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その一 班ノートのひみつ


 ──遅いなあ、社会の先生まだ来ないよ。

 二時間目が自習だと最初からわかっているんだったらそれでいい。ちゃんと自習用のプリントだって用意されているだろうし、適当にうっちゃっておけばあとはおしゃべりしてたっていいんだから。けど、十分くらい経つというのに全然連絡が来る気配もないなんて、絶対おかしい。

 しかたない。これでも私は一年D組・女子評議委員。クラスの代表として職員室で「先生どうしてこないんですか」って聞きに行ってみようかな。いい時間つぶしにもなるし。

 男子三人、女子三人、横二列にひとつの班がまとまっていて、私の席は女子側の真ん中に位置している。クラスはもう、休み時間と同じ乗りで盛り上がっている。席に着いたまま私は振り返った。真後ろの席にいるはずの相棒くんに声をかけようと思ったんだけど、いなかった。

 一年D組男子評議委員・立村くんの席が空いていた。

 各授業の前に評議委員は職員室へ行って、先生たちの教科書やチョーク入れなどを教室まで運ぶ。分担もすでになされている。私は数学・理科・音楽を、立村くんは英語・国語・社会をそれぞれ担当していた。教科書とチョーク入れ程度だったらそれほどでもないけど、社会の時なんかは大変だった。くるくる丸めると私の背丈近くもあるような地図とか年表とかも一緒に運ばないといけない。面倒くさいけど、でもいいことだってあるのだ。タイミングよく職員室に行けば、先生同士のおしゃべりを盗み聞きしてテスト情報を仕入れることだってできちゃう。他のクラスで起こった出来事をいち早く知ることだってできる。私をふくめた中学生にとって、情報通な奴は人気者。評議委員の面倒なお仕事、そのご褒美、もらったっていいじゃない。

 それにしても立村くん、先に様子見に行ってくれたのかな。

 せっかくだったら私に、一声かけてくれたってよかったのにな。

 だってもうずっと一緒に評議委員やってるのにな。

「美里、誰探してるんだあ?」

 あんたには用なんてないわよ。私は立村くんの隣に座っていた貴史に答えた。

「立村くんに決まってるでしょ! だって先生来ないから、どうしたのかなって思ったの!」

「ふうん、あいつな。さっきな、菱本さんに呼ばれてったぜ」

先生を「さん」付けで呼ぶのが青大附中の流儀だった。もっとも私たちが「さん」付けしたくなるような性格のいい先生に限られるけども。

 私は貴史の鼻先をはじいてやりたい気持ちを抑えながら尋ね返した。

「菱本先生に、なんでだろね、貴史。なんか用あるのかなあ」

 二学期の班換えは、男女四人ずつのリーダーに班員選択権が与えられていて、たまたま私と立村くんが同じ班だった。仲のいい子を優先して選ぶのはリーダーの特権。とっぱじめに立村くんが選んだのは貴史だった。

 なんだか、謎な組み合わせだと思うな。

「ねえ、貴史、それじゃさ、立村くん、社会の先生呼びに行ったかなあ」

「さあ、俺は立村のお目付役じゃねえよ。さあてな」

 貴史は口端を上げてにやりと笑った。

 ──もう、貴史、ばっかみたい、絶対誤解しているんだ!

 入学してからそれほど経たないうちに、貴史は私に「あのな、美里、お前も相当立村の顔ばっかし見てるようだけどなあ」とか、わざとらしく話のネタに持ってくるようになった。最初は「あんた、あとで一発蹴りいれるわよ」と脅していたけど、貴史の話は夏休み以降もどんどんエスカレートしてきて、天使の羽を持った私・清坂美里といえどもだんだん部ちぎれそうになりつつあった。ああ、これがね、一年前だったら、私絶対貴史の急所蹴り一発決めていたはず。なのに、なんか中学に入ってから、貴史とのリズムがずれてきてしまっている。どうしてだろう。

 けど、言うことは言う。私は貴史の机を指先でばしっと叩いた。平手打ちしないだけましだと思いな。

「なによ、その言い方ってすっごく、やらしいよね」

「変なこと言ってねえだろ。要するに美里が意識しまくっているから、そう思うだけだろ」

「何に意識しているって言うのよ!」

「わかっているくせに、とぼけちゃってまあ」

 ここまで言われたら、やっぱり、蹴りを入れなくちゃ。

 さすがに青大附中の校舎内ではしたないことできないけど。校門を一歩出てしまえばよけいなこと考えなくてかまわないツーカーの幼なじみだもんね、貴史とは。明日の太陽を拝めるかどうか、まあ覚悟しといてね。

 私の考えていること、気付いているんだかいないんだか。貴史は私の顔をにやけて眺めた後、不意に肩越しに視線を向け、わざとらしく声を挙げた。

「あ、立村来たぞ!」

 そんなに叫ばなくたって、わかるわよ。

 立村くんの机にもう片っ方の手を置いていた。なんか変な感じ、指先を引っ込めた。自分の机と同じ材質なのに、違った冷たさが指先に残っている。指先をもみながら振り返ろうとすると、貴史が立ち上がってわざわざ私の耳元に擦り寄って来て、

「お待ちかねだろ」

 意味不明な言葉をささやいた。お互いのほっぺたがくっつきそうな距離で私はにらみつけた。

 とりあえず立村くんが席に着くのを待つことにした。

 教室の扉は開いたまま。立村くんの姿が垣間見えていた。


 立村くんは班ノートを四冊小脇に抱えて戻ってきた。社会科プリントではなかった。教室の扉をゆっくり閉め、班ノートをそれぞれの班に配った。手元に残った一冊を立村くん本人の机に置いた。なんで班ノートだとわかったかというと、三日前、私が描いたイラストが見えていたからだった。二本足で突っ立っていて、耳に大きなリボンをつけた猫の絵を、いろんな色のマジックペンで色つけしたのだ。可愛い感じの絵が私は大好き、自信作だった。絵に隠れて、「一年D組 三班 班名:エグザンブル」と、習字のお手本みたいな文字が横書きに書かれていた。立村くんの文字だった。班名は英語の得意な立村くんが、「受けの良さそうなものにすれば」と提案したものだった。私たちの班には、そんなことにこだわる人なんていなかった。

「立村くん、社会の先生のとこに行ってきたの?」

 ノートをはじき、つまみ上げ立村くんはかすかに頷いた。小さな声で、

「特別、自習用に用意されたものはないらしいんだ。先生たちも困っていたみたいでさ。評議委員同士で相談して好きなことやれってさ」

「ふうん、じゃあ、何やってもいいよね?」

「何もしなくてもいいんだろうな、あの調子だと」

 教科書を申し訳程度に机の上に並べ、立村くんは貴史に「だろ?」と言いたげな視線を投げた。私に確認すればいいのに。

「もちろん、そっちに賛成。な、美里もそういうところだろ」

「うん、やることないんだもん、しょうがないよね」

 立村くんは私に、一応って感じで合図した後、すぐに黒板に向かい、

「社会自習。自分たちで好きなことを自習すること」

 とだけ書いた。一気にクラスの歓声がいっぱいにあふれた。みんなそれを期待してたんだよね。こういう奴らのどこが「優等生」だっていうんだろう? ほら、だあれも自分らで勉強しようなんてまじめな人なんていやしないんだから。みんな、大喜びで自分の仲いい友だちの席に集まっておしゃべりしているじゃない。男子も女子も、こういうのって公立中学も私立中学も関係ないに決まってる。青大附中が優等生集団の学校だなんて、大嘘だ。

 ──附中って、ガリ勉ばかりでつまんないでしょ。制服は確かにかっこいいよ。ブレザーだもんね。でも灰色の青春だって噂をいとこの兄ちゃんから聞いたよ。ものすごく難しい宿題が毎日出るんでしょ。遊ぶ暇ないんでしょ。美里には合わないよ。そんな学校は。

 よく小学校時代の友だちにもそう言われた。周囲の大人にも「美里ちゃん、優秀よねえ」なんて勘違いしたお世辞言われて、背中が痒くなってしまったこともいっぱいある。第一、小学校時代、大嫌いな担任を叩きのめすために、貴史と一緒に走り回り蹴りをいれまくっていた私のどこが「優等生」だっていうんだろう?  

 私だって、受験の時は国語すっごくいい成績取ったから自信持って言ってしまおう。

 「優等生」とは清く正しく、先生の言うことを素直に聞いて、いつもさわやかにっこりしている連中」という意味だって私は解釈している。

 そんな奴、どこにいるの?

