第一投
いつもは見ないはずの夢を見た。
いや、例え毎晩夢を見ていたとしても、目が覚めて記憶にないのなら、それはもう普段から見ていないのと同義だろう。そもそも、夢の中だとしてもわたしがお姉さんのことを忘れているはずがないのだ。
ちがう、ちがう。そうじゃないんