第二十七投
「今となればヒウンの字は日運だけど、その昔は悲運だったのよ。その理由は、桜の花びらが散ったように見えてしまう、不幸を呼ぶ痣のせいで」
これ見よがしに、ハナさんは薄紅色の袖口を捲り、左手首に咲いた一輪の桜の花びらを示す。
「でもね、わたくしや過去に痣を持った人と比べても、同じようにあの娘も不幸に見舞われているけど、一つだけ違ったことがあったの」
あんなにも、日運さんは毎日不幸な目に遭っているのに、それって一体なんだろう?
「あの娘以外は、ここまで毎日、不幸な目に遭っていなかったのよ」
「えっ! それじゃあ、幸咲さんは特に運が悪かったということですか!?」
「違うわ。本来ならこの痣を持つ人は全員、生命を落としてしまう不幸に付き纏われてしまうの。寿命まで生きた人は誰一人いなかったと聞いているぐらいによ」
……駅ビルの外壁が落ちてきた件を思い起こしてしまう。他にも、日運さんと一緒に過ごしていると、日常の中でヒヤリとした場面は頻繁にあった。
どれも一歩違ったら、大怪我していたかもしれないが、生命を落としてしまうレベルまでだったことに実感が湧かない。
だって…………日運さん自身が……自分の生命について、深刻に捉えていなかった……せいなのだろうか……
「ええ、あの娘は自分自身のことよりも、他の人を不幸に巻き込ませてしまうことに悲しんでしまうからね。だから、わたくしは賽を贈ったの。あの娘の幸せを願って」
「……それで幸咲さんは、毎朝サイコロを振っていたのですのね」
日運さんがサイコロを振るう理由は分かったのだけど、なんで、サイコロだったのだろう?
「一度に遭う不幸があまりにも強いから、毎日とその日の回数分で、二重に分割して不幸を弱める必要があったのよ。それと、今の苗字である日運もおまじないとして使わせてもらったの」
「もしかして、今日の運勢とかの言い回しが理由になります?」
「もちろんあるわ! まぁ、苗字の字を悲運から日運に変えたのかは、誰が取り計らったのかは分からないけど。でもね……」
目を閉じたハナさんが祈るように、言葉を紡ぐ。
「そこには間違いなく、悲運に負けないぐらい愛が込められたのは確かなのよ。あの賽を創った時も、わたくし以外にも数々の望みが届いてきた。不幸な少女が幸せになるようにと願った……想いの結晶でもあったのよ」
「…………」
……私も日運さんの幸せを願っている。
最初は依存させる相手を欲していた私が、時間を重ねるごとに絆されていった。
今でも日運さんが私だけを見てほしいことは、少し……そこそこ、それなりにあるのだけど……
――彼女が幸せになってほしい。それが叶うなら、私は何もかもが惜しくない。
「……高清水さん、一つだけあの娘の昔話をしてもいいかしら?」
「はい! 幸咲さんのことを知りたいので、こちらこそお願いします」
「良い返事でいいね。……ええっと、あの娘が七歳になる直前の、ちょうど、満開の桜が咲いていた頃……」
時系列としては、小学一年生の春ぐらいかな。小学一年生の日運さんもかわいかったと思うに容易い。
「当時の幸咲は元気があり余る子で、まさしく屈託のない性格だと思っていたのよ。それが、その時は激しい雨が降り盛る中だったのに関わらず、庭の桜の前で空を見上げていたの」
「それは……」
「理由は分からない。たぶん、学校で落ち込むことがあったのだと思うけれど、憶測でしかないから。大事なのは、左手首の痣を空に掲げていたのよ」
私からすれば、雨の中で空に左手首を掲げるぐらいなら大したことではない。せいぜい風邪を引いてしまうのを心配してしまう。
しかし、ハナさんの言い振りは、過去の話しなのに、私の不安を掻き立てる。
「わたくしたちはいまだに不幸との付き合い方が分からないの」
急に話しが変わって意表を突かれたが、これもハナさん達にとっては大切な前置きなのでしょう。
どうせ、心の中が読まれているのだから、リアクションぐらいとってもいいのだけど、少しでも話しの腰を折りたくない。
「だからね、不幸に遭いたくないと日々生活を送っているものの、時々、不幸な目に遭いたいとも思う日もあってしまう」
不謹慎な話しになるかもしれないが、同じクラスの子がよくテスト前に『隕石が落ちて臨時休校になってほしい〜』と言っていたこと、似た話しなのでしょうか?