 悪いけどそんな奴らとはさっさとさよならしたい。

 ぶりっこしたり先生のめんこになって嘘ばっかり告げ口するような奴らとご機嫌取りしあうくらいなら、ひとりで学校さぼっていたほうがずっといいもん。

 けど、青大附中に清く正しい「優等生」なんていやしなかった。

 もちろん、成績はいい人ばっかりかもしれない。だけどみんなそれぞれ、自習時間の時は仲良したちとおしゃべりするし、勉強する時は先生の眼盗んでお手紙書くし、授業の時は先生の脱線話に盛り上がる。テスト勉強、授業、休み時間中、どんなささいなことだって、わくわくすることを発見し、どきどきするのがうまい連中の巣だった。

 だから私だってこの学校に毎日、気ままに通っていられるのだ。

 くだらないこと言いながら盛り上がっていられる貴史もいるし、他にも仲のいい友だちだってたくさんいるし、それに。

 ──立村くんだって、いるんだから。

 私は立村くんが自分の席に戻ってくるのを待ちながら、この前の放課後、評議委員の女子同士で男子品定めをした時の結論を思い出していた。

 一年D組男子の中で一番人気があるのが、後ろの席に座っているあの羽飛貴史だなんてなんかの間違いとしか思えない。もちろん中学に入ってから、貴史と私が幼なじみだという話をしたとたん、知り合う女子たちから争うように、

「すっごくいかしてるよねえ、羽飛って。ねえ、美里、付き合ってるの? やっぱり?」

 毎度毎度の勘違いを訂正してばかりいたし、なんとなく青大附中では人気のあるタイプかもな、とは感じていた。だけどそろそろメッキがはがれる二学期以降も、貴史人気が全く落ちないというのは解せなかった。貴史本人にも聞いちゃったくらいだ。

「あんた、自分がかっこいいと思ったこと、ある?」

「あたりまえだろうが! やっぱしなあ、俺の魅力を青大附中の女子たちは見逃さなかったってわけかあ、すごいだろ、なあ美里、ちなみにどこらへんにみんな惚れてくれてるのかなあ。その辺もリサーチしろよ」

 当然私は、貴史の後頭部に一発平手を食らわせて話を終わらせた。それが二日前のこと。

 十年近くも一緒に遊び、つるんでいる相手のこと、もちろんいい奴だとは思うよ。面と向かってそんなこと言わないけど、お互い様よね。

 ──でも、いいけどね。

 私はそっと立村くんの姿を目で追った。

 青大附中の制服が、とにかくよく似合っているのだ。遠目で見ると濃茶のブレザー制服なんだけど、よく見ると大きめのチェック模様がすっきりと織り込まれている。男子も女子も同じなんだけど、女子が襟元ふんわりと細いリボンを結ぶのに対して、男子は厚みのある共布のネクタイで決めることになっている。大抵の男子は襟元をぐしゅぐしゅにして、なんか勘違いしたようなきざっぽさを出そうとするんだけど、立村くんだけは違う。いかにも糊付けぴしっとしました、って感じのシャツに衿のネクタイを崩さないように結んでいる。

 いっつも貴史みたいな、「一歩間違うと不良」っぽい格好に目が慣れているせいか、立村くんの姿を見つめるたび、「あ、もしかしたらここが青大附中のイメージなのかも」と感じてしまう瞬間がある。立村くんと話をしている時だけ、ここが「優等生」の集まるちょっと気取った学校なのかなと感じてしまい、なんかしゃべるのが早口になってしまう。立村くんはただ、きちんと制服を着こなしているだけなのにね。

 ──どうして誰も立村くんチェックしないんだろう。話に出るかもって思ってたのに、みんな女子たち、貴史と南雲くんのことばっかり話してて、変!

 貴史なんかネクタイなんてまともに締めていないもんね。今日はちょっと寒いのに、あいつ、ワイシャツのボタン二つ開けたまま歩いているんだよ。信じられない、センスないよね。 ──立村くんは貴史よかずっといいもんね、顔も性格も、悪くないと思うんだ。


 立村くんはそっと教科書をどかして、班ノートをめくった。昨日立村くんが書く番だった。一足お先に私は貴史からノートをまわしてもらい、読んでいた。順番としては立村くんの次に貴史が担当なのだけど、やっぱり立村くんの文章は先に読んでみたいんだもの、しょうがない。

 班ノートはいつもだったら、担任の菱本先生が給食後の昼休みに返してくれるはずだった。今はまだ二時間目。ずいぶん早い。

 私はちらりとのぞき込み、疑問を投げかけてみた。

「先生、なにかコメント、書いてある?」

 立村くんは顔を上げて、違うといいたげな表情を見せた。

「もう一度、俺に書いてこいって」

 貴史も一緒にのぞき込み、ほうと目を見開いた。

「昨日の内容がお気に召さなかったらしい」

 四角張った言い方で、立村くんは呟くと、私にノートを開いたままよこした。あれ、順番、次は貴史じゃなかったのかな。いいのかな、受け取って。思うより先に両手で受け取ってしまい、また貴史ににやにやと言われてしまった。

「立村って、美里には妙に親切だよな」

「そんなことないよ」

「あるわけないじゃない!」

 本当に「そんなことない」って顔で返事した立村くん。

 少しくらい「それが悪いか」みたいに言ってくれたっていいのにな。そんなことより貴史よ、頭に来るのは。 

 ──うるさいわね。やっぱり二人っきりの時にけりを入れなくちゃだめね。

 放課後の帰り道、しっかり痛い目に遭わせてやらなくっちゃ。取り返される前に私は急いで班ノートのページを開いた。



十月二十日 晴れ 立村 上総


 今日の抜き打ちテストは難しかった。

 涙が出るほど快感だった。因数分解を解くのも楽しかった。二次方程式も感動的だった。三平方の定理にいたっては、頭から火が出るほどうれしかった。

 清坂さんは満点だったらしい。羽飛くんはカンニングしないで九十点を取っていたし、古川さんも杉浦さんも八十点を取っていた。第一この僕でさえ、七十をキープすることができたのだから、奇跡だ……という夢を見た。予知夢だと思っていた僕がおろかだった。一度でいいからこれが現実になってくれたらと、つくづく思う。

 世の中はままならないものだ。


「そんなに問題あること書いてないじゃない」

「つまり、俺がいつも書いている内容だと、あの人には物足りないらしいんだ」

 立村くんは私から視線を逸らしたまま答えた。隣の貴史も首をひねりながら、

「何が物足りないんだよ」

 私の手からノートをひったくり、同じ箇所に目を通した。「ふーん」と鼻を鳴らし、

「立村にしてはおもしろくねえじゃねえか、なあ」

 私に相槌求めて、ノートを閉じ、立村くんに向かって投げて返した。


「立村、お前さ、いつも思うんだけどな、どうしていつも数学の答案、名前だけで出すんだ?」

 立村くんは困った顔していたけど、それなりに言い訳はしていた。

「試験中、覚えていた公式とか計算の約束事とか、みんな忘れてしまうんだ」

「掛け算九九もかよ?」

 実際班ノートに記されていた通り、立村くんが昨日の数学抜き打ちテストで、相当悲惨な点数を取っていたもの。いつも数学の先生は、採点済みのテストを返却する際、立村くんにだけ言い添えるのを、私はいっつも聞いている。

「立村、たのむからいいかげん九九を間違えるようなことはしないでくれ。英語の勉強に使っている脳みそをだな、ほんの少しでいいから数学に回してくれよな」

 そんなにため息たっぷりに言わなくたっていいじゃない。

 立村くんだって青大附中に合格するくらいなんだもの、私や貴史と同等のの計算能力は持っているはずなのに。だけど実際、私は立村くんが数学の授業中に問題をひとりで解いたのを、今の今まで見たことがない。

「そのくせあんな分厚い英語の本、辞書もひかねえでよく読めるよなあ。そうだそうだ、立村、物は相談なんだがな」

 貴史がその後立村くんに持ちかけた提案に、私は思わず拍手喝采したくなった。

「お前が数学全然アウトなのはよっくわかった。これから数学の宿題で出た問題の答えを、俺と美里が一緒に解いてお前に渡す。そいで、代わりに立村、お前は英語リーダーの訳を毎回出す。それでお互い取引とんとんってとこだけどな、どうだ、名案だろ?」

「いや、それなら今すぐ教科書の訳、すべて渡すよ。もう五月の段階で、全部訳できてるし」

 話の流れでなぜか、私と貴史は今年一年分の英語リーダー訳をもらえることになってしまった。「あんちょこ」がないわけじゃないんだけど、でも嬉しい。立村くんの手書きコピーがもらえるなんて、なんてラッキーなんだろう!


