第二十六投
「そうね、高清水さんがあの娘のために急ぎたいのは分かります。でも、この場所……微睡みの世界は、貴女方の現実世界とは違って、時の流れが穏やかになっているの」
「穏やか……っと言うことは、今も時間自体は流れているのですか?」
「おおむねその認識で大丈夫よ。わたくしも実際に時間がどのくらいの速度で進むのかを把握していないので」
分からないことを自信満々に答えられても、こちらも困ってしまう。脳内に語りかけてきた時も違和感を覚えたが、ハナさんとに少しズレみたいなものを感じる。
それが、生きていた時代のせいなのか、はたまた何か思惑があるのか判断できない。
いずれにしても、この微睡みの世界から一人で目を醒ますのは困難に思える。
「……まずはあらためて、理由も説明せずに、高清水さんをこんな場所へ招いてしまいお詫び申し上げます」
「たしかに驚きましたが、もう大丈夫です」
最初は暗示されたかのように誘導されてしまったが、最終的に自身を納得させて、ハナさんの提案に乗ったのだから。
「……先ほども述べたとおり、わたくしはとうの昔に亡くなっていて、気が付いたら、この家にある桜の木を依代としていたの。まぁ、それからは、気ままに可愛い子孫達を見守る楽しみができたのは良かったけどねぇ!」
「幸咲さんもハナさんの子孫だったのですね」
言われてみたら、日運さんはハナさんの面影があるのかもしれない。
ちょっとイメージが離れてしまって、上手く想像はできないが、着物を纏った日運さんは見てみたいと思う。
「ええ。ヒウン家に縁のある人ならば色々と融通を利かせることができるのだけど、貴女とは今日はじめてお会いしたので、この微睡みの世界へお呼びして縁を結ぶ必要があったの」
「そういえば、私は今微睡みの世界にいますが、身体のほうは一体どのような状態になっているのですか?」
こちらの世界へ来る前に、最後に残っている記憶は椅子に座り、突如として眠気が襲ってきたはずだ。
「高清水さんのご身体は現在、眠っている状態とほぼ変わらないと思いますよ」
「なら、リビングの椅子である必要はありました?」
眠ることが必要ならば、日運さんが使っているベットでも良かったはず。
――ここは真面目に問うべきでしょう。
「…………いや――玄関から近くて、座り心地が良さそうなのはリビングの椅子ぐらいだったのよね。幸咲の部屋は、本人のぷらいばしーを優先させてあげたいし」
「そうですよね……」
ハナさんは賢い人だなぁ。生きていた時代には、プライバシーの概念なんて無かったでしょうに。
現在地を微睡みの世界だと知れたので、再度、手を閉じて開いてを繰り返す。されども、肌の感覚はあやふやだ。
やはり、目を醒まそうとして、現実の世界に戻れるのか気になる。玄関の鍵は閉めたので、空き巣といった防犯的な心配は少ないと思うけど……
「現実世界にはわたくしが責任を持って送り届けます。施錠もしていますし、仮に何かが起こっても、高清水さんの目が醒めるまで、わたくしのほうで時間稼ぎをしますのでご心配なく」
ハナさんは細い左腕で力こぶを作りアピールするが、私の視線は力こぶじゃなくて、着物の袖口が捲れて見えた左手首を向く。
「ようやくあの娘の話に戻るけどね、しばしば憂鬱な表情を見せることは合ったのだけど、昨日のばんげあたりに帰ってきてから……見ているこっちまで苦しくなる沈痛な面持ちだったの」
「ッ……」
その光景を見ていないのに、手に取るように想像できてしまう。できることなら、日運さんには心から笑っていてほしい。
「それで、半刻……三十分ぐらい前に手ぶらで家を出ていったきり。あんな諦めと覚悟を混ぜ合わせた顔、今まで見たことなかったわ」
「幸咲さんがどこへ向かったのか、ハナさんは分かりますか?」
