ピアスの跡って消えますか?
「……ねぇ、アヤ?」
「んー?」
ガチャガチャとコントローラを動かし続ける幼馴染みのアヤは、テレビ画面から目を逸らすことなく私の問いかけに応えた。
画面の中にはアヤが一番気に入っているキャラが、見たことないような技を繰り出している。
当然、それを操る指先も普通じゃないような速さで、ボタンを押していた。
だけれど、私が一番気になっているのはそこじゃない。
アヤの青みがかった髪から覗く耳。
全体的に白い形のいい耳。
何よりも柔らかそうな耳たぶにある傷跡。
いや、傷跡とは少し違う気がするけれど跡。
普段なら気付かないんだろうけれど、新しいゲームを買ったとかで、こちらを気にも止めずにゲームをプレイするアヤのせいで、気付いてしまったのだ。
髪の隙間から覗いていた耳を見ていたら、髪が邪魔になったのか耳にかけたせいで顕になったそれ。
今日は本当に手持ち無沙汰だったのかもしれない。
今まで気付かなかったものに気付くっていうのは、つまりそういうことなのだ。
「……うわっ」
耳に手を伸ばすと、驚いたらしいアヤがコントローラを足に落とす。
驚いた声はどちらかと言うと棒読みだったが。
画面では『YOU WIN』の文字が輝いている。
「え、ちょ、なしたの」
「耳」
まつ毛を揺らしながら私を見るアヤ。
そうして私が、アヤの柔らかくて白い耳たぶに触れると、ハッとしたように私の手を弾いて自分の耳を押さえる。
アヤは、アクセサリー類をほとんど身に付けない。
元々インドア派なのに合わせて、女の子が好むような可愛らしいものではなく、男の人が付けるようなシンプルな飾り気のないものを好むから。
ジャラジャラ何かを付けるのは、多分、しょうに合わないのだと思う。
だから、だから、そんな跡が残っているのはおかしい。
ほとんど身に付けないにしても、チョーカーとかスッキリしたタイプの十字架の付いたネックレスとか、そういうのの一つ二つは持っていたけれど、ピアス――なんて、見たことがなかった。
でも、もう穴自体は塞がっていて、時間が経っているようにも見えた。
塞ぐなら、何故、開けたのか。
「開けてたの?いつ?」
「ちょ、ちょいとレイちゃん?」
矢継ぎ早に質問をすれば、いつもの飄々とした雰囲気がなくて、口元を引きつらせて後退るアヤ。
揺れる長い髪から、嗅ぎ慣れたアヤ愛用のシャンプーの匂いがした。
困ったような顔で、自分の耳を押さえたまま、言葉を探すみたいに私から目を逸らす。
きゅっ、と唇を結ぶその姿は、いつもアヤがよくやる、言うべき言葉を迷っている時の癖。
嘘は簡単につけるくせに、こういう時だけ変に不器用なのだ。
私からしたら特に意味とか感じないことに対して、アヤは意味を感じているだけかも知れないけれど。
「兄さんが開けてくれたんだよ」
耳を押さえていた手を離して、するり、と塞がった穴を親指と人差し指で挟むようにして撫でる。
マニキュアもしてない、爪磨きもしていない、スッピンの爪は、アヤらしく形が綺麗。
その分、手入れをしていないのが勿体なく感じてしまうくらい。
「……ショウさんが?」
アヤの兄であるショウさん。
アヤとも幼馴染みであるから、当然ショウさんとも幼馴染みに当たって、何かと可愛がってもらっている。
大学生になってからは、課題に追われてることが増えて一緒に遊べないけど。
あの人はアヤとは違って、アクセサリー類を集めるのが好きだ。
服装とかに対してこだわりを持たないアヤに比べて、どこのモデルだよ、と突っ込みたくなるようなくらいセンスが良くて手持ちの服も多い。
だから、ショウさんが開けたって言うなら、まぁ、納得がいく。
だけれど、あのちょっと行きすぎた感じで心配性な、口は悪くてももう一人のお父さんみたいなショウさんが、アヤの耳にピアス?
