第三十一話 其ノ一
高校一年が過ぎ、春休み。いつも通り過ごす休日。俺と唯は散歩に出かけた。春の爽やかな風が吹き抜ける道。桜の花が風に乗って運ばれる。心地よい風が唯の髪をふわりとなびかせる。目的地もなくただぶらりと歩くだけなのに幸せだった。
『第三十一話:陽ノ過去 其ノ五 そして…… side Y』
公園では小さな子供が遊んでいる。平和だ。
「今日もいい天気だねぇ。」
「そうだな。」
言葉は無くても一緒にいるだけで落ち着く。
ぽーん。
俺達の頭上にボールが飛んでいった。さっきの小さい子供のだ。
「仕方ないなぁ。」
唯は柵を軽く跳んでボールを取った。
その時、突然激しい音が聞こえた。地面を擦るタイヤの音。
「危ねぇ!!」
俺は飛び出して唯を助けようとした。車より早く手が届く。しかし無情にも車は俺達を撥ねた。反転する視界。体には激しい衝撃。俺の意識は消えていった。
目が覚めたのは病院のベッドの上だった。周りにはいつもの顔が揃っていた。しかし一人だけ足りない。
「ゆ……唯は……」
痛みの中、絞り出すように声を出す。しかし皆の表情は………
「………唯は頭を打って……今は植物状態なんだ。」
「植物………状態……」
「………俺はあの時一週間近く意識を失っていたらしい。………この話を聞かされた時、俺は死のうとしたよ。」
「………」
「………それでも俺は生きている。………絶望の中から救ってくれたのはやっぱりあいつ等だったんだ。」
「………」
「『お前が死んだら唯が生き返った時どうすんだよ!!』……翔太郎に殴られた時は痛かった。体より……心が。」
「………俺は半年近く学校へ行ってなかったが、朝井先生が頼みこんでくれて留年はしなかった。………俺は皆に助けてもらって生きているようなもんだ。」
咲羅は今まで黙って聞いていた。俺の目を見つめて。時々俺の方が目線をずらしていた。そんな咲羅が口を開いた。
「今でも………今でも唯さんが好きですか?」
「…………」
最近は曖昧になってきた。これが事実なのだが俺はうまく喋れなかった。
「私は………」
俺の頭が暖かな何かに包まれた。何か?わかりきったことだ。咲羅が俺を抱き締めている。
「私は……どこにも行きませんよ。」
咲羅の言葉に俺の中の何かが切れたような気がした。俺の目からは涙が止まらなかった。
唯の事を聞いた時、俺は一筋の涙を流してからは泣かなかった。泣いた所でどうにもならない。親父達が死んだ時に優しく抱き締めてくれた唯もいないのだ。だからこの五年、いやもう六年だが泣かなかった。
しかし今、咲羅の胸の中で泣いている。年下の、まだ高校を卒業する前の少女に抱かれ泣いているのだ。
あぁ、そうか。咲羅、お前は唯とどこか似てるんだ。でも唯じゃないんだ。咲羅なんだ。
俺はその時わかったのかもしれない。
咲羅は……俺が………生涯で……恋をした二人目の女性だということに。
俺はその晩、高校生の時の様に一晩泣いた。頭の上に落ちる雫を受けながら………。
目が覚めると俺はベッドの上にいた。隣で咲羅が俺と手を繋いで寝ている。俺の事を運んでくれたのだろうか………。あのまま泣き疲れた俺は眠りに落ちてしまったのか。……ガキか俺は。
咲羅の頬にも涙の跡があった。もちろん俺にも。俺は起こした体をもう一度横にした。咲羅の髪を撫でる。スヤスヤと寝息を立てる咲羅を抱き締めたくなった。けど止めた。寝込みを襲うのは好きではない。俺ももう一度目を瞑って眠りに落ちた。
もう一度目覚めた時には咲羅はいなかった。……予想通り朝食を作っていた。
「おはようございます。」
咲羅は満面の笑みで挨拶をした。昨日の事で変な空気は避けたかった俺としてはありがたかった。
「ねぇ陽さん。」
「ん?」
味噌汁を飲みながら咲羅の方を見た。
「私……昨日考えてたことがあって。」
「……なに?」
「私………」