第十三投
それは、保健室を出て、一歩、二歩の出来事だった。
準備室の扉からドンッ、ドンッと何度も叩きつけるような音が聞こえてしまい、逃げないといけないのに立ち止まってしまう。
「ん(準備室どうする?)」
煙を吸わないために左腕で口元を塞ぐ。ハサミを握り締めたままの右手でジェスチャーも交えて、高清水さんのリアクションを見る。
もし、中に人が残っているのなら救出したいが、準備室の扉についている窓から、どす黒い煙と奥に紅い炎が見える。
この引き戸を開けるとすれば、煙が廊下に濁流の如く流れそうだ。
そうなれば、わたし一人ならまだしも、体調が悪い高清水さんも巻き込んでしまう。パンドラの箱を開けてしまうみたいで恐ろしい。
それに疑問もある。いくら、火災感知器の警報音で耳が麻痺しているとはいえ、保健室の隣り教室に人がいたら気付くと思う。
後、準備室の扉も引き戸で、廊下側からパッとみると損傷箇所がなさそうだ。
だとしたら、叩きつける力があれば自力で引き戸を引いて逃げることができるのではないか?
現状、わたし達も危険な状況だから頭がパンクしそうだ。本音を言うと助けてあげたいが、わたしも正常な判断を下せる自信がない。
「ん! ん!」
高清水さんがわたしの口元を左手で勢いよく指差す。右手には貸したハンカチを口に当てて、可愛らしい仕草なのだが、顔はめっちゃ鬼怖い。
「ふうん! (わたしは大丈夫の意)」
「ふぁ?」
右腕でガッツポーズをして、丈夫さをアピールしたが、高清水さんはガチめなトーンで圧をかけてくる。
ハンカチをもう一枚持っていると嘘ついたことに、そこまで怒ると思っていなかったので、困惑してしまう。
仮に、わたしと逆の立場なら、高清水さんも気を遣って嘘をつきそうなのになぁ。
弁明したいが、ヒートアップしたあまり煙を過って吸い込みたくないし、高清水さんには絶対に吸わせたくない。
保健室の中にも煙が迫ってたせいで記憶が怪しいが、たしか口元を隠せるものはベットシーツぐらいだった。
持っていこうとしたら、逆にかさばって邪魔になると考え、断念して逃げてしまった。
今思うと、右手に持っているハサミでパッと裁断すれば良かったのではないかと気付く。
これは……いずれにせよ相談しなかった自分が十割悪い。謝る時間も惜しいので、高清水さんの耳元へ顔を寄せる。
「ごめん、無事に避難できたらなんでもするから」
「ッ……うん」
囁き声に高清水さんがビクリと身体を震わせて、渋々ながらも頷き、了承してくれる。ひとまず、矛を収めてくれそうだ。
もう一度、準備室のことで確認を取りたくて、高清水さんに聞こうとしたその時――
「ンギャァー」
弱々しい鳴き声が準備室の中から聞こえてきた。これは、ほぼ間違いなく猫だろう。
換気をしにわたしが準備室へきた時は猫がいなかったので、もしかしたら、あの後に窓から入ってきたのだろうか。
猫ならば引き戸を開けることができないのもしょうがない。が、 猫一匹のために高清水さんを危険な目に遭わせられない。
準備室を見つめても解決できないが、それでも、扉一つ挟んで消えそうな命の存在を感じると、思うものがある。
「ん」
「ん?(高清水さんどうしたの?)」
高清水さんがわたしの制服を引っ張る。わたしの顔を見つめ、ひたいに汗をにじませているけど、笑顔を向けられる。
「んんよ」
さらに、引き戸を開けるモノマネを見て、ようやく尋ねられた意図に確信を得ることができた。でも、あの引き戸を開けたら高清水さんも危ない。
「ふぅん」
トドメと言わんばかりのガッツポーズを見せつけられ、わたしは敗北を悟る。高清水さんになにもかも見透けられて、ガッツポーズまでも返させてしまった。
「うん(ありがとう)」
「うん」
高清水さんのおかげで迷いはなくなった。さっそく準備室の扉と向かい合う。流石に扉の正面は危ないので、高清水さんには横で待機してもらった。
扉の窓から見える煙と炎が、わたしの理性を刺激させ、棒代わりのハサミを持つ右手も震える。
恐怖を押し殺すために深呼吸をしようとして……煙を吸う可能性があることに気付き、代案の、右手でノックするように胸元を二回叩いて覚悟を決めた。
「ふんッ!」
保健室を出る時と同く引き戸にハサミを引っかけて開けた。
開放された扉からどす黒い煙がこちらに向かってくる。なんとか、煙を少しでも吸わないためにしゃがんで姿勢を低くした。
上を通り過ぎていく煙が厄災にしか見えず、どえらいパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。
「シャー」
「ん(あらよっと)」
「んっ!?」
茶色の弾丸がしゃがんでいるわたしを避けて通り抜け、高清水さんの前も勢いよく通過する。
準備室にいたのは、猫は猫でも、学校の付近に住んでいる猫さんだった。
ちなみに、今日六つ目の不幸は、この猫さんへ挨拶をした時に逃げられてしまったのが遠因なため、今もすぐ逃げられてちょっとだけ悲しい。
それでも、準備室で閉じ込められていたのにも関わらず、安全な体育館側に逃げていってくれて良かった。わたし達も続けて逃げないといけない。
手遅れかもしれないが、出火元から煙を防ぐために準備室の扉を閉めておく。
閉める瞬間、窓の下にあるコンセントから炎が見えた。用途不明のプラグがコンセントに繋がれていたことを思い出す。
だからといって、避難することが第一の今、煙に包まれた地獄から脱出しなければならない。
女子高生二人が横に並んでハイハイ。
数十メートルの廊下が永遠に感じられてツライ。
煙がわたし達を引きずり込むようと肩もオモイ。
廊下に通ることのできそうな窓がついていれば、窓から逃げられるのに頭一つ分の大きさしかない。
ないものを嘆いても仕方ないし、廊下上部には煙が立ち込めている。
どこかで壁伝いで避難した方がいいと聞いたこともある。
だけど、縦に二人並ぶよりも、高清水さんを壁際にして、横目で高清水さんを見た方が安心できていい。
「はあ……はぁ…………」
隣りでハイハイする高清水さんの息づかいが段々と、か細くなっていく。
わたしが渡したハンカチを口に押し付け、一心不乱に前へ進むが、元から体調不良で、これはもう限界だろう。
「はぁ……高清水さん、わたしの背中に、はぁ……乗れる?」
わたしも口を塞がないとダメなのに、そこまで頭が回らなくて、普通に聞く。
「ううん」
頭を横に振って拒否するが、顔が真っ青で、汗もすごい。たまらずわたしは、高清水さんの下に潜り込んで、ハイハイしながら高清水さんを背負う格好となった。
「わたしの首を締めていいから、高清水さん落ちないで」
高清水さんの腕を、わたしの首に沿って置く。返事することですら厳しいみたいだが、背中には確かな熱が伝わってくる。
「高清水さん、はぁ……絶対に大丈夫だよ。今日の、はぁ……わたしは無敵だから」
自分自身に言い聞かせているのかもしれないが、事実、今日のわたしは不幸を全部消化している。
後ろから迫ってくる煙なんて、いつもの不幸と比べて邪魔にもならない。
無我夢中でハイハイしていたら、なぜか前方からバッケちゃんの声が聞こえてくる。
『幸咲! 高清水さん!』
その声へ導かれるように、さらに前へと進むのであった。




