第二十五投
「ごめんください、高清水心優です。幸咲さんはいらっしゃいますか?」
頭へ残る声に従い……日運さんのお宅にお邪魔する。リビングらしき場所から明かりが見えるが、人の気配は感じられない……
『いらっしゃい、貴女が高清水さんね! 念のために、玄関の施錠をお願い!!』
「……あっ、はい」
お願いされたので……後ろを振り向いて玄関の鍵を閉める。
……ごく自然で当たり前のことでしょう?
『そのまま、明かりがついている……居間まで進んでくださって?』
「わかりました」
なぜだが、日運さんの家に着いてから……考えがおぼつかない…………
過去に浴びたことのある……人の悪意……みたいなものはないけど……少しだけ気味が悪い……
『その扉は下に出っ張りがあるので気をつけて』
「……はい」
和菓子のような……甘い誘惑に流されて……
リビングへ……入る……日運さんはここには……いないらしい……
『ちゃぶ台、いいえ、テーブル向かいの椅子へお掛けになって』
「……あれ?」
椅子に座ろうとテーブルを見たら、日運さんのスマホが目に入る。
ずっ〜〜〜と、日運さんが使っているところを勝手に見てきたスマホだから分かった。この保護フィルムのひび割れ方は見覚えしかない。
試みようとすれば、パスワードも解除できる自信がある。
『高清水さ〜ん! 椅子へお掛けになって〜』
「ひぃッ」
あまりの不思議現象だったため、つい疑問にすら思わなかった。冷静に考えなくても知らない、女性の声? が頭に直接語りかけてきて怖い。
自分の頭を叩いて、常識を取り戻す。脳内ではびこる甘い匂いが薄れた気はする。
『え――と、椅子へご着席ください! ……お座りになさってください?』
甘い声とともに、桜の匂いがむせかえるぐらいに強くなった。
当然未成年なのでお酒を飲んだことはないが、お姉ちゃんやお父さんがお酒を飲んだ後のような、酔いが伝わってくる。
「すみません。あなたは、えーと、誰なんですか?」
『わたくしのこと? ええっと、説明するのが難しいので、そこに座ってくれると大変助かるのですが……』
「う――ん……」
椅子に座るぐらいなら、指示に従ってもいいのだけど……
言葉に言い表せない気味の悪さがある。
必死に座らせようとするのも、どこか引っかかりを感じてしまう。
『あの娘……幸咲のためなの…………お願い……』
謎の声から日運さんの名前が急に出てきて、とても、すごく、悩んでしまう。
今この家に人の気配はない。日運さんの部屋に、勝手に入ってもいいが収穫はないでしょう。
ご家族も県外にいるし、日運さんのスマホもここにあるため手がかりがない。
新手の特殊詐欺だったらどうしようかと頭をよぎったが、現状を打開するためには、謎の声を信じてみようと思う。
根拠はないけど、日運さんが大事なのは分かる。
「……分かりました。この椅子に座ればいいのですね」
『ええ、ありがとう』
椅子に座ったら、突如としてまぶたが重く感じてしまう……
足にも力が入らなくなり、立ち上がろうとしても、身体が反応してくれない……
……早く日運さんに会わないといけないのに、意識が薄れていく…………
――気が付くと、日運さんの家のリビングではなくて、何もない真っ白な空間で、私は独り立っていた。
さっきまで、外は雷が鳴り響いていたはずなのに、ここは風すら吹いていない。
それどころか、耳に音が入ってこないし、空気に匂いもない。いくら、辺りを見回しても白一色だ。
手を閉じて開いても、その感覚は伝わってこないし、明晰夢に近い感じだけど、意識だけは妙にはっきりする。
何よりも目に焼き付くほど見た、お姉ちゃんに振れてしまう夢……とは違った雰囲気がして、かすかに、春の暖かさがあった。
『無事にお会いできて嬉しいです』
またもや、頭の中で声が響く。
同時に、真っ白な世界に、一本の色鮮やかな桜が咲いた。
なんだか、日運さんの庭に生えていた桜の木と似ている気がする……
『えっと……まだ、わたくしの姿は視えていないよね。こうすれば、どうかなっ!」
視界が桜吹雪で覆われてしまう。
淡いピンクの嵐がおさまると、桜の木の下に、薄紅色の着物を纏った、お姉ちゃんと同年齢ぐらいのべっぴんな女性がいた。
「あらためて、高清水さん。ご機嫌麗しゅうございますか」
「はい! あっ……なんて言葉で返せばいいのですか?」
「ふふふ、わたくしも詳しくは存じていないの。何百年以上もここにいるのにね」
先ほどまで、頭の中に直接語りかけることができる人? なので、数百年以上は生きていてもおかしくない。
非化学的なものはあまり信じていなかったが、日運さんと出会ってからは、日運さん関連限定で考えを変えた。
サイコロを振って出た目の数分、不幸な目に遭う。それが、毎日続いている……
日運さんの置かれている現状が非現実そのものでしょう。だとしたら、非現実的な今も飲み込んで、目の前にいる彼女も信じたい。
「さて、なにから話せばいいのかな? とりあえず、今あの娘は無事よ……まだね」
「あの娘……幸咲さんのことですか?」
「そう。ただね、居場所が分からないの。それについては、追って話すわ」
「分かりました……現状だとしても、幸咲さんが無事でなによりです」
誇張抜きで日運さんのことが一番大切だからこそ分かる。
どこまで信じていいのか分からないが、人智を超えた力を持っていそうな彼女の言葉には説得力があった。
「そういえば、わたくしの名前を伝えていなかったよね。わたくしの名は、ヒウン ハナ。ちょっとした不幸で現世から亡くなり、この微睡みの世界で余生を何百年も楽しんでいる……幸咲からすれば遠い祖先ね」
満開の笑顔を咲かせるハナさんの周りで桜が舞う。
朗らかで、儚げにも受け取れる表情を浮かべて。




