第十二投
「高清水さん! 高清水さんいますか! いたら返事してください!!」
口を左手で抑えながら、できる限り大きな声をお腹から絞り出す。
保健室は、さっき高清水さんを送り届けた時と同じような光景だった。
室内が荒れている様子はなく、煙が立ち込んでもいなかった。火元も保健室内に見当たらないので、ほんの少しだけ安堵する。
しかしながら、保健室の窓からは、体育館で見た時よりもさらに濃い黄色の煙が見えてくる。
どうやら、煙の立ち方からして、保健室の隣り教室でホコリまみれの準備室が火元なんだろう。
今はまだ、煙と火は保健室にきていないが、もうすぐここも危ないのは火を見るよりも明らかだ。
声を張り上げて、保健室内をザッと見渡したが、高清水さんの姿はない。残る可能性としては、一つだけカーテンに囲われたこのベットだと思われる。
布のカーテンは、触れると重たく感じられた。
もし、ここに高清水さんがいなくても不安になるけど、いたとしても、わたしの声に返事できない状態なのも気になってしまう。
そんな臆病になっているわたしを蹴飛ばして、無敵のわたしが発破をかけてくれる。まずはカーテンを開けないと、なにもはじまらない。
「高清水さん!?」
カーテンを開けると、一糸たりとも乱れず、童話のお姫様みたいな高清水さんがベットで眠っていた。ひたいに汗が見えるが、呼吸は安定しているようだ。
「高清水さん大丈夫? 起きられる?」
声かけや火災感知器の警報音でも目覚めてくれなかったので肩を揺らして、再度、声をかけ続ける。焦りのせいか自然と手にも力が入り、強く揺らしてしまう。
「……ぅ…………うぅ……」
段々と意識を取り戻してきたので、さらに強く揺らす。体調不良の人をここまで、グワングワンと揺らすのはダメな気しかしないが、緊急時だからしょうがない。
揺られた弾みで高清水さんにかけられていた布団がズレて、キャミソール姿があらわになる。
誰もいない保健室で下はちゃんとジャージを履いているのに、上はキャミ一枚だと心配になってしまう。
「……うぅぅ…………お姉ち…………えっ、日運さん!? この音はなに!!??」
「はい、とりあえずこれを着て。隣りの準備室で煙が出たから逃げるよ」
近くで折りたたまれていたジャージの上を押し付けるように渡して、上履きを高清水さんが履きやすそうな位置にセッティングする。
ジャージの上を着たまではよかったが、高清水さんは窓の外を見てしまった。
黄色から黒味がかった煙に驚愕し、上履きを履くのすらできないほどに硬直させ、顔色も今日一番青くなってしまう。
「え、なんで……なんでこんな危ない状況なのに日運さんがいるの?」
「なんでって……それは…………」
口に出しながら自分でも理由を考える……
脳裏に様々な言葉を思い浮かべるが、結局のところ、単純な思い一つなのだろう。
「助けることに理由なんているの?」
大切な友達だから、目の前で不幸な目に遭っている人を見過ごせないから、高清水さんみたいに徳を積みたいから……
この一瞬考えただけでも、ハズレまではいかないが、どこか言い訳がましく聞こえてしまう言葉が次々と出てくる。
んだなら、多少カッコ付け過ぎているが、この理由があんべいいな。
「……うん、うんうん。ひとまず分かったよ」
「へぇへぇ分かってくれてよかった。時間がなくて、急かせてゴメンだけど高清水さん立てそう?」
「こちらこそごめんなさい。まずは避難しないとね」
ベットから足を下ろして、上履きを履くためにこっちへ足を向ける。体調不良か、寝起きを急に起こしたからか、身体がもたついて見えた。
「勝手に足を触るの失礼するね」
「えっ、日運さん。そこは……」
高清水さんの御足に上履きを履かせる。
はからずも、高清水さんが前に保健室で手当してくた時の
意趣返しとなってしまった。
湿布を貼るためとはいえ、高清水さんにソックスを脱がされたのは恥ずかしかったので、これで恥ずかしさの痛み分けだ。
