばなんとかなった。

 『恋愛』ということばだけでくくれない、私と貴史とのつながり。

 素直に受けとめてくれる友達が青大附中には待っていた。

 

 なのに肝心の貴史が、私の思っているのとは違う違うまなざしを投げかけてきた。わけがわからないったらない!

 ──まさか。

 慌てて、浮かんだことばを打ち消した。

 ──あいつが私に妬くわけないもん。貴史はね、面倒なこと考えないでいっぱい話ができる、たったひとりの相手。それだけなんだから!


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