 けど、なんで菱本先生、立村くんをいきなり呼びつけたんだろう。

 私にはやっぱりぴんとこなかった。

 立村くんが自分の思ったことをまじめに書く人じゃない。同じ学年で起こった出来事について一言物申すことはまずない。たとえば一学期に一年A組で起きたという女子更衣室内の下着盗難事件についてだけど、かなり大きな騒ぎになったことだったし、みなシャーロック・ホームズか明智小五郎にでもなったような気分で思いっきり語っていた。中には班ノートにそのあたりのことを書いた人もいるらしい。でも立村くんはそういう話に入ってこなかった。単純に関心がなかっただけだと私は思うんだけど。

「つもり積もった怒りってものだろうな。菱本さんが言うことには」

 立村くんは指先でつんつんと班ノート表紙の猫をつついた、

「俺が本当に書くべきことは、こんなふざけたことではないんだってさ。心の底から叫びたいことあるだろうとかさ、なぜ本当のことを語ろうとしないんだ、とかさ」

 地図帳を取り出し、投げやりに立村くんは呟いた。

「父子家庭の子どもは思い悩まなくてはならないものだと、あの人は信じているらしいね」

 露骨に菱本先生のことを「あの人」と呼ぶ立村くん。

「おい、そんなこと言われたのかよ、もろに」

「暗示してたな」

 立村くんの家はお父さんと二人暮しなんだと、入学式直後に聞いたことがある。なんだかそれって、立村くんのお坊ちゃま然とした雰囲気と重ならなくてもっと詳しく聞こうと思ったんだけど、貴史にどやされてそれ以上話題にすることがなかった。そのうち、そんなことなんてあっという間に忘れてしまった。明るいことで話したいことは一杯あったんだから。

 ああ、なんか重たい話題になっちゃったな。こういうの苦手。一抜けた。

 私は右隣に座っている古川こずえに話しかけた。


 けどどうして女子同士の話って、同じものになっちゃうんだろう。

 小学校の頃はこんなに男子のことで盛り上がるなんてこと、ほとんどなかったのにね。

 ま、こずえだからしょうがないか。

「そうだ、前から思ってたんだけどさ。美里って面食いだよね」

「なんでいきなりそんな話になるのよ」

「今まで聞いた話からして、そう判断したんだけどね、ね、加奈子ちゃん?」

 こずえはくせのないショートの髪を指先でくいくいひっぱりながら、私の反対隣にいる加奈子ちゃんへ声をかけた。黙って頷いているだけだった。

 こずえと加奈子ちゃん、そして私。二学期の間は、この三人が同じ班となる。

 別に加奈子ちゃんに話を聞きたいわけじゃないんで、私はすぐに言い返した。

「露骨なスポーツばかは好きじゃないけどね。どちらかいうと文武両道タイプかなあ」

「難しい言葉使っちゃってさ。ふうん、でもさ、なんか美里、かっこいい男子がいっぱいいるのに、どうしてそういうパターンの男子ばっかし選ぶのかなあ」

「そういうパターンって何よ」

「今どきはやらない病弱な王子様タイプにあこがれてるんだもんねえ。絶対それって、趣味じゃないよ、美里に合ってないって!」

 人の好みをとやかく言われたくない。こずえにずっと前、「美里って小学校の頃から彼氏いた? で、どこまで行った? まさか羽飛なんてことないよねえ」とか変なことを聞かれて、適当に答えたら勝手にいろいろ想像しているらしい。私が答えたことってたいしたことじゃないのにな。貴史とは単なる幼稚園からの腐れ縁だってことと、私が好きになったことのある男子はみな貴史と正反対の頭いいお坊ちゃまタイプだってことくらい。そして当然、彼氏なんていなかったってことも。あたりまえじゃない。小学生だったんだから!

「そっか、でもそう考えると、美里、このクラスには本命なんていないよねえ」

「まだ選んでいる最中! どうだっていいでしょそんなの!」

 まずい、つい口滑らせてしまいそうになっちゃった。こずえはこういうところ鋭い。見逃さない。さらにぐりぐりやられた。背骨をぎゅうぎゅう親指で押してきた。「感じる? 感じる?」とか言いながら、

「ははん、もしかして、いるんだ、D組に」

 こんなところで変なこと言ったら大変だ。後ろの男子席には貴史も立村くんもいるのだ。もし貴史に聞かれたりしたら「おい、お前、惚れてる奴、いるのかよ」とかにやにやしながらまた突っ込まれるんだ。話の流れによっては教室で思いっきり平手打ち二発かましちゃうかもしれない。そんなとこ、立村くんに見られたくない。かっとなったら何しでかすかわからない自分の性格は、よっく理解しているつもりだった。

 まずは話を逸らすことにした。こずえだって男子に関するアキレス腱、ちゃんとあるんだもの。肘でつんつんつっついて、耳にささやいた。

「それより、こずえの方はどうなのよ」

「やあだ、知っているくせに、ねえ」

 シャープの先をくるくる回しながら、こずえは貴史の机を指し示した。大きなどんぐり眼をくりくりさせて。男子たちに勘付かれないように、声はちっちゃかった。やっぱりこずえもそういうとこが、女子なんだ。合わせて気遣いするしかなくって、私もこずえだけに目配せしてささやいた。

「どうでもいいけど、あんな奴のどこがいいのよ。人の趣味をとやかく言う権利、こずえにはないと思うよ」

「羽飛かっこいいしさ、それ以上に面白いじゃん。ほら、やっぱし初めての彼氏を選ぶとしたら、顔よりも性格最優先しなくちゃねえ」

「あいつが、性格で選ばれる奴なわけ?」

「でもね、無理だってこと、わかっている」

「あれ、いやに弱気のこずえじゃない」

「だってね、あいつの本命が誰かってわかるもんね」

「まさかと思うけど、私と勘違いしてない?」

 よく誤解されることだった。幼なじみの宿命だった。

「わかってるよねえ、恋のライバルが大親友だなんてねえ、私も悲劇のヒロインよね」

 どう見ても喜劇、って顔でこずえはあっけらかんと答えた。くいっと制服の両胸に手を当てて、きゅっきゅともむしぐさをした。やだな、男子がいるのに。

「うーん、けどさ、ここだったら美里になら勝てるかなあ。よっし、今度なんとかしてバストアップ運動、しなくっちゃ。やっぱし男子って、ボインの女子が好きみたいだって、うちの母さん話してたしね」

 なんかわかんないけど、むかっときた。襟元のリボンを直す振りして、私は手首で胸元に触れた。平べったいわよ、どうせ。どうだっていいじゃない!

 理由を問いつめたいけれど、やめておいた。

 そばで加奈子ちゃんは無言のまま私たちを見つめていた。


 私が入学式直後、一番仰天した言葉。

 ──すっごくいかしてるよねえ、羽飛って。ねえ、美里、付き合ってるの? やっぱり?

 第一声で発してくれたのがこずえだった。私の見たところ、どうやら一目ぼれしちゃったようだった。あいつが全然こずえの名前と顔を一致できない頃から、「ねえねえ、羽飛って小学校の頃、経験したあ?」とか大きな声で話し掛けたのを聞いた時は、さすがに私もこずえから距離を置こうかと思った。貴史もそうとうびびったらしい。あとで私に、

「あの、美里の前に並んでいる女子、あいつ、すげえ怖えな。あいつから俺逃げるからな」

 退避宣言されてしまったじゃないの。ま、貴史も一学期が終わるころにはこずえがなに言ってもねちっこくしない子なんだってわかって、今では他の女子たちよりも話をする回数が多くなったけどね。私の協力もあるんだよ、感謝しなさいよ。

 

 左隣で加奈子ちゃんは笑っていた。いつもふんふんと話を聞いている子だった。特定のグループに入っているわけでないし、こずえと違って私のことを「清坂さん」と苗字で呼ぶ。「仲良し」と言うにはちょっと距離があった。

 いやな子ではないのだ。同じ班のよしみで、おしゃれな髪ゴムの話とか、ファンシーショップで最近出たばかりのキャラクターグッズとか、そういう情報交換はしょっちゅうしている。両サイドを編みこみしている髪形は、長かった頃に私がしていたのと同じものだった。悔しいけど、加奈子ちゃんの方がずっとよく似合う。ほわほわっとした赤ちゃんみたいな顔しているからかもしれない。ショートにしてよかった。

 いや、そんな髪形のことが気になるからじゃない。もともと加奈子ちゃんって子は、クラス女子どのグループにもなじめる感じの子だったのだ。私がどちらかいうと、やっぱり貴史中心とする男子グループとおしゃべりすることが多くて女子の仲良しはこずえが一番、って感じなのに対して、他の女子たちはやはり女子同士でつるんでいることが多いのだ。たぶん、クラスの女子で一番男子と話しているのは、私だと思う。これは小学校の頃から変わらない傾向だから、そんなに変なことじゃないと思うんだけど、いつの時代もやっぱり「清坂さんって変」と言う子がいるらしい。結局、色合い的に男子寄りの女子グループと遊ぶことが多くなるというわけ。加奈子ちゃんはタイプからして、決して男子中心のおしゃべりグループには属していなかった。それでいて私やこずえの話を黙って聞いている。

