雪の華
「6年後にここで…また会おう。」
雪の舞い散るクリスマスに、私と彼は約束を交わした。見に行く約束をしていたツリーは綺麗で、嬉しさより悲しさが募ってきた。ずっと一緒にいられると思っていたのに…という気持ちが涙を誘う。幼い私達には親の転勤による別離が、一生の別れに感じられた。
「絶対よ。…約束だからね。」
そう言って繋いだ小指を揺らしながら、私は飾り付けられたツリーと降り注ぐ雪を見つめた。生まれて初めてのホワイトクリスマスは、切ない想い出で、6年の間ツリーと雪を一緒に見る度に胸が締め付けられる。今年はやっと約束の年が巡ってきた。
「杏、今年もツリー見に行かないの?」
「行くよ。絶対に行くの。」
「えっ!珍しいね。毎年誘っても行かなかったのに…。あっ!彼氏が出来たとか?」
「瑞穂!そんな訳ないからね。」
「はいはい。約束の彼がいるもんね。全く連絡を取ることもなく、約束だけが残っている彼がね。あのサッカー少年の水谷はどんな成長を遂げたんだろね。って言うか約束忘れていたりして。」
「もー、そんなことないよ。…た、多分。」
教室の片隅で、私は親友の藤井瑞穂と話し込んでいた。人の恋話は好きな癖に辛辣にツッコムところがある彼女は、自分は彼氏がいるからって、よく私の世話を焼いて来る。
「瑞穂、そうやって絡むなよ。楠木が可哀想だろ。翔太ならきっと忘れないさ。」
「祐次!あの水谷だよ。サッカー一筋の青春野郎の水谷。サッカーが絡まなきゃボケボケのあいつが6年も覚えているかな。杏の親友としてとっても心配。だってあいつ6年間も逢いにも来ないし、年賀状すらないんだよ。不安になるのが乙女心って奴だよ。」
「お前、乙女心を語れるのかよ。俺より男らしいくせに。」
「何ですって?」
ホームルームが終わったらしく、瑞穂の彼氏の田中君が話に加わってきた。二人とは小学校の頃から仲が良かったから、翔太君の相談をする事が出来る限られた友人だ。二人は俗に言う幼馴染っていうものでいつの間にか付き合い始めていた。しっかり者の瑞穂と包容力のある田中君、中々いい組み合わせだといつも思うんだ。特に、瑞穂が悲しいのに強がっている時に、いつの間にか田中君が力を抜かせてあげているの。2人に強い絆を感じるから、ちょっと憧れてしまう。
「てかもう、明後日クリスマスだよ。ちゃんと待ち合わせ場所と時間は決まっているの?」
どうやら痴話喧嘩のような言い合いは終わったらしく、真剣な顔をして訊ねてきた。
「場所は決まっているよ。時間は…あはは。」
「あははって!!決めてないの?あの抜け作水谷め。風邪ひいたらどうすんのよ。今年はホワイトクリスマスになりそうなんだってさ。」
その言葉に心臓が高鳴ってしまった。6年前のあの日、別れを控えたあの日も雪だった。白く曇る息と、緊張故に赤く染まった頬、クリスマスのいつもと違った雰囲気が脳裏に浮かんできた。
「電話してみなよ。1日ずっと待っているなんて時間の無駄だからね。…久々に声を聞くのもいいんじゃない。」
「うぅ~。緊張して電話できないよ。忘れられていたらショックだもん。いいよ、1日中待ってるからいいよ。」
「ばっ!馬鹿!絶対風邪ひくからダメ。それにショックって1日待って忘れられていた方がショック強いに決まっているよ。」
「いいもん。」
「ダメ。」
「いいの!!」
はぁ~。と深く溜め息をついてから、瑞穂は杏の頭を撫でて言った。
「あんたの勝手にしたらいいよ。私の口出す問題じゃないもんね。会えなかったら翌日に愚痴ればいいよ。付き合ってあげる。…でも、待つからにはちゃんと暖かい格好をして風邪をひかないように気をつけること。いいね?」
「瑞穂!ありがとう。……でも、何で忘れられている事前提な訳?」
「えっ?!そんなの決まっているじゃない。あのボケボケ水谷相手じゃん。」
「ボケボケって…。翔太君に酷いよ。それにきっと忘れてないもん。」
「だといいね。それじゃあまた明日。」
「お前も人のこと言えないぞ。明日は天皇誕生日でお休みだっての。ボケボケ瑞穂。」
「五月蠅い!!そんなツッコミはいらん!んじゃあまた明後日。」
「じゃあな、楠木。頑張れよ。」
そう言って二人は帰って行った。1人残された私は、窓の外を見つめて黄昏てしまった。早く明後日になって欲しいような、欲しくないような…なんとも言えない気持ちと緊張感に包まれて、溜息を零して教室を後にした。