「そう。だからといって普通は、隕石は落ちてこない。でもね、あの娘は違うのよ。幸咲は不幸を強く願えば、痣も反応するように運良く起きてしまう」
話しのオチは見えてきた。ハナさんの伝えたかった意図もおそらく……
「結局その時は、あの娘の左手首へ向かって雷が落ちてきたところを、わたくしの枝を避雷針としたことで事なきを得たけどね。ついでに、その雷が生前以来の二発目だったのよ、ふふふふっ」
近所に住む年配の方が、年寄りあるある自虐ネタで談笑しているが、故人がそれをやってはダメだと思う。どの反応も失礼になりそうで.……
「この件があってから、わたくしはあの娘に賽を贈り、この微睡みの世界にも呼んで遊んだこともしたわ。あの娘の相談や悩みを解決するための助けになればと思って」
「ハナさんは幸咲さんにとって、第二のお母さんみたいですね」
「……………………」
「…………?」
今、私は変なことを言ったのだろうか?
ハナさんは朗らかに笑っているが何も言わない。
生前のお子さんに関係することで地雷を踏んでしまったのか?
それとも、他に何かトラウマとなることでもあったのだろうか?
「いいえ」
「えっと……それでは、なんで無言を貫いているのですか?」
「……そうね。わたくしが悪いわけではないのだもの」
もったいぶった言い方に、ハナさんと出会ってから一番嫌な気配が漂いはじめた。内容次第では、やっぱり敵になるのかもしれない。
「…………あの娘はわたくしに対して、想いが強くて、心を寄 せさせてしまったのかもしれません……」
「ふーん」
ハナさんのおかげで、今日まで日運さんが元気でいたのは分かるよ。分かるのだけど……内に眠らせていた欲が起き出そうとしてくる。
「あの娘のことは本当に大切だけど、その気持ちは、微睡みの世界にいる、わたくしには受け取れません。この世界で会った記憶も、目が醒めたら消えるようにもしました」
「ああ、だから幸咲さんは、サイコロをくれたハナさんについて、記憶が曖昧だったのですね」
日運さんから、朝の日課としてサイコロを振る話しは何度も聞いていたし、桜の木で作られていたサイコロも写真で見せてもらった。
それだけに、サイコロをくれた人物について、濁された気もしたので納得がいく。
実在するのも曖昧な記憶で、幼いころに想いを寄せた初恋の人だったから、話題にしたくなかったのでしょう。
……私もお姉ちゃんの恋愛話になると苦手だ。失恋を思い出してしまう。
「それならば、私の記憶は現実世界に戻っても大丈夫ですか?」
日運さんの場合は、わざと記憶を消しているような言い方だったが、もしかしてがあれば、ここにいた時間が無駄になってしまうかもしれない。
「記憶の方は大丈夫です。戻った直後に、寝起きのような頭が上手く回らないかもしれませんが、しっかり覚えているはず……」
段々とハナさんの語尾が弱くなり、そこまで懸念点は解決されなかった。
ハナさんは「コホン」と場を整えて、目付きも険しくする。
「それでも、あの娘の精神が危うい状態だと、目が醒めても記憶に残ることもありました。だけど、昨晩に至っては、この世界に呼ぼうとしても、初めて拒絶されてしまったのです」
日運さんのことを想い、爪を手のひらに食い込めせるほどに握りしめる。痛みが全身に走り、ようやく、地に足が着いた。
「高清水さん。肝心なときに、あの娘の役に全く立つことのできない木偶の坊の戯言になりますが、あの娘……幸咲のことを託してもいいですか?」
答えは当然決まっている。
私はそのために、ここまで来たのだから。
「幸咲さんは絶対に連れて帰ります」
「…………よかった……」
ハナさんは胸に左手を当てて、表情を和らげる。
――チュンチュン、チュンチュン
私とハナさんしか音を発するものがない世界に、いきなり雀の声が鳴り響く。
「雀さんに教えてもらって、幸咲の居場所がおおよそ分かったわ。現在はお城跡地の公園にいて、頂上を目指しているらしいの。……でも、あそこに何かあったかしら?」
「その場所は……桜祭りの会場です! たしか、今は……熊の出没情報があって、桜祭りは中止で、公園一帯も立ち入り禁止のはずなんですけどね」
自分のことを一番否定してしまう日運さんが、同じくらいに嫌っている桜を、見に行くだけとは到底思えない。
それは、ハナさんも思っていたようで、眉間に手を当てて考え込んでいる。
「ハナさん、幸咲さんのことを迎えに行きますので、現実世界に送ってもらってもいいですか?」
「もちろんいいのですが、少しだけ待ってくださる?」
ハナさんは両手を組み、私に向けて呟きながら、祈りを捧げる。
――すると、桜の花が舞う。
真っ白な空間が一瞬桜に染まり、また、真っ白に戻った。
束の間の出来事だったが、私の心を優しい光で包んでくれているように感じた。
「あの娘のことも大切だけど、貴女の無事も願っています。お気をつけて」
立っていたはずなのに、意識が……遠くなっていく。
ハナさんに……お別れの言葉も伝えていなかったのに……
日運さんも連れて庭の桜の木にお礼を言おうと思ったところで、視界は真っ白な空間から真っ黒になった。