 これはかなり、女子同士の関係としては、危険なことだった。

 私も永年、女子同士のバトルで経験しているからよくわかる。

 ──加奈子ちゃんには聞かれないようにしなくっちゃ。

 念には念を入れておかなくちゃ。私だって、もう小学校の時みたいに、無駄な女子同士の小競り合いなんて、したくないわよ。立村くんに私のこと、「暴力女子」だなんて思われたら大変だもん。


 無理やり話を締めくくり、私は手元にあった青い地図帳をかざしこずえを誘った。

「『都市探し』やろうよ! 地図帳あるし」

「私、地図帳忘れてきたんだ。美里、貸して」

「じゃあ、交代で使おうよ。順番決めのじゃんけんしよ」

 自習時間最大の楽しみは、教科書や文房具をフルに生かした遊びで盛り上がること。その中でも「都市探し」と呼ばれるゲームは、地理の授業がある日限定のお楽しみだった。

 じゃんけんでまず、問題を出す人を決める。

 「ローマ」「ニューヨーク」「ロンドン」といった風に、出題者は世界地図の中から都市名を告げ、他のメンバーに探すよう指示する。地図帳の後ろにある「都市名索引」と勘を頼りにその場所を探り当て、一番最初に「見つけた!」と叫んだ人が勝利者となる。次は勝利者が指名者となる。

 手元に地図帳がないと話にならない。ちなみに歴史の授業の時は、年表を開いて歴史上の出来事を挙げて同じように探すゲームをやる。

 こういうゲームは少人数だと物足りない。いつもは班のメンバー同士、男女仲良く盛り上がる。もちろん今日だってそうしたいところだった。

 立村くんと貴史のふたりだけ、まだ真剣に話をしている。もうひとりの男子班員は別の席にいっちゃった。まあいっか。「地図探し」やるならこのふたりも入れなくっちゃ。私は肩越しに振り返った全く私たちの会話に興味がないって顔をして、ふたりは歴史のノートにそれぞれ何かを書き込んでいた。

 私は立村くんの机に近づいて、覗き込んだ。

「何やっているの?」

「班ノートのねたを探してるんだ」

 立村くんは視線を合わせず答えた。

 地理用のノートに、単語がいろいろ並んでいる。

 ──「家庭」「悲劇」「さみしさ」「涙」「感動」「先生好み」「本音」「建前」「裏」

「キーワードで何か連想しようとしてるのね」

 私はできるだけおとなっぽく聞こえるように言ってみた。

 班ノートかあ。立村くん、そうとう菱本先生に呼ばれたこと、頭にきてるのね。

 菱本先生は私からしたら、すっごくいい先生だと思う。とにかく学校行事命・一D命・生徒命、もちろん青大附中命。独身、彼女有。とにかく熱く叫ぶのが好きな青春熱血教師だ。 貴史曰く、

「菱本さんひとりいりゃあ、学校行事の応援団、いらねえわな」

 誰かが落ち込んでいたりすると、ホームルームの時にいきなり指名して、

「よお、お前、どうした。元気ねえなあ。ほら、じゃあ俺のパワーで元気だせ!」

 とか意味不明の激励と背中に一発ばしっと手型をつけそうな気合の入れ方。

 二十八歳と十三歳というジェネレーションギャップはかなりあるし、たまに一昔前のギャグを飛ばして周りの空気を白くすることもある。もちろん、貴史やこずえが、

「先生、あまり白いギャグ飛ばしてると彼女に振られるぞ」

 みたいなことを言って、和ませたりするけど。

 ただその反面、落ち込み最高の時に菱本先生の気合付けをされると、正直鬱陶しくなってしまうこともあるわけで、

 ──勝手にしてよ。

 そう言いたくなる立村くんの気持ちも、わかる。

 たとえばこの班ノート。

 班ノートなんか作って、何の役に立つんだろうね。誰だって、先生に読まれていいことしか書かないよ。私だってそう。それこそぞっとするくらい、優等生っぽい文章でもってクラス批判なんてしちゃっている。私のくせでなにかあると、ついエキサイトしたこと書いちゃう。すぐにこずえあたりから「いいかげんにしなよ」ってたしなめられ、初めて自分の書いたことのうそ臭さに気付いてしまう。一学期につい、

「評議委員だからといって、なんでも私に押しつけるのはやめてほしい。先生にいいたいことがあるんだったら、自分で聞きに言ってほしい。職員室に行くのがいやなのはわかるけど」

なんて、白々しいこと書いたもんよね。一D評議委員としてのりっぱなお言葉。ばかみたい。心なんてちっともこもってない、文章の羅列。うんざりだ。

 本当のことなんて、みんなの眼に触れるところに書くわけない。

 みんなの目に触れるところでこんなこと書くなんて、私には絶対できない。


 十月十七日 杉浦 加奈子


 私は小学校の時に、いろんな人から「なに考えているかわからない」と言われていました。きっと、今でもそう思っている人がたくさんいると思います。でも、変なことはちっとも考えていません。ここの班に入って、清坂さんや古川さんと友だちになれて本当によかったです。附属に入るために、勉強が大変で辛かったけど、仲良くできる友だちと出会えて、とってもうれしくなりました。みなさん、これからも私と友だちでいてください。お願いします。


 菱本先生の一言が直後に続いている。赤いボールペンで、強い筆圧だった。ページの裏に跡が残っていた。

『杉浦さんは、やさしい人ですね。きっと小学校の人たちはそこのところを理解できなかったのでしょう。でも、このクラスの人たちはそんなことありません。どんどん友だちを増やしていってほしいと思います。何か辛いことがあったら、どんどん先生に話してください』

 うそ臭いこと書いちゃって。ほんとにそんなこと思ってるの、加奈子ちゃん。

 菱本先生の受けをよくしたいだけなんじゃないの?

 先生に話したいことって、こんなきれいごとばっかりじゃないよね!

 私の正直な感想だった。

 

 あとの連中はその辺了解済みで、ほとんど冗談を絡めて書くようにしていた。たとえば前の晩に見たテレビアニメの感想文とか、我が家のペットの話とか、文章書くのが面倒な人は一ページをイラストで埋めたりとか、そんな感じだった。別に本音を隠しているわけではなくて、無理にしゃべる必要がないだけだった。だって、お姉ちゃんと取っ組み合いの大喧嘩したとかその時髪の毛一束ひっこぬいたとかそんな話、面白くないもの、したくないでしょうに。で、うっかり筆を滑らせてしまうと、熱血教師菱本節が炸裂する。たとえば今の立村くんみたいに。

 ──『さあ、先生に話してごらん』だもん、疲れるよね。。

 そんな鬱陶しい班ノート、廃止すればいいのにという声がないわけではないし、たまにロングホームルームでそんな意見が出ることもある。けど、メリットが全くないってわけじゃない。たとえば自分が書く番の夜、他の班員たちの筆跡をじーっと眺めることとか。たとえば立村くんの綴る文字が、どうして習字のお手本みたいに上手なんだろうって考えることも、一人でこっそり読み上げてみたりすることも。やっぱり、紙に残っている文章だから、できることもある。

 最近は立村くんはレポート用紙の切れ端に書き込んで渡してくれるようになった。

 もちろん捨てないで保管しておいて大丈夫。

 私だけの、立村くんの言葉が机の引出しいっぱいに膨らんでいる。これって進歩だ。


「まずだな、最初に立村の悲劇的家庭状況を書く。少しオーバーにだな、シリアスにやってくれ。その後で、クラスの状況についてどまじめに論じる」

「論じるテーマは何にする?」

「このクラスに問題があるってことにしようぜ。たとえば、例の数学抜き打ちテストが、全クラスで最低平均点だったとかさ」

「すべて責任が俺にあると言いたいんだろ。羽飛」

「ちょっと墓穴掘っているよな」

 しばらく男子を無視して私たち女子チームは『都市探し』に熱中したふりをしていた。もちろん二人の会話には聞き耳を立てたままで。さっきこずえが出題者に回ったのだけど、まだ見つけられずじまい、ずっと索引と地図の四角い区切り線を指でなぞりつづけている私に、

「ちょっとストップ、休憩しようよ」

 こずえが飽き飽きしたという顔で地図帳を閉じた。

「美里、ずっと上の空なんだもん。乗ってこないしさあ、集中力足りないよ、ったくもう」

「別にそんなつもりじゃないんだけどな」

 十五分くらい過ぎている。ひとまず切り上げるにはほどよい頃合いだった。なんでもないって顔して後ろの席を振り返ると、いきなり貴史と目が合った。あんたなんかと視線交わして何が面白いって言うのよ。貴史もタイミングが悪かったんだろう。