片手に電話、もう片手にちょっと焦って書いた番号のある紙。さっきからずっと握りしめているから、紙はちょっと縒れてきてしまっている。ううん、縒れているのは私が6年間こうやって手にしては、悩み続けているからかな。何度も見つめて実は覚えちゃったけど、翔太君の字が見たいから受話器を持つ時は必ず、この紙を片手に悩むんだ。
“ピッ”
1桁目は簡単に押せるようになった。この番号は何回押したか分からない位だから、ひょっとしたら、他の番号より色が薄くなっているのかも…。
“ピッ”“ピッ”…
時間を掛けながら次々にボタンを押していく。残りは1桁と発信ボタンだけ…。何でかな?緊張して続きが押せないの。忘れられていたらどうしよう…そう考えると続きが押せないんだ。もっと早くに連絡を取れば、こんな心配要らなかったのにな。不可能なことだと知りつつも、つい思ってしまう。だから、昔は2桁すら緊張して押せなかったことなんて、棚に上げてしまう。
「はぁ~、やっぱり無理だよ。…いいや。とうとう明日だもん。でも…忘れられていたら。」
ウジウジ悩むのは今日1日で十分なはずなのにね。嬉しい休みでさえ、今日は明日が気になって楽しめなかった。瑞穂には大丈夫!って言ったけど不安でたまらないんだ。特に明日はホワイトクリスマスだって言うし…過去の気持ちが溢れ出してきた時に会えないなんて切なすぎるよ。
「もうそろそろ寝なくちゃ。明日は朝から待つんだから…。でも、眠れるかなぁ。」
思った通り、布団の中に入っても不安が募るだけで中々睡魔は訪れてくれなかった。仕方なく瑞穂にメールを送った。
[眠れないよぉ。明日だと思うと緊張しちゃって…。瑞穂どうしよう?]
返事は直ぐに返ってきた。
[どうしようもないから!さっさと寝なさい。明日会った時に隈の酷い顔で会いたいわけ?嫌なら寝なさい。]
何たる無理を言うんだろう。祐次君じゃないけど、瑞穂に乙女心を求めるのは無理なのかも…。溜息を吐きつつ、返信を送る。
[寝れないから相談しているんだよ。もういいもん。瑞穂に乙女心を求めた私が馬鹿だったよ。おやすみ。よいクリスマスを!!]
私はそう返して、部屋の電気を落とした。目を閉じておくだけでも体が休まるという話を思い出したから、実行してみることにした。
いよいよ明日は決戦日!賽は投げられた。6年越しのこの想いどうなるかは彼次第。
お気に入りのスカートとコート、寒いからとお母さんに持たされたモコモコのマフラー。ちょっと前に買ったばかりの黒いブーツ。昨日悩んで決めた今日の服装はちょっと大人っぽく落ち着いた色にしてみた。久しぶりに逢う翔太君に‘前と変わったんだよ!’‘ちゃんと成長したんだよ!’という意思表示も含んだ服装だったりする。
時計を見ると、午前10時。6年前は賑わっていたこの大きなツリーが飾られた広場は閑散としている。確か駅の傍の去年出来たデパート付近が綺麗にイルミネーションされているらしい。きっとそっちは人が多いのだろう。
ふいに月日の流れを感じた。この広場の閑散とした様子もだけど、以前は大きかったツリーも見上げればちゃんと天辺の星が見えるし、傍を流れる川ももっと大きかった覚えがある。
「確かに時が流れたんだなぁ。…想いは褪せていないのに…。」
それどころか想いは逆に、色鮮やかに胸に宿っている。忘れられないのは執念深いからなのかも…。だったら嫌だな。瑞穂は一途な所為だって言ってるけど、一途なのかなあ。分かんない。
ぐだぐだ考えている間も心臓はバクバク言ってる。心臓が喋れたらきっと“破裂するー!!”って喚いてるんだろうね。まあ、喋れたら怖いけどね。
何度目になるのだろうか、私は落ち着きなく時計を見てはソワソワし、入口を見つめて溜息。6年も前の約束だから忘れられても仕方がないとは思っていたけど、本心は違うのかも…。もし忘れられていたら、もし翔太君に彼女が出来ていたら、そう考えたら苦しくて、胸が痛むの。どんだけ執念深いんだろう。
一人でいじいじ悩んで、自己嫌悪して、自分を鼓舞して、時計を見ては溜息を吐いて、を繰り返すうちにとうとう4時になってしまった。もう6時間も経つのに翔太君は来ない。誰か来た!と喜んでも、違う人だったり、どこかのカップルだったりして糠喜びを繰り返すとだんだん切なくなってきた。1人相撲してるみたい。楽しみにしていたのは私だけだったのかな…?