日運さんはもう家に帰らないつもりの気がしてならない。それならば、迎えに行けばいい話だ。帰り道は手もガッチリ握って、絶対に離してあげない。
「いいえ、わたくしには検討もつかないの。ただの家出なら、場家さんのお宅のお嬢さんを頼りそうだけど……」
「そうですか……」
ここでも場家さんの名前が挙がり、胸の内がチクりと刺さる。私も友人として場家さんは好きだ。
好きなのだけど、日運さんとの積み重ねてきた深さに妬んでしまう。
「だからね、今あの娘のことを探してもらっているのよ。近所の小鳥さんや猫さんたちにね」
「それは、ハナさんは動物と話せる……ということですか?」
もはやここまで驚きの連続だと、多少のことでは動じないと思っていただけに、内心で衝撃が走っている。
毎回驚いているようでは、日運さんを説得させるための情報が少しでも欲しいのに、話しが進まなくなってしまう。
「簡単な意思疎通ぐらいは。普通の人なら探してもらうのは厳しいけど、ほら……あの娘は不運を身に纏っているようなものだから、動物さんたちもその雰囲気でね」
「あぁ……動物も本能で分かってしまうんだ……」
はからずも日運さんが動物に避けられてしまう理由を知ってしまった。
学校を住処としている茶系の猫に、日運さんがよく挨拶しに行っても無視されていたからなぁ。
私や他のクラスの子達には懐いてくれていたのに……
あの猫は火事の日に準備室で閉じ込められていたのを、日運さんが助けた以降見かけていないし、クラスのグループにも情報が伝わってこない。
臨時休校で皆んな学校に行けていないのもあるが、少し気になる。
私が日運さんとの話すキッカケを作ってくれた、幸せをもたらす恩猫だ。元気でいてくれることに越したことはない。
……でも、それならばどうして、場家さんの家で飼っている犬のたんぽは日運さんに懐いていたのでしょうか?
記憶を遡っても、他の動物にはやんわりと避けられていた気がするのに……
「場家さんのところワンちゃんが懐いていた理由? たぶん、幸咲がワンちゃんを助けたことが主な理由だけど、あのお嬢さんの運が良いこともあるね」
「場家さんの運はそんなにも凄いのですか……えっ!?」
言葉にしていないはずなのに、今私が抱いた疑問にハナさんが答えてくれた。もしかして……
「あぁ、ごめんなさいね。心の中を勝手に読まれたら、気味が悪いでしょうに」
「こちらこそすみません。頭の中へ直接語りかけることを知った時点で、察するべきでした」
私が日運さんに対して思っていることは本心なので少しも恥ずかしくないが、ハナさんには失礼なことを思い浮かべた気がする……すみません…………
「別に高清水さんが謝ることではないのだけど……そもそも、思想は自由だし。わたくしも、大概変なことばかり考えているからねぇ」
「ハナさんが変になりますと、私も幸咲さんのことばかり考えていますので……」
「ふふっ……それじゃ、心が読める話題はこれで終わりということにしよっか。心の中でいっぱいわたくしの悪口を言っても気にしないよ」
最後の余計な言葉は、意地の悪い言い方だと思うの。気にしても仕方がないことを伝えたいのかもしれないけど。
「うーん。あの娘が遠くへは行っていないのは、痣が教えてくれるのだけど、いかんせん具体的な場所を特定するには動物さん待ちかねぇ」
「あの……差し支えなければでいいんですが……」
どうせ、心が読まれているのだから、さっきハナさんが力こぶを作った時に、目に入ったことを聞いておこう。
これは、日運さんにも関係はありそうな気がするから。
「ハナさんの左手首には、幸咲さんと同じ、桜の花びらみたいな痣がありますよね。今の『痣が教えてくれる』と言ったこと、繋がりはあるのですか?」
「そうだね、せっかくだからこれも話しておこうかな。わたくしたち悲運家一族の不幸と、あの娘の不幸についてを――」