「ちぇっ」

 と舌打ちし、立村くんと話すのをいったん休止した。

 立村くんも同じように黙ってノートに向かった。

「なによ、こそこそやって」

「うるせえな」

「見ちゃまずいことしているわけ」

「女には関係ねえよ」

 ノートの余白に書かれた漢字の群れはぐっと増えていて、ノート半分くらい埋まっていた。立村くんのノートには文章としてまとめたものも見開きいっぱいに連なっていた。

 いくらなんでも男子ふたり、先生の眼が届かない場所において、まじめに自習をやるような玉じゃないと重々承知している。

 私は立村くんをきゅうっと見つめてみた。

 うっかりしたら見破られそうになりそうで、怖い。たいていは不思議そうに見返されるだけだったけども。

 立村くんはちょっとだけ目をそらした。すぐに戻して、口元を微かにほころばせた。

「別に清坂氏になら知られても困ることじゃないしさ」

「そう。じゃあさ、今日の評議委員会、立村くん出るでしょ。その時に教えてちょうだい」

「覚えていたら」

 貴史は私と立村くんとのやりとりを怪訝そうに眺めて、またまた余計な一言を放った。。

「まったく、立村は抜け目ねえ奴」

 ちろっと私の方をにらんで、自分のノートをぱたりと閉じた。

 こずえのような物好きでもなければ、貴史なんて拾ってもらえないんだからね。

 少しは立村くんの紳士的な態度を見習いな。

 私は心の中で貴史にあかんべえをしてやった。やっぱり今日の放課後は一発、蹴り、だわね。


 中学入学式で、貴史と立村くんは、私よりも一時間だけ出会うのが早かった。

 「は」行の貴史と「ら」行の立村くんと、ちょうど席が前後していた。すぐに周りの男子と溶け込めるタイプの貴史だもの、真後ろに座っている立村くんに「よう、お前、どこの小学校から来たんだ?」って声を掛けないわけがなかった。立村くんも貴史の挨拶を露骨に無視するような真似はしなかった。

 式典が一段楽して、せっかくなんだからってことで貴史は大学の学生食堂に立村くんを誘い、さっそく友情を語らうつもりだったらしい。私もその日はどっちにせよ貴史と何か食べて帰るつもりでいたので混ぜてもらうことにした。あとから貴史に、

「お前なあ、いくらなんでもなあ、入学早々、男子二人と食事をしていくっつうのは、他の女子からしたらぶっとぶぞ。まあ、最初からそれが普通だって言っときゃあ、面倒でねえかもな」

なんてあきれていたっけ。確かに次の日以降、一部の女子たちが向ける視線にちょっとため息をつくはめになった私だけど、すぐにこずえと仲良くなったからそんなに鬱陶しい思いはしなかった。私と貴史が、喧嘩友だちとも親友とも言い難い関係だってことを、こずえたちには早い段階で説明できたからよかったのかもしれない。そういえば、入学式当日も私、立村くんにも歯切れ悪く言い訳したな。あの時、立村くんどう思っていたんだろう。初対面から帰る時まで、穏やかな表情で話を聞いてくれていたような気がする。口数自体は少なかった。私と貴史との毒舌独壇場だったから、当然だ。

 自分がいつも通り振る舞えるような場所をこしらえたかっただけだった。

 たとえ青大附属が「エリートの巣窟」と思われていようとも、私は私、清坂美里。言いたいことは言うし納得いかなかったら蹴りを入れる、そんな私でいたかった。優等生気取りなんてしたくない。仲良しになりたい奴には、男子女子関係なくおしゃべりしたかっただけだった。その後一部の女子たちから「清坂さんって、なんか、男子たちといちゃいちゃしてない?」なんてささやく陰口にも最初から引く気なんてない。そんなに私が目立つんだったら、あんたたちも好きな男子たちにどんどん話し掛けなさいよ。みんな、楽しくしゃべってくれる相手には、男子女子関係なくにっこりしたいって思っているんだよ。

 

 立村くんはクラスの女子から全く男子として評価されていなかった。

 これは本当にびっくりした。

 背丈だろうか、顔だろうか、それとも性格だろうか?

 どうしても私にはそう思えなかった。そりゃあ女子は、背の高い男子をかっこよく感じる傾向があると思うけど、それいうならクラス人気ナンバーワンの貴史はどうなるんだろう。悪いけど貴史は、立村くんよりも前にいつも並んでいるんだけどな。二学期の段階で言うなら、立村くん、背の順番で並んだ時はいつも貴史のすぐ後ろに付けていた。真ん中よりちょっと後ろ寄りだった。貴史が怒っていたっけ。

「なんで立村より俺の背が低いんだ!」

って。男子って背の高さ、異常なほど気にするんだもん、ばっかみたい。

 顔もどうなんだろう? ま、うちのクラス、男子って芸能人ばりにメリハリくっきりしたタイプのお顔持ち主が多いし、どうしても立村くんが地味に見えるのはあるかもしれない。

 瞼が一重のようで二重に見える。唇も薄く桜色。にきびなんてひとつもない。

 それに普段のしぐさだって、下手したら女子よりも礼儀正しいかもしれないっていつも思っていた。きちんと背筋を伸ばして、上手に箸を使い、口の中のものを見せないで食べる仕草が、見ていて気持ちよい。私は下品にものを食べる人がどうも好きになれない。別に貴史のように犬食いするからって言って嫌いになるわけじゃないけど、やはり立村くんと並ぶと見劣りしてしまうとこは、絶対あると思う。どうしても立村くんが、他の男子たちよりも「王子さま」に見えてしまうのは、私の目の錯覚じゃないって、すっごく思う。

 私は一度も立村くんのよさを他の女子たちに訴えたことなんてない。

 だって変な誤解されて、噂が立ったらまた面倒じゃないの。

 だけど、入学式以降ずっと続いている立村くんの低評価を聞かされるのに、私は少しうんざりしていた。皆口をそろえてそういうんだもの、そりゃ私は貴史を通じて、他の女子たちよりも少し立村くんと話す機会が多い。だからいいところが目についてしまうのかもしれない。だけど、

「顔はお坊ちゃまだけどねえ、立村くんは。けどさ、陰気だよね、女子にもあまり話し掛けないし。人の顔色見て話しているみたいでつまんなさそう」

 これはないんじゃないのって言いたい。あんたたち、立村くんを判断することできるくらい話したんだろうか。クラス女子たちが出した、二学期以降立村くんに下された評価に、私は心の中で真っ黒くバッテンを付けていた。


 もっとも我が親友・古川こずえは別の切り口から、立村くんを観察していた。

「立村? ああ、あいつはね、まだガキなのよ。うちの弟と同じ」

 たぶん私よりも直接立村くんに話し掛けているのは、こずえだと思う。

 本人曰く、「まず馬を射よ、ってとこよ」。

 つまり、貴史を射落とすきっかけとして立村くんに声を掛けたらしい。そして私とは全く違う視点から立村くんの「よさ」を見つけたらしく毎日、

「立村、それにしてもあんた、欲求不満溜まった顔してるんじゃないの、ったく少しはスケベ話でもして男子としての持久力付けなさいって!」

 って声を掛けている。

 この前は黙って項垂れている立村くんに、とうとうとお説教までする始末だった。 

「あんたさ、女子に対しておびえているでしょが。羽飛を少しは見習いなよ。あいつだったら教科書忘れたときとかさ、しょうもないギャグを思いついた時とかさ、気軽に話し掛けるじゃないのさ。立村はいっつも、他の奴が声掛けるまで黙って待ってるだけじゃないの。この前だってそうだよ、あんたに先週英語の訳を写させてもらうつもりで、ノート借りたことあったじゃん。勝手に持ってったのは悪かったと思うよ。けど机に置いていたし、毎週貸してもらってたから事後承諾でOKかなって思ってやったことじゃん。美里にだってそうさせてるしさ。まあ一言言えばよかったよ。でもなんで、私にノート返せって言わないで、羽飛にノート、貸してもらおうとするわけ? 知らなかったわけじゃないでしょうにねえ。。一声、かけてくれればいいのに。ごめんねと会ってあやまるのに。私が怖かったわけ? 羽飛が気付いて、私からノート奪い返しにくるまでじいっと他力本願してるのって、悪いけど女子からしたら、恋愛対象には絶対ならないんだよ、よっく覚えておきな。ほんと立村、あんた見てるとさ、うちの弟思い出してさ」


 これをこずえの側で聞いていた時、かあっと顔が熱くなった。だって、こずえの言うことをそのままうのみにしていいんだったら、立村くん。 

 ──私以外の女子には人見知りしているってこと? 私だけ?