「はいOK。さあ行こうか」
「そうなんだけど、ああ! そうなんだけど〜」
わたしは左手を差し伸べ、高清水さんが照れながらもその手を取ってくれた。青ざめていた顔も、少しは良くなってきた気がする。
「あっ」
脱出するために保健室の扉を開けようとして、一つ大切なことを思い出す。
「高清水さんは口を塞ぐものある? 無いなら、ほぼ新品のハンカチを貸す……」
口にしかけた言葉を途中で飲み込む。
わたしは常に、不幸への備えとしてハンカチを二枚持ち歩いている。
だが、今日五つ目の不幸で、炭酸飲料が噴いてしまい、拭くのにハンカチ一枚を使ってしまった。
もちろん、拭いたハンカチは教室に置いているカバンの中に隔離保管されてある。
そもそも、緊急時だとして、他人がお昼過ぎまでポケットに入れていたハンカチを、口にあてがうことができるのだろうか。
否。わたしは不幸のせいで、尊厳やプライドが底辺の女。判断基準がわたしでは、全ての善意をYESで受け取ってしまいそう。
高清水さんのお口を汚すわけにはいかない……
「やっぱり、保健室に――」
「口を塞ぐものは……ないね。確かに、日運さんは毎日ハンカチをいくつも持ってきているけど、本当にいいの?」
……え? 提案をキャンセルさせられたのはどうでもいいが、言っていなかったはずの毎日ハンカチを複数枚持っていることがバレている。
しかも、わたしのハンカチを使うことに一切の抵抗が感じられない。こっちが、本当にいいの? だよ。
ほぼ新品は新品じゃないし、保健室のベットで休んでいた時も上はキャミ一枚だったしで、体調が悪くて正常な判断をできていないのだろうか。
「へぇへぇへぇ、日運さんが今なにを考えているのか当ててみせようか」
「うん?」
高清水さんがわたしの左手を、両手で包み込むように優しく取る。握られた両手は震えていた。
「私は臆病だから、幸咲の力を貸してほしい」
「……」
最初に高清水さんの口から臆病という言葉が出てきた時、まさしく心の内を言い当てられた……と思った。
違うとすれば、わたしは人から力を借りたいと、あまり思わないことだけど、それも含めて見透かされているのかもしれない。
「気持ち悪いのは分かっているつもり。つもりなんだけど、とても怖いんだ。火事の火や煙、ずっと鳴っている警報音、そして、幸咲の命が危ないこと」
「わたしは勝手にきただけ」
「それじゃ、なおさらだよ。この先、煙を吸うかもしれないせいで話すことすらできないと思う。だから、幸咲が朝投げているサイコロみたいな、せめて、貴女の足を引っ張らないおまじないが欲しい」
「そこまで言うのなら……」
右手でスカートのポケットからハンカチを一枚取り出す。高清水さんへ手渡す前に、一度、わたしのひたいへ付けて、高清水さんが無事に避難できることを願う。
「どうぞ」
「ありがとう幸咲。幸咲の分は大丈夫なの?」
「わたしは大丈夫だよ。じゃぁ、行くよ!」
ついに、保健室の窓から真っ黒な煙が侵入してきて、一刻の猶予もないことを悟る。口を塞ぐものがなくても、腕を使えばいいだろう。
念の為、そこら辺に置いてあったハサミを使って、保健室の引き戸を引っかけて開ける。
初っ端で火傷してしまったら、負傷兵として早速、高清水さんの迷惑になってしまう。
廊下に出たら、もう煙が漂っており、隣りの準備室に至っては扉越しなのに紅い光も見える。
視界は煙のせい不良で、聴覚も警報音でヤラレてしまい頼りにならない。
地獄を実際に見たことはないが、平和な状態を知っているだけに、この状況は地獄だろう。
――それでも、不思議と怖くはなかった。
なかったのだが、得てしてイレギュラーが起きてしまうなら、このような場面なのだろう。
準備室の扉から助けを求めるように、ドンッ、ドンッと音が聞こえてきたのであった。
次回更新は2026/1/4(日)予定です。




