神々の恋の章:神王様の憂鬱1
一話完結のはずが。。。。
すみません、今回続き物となっております。
アチはほとほとうんざりしていた。
目の前にいる女神を見やる。
神会議が終わって、部屋に戻ろうというアチを足止めしたのは、これで7人目だ。
「あなたがエラ様が恋人と公言した方?」
青とも銀ともつかない髪の色に、耳にはアクアのピアス。
4大神の一人、水の神ユラだ。
この人までもがエラ様を……
アチは心の中で小さく嘆息を吐いた。
白く透き通った肌と青色の瞳の彼女がエラの隣に立ったらさぞかし似合いだろう、と思わずにはいられない。
「いえ、私とエラ様はそのような関係ではございません。きっと誰かの勘違いでしょう」
何度となく口にした言葉をそれこそなんでもないように微笑んで紡ぐ。
実際、自分が恋人だと紹介されたのではなかったことに、アチはやっと気がついたのだ。
それらしいことをして、風の神が勘違いしただけ。
ただそれだけのことだ。
風の神は今は人間界ではやっているゴムとびに夢中だとか。
それなら、自分が否定するのも良いだろう。
「そう……。確かに騒いでいるのはフウ一人だけだったものね」
考えるように瞳を流す女神は、その憂いた姿を見れば誰もが目を奪われるだろう。
アチとてそれは例外ではなかった。
凛とした美しさを見せるユラに見とれてしまう。
「どうかして?」
アチの視線に気づいたのか、ユラが顔を上げた。
青の澄み切った双眸に見つめられて、アチはどぎまぎしながら下をむく。
「い、いえ。あの、ユラ様はお綺麗だな、と思いまして。つい」
アチの赤毛が羞恥にふわりと逆立つ。
突然の言葉にユラはまじまじとアチの顔を見た。
真っ赤に燃えるその髪と同じくらいアチの頬も紅色に染まっている。
「あ、あの、すみません。変なこと言って」
黙っているユラに気分を損ねたと思ったのか、アチは焦って謝りだした。
その様子がなんとも可愛らしくて、つい顔が緩んでしまう。
クスクスと笑い出したユラにアチの髪の毛はますます炎のように燃え上がる。
「ごめんなさい。そんなに面と向かって言ってくれる女の方は珍しいものだから」
ユラは自分より少し背の高いアチの顔を下から覗き込むと、アチと目を合わせた。
紅色の瞳は時に金色にも見える。
その瞳を綺麗だ、とユラも思った。
「ありがとう。お止めして悪かったわ」
それを言わずにきびすを返したのは、少しの嫉妬を感じてしまったから。
「これは、エラに聞かなきゃね」
エラの行動をいまいち図りきれなくて、アチに直接会ったユラだったが、ずいぶん面白いことになっているみたいだと、密かに微笑む。
自分のようなものにまで頭を下げ、去っていくユラにしばし目を放せずいたアチには、知る由もなかったが。
エラがフウの乱筆騒ぎを止めるためにした強硬手段、恋人作戦は意外なところで波紋を呼んでいた。
「まさか、そこまで大きくなるとは思ってなかったんですよ」
頭を抱えるエラを胡散臭げに見るのは、アチの友であるアラビューだ。
彼女の溜息事件は記憶に新しいが、そんなのを棚に上げ、アラビューは大げさに肩をあげてみせた。
「そうなんですか? エラ様のことだから、全部、ぜえーんぶお考えの範疇のことだと思いましたけれど?」
アラビューがエラのもとに面会を申し込んだのは、昼のことだたった。
神会議も終わって、皆が一息つく時間帯。
変な時間に面会を申し込んで、この騒ぎに油を注ぎ込みたくない一心だったのだけれど。
来てみれば、火種であるエラは燻って燃え尽きた灰のようになっていた。
アラビューが面会を申しこんだことも忘れ、入ってきたアラビューを見た時の落胆のしようと言ったらなかった。
白銀の瞳をらんらんと輝かせていたエラの顔は、一気にしょぼくれたおじいさんみたいになってしまった。
「アチが来てくれないんですよー」
どこぞのガキだ、と思うほど陳腐な泣き言を零して、エラは王座にだらしなくもたれかかった。
「そりゃあ、あんな噂が出回っていれば、アチもここには来づらいと思いますよ」
棘になりそうな皮肉をたっぷりと込めて放った。
そもそもアラビューがここに来たのは、あの噂が原因だった。
他の神の事情に首を突っ込むことはご法度だ。
それは王であるエラのみができること。
しかし、あれの所為で振り回されている友人を放っておけるほど、アラビューは神としてできていない。
できなくてもいい、と思っている。
「噂? 噂って何ですか?」