 もちろん、私の思い込みかもしれない。単純に私が貴史の幼なじみだから、男子同士の付き合いもあって心を許してくれているのかもしれない。くやしいけど認める。それに貴史ときたら、入学式当日から今日にいたるまでずうっと、私がやらかしてきた事件の数々を立村くんに吹き込んでいるらしいのだ。もちろん私のしたことには貴史もからんでいて、小学校時代はほんと爪あとを残す戦いを先生およびむかつく同級生や先輩たち相手にやらかしてきた。嘘じゃないから、しゃべるのを止めることはできなかった。だけどほんとに悔しい。貴史と冗談でやりあっていることを立村くんにもするかもしれないなんて、勘違いされたらどうしよう。けど、こずえの言うことによれば、貴史の言葉になんて特段影響されることなく立村くんは私を「話しかけられる数少ない女子のひとり」として選んでくれたということになる。

 

 貴史に頭を下げるのは少し悔しい。けど、立村くんとコンビを組む形で評議委員になるきっかけをこしらえてくれたのは、感謝しなくちゃって思っている。

 貴史の場合決して優等生ではないんだけど、クラスのお祭り騒ぎを守り立てたりするのは得意な奴だった。いやな担任がいない限り、いつも私と一緒に貴史がリーダーとなって動いていた。これが六年間続いていたし、たぶんあいつが立候補してくれるだろうと思っていた。あいつが評議委員になるんだったら、私が一緒にやるのも面白いかなあなんて考えていたから、知らない子が私を推薦した時あっさり「わかりました、私やります」って答えたのだ。たぶん私が入学式から妙に目立ってしまったから、勝手に目をつけられてしまっただけなのかもしれない。

 ところがびっくり、男子がみなもそもそしていて誰も立候補しようとしないじゃないの。

 貴史の顔を見たら、あいつまたにやにやして見返すし、いったい何考えてるんだろうって思ったら、いきなり、

「あのー、俺の個人的意見で、立村くんを評議委員に推薦しまっす! 俺が推薦するんだから、間違いないって」

 全く説得力のない理由で、貴史が立村くんを推薦したのだ! 

 周りが信じられないムードに包まれた。結局誰も自分から手を挙げる人がいなかったのと、立村くんが困った顔しながらも辞退をしなかったので、いつのまにか私と一緒に評議委員に決まってしまったわけだった。

 ちなみに青大附中の場合、委員会活動が部活動よりも最優先されるしくみになっていて、一度決まった委員は三年間、よほどのことがない限り変更されないのだという。形式上、委員の前期後期選出は行うけれども、ほとんどが前期からスライドする。委員会というよりも、「評議委員部」に入ってしまった、って感じだった。

 つまり、三年間、私と立村くんはD組の中で評議委員としてコンビを組み続けることになる。これって、立村くんがどう考えているかわからないけど、私はそれでいいと思っている。もちろん、今だって。


 まいどのことだけど、いつも周りの人たちに誤解される問題はひとつ。

 ──清坂さん、羽飛と付き合ってるんでしょ? でなかったらあんなに仲良くしゃべれないよね。

 もう、入学式から同じ質問を何度投げかけられてきたことか。

 貴史も同じような感じらしいけど、やっぱり男子と女子との温度差はあってあまり面倒なことはないらしい。「ちゃうって、単に気が合うだけ、一緒につるむのが多いからなあ、ま、お前も試してみろよ、美里、結構そういうとこさばけてるからなあ」とか意味不明なこと言って煙に巻いているらしい。

 男子はいい、ほんとに楽。

 どうして女子ってこうも面倒なんだろう。

 貴史にお熱のこずえにも、

「あーあ、羽飛をどうやって落とすか、だよねえ。美里が早く誰かの彼女になっちゃえば、私も安心してアプローチできるんだけどねえ」

 今だってやりすぎるくらい下ネタでアプローチしているくせに、ため息つきながら嘆かれる。いいじゃない、私だってそんなの気にするつもりないんだから、さっさと付き合ってもらえばいいのに。こずえはああ見えて地は女の子らしいとこあるから、貴史ももう少し色めがねをはずして見ればいいのにな、とか思う。

 まあ、貴史ファンの女子が鈴なりになっている現状を考えると、私の立場もかなり難しいものがあるのだろう。私がいつもののりで貴史に冗談かましたり頭をぼこっと叩いたりするたび、視線が突き刺さってくる。女子だけしかいない……たとえば女子更衣室とか……ではいやみったらしく、「羽飛って元気なタイプの女子が好きなんだよね」「でもあいつアイドル好きなんだよねえ、だったらもっと可愛い感じの方がいいかも」とか、聞こえよがしにさえずるのはやめてほしい。そんなに好きならどうしてさっさと、それこそこずえみたく「好きです」って言わないんだろう。貴史の好みは私も正直、理解不能なので受け入れてもらえるかどうかはわからないけども、それでも何にも口にしないでため息つきあってるよりはずっと健康にいいと私は思う。

 けど、今のところ、私と貴史が一緒に帰る時、割り込んで来て、

「羽飛くん、一緒に帰ろうよ!」

 って誘おうとするのは、私の知る限り、こずえだけだ。

 小学校の頃からこの問題にはうんざりしてきたけども、青大附中にきても全く解決されていないなんて、やっぱり女子、私立公立関係なく、共通するものがあるのね。うんざりだ。

 ただひとつだけひっかかるのは、立村くんに貴史、どんな風に説明しているんだろうってこと。こずえに対して私がしたように、貴史がわかりやすく「あれは誤解だっての」って言っているかどうか。非常にあやういところだ。

 もしかして、立村くんも私と貴史のことを、そういう風に考えているのかな。

 

 あまり付き合いのない女子たちに下手に言い訳して、かえって誤解されるのもなんかいやなので、今のところはなあなあにしている。だって、

「私は貴史とつきあってなんていないよ」

とつっぱねた場合に次の段階、

「じゃあ、誰が好きなの? だって清坂さん、羽飛みたいに仲いい男子いないじゃない」

って問い詰められる可能性がある。女子って鋭い子が多いから、

「まさかあの、あの陰気な、評議の立村くんなの?」

ぴんときてしまうかもしれない。

 時が満ちるまで、勘付かれたくない。

 誰にも。もちろん、立村くんにも。


「美里、あとで覚えていろよ」

「そっちのほうこそ」

 立村くんは掛け合いをする私と貴史を交互に見た後、再びノートの隅に語彙を書き写し、増やし始めた。

 日本語だけでは足りなくなったのだろう、英語の辞書も取り出し和英索引の部分で単語を探していた。

 隣でなんとなく、視線を感じる。

 横を向くと、加奈子ちゃんがさっきと同じように黙って笑みを浮かべていた。


 ──加奈子ちゃんに気付かれてる?

 いやだ、そんなの。



 評議委員会中は他の一年女子こっそりおしゃべりしているかのどちらか。結城評議委員長が甲高い声を張り上げているのをまじめに聞いているのは、一部の上級生だけだと言ってよい。

「えーと、みなさん。本日のテーマは、十一月に行われる学年お楽しみ会なんだが。担当は、一年生に担当、よろしいですかい、ほら、そこ、聞いてるんかいな」

 毎月最後の週、水曜日の放課後に担当学年の有志を募って、劇や合唱などを発表する会についてだった。四月から始まり、今回で四回目だった。七、八月が抜けているのは夏休みに絡んでしまうから。すでに六月の段階で私たちは一年生は、お楽しみ会の仕切りを経験していた。学芸会の延長みたいな感じかと甘く見ていたら、とんでもない毎日授業が終わった後は夜七時くらいまで残って準備や台本をこしらえなくてはならなかった。もちろん先輩たちも手伝ってくれたし、『テレビCM物まねショー』という企画も各クラスの有志たちがばりばり参加してくれたおかげで、無事乗り切ることができた。確かその時、立村くんは二年の先輩の手元に置かれて他の男子たちの二倍、三倍くらい仕事を押し付けられたはずだ。

 幕切れ直後に舞台の袖で、貧血起こして倒れてしまうくらいだもの、きっと最後の一週間くらいはほとんど寝ていなかったんじゃないだろうか。

「まあよいわ、お前ら、一年生評議同士で鞍をまとめて、来週の委員会までに提出してちょうだいな。困った時はいつでも三年もしくは二年の力強い腕にしがみつくが良かろう。とにかくやれるところまで、まずはやってみるんだな。おい、天羽、難波、立村、更科、わかったのか?」

