第三十二投
………………背中が…………冷たい…………
……視界は…………真っ暗……………………
…………しみる…………背中の傷………………
……確実に、絶対的に、わたしの元へ空から何かが落ちてきたはず。左手首の痣は、はじめに願ったとおり、運を引き寄せてくれた。
光は幾千もの線を束ね、続けざまに、世界のひっくり返る音も聞こえ……
これが最期に見るはずの光景だ……った。
――不幸ごとわたしを焼く光が身を包み込む直前、どこからか、わたしを呼ぶ、記憶の底へ入れたはずの声が聞こえる。
いるばすのない声の持ち主へ顔を向けると、そこには、一心不乱にこちらへ走る彼女がいた。だから、今際の際に彼女しか見えない。
周りの時は止まっているようなのに、彼女だけは勢いをつけ、わたしに触れる。塵となって消えてしまったサイコロの匂いが鼻をくすぐり……意識が飛んだ。
……今は目が醒めて間もないせいで、五感が働いてくれない。ここは地獄にしては温かいし、天国は……行けるはずがないので、考える必要もないだろう。
わたしに落ちてきたのは、雷だったのか、隕石だったのか……それとも想像もつかないモノだったかもしれない。
いずれにしても、まだ目も開くことすらできないが、自分が仰向けで倒れているぐらいはハッキリしてきた。
濡れた地面のおかげで背中の傷がジクジクと、わたしの覚醒を促す。次第に、聞き慣れてきた声も聞こえてくる。
『さ……お願…………て』
目を開きたくない。開けてしまったら、きっと、ここは現実。皆んなに迷惑をかけてしまう日々が続くから。それならば、いっそのこともう一回…………
――――顔にぽつりぽつりと雫が落ちてきた。
雨粒とは違う。滴り落ちてきた箇所に熱が帯びる。空っぽにしたはずの内に、ココロが入ってきた。
意識を閉じきっていた瞼に向け、現実を直視したくなかったのに目を開けてしまう。
最初に見えたのは……高清水さん…………
わたしの上にまたがり、泣きそうな顔をこらえ、震えながらも肩を叩いてくれていた。
そして、わたしと目が合い、彼女は一度目を大きく見開いて泣き笑う。
高清水さんの目から溢れてくる涙が、ココロを伝って、わたしへ落ちる。その一滴一滴が、わたしの黒く乾いてしまった心に染み渡っていく。
あぁ……あんな不幸な目に遭わせてしまったのにも関わらず、わたしのためにそんな顔をしてくれるんだね。
やっぱり正体は女神でしょ?
どうすればいいのかは分からなかったが、ただ目の前の温もりを抱きしめたくて、二人して抱き合って泣いていた。
……どのくらい泣き合っていたのだろうか。
雷はやみ、雨もポツリポツリに変わってきたが、近くにあった東屋へ場所を移し、腰を下ろす。
手を繋いだまま、疑問を口にする。
「どうしてこんなところに?」
「日運さんを迎えにきた」
「わたしは高清水さんを危ない目に遭わせてしまったのに?」
「助けてくれたのも日運さんだったよね」
「……わたしの不幸で高清水さんが傷付くのは嫌なんだ……」
「不幸なんて誰にでもあるよ」
「なんで……わたしを嫌いにならないの? わたしのこと……嫌いになってよ…………」
「私ね、日運さんに会って、お話しするためにいっぱい考えてきたの。最悪、日運さんにとって辛いこんな世界から一緒に出ていきたい……と思ったことも……ね」
縁起でもないことまで言った高清水さんは、繋いでいた手を急に離し、わたしの横から立ち上がる。
「あっ……」
いつまでも続くと思った高清水さんの温もりが失くなり、声が漏れ出るぐらいに狼狽えてしまう。
「良かった……私にまだ脈がありそうで。これでも、昨日絶交されたときは、これからも日運さんに拒絶され続けてしまうかと思って心配だったの」
「だって、高清水さんをわたしの不幸に巻き込ませたくなくて……駅ビルの外壁落下も、火事の件も……」
どの件も、たまたま高清水さんが助かっただけ。わたしからすれば、どれもマッチポンプだ。不幸は高清水さんを苦しめる。
「えっ、火事の件は関係ないでしょう。あれこそ、不運が重なってしまっただけじゃないの?」
「ううん、火事の日に高清水さんは体調を崩してしまったじゃん。前日に雨が降ったのは、わたしの不幸が原因。言葉にして、晴れ間が続くと過信してしまったから」
口は災いの元とはあるが、わたしの場合は比喩ではなくて、本当に災いが起きてしまうのだろう。そのうち、心の中で思ったことにも不幸が起きる。
「……あの日、体調を崩したのは別のせい。厳密に言えば、雨の影響もほんの少しあると思うけど、他の要因が圧倒的に大きい……と思うよ」
「えっ?」
「あの日はね……日運さんをGWにデートへ誘いたいばかりに、デートプランを夜通しで考えていたから…………五十通りぐらい……」
「…………」
恥かしそうに高清水さんは言うが、わたしは驚きのあまり言葉を失ってしまった。
えっ、五十通りのデートプランって何? そんなに見る場所ないでしょ、この付近!?
