水と火の秘恋の章:火の神の願い
手枷とつけたまま、ドアの中に放り込まれた食事をむさぼる。
パンと水と明らかに残り物だとわかるものたち。
皿に顔を近づけて食べながら、いつも俺は吐きそうになる。
この身ごと、自分の炎で焼き尽くせたら良いのに。
試した数は数えきれぬほどあれど、成功したことは一度もない。
こんな力なら、いらない。
あの日から、水の神は何度となく俺のもとへ来た。
声は発せずに、何日かおきに放り込まれる薬と彼女の放つ空気が俺に彼女の存在を教えてくれた。
声が聞こえないと思えば、彼女のその美しい声をもう一度聞いてみたかった。
彼女の綺麗な青い髪を思い出せば、それに触れてみたくなるし、
彼女の凛とした瞳を思い返すたびに、その瞳をのぞいてみたいと思った。
一方で、もうかまわないでくれ、とそうも思っていた。
彼女からもらった薬は効き目がよく、体だけは前よりも調子が良い。
そんな様子を土の神は敏感に感じ取っているのはわかっていた。
ばれるのももう時間の問題だろう。
部屋の隅でうずくまりながら、俺はこのところ毎日夢想していた。
次に、次に彼女が来る、そのときには。
どさり、という音で目を覚ました。
どうやらそのままうたた寝していたらしい。
一度として深い眠りについたことなど、生まれてこのかた一度もなかった。
むしろ体が痛くて眠れない日も多かったことを思うと、水の神がくれた薬はやはり効き目が良い。
翡翠色の上質な布で作られた袋が目の前に落ちていた。
空気が湿って、柔らかく辺りを包む。
俺は唇を湿らして、ゆっくりと息を吸った。
「・・・のかみ」
久方ぶりに出した声は掠れて、俺でさえもよく聞き取れなかった。
もう一度ゆっくり息を吸って、吐き出す。
「水の神」
部屋に声が小さくこだました。空気がぴんと張りつめる。
「薬、ありがとう」
彼女が来るそのときには、まずお礼を言おうと思っていた。
「あんたのおかげで、大分調子がいい」
水の神が憎くて憎くて、彼女さえいなければ俺はこんな目にあってはいなかった。
何度そう思っただろう。
「・・・いや、礼などいらぬ。私が勝手にしたことだ」
固く聞こえるその声は、彼女の緊張を物語っていた。
ふっと笑いが漏れる。
彼女が彼女の言う通りもっと自分勝手な奴なら良かった。
「いや、俺は、嬉しかった」
そうしたら、俺はこの憎しみだけで命の炎を燃やせたのに。
「こんなに人に優しくされたことはなかったんだ」
災いと罵られ、疫病神と疎まれ、悪魔の申し子と言われた俺を受け入れてくれる神などいなかった。
「何度、地獄に落ちてしまえばいいと思ったか」
それでも今まで生きてきたのは、水の神への憎悪があったから。
俺を苛むすべての災厄を招いた奴だと信じて疑っていなかったから。
「何度、あんたがいなくなればいい、そう思ったか」
空気が固まる。
「すまない」
押し殺した声が俺の鼓膜を揺さぶった。
ああ、あんたがそういう奴だから。
本気の本当の謝罪を、何の咎もないのに、逆恨みだと罵ってもいいだろうに、そう謝られた俺は俺自身を嘲笑うしかないのに。
「あんたが、そうやって謝るような奴だから」
俺はあんたを嫌いになれないんだ。
そう呟いた声は彼女に届いただろうか。
聞こえても聞こえていなくてもいい。
俺は、これでやっと、俺の命を終わらせられる。
「ひとつ、お願いがあるんだ」
俺はこのところ毎日夢想していた。
俺は俺自身の炎では自分を消し去ることはできない。
けれど、火を消す水だったら?
しかも、強大な力をもっているとあれば?
俺を消し去ることなど、雑作もないことなのではないか。
俺はこの夢想を現実にしようと決めた。
「・・・なんだ? 私にできることなら」
次に彼女がきたそのときには。
「俺を殺してくれ」
俺はやっと、解放される。