 一年男子評議の名前をずらっと並べて、全員がはっと顔を挙げたのを確認し、結城委員長はにっと笑った。私の隣で立村くんは表情を変えず、背をぴっと伸ばしノートを取っていた。他の男子たちは頭を掻いたりなにやらわけのわからない言い訳したりしている。それぞれのクラス女子評議たちが男子たちに話し掛けてくすくす笑っている。私たち一年評議委員は男女とも仲良しだった。またあとでみんなでおしゃべりすることになるんだろう。

 議題が多いせいか、学年お楽しみ会の話はそこで終わった。

 ま、なんとかなるだろう。一年が担当とはいえ、結城委員長が言うように「三年もしくは二年の力強い腕」にしがみつかせてもらえばいいんだから。それに、一年には男子を中心に目だちたがりや小僧がたくさんいる。六月の時と同じように、そいつらに一声かけて、協力を仰げばきっと面白いことになると思う。あまり心配していなかった。

 隣の席で立村くんの書いているノートを覗いてみた。習字の教科書みたいな上品な文字で、「一年お楽しみ会企画について」ときれいに綴っていた。背をピンと伸ばして筆を持つような要領で書いている姿がほんと、絵になる。貴史のようにいつも机に上半身つっぷして落書きしているのとは大違いだ。

「それでは、今日の審議終了! お疲れ様っした! さ、本条、ちょっと来い」

「何の御用で」

 結城委員長は机をとんと叩いた後、二年の先輩を呼びつけてさっさと教室から出て行った。委員長のくせに終わったら即、退室するんだもの。なんだか委員長っぽくない。

 所要時間は一時間。思ったより短かった。

 公立に通っている友達から聞いたところによると、委員会というものはぼーっとしていればあっさり終わるのだそうだ。なぜ附中だけ、こんなに時間がかかるのだろう。


 評議委員に限らず青大附属の委員会活動は、三年間顔ぶれが変わることなく連続で勤めるのが慣例だった。部活に近いのり、と言えばいいのだろうか。

 もちろん吹奏楽部とかテニス部とか野球部とか、それなり部活動がないわけではない。実際入っている人もたくさんいるはずだ。ただ、運動部文化部問わず、どの部もみな学外ではぼろぼろ、弱いったらない。この十年近く、一回戦敗退以外の文字が青大附中の運動部歴史上に残ったことはないらしい。とにかく、部活動が弱すぎるのだ。

 弱いから部活動に参加しない、というわけではない。私だって青大附中に入ったらテニス部で可愛いスコートはいてプレーしてみたいって夢を持っていた。評議委員になった段階で先輩たちに「もし評議続けるなら、部活はあきらめな」って助言された時も言われた意味がわからなかった。けど六月のお楽しみ会を企画し参加した段階で、先輩たちのアドバイスが正しいんだってよっくわかった、とってもじゃないけれどかけもちなんてできやしない。「委員会」ではない。私が参加しているのは「評議委員会部」なんだもの。

 第一、信じられる? 評議委員会では夏休み、ホテルでの合宿旅行まであるんだもん!

 その時のテーマはもちろん、評議委員同士が仲良くなるためのディスカッションが中心だけど、先輩たちの指導でなぜか「発声練習」とか「合唱練習」とか「ホームビデオの使い方」とか「パントマイムの練習」とか、はては「茶道・和服の着付け」などといった全く必要性を感じないものまで含まれていた。しかもそれは、先輩たちが自主的にカリキュラムとして組み込むものであって、顧問の先生はいっさいノータッチ。もちろん私はそういうの好きだし、楽しかったし、絶対三年間評議委員でいるって決めるきっかけになったけど、立村くんのようにおとなしい人にはかわいそう。後期、評議委員をやめるなんて言い出さないかなって、もう気が気じゃなかった。もっとも委員会の場合は、前期と後期の切れ目以外で交代することが難しいとされていた。一年生の春にわけのわからない中放り込まれ、その後は強制的に参加させられるなんて、きっと相性の合わない人には地獄だろう。

 まあ、私は、それでいいと思っていた。立村くんがどう思おうが、三年間一緒なんだもの。立村くんの書いたノートの筆跡も何時だって見ることができるんだもの。そして、きっと来年の夏合宿も、一緒に行けるんだってことも。


 委員会が終わるとたいてい学年ごとに空いている教室へ移動しだべるのがいつもの流れだった。一年女子評議の子に声を掛け合い、男子たちにしたがって別の教室を探す。

「美里、どうする?」

 C組女子評議のゆいちゃんが振り返り尋ねてきた。私は首を振った。

「今日はやめとく。ごめん、用事があるんだ、また明日続きしようね」

「めずらしいね」

 自慢じゃないけど、私は記憶力にちょっとばかり自信があるつもりだ。

 ──立村くん、二時間目、言ってたよね。覚えてないなんていわせないからね! 男子たるもの、口約束たって約束は約束なんだからね! 絶対聞き出すんだからね!

 私はゆいちゃんたちが他の評議連中たちに囲まれて教室を出て行くのを見送った。男子連中もいつもの流れって感じで動こうとしている。立村くんも続こうとした。まずい、慌てて引き止めた。

「立村くん、二時間目のこと、覚えてなあい?」

「え?」 

「約束したでしょうが。班ノートのこと。私に知られてもかまわないんだって言ってたじゃない。そのこと、覚えていたら教えてくれるって。ちゃんと覚えていたから、約束通り、教えてよ」

 いきなり問われて思いっきり戸惑っている様子の立村くん。口を半開きにしてしばらく目をきょときょとさせていた。やがて「ああ、そうか」と呟きため息を吐いていた。その間に他の一年男子評議委員たちはさっさと出ていってしまい、取り残されたのは立村くんだけ。きっとすっかり忘れていたんだろうな。まったく、男子たるもの、言葉の重みを意識してもらわなくっちゃ困るって言いたい。

「そんなこと、よく覚えていたな」

「私は記憶力がいいほうなのよ」

「確かに、まあ、言ったよな」

 立村くんは自問自答しながら、かばんにノートをしまいこんだ。

「それなら、帰り道で」

 言っとくけど、私は決して狙っていたわけじゃない。

 これまでも、貴史とか他の子たちと群れて帰ったことは何度もあるし、一緒に帰るのはそんなに珍しいことじゃなかった。入学式以来、しょっちゅうだ。周囲の女子たちから変な目で見られるようになっても、三人だったら別に問題ないじゃない。だけどふたりっきりというのは、初めてだった。別にやましいことなんて、なにもない。ないんだけど。

 ──なに、ひとりでどきどきしているんだろう。ばっかみたい。

 ──たまたま貴史が今、いないだけじゃない。評議委員会だし。

 ──立村くんと二人っきりなんて、そんな、変なことじゃないじゃない! 

 奥歯をしっかりかみ締めて息を止め、答える準備をした。

「ちゃんと答えてよ。立村くん」

 少しだけ先輩っぽい顔して、クールに返事した。


 ためらうことなく一緒に教室を出ると、廊下で待ち受けていた一年男子評議たちが「ほお」とか「へえ」とかわけのわかんないことを言いながら、立村くんに近づいた。

「立村、お前どうすんの、今日、これから、残らねえの」

 A組評議の天羽くんがとぼけた言い方で首筋をかりかり掻きながら尋ねてきた。立村くんどう答えるだろう。またどきどきしてきた。

「ああ、悪いけど先帰る」

「本条先輩が後から来るらしいが、それでもか」

 B組評議の難波くんが、黒縁眼鏡を指先できざっぽく持ち上げながら、畳み掛けた。立村くんの痛いところを突いている。そう、立村くんは二年の本条先輩になついていて、いつも一緒に行動している。同学年よりも本条先輩と一緒にくっついている方が多い。私よりも本条先輩選んだらやだな。ちなみに本条先輩はれっきとした男子である。

「うちに帰ってから本条先輩には電話するから」

「へえ、そうなんだあ、立村って本条先輩と毎日電話かけあってるのかあ。ふうん、なんかそれってやたらと女子っぽくないかなあ。清坂さん」

 今度は私に、子犬のくんくん言うような声で語りかけてきたC組評議の更科くん。私にいったい何言えっていうんだろう? そりゃ、女子同士、こずえなんかとは長電話するけど。でも、立村くんと本条先輩がそうだったとしても、私には関係ないじゃない。だって男子同士なんだから!

「うむ、やはりあの説は本当だったのか」

 最後に天羽くんが意味ありげな一言で締めると、一年男子評議三人衆は立村くんに片手を振りながら、

「それじゃ一Aの教室に行ってっから、来るならこいよ!」

 ささっと勢いよく階段を駆け下りていった。どうでもいいけど「あの説」ってなんだろう?