じっと待っているうちに日は沈み始めたらしく、だんだんと暗くなってきた。
「やっぱり来ないのかな…。6年前の口約束だもんね。仕方ないか。」
そう言いって、溜息を1つ。閑散とした広場だけどライトアップされたツリーはとても綺麗だ。ドキドキしっぱなしだった心臓も今ではいつも通りの速さで脈打っている。
「なんだか、涙出ちゃいそう。いや!…泣かないもん!!」
いつの間にか俯いている事に気づいて、キッと顔を上げて入口を見た。やっぱり誰も来る様子はない。時計を見ると19:30ここに来て9時間半たったようだ。流石に寒くて、ずっと前から手足の感覚はない。立っているのも足が痛いから、今では川の傍のベンチに腰を落ち着けている。
「風邪引いたらお母さんに怒られちゃうし、瑞穂に『ほら!言わんこっちゃない。』って言われちゃう。あと10分だけ待ってみよう。……諦めも肝心だもん。」
そう心に決めて、視線を入口に固定して待つことにした。
「あと、1分。」
何度目になるのだろう。さっきから“あと1分”を繰り返して、今では時計は20:30を指している。諦めが悪いなあ~そう思いつつも諦めきれない私がいる。流石に堪えるのが辛くなってきた涙を溢したくなくて、夜空を見上げて涙が流れるのを防いだ。
「あははっ。…もう帰ろう。…馬っ鹿みたい。」
乾いた笑いを上げて、袖を眼尻に合わせてから呟いた。
立ち上がると、寒さが思った以上に体に堪えたらしく、今にもギシギシいいそうでちょっと怖かった。諦めきれない気持ちがツリーの傍へと足を向かわせる。
「ツリーに夜空、川、ライトアップ、そして私。あと彼と、雪で完璧なのにね…。今年はホワイトクリスマスじゃなかったっけ?」
つい話し掛けるように、ツリーに愚痴ってしまった。本当に馬鹿みたい。乾いた笑みを浮かべて、出口へと足を向けた。
「う、嘘!!」
思わず口を出た言葉を押さえるかのように、とっさに口に手をやってしまった。だって、マラソンでもしていました!って位汗をかいて、息を切らした少年が迷うことなく私の元に走ってきたのだから…。
「翔太君???」
現金なことに私は、息を切らして、迷うこともなく私の所へ来てくれた翔太君を見た瞬間、さっきまでの切なくて悲しい気持ちはどこかへ消えてしまった。何で私が分かったのかとか、そんなに私は変わっていないのかというような疑問さえ浮かんでこない。
「はぁ…杏…、ま、待たせてごめん…。」
「馬鹿!馬鹿翔太。…わ、私がどれだけ心寂しく不安でたまらなかったと思う?」
息を切らして、体を二つに折るようにして前傾姿勢をとっていることから、全力で走って来てくれたのが分かる。翔太君を見た瞬間から緩んだ涙腺が、翔太君の声を聞いた瞬間に雫を溢した。
「ちょ、杏!泣くなって!!本当にごめん。ここに来るのも久しぶりでさ。ここをツリーの綺麗な場所としか覚えてなかったから…駅前のツリーの前で待ってたんだ。」
「馬鹿!翔太君の馬鹿馬鹿馬鹿ぁ~!!」
「確かに俺は馬鹿だけど、そんなに連発するなよ。それでさっき祐次と藤井に会って場所の間違いを知ったんだ。藤井に胸倉掴んでされた説教は怖かった。」
「えぇ?!瑞穂ぉ~。」
「まあ、2人のおかげで杏に会えたし…。」
「…翔太君。」
「待たせてごめんな。今日も、6年間も。でも、やっと会えた。」
「うん、私待ったよ。やっと会えた。」
そうして見つめ合うと、2人して笑いがこぼれた。6年前の面影を残しつつも成長した翔太君だけど、笑った顔は記憶の中の翔太君のままで…やっと会えたんだという実感がわいてきた。
「あっ!雪だ。」
ツリーと雪と私と翔太君。6年前と一緒だけど、今は嬉しくてたまらない。
ふいに開いた雪の華。冷たい雪に埋もれていた二人の華は今、確かに花開いた。雪の降り注ぐ中で…。まだ開いたばかりのこの華は、いったいどんな実をつけるのだろうか。
≪完≫