「……でも、駅ビルの外壁落下は本当に危なかったじゃん。しかも、高清水さんの立っていた位置に落ちてきた! 次は生命がないかもしれないんだよ」
「………………」
無言で見つめる高清水さんの視線が痛い。たぶん、さっきのわたしがやった行為を咎めたいのだろう。直接言わないのが、慈悲なのかもしれない。
「ふふふっ、私ね、日運さんにとって一番の不幸が分かってしまったのよ」
「それは、高清水さんを危ない目に遭わせてしまったこと……」
想定していた答えのようで、高清水さんに嘲笑されてしまう。そして、持っていたカバンの中から、可愛くラッピングされた箱を取り出す。
「これは、日運さんへの誕生日プレゼント。本当は一日早い昨日、渡す予定だったの。今、ここで、開けてみて」
「……あっ! あ、あ……ありがとうございます」
いきなり、誕生日をお祝いされて、豆鉄砲を食らった並に驚いてしまう。
数日前までは、今日が誕生日だと覚えていたのだが、不幸のせいですっかり忘れていた。
今日はスマホを使っていないし、今頃メッセージもそこそこ溜まっていそうだ。
高清水さんから圧を受けつつも、頑張ってラッピングを手早く綺麗に剥がし、中の箱を開封する。その中には……
「……ブレスレット? しかも、桜の柄が入っている…………」
わたしの嫌いな桜柄をわざわざプレゼントしてきて、本日何度目かの脳がショートしてしまう。
なんで? 流石に、桜が嫌いなことを察していると思っていた。やっぱり、高清水さんはわたしのこと嫌いなの?
……あれ? 嫌われる心当たりしかないよ…………
「そのブレスレット、私が着けてあげるね。左手を出してくれる?」
「はい……」
左手を差し出すと、高清水さんは愛おしそうに触れる。高清水さんの熱が感じられて落ち着く。いつまでも、触ってほしいとすら思ってしまう。
「日運さんこのブレスレット似合っているよ!」
「そうかな……?」
自分では、このブレスレットが到底似合っていると思えない。ブレスレット自体は……良いものだと思う。
だけど、わたしの見え方が悪いせいなんだろうね。高清水さんセンスは悪くないと思いたい。
「それじゃ、さっきの、日運さんにとって一番の不幸を教えるね」
「……お願いします」
なんで、わたしが恐縮してしまうのか自分でも分からない。
それは、きっと、高清水さんが緊張を隠せていないからなのだろう。その緊張が、わたしにも伝わっているから……
高清水さんは震えた両手で、ブレスレットを付けたわたしの左手を握り直す。そして、そのまま、高清水さんは口を左手首の痣に……近付け……
――チュッ
高清水さんの熱が左手首の痣に直接伝わって、くすんだ桜色の痣が鮮やかなピンクに色付いてしまった。
「私に一目惚れされてしまったことだね!」
「…………それは、告白……なの?」
「愛の告白のつもりだけど……一番は宣戦布告かな」
いつの間にか分厚い雲は通り過ぎて月も顔を出していた。満点の星空、満開の桜が舞う中、高清水さんは宣言する。
「幸咲を幸せにすること! ……これが私の……心優からの願い」
嫌いな桜に、嫌いなわたし自身。
この場所には高清水さん以外、嫌いなものしかないはずなのに全てが輝いて見えた。
「ちなみに、左手首へのキスは独占欲という意味らしいよ。日運さんは不幸よりも大変な目に遭うことを楽しみにしてね!」
はにかんだ笑顔で高清水さんはわたしに手を差し伸べる。
……今も高清水さんが、わたしを気に入ってくれた理由がしっくりこない。自分すら好きでないのだから、人の好意にも疎いのだろう。
それでも、震えながらも差し伸べてくれた、この手を信じてみたい。心優からの願いに応えたいと思ってしまったんだ。
「高清水さん……本当に…………ありがとう」
震えた手を震える手で取り、立ち上がる。二人の恐れや熱といったぐちゃぐちゃが混ざり合って素敵に思えた。
「さぁ、帰りましょうか。日運さん」
「そうだね」
昔の人は、春宵を一瞬でも千金もの価値があると感じていたらしい。
美しい桜と星空に囲まれた今のわたしならその気持ちは分かる。でもね、少しも惜しくはないんだ。
手を繋いだサキには、不幸よりも大変な目に遭わせると……言ってくれた心優がいるのだから。