王座にだらりともたれかかったまま、虚ろにアラビューを見る瞳にほんの少し生気が宿った。
「何かって……ご存知ではないのですか?」
知っているものとばかり思っていたアラビューはエラが王というのも関係なしに思い切り眉を顰めてみせた。
エラがうな垂れるように目線を下げると、そのまま頭を上下させる。
「……アチは、あなたが風の女神におっしゃった恋人宣言のせいで! いろーんな女神に詰問されているんですよ。それを、ご存じない?」
エラが目線を下げたまま、頬をぴくりと動かした。
瞳がきょろきょろと動き出す。
「さすがに嫌がらせなんて受けていないでしょうけれど、アチがどんな言葉を受けているのか、アチを巻き込んだご本人はご存じない!?」
強いアラビューの口調にエラがおずおずと顔を上げる。
そこにはいつもの威厳あるエラの様子はさっぱり見当たらなかった。
「アチが?」
アラビューは力強く頷いた。
「嫌な思いを?」
「そうです」
エラは頭を抱えた。
そして、冒頭の発言だ。
そんなに大きくなることをわかっていてアチにやらせたのなら、張り倒しているところだ。
「……アチは、なんと言ってました?」
アラビューの言葉を無視して、エラがきく。
むっとはしたものの、その姿があまりにも切ないので一応答えることにする。
「エラ様はもてもてだねーって笑ってましたよ」
エラが寂しそうに苦笑する。
周りにもてていたとしても、好きな人に好かれなければ何の意味もないのに。
「でも、寂しそうでした。あんなに綺麗な人がいっぱいいるなら、私になんて恋人役頼まなくてもよかったのにね、って」
恋人役、というところに反応してエラはアチを見た。
何を問いただしたいのかはアラビューにもわかる。
肩を竦めて答えた。
「全部知ってますよ。でも、アチを攻めないでくださいね。あの子の嘘なんてすぐわかるんですから」
その嘘を見破って、問い詰めて、強引に聞き出したのはアラビューだ。
エラは両手で顔を覆った。
「もちろんです。でも、誰でもじゃあ意味がないんです」
好きな人でなければ。
だから、アチに頼んだというのに。
「なぜ、なぜ恋人のフリなんてしたんですか? 好きな人がいる、とでも言えば済んだ話でしょう?」
アラビューの言うとおりだ。
フウ一人ならばエラもそうしていただろう。
なぜそうなったのかといえば、あの3兄たちだ。
好きな人、の段階ならばどんな手を使ってでもフウとの仲を取り持っただろう。
それこそ、今回のような噂を流してまで。
だから、少々強引でも先手を打って牽制した。
フウもこれで諦めてくれるなら一石二兆だと。
「私は、愛の神です。エラ様とて、誰かの心を弄ぶような真似は許しません」
毅然として言い放ったアラビューを見て、エラは笑うしかなかった。
「エラ様、エラ様の本心はどこにあるのですか? アチにただの恋人のフリを求めるのなら、今すぐに噂を取り消してください。もしくは」
アラビューの真剣な瞳からエラは目を外せなかった。
普段は恋人であるミトゥーと夫婦漫才をやってはアチを困らせている張本人だが、誰よりもアチを大切にしているのがわかる。
エラはまっすぐにそんな瞳を向けられるアラビューを少し羨ましく思った。
続きを紡ごうと少し躊躇うアラビューにエラは目で続きを促す。
「もしくは」
ドアの方から声がした。
アラビューが後ろを振り返る。
「その噂を本当にするか、です」
青色の瞳がエラを貫く。
ドアの前には銀とも青ともつかない髪の美しき女性が立っていた。
耳元でひっそりと輝く青のピアスが彼女を一層引き立てる。
「そうですわね? 愛の女神さま」
水の神であるユラはアラビューに向かって微笑んだ。
柔らかな微笑みに空気が和む。
アラビューの美しさを陽の美しさといえば、ユラは陰の美しさを伴っていた。
「ユラ……」
呟くエラにユラは長い銀の細身のドレスを片手で持ち上げて礼をする。
ドレス、といっても一枚の布をふんだんに利用してその身に纏っただけではあるけれど。
青い宝石が散りばめられたその布は、何よりもユラに相応しいドレスとなっていた。
「お邪魔かとは思いましたけれど、その話私も参戦したいと思いまして。入ってきてしまいました」
無作法を詫びてはいるものの、その言葉は軽い。
「そうですけど……水の神? どうして貴女が?」
アラビューは突然の参入者に驚きを隠せない。
しかも、入ってきたのは4大神とも謳われる神のひとり、水の神だ。