「立村くん、なんで本条先輩に電話かけるの?」

「向こうからかかってくるから」

 なあんだ、立村くんの方から毎日電話攻撃しているわけじゃないんじゃないの。この時ほんと、本条先輩が女子じゃなくてよかったって思った。何変なこと、考えてるんだろう。私。


 緊張して言葉が出ないなんてこと、ないと思っていた。

 けど、立村くんの冷静な振る舞いを目の当たりにしていると、あれこれ考えている私がなんだかまぬけっぽくみえてならなかった。

 音楽のことやテレビアニメのこと、思いつくままに会話へ継ぎ足していく。時間はそれなりに埋まり、やがて駅前まで出た。いつもは私と貴史が一緒にここでさよならを言う。話にに聞いただけだけど、立村くんの家は駅からさらに二駅先の品山町だった。汽車だと本数が少ないのでいつもは自転車、でなかったらバスを使うんだと言っていたっけ。


 立村くんは本日の議題について話を持ち出した。なんだか会話がなくなるのが怖いみたいだった。別に私、怖いことしてないのに。

「今度の学年会は、他の組の連中に任せておこうと思うんだ」

「え、どうして? 私も楽なほうが嬉しいけど」

「ほら、六月の会では、九十九パーセントD組で人を集めたんだろ。本条先輩とも話をしていたんだけどさ、あの時はD組だけががんばりすぎたところがあるし、今回は他の組に協力を仰いだほうがいいんじゃないかって言ってくれたんだ」

 ああ、やっぱり本条先輩か。本当に懐いているんだ。ほんの少し、楽しそうに聞こえた。むっとした。でも隠さなくちゃ。私は頷いた。

「あれ以上貴史たちだって、恥ずかしい真似したくない……かなあ? あいつ、ああいうアホな乗り大好きなんだもん、かえって淋しがるかな。どうして俺の出番がないんだって!」

「それは言えてる。それなら羽飛だけ特別出演してもらうか

 テレビCMの物まねをオリジナルな形に組み込んで、全学年の拍手喝采を浴びた張本人だった。あれできっと羽飛貴史ファンクラブ会員は増えただろう。もっとも貴史だけではない。D組は妙に貴史に近い感覚の奴が男女問わず揃っている。無理に他の組から援軍をもらわなくてもいいくらいのスターが勢ぞろいしているわけだ。

 私からすれば、貴史は今後アホ扱いされるだろうと読んでいたのだけど、お笑いのスターはやっぱり女子にもてもてらしい。マイナスイメージを受けたためしなし。

「一応、俺も話に加わるけどさ、清坂氏が気にすることないよ」

 目をそらせて、自転車のハンドルに頭を傾け、立村くんは答えた。

 自転車全体にまぶされた銀色の光が、跳ね返るように見えた。飾りひとつないシンプルなタイプだった。派手な光だけが目にまぶしかった。金ではなくて、銀の輝きがどことなく立村くんらしくてしっくりなじんでいた。遅刻しそうな顔であくせく漕ぐ姿を、私はまだ見たことがない。立村くんを直視できない。好都合だった。あがらないで話せるから。

 ──なんでこう意識しているんだろう。また貴史にからかわれるよ、もうばっかみたい。

 トーンを少し上げた声で私は、「ありがとう」とあっさり答えた。自分の声が耳に、軽く響いた。

「でも、何か手伝うことあったら私もする。それより、さっきのこと約束でしょ。教えてちょうだいって」

 困り顔で首をひねった。立ち止まり立村くんはうつむいた。足になにかがぶつかったかのように、さりげなく目線を下げた。その状態で、車通りの少ないレンガ散歩道の真中へ進んだ。後ろから車も自転車も走ってこなかった。

「ね、誰にも言わないから」

 私も声を落としてささやいた。 

「たいしたことじゃない、ほんとに、たいしたことじゃない」

 立村くんはかすれた声で繰り返した。早口に語尾を消すような感じで呟き、かばんから取り出し、私に渡してくれた。、

「これ、読めばわかると思うよ」

 おろしたてのノート一冊だった。

 表紙の右下に、青大附中の校章が浮き出ていた。私はすぐにめくって読んだ。


 裏・ノート宣言


 青潟大学附属中学一年D組において、最も意味のないものは『居残りの罰』と『意味不明の個人面談』そして『班ノート』の存在である。

 教師H氏は情熱過多のためか、生徒ひとりひとりのプライバシーに深入りし、

「おい、○○!(お好きな名前をどうぞ)俺の胸にドーンとぶつかって来い!ボコボコボコ、ああ、さあ、殴り合った後は抱き合おうぜ。お前って本当にいい奴だったんだなあ」

と振る舞うのである。生徒側からしたらいい迷惑である。

 最近では、生徒Lに対し、班ノートの内容があまりにも冗談行き過ぎであることをなじり、彼の暗い過去についてながながと語ることを要求しはじめた。

 これはファシズムだ。プライバシーの侵害である。

 生徒L、Tの二名はクラスを侵食する愛情これらのウイルスを自らの体内で撲滅するために、この『裏・ノート』を発行することにした。


「裏・ノート?」

「だから、裏、なんだ」

 見られるとまずいんだろう。よくわからない。次のページをめくってみた。


『裏・ノート』の目的


一 このノートには班ノートに書くための情報を主に記す。

二 このノートは原則としてLとHのみが使う。

三 このノートに書いた内容を第三者に漏らさないこと。

四 このノートの内容は十二月の期末テスト後、しかるべき手段によりコピー誌として数部刷り、誤解を受けることを欲しない数名のものに配ること。


「やたらと難しい言い回しが多いね」

「大学の構内で、こういう紙をもらったんだ。それを真似たからかもしれない」

 立村くんはチラシらしきものを取り出し、私にひろげて見せた。

 手書き文字で大きく『学内の監視カメラ撤去を要求!!』と書かれていた。ところどころ読みづらいカタカナが混じっていた。

「『L』、が立村くんのことでよね・じゃあ、『H』って、まさか貴史?」

 小学校の頃友だちとやっていた交換日記みたい。

 読み直し、私は念押しした。

「つまり、立村くんは、菱本に勝負したいというわけなんだ」

「陰険なやり方だけどな」

 立村くんにつられて、私も自転車を留めた。日が翳っている。太陽が雲をかぶったままっつやつや光っていた。立村くんはその雲を見つめ、やわらいだまなざしを私に向けた。そのまま説明を始めた。


「今日の班ノートの一件、聞いたよな。菱本さん、あの時かなり怒り心頭にきていたみたいなんだ。どうやら、俺の家庭環境が想像を絶する悲惨なものだと思い込んでいたらしい」

 うん、と頷いた。

「もっと心の奥には『言い出せない切なさが溢れている』と思い込んでいたんだってさ。そんなことあるわけないのにさ」

 本当かどうか、私にはわからない。

「今日のところはおとなしく頭を下げて帰ったけど、だんだん腹が立ってきたんだ。それこそ『教師の過剰な干渉による生徒のストレスについて』って本音を書き散らしてやろうかと思ったけどさ。それだとあいつの思うつぼだろう。それより菱本さんのリクエストにとことん沿うように答えてやって、おちょくってやろうと。そんなわけなんだ」

 とうとう、立村くん、菱本先生を「あいつ」と言い放った。

「おちょくるって?」

「表の班ノートには、それなりの感動めいたものを書くんだ。もちろん本音なわけ、さらさらないさ。それから『裏・ノート』には感動ネタの暴露話を書き上げ、十二月に班の連中に発表するというわけなんだ。清坂氏をはじめとする一班の人に配る分、コピーしておくんだ。これから書く班ノートの内容が本音だとは死んでも思われたくないから」

「これから書くって?」

 表情を変えず、穏やかに立村くんは続けた。

「たぶん今、俺が何も言わなかったら、明日から清坂氏は俺の気が変になったんじゃないかって大笑いしてたと思うよ。それは保証する」


 他の男子からそんなこと言われたら、それこそ指差してばか笑いしていただろう。

 がきっぽすぎる、こと、ばかみたいって。

 だけど、相手は立村くんだ。そんなこと、絶対言えない。言うもんか。

 ──他の女子、きっと知らないんだ! 立村くんってこんなにおちゃめなとこあるんだって、だあれも知らないんだ! 知ってるのは私だけ!


「立村くんって、意外といたずらっぽいとこ、あるんだね」

 にっこり笑顔で答えるだけにした。

 立村くんはほっとした顔でノートを受け取り微笑んだ。

「約束通り、そのノート、清坂氏にだけ見せるよ」


 立村くんと分かれた帰り道、私は高鳴りが止まらない心臓を両手できゅっと抑えてみた。そのままほっぺたを抑えた。そのままぎゅうっと包み込み、しばらく立ち止まったままそうしていた。


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