「そんなの、お兄ちゃん許しません!」くらい、冗談を混ぜ込んで言う気がする。
「まぁ、でも、すぐに止めたんだけど」
アヤの耳――左耳には塞がった穴。
塞がれた穴があって、いくら塞がっていても開けたという事実が、こうして残っている。
言いにくそうに眉を潜めながら、耳たぶを撫で続けるアヤ。
ゆっくりとアヤに手を伸ばして、右耳に触れる。
柔らかいけど冷たい耳たぶを、アヤがしているのと同じように親指と人差し指で挟む。
それから擦るようにしながら「右は?」と問う。
アヤが苦笑を漏らしながら肩を竦めた。
「片方……左だけだよ」
「そう、なんだ」
目を細めて綺麗に笑うアヤ。
どこか少し中性的だけれど、女性らしい線の細い綺麗な顔をしている。
兄であるショウさんも綺麗な顔をしているし、両親もハッキリ言って綺麗。
これは血筋なんだ、と思う。
そんな綺麗な笑顔を間近で見ながら、私はゆっくりとアヤの右耳から手を下ろす。
だらん、と落ちた手は、床にぺったりと張り付いて、次に吐き出すべき言葉を選ぶ。
――知ってる?女の人の左耳ピアスは、同性愛的な意味を表すんだよ。
喉ら辺に突っかかった言葉を、唾液と一緒になって飲み込む。
そんなこと言って、どうするんだ。
男の人の左耳ピアスは『守りたい』というような意味になり、それに答えるようにして女の人の右耳ピアスは『守られたい』というような意味になる。
だけれどそれが、男の人が右耳ピアスに、女の人が左耳ピアスにした場合には、意味が当然逆になり、同性愛を意味することになるのだ。
アヤがそんなことを知らないなんて、ありえない。
仮にアヤが知らなくても、ショウさんが知っていそうなものだ。
知っていれば当然教えるとも思う。
「んー、レイちゃんも開ける?」
にっこり、と笑って問うアヤ。
ピアッサーなどの道具一式は、まだ全て残してあるらしい。
それに対して、私はぼんやりとアヤの左耳を見つめた。
ピアスをしているところなんて、一度も見たことがなかったのに、その跡があるなんて変な感じがする。
「うんん……いいの。私は、いい。」
「そっかぁ」
首を横に振って告げれば、特に食い下がることもなく頷いて、アヤは足に落としたままだったコントローラを拾い上げる。
耳にかけていた髪が、はらり、と顔の方に落ちて、アヤの表情が見えなくなった。
「ねぇ、アヤ」
「んー?」
「守る、とかさ。気負うものじゃないんだよ」
私とアヤは幼馴染みだ。
ずっとずっと、小さい頃から一緒にいて、色んな所に行ったり、色んな話をしたり、本当に色んなものを一緒に見て、感じで、育って来た。
テレビ画面から視線を外したアヤは、横目で私を見る。
その目は特に何を移すこともなく、私の姿を反射しているガラス玉のようだ。
「アヤは、少し気負い過ぎなんだよ」
小さく笑って告げれば、困ったように形のいい眉を歪めて笑うアヤ。
その笑顔も綺麗だった。
綺麗で儚くて、壊れそう。
いつも手を繋いできた。
ずっと同じ道を歩くのだと信じていた。
絶対的な友情関係でも、ましてや恋愛感情なんてものでもない。
でも、確かに切れないような絆――そんなものが私達にはある。
だけれど、いつまでも一緒じゃない。
例え切れない絆が存在していても、ずっと手を繋いでずっと同じ道を歩くなんて出来ないのだ。
いつかは離される手、いつかは違う道。
それをアヤも私も理解していて、どうしていいか分からずにいる。
「そうだねぇ」
「そうだよ」
左耳を指先で一撫でして、アヤが笑うから、私も自分の耳に触れながら笑った。
ピアス一つで、何かが変わるはずもない。
そんなことは二人揃って分かってる。
あの小さな箱みたいなので、小さな穴を開けただけで、どっかのカップルみたいに右と左に片方ずつピアスをしてみたところで、手を離さずに同じ道を歩けるなんて思っていない。
私はゲームを再開したアヤを見つめる。
覗く白い耳に残る跡が、早く消えてしまえばいいのに、と思ったことは、アヤには言えない。