その美しさでも名高い彼女がなぜこの場にいるのか、想像もつかない。
「まさか、貴女。エラ様の!?」
きっとアラビューはユラを睨む。
そんなことがあれば、ますますアチは巻き込まれただけだ。
エラの、本命がいるのならば。
「あら。そんなに怖い顔しないで。そうよ。私が」
「ユラ、やめろ!」
エラの滅多に聞けない敬語の抜けた口調。
アラビューはますます確信した。
ユラは妖艶とも言える微笑をアラビューに向けると誇らしげに言い放った。
「幼馴染よ」
…………
「は?」
思わず気の抜けた声が出た。
エラは左手を顔に当てて、溜息をついている。
「エラ! あんたってやつはーなあに溜息なんてついてるのよ!!」
ユラはびしっと人差し指をエラに突きつけた。
そんなことができるのは神の城でも数少ないだろう。
「こ、恋人ではないの?」
ひきつった顔で聞くアラビューにユラはエラに指を突きつけたまま、ふんと言った。
否、鼻で笑ったのかもしれない。
そうとまでかかるのに随分と時間がかかった。
何しろその様子はユラには到底似合わないものだったからだ。
「こいつと、このあたしが!? 馬鹿いわないでちょーだい。こんなナキムシでウジウジ虫なんか腐っても嫌だね!」
なんか、キャラ変わってますけど。とは口にできなかった。
エラが後ろからぼそっと、
「ユラは表裏の激しい奴なんです……」
と言ったのが聞こえた。
「こおら、バカエラ!! なにこそこそしてんだ! そんなんだから、女神のひとりやふたり落とせないで、肝心なときに泣かすんだよ!」
ここまで来ると2重人格と言ってもいいかもしれない。
エラは急所に近い部分に大ダメージを食らったように、ぐはっと呻いた。
そうとう効いたらしい。
「あの、アチを知ってるんですか?」
なぜか敬語になるアラビューである。
見上げていた視線を下ろして、アラビュー向けたユラは品よく微笑むと、別人のように話し出した。
「さっきお会いしてね。恋人じゃないっておっしゃってたけど。どうなのかな、って思ったんですの」
一段高くなっている王座を見上げると微笑んでいた瞳がランランと輝く。
「あのバカが何バカしたのかと思ってね」
アラビューも王座を振り返った。
エラは一層王座に深くもたれかかかり、大きく溜息をついた。
「アチが、恋人じゃない、って?」
頼りなさげに聞くエラは、本当に神の王かと誰もが思うほど怯えた瞳をしていた。
聞きたいけど聞きたくない。知りたくないけど知りたい。
そんなぶつかり合う気持ちをエラの中に感じる。
「そう言ってたわよ。誰かの誤解でしょう、って!」
エラはがっくりと他の目にもわかるほどに肩を落とした。
アラビューとて愛の女神だ。
エラの気持ちには、それこそ以前から気がついていた。
「ほんと、エラ様ってバカかも……」
呟いた言葉にエラが首まで項垂れる。
「そうよそうよ! あんたはどうでもいいけど、アチちゃん泣かしたらまじであたしがあんたを殴るから」
白い綺麗な指がこぶしをつくる。
それをぐっと握ったユラはそれこそ今にでもエラに殴りかかりそうだ。
エラはそのこぶしを投げやりに見て、首を振った。
「馬鹿にしたわねー!! 何なら今すぐにでも!!」
「それだけのために来たのか?」
腕まくりをしてエラに向かって歩き始めたユラは意表をついた言葉に毒気が抜けたようにとまった。
「えーっと、ああ。そうだったそうだった。それだけじゃないわよ、うん」
ユラはこぶしを握ったまま首を傾げつつ、ひとりぶつぶつと呟いている。
「うーん、なんていえばいいかな? うーんと」
ああ、なんて声を上げながら、ユラはこぶしを手のひらに打ち付ける。
「そう! アチちゃんて、何者?」
ユラの言葉にエラは目を見開いた。
アチのことを知っている人物は少ない。
何しろここまで目立たないように目立たせないように気を配ってきたのだから。
あまり他人に興味を示さない神の独特な気性も相まって、ここまではアチについて何かと聞かれることは少なかった。
「只者じゃあ、ないでしょ」
好戦的な目を向けるユラの瞳が青い炎を湛える。
エラの青緑色の瞳が真っ向からぶつかった。
「アチは、アチだ」
エラは、ひとつ息をついて答えた。
「それ以上でもそれ以下でもない。ただ、アチという存在だ」
赤毛の金のようにも見える瞳を持った少女。
髪を逆立てるその様が可愛くて。
アチ。
あの赤毛を撫でたくて仕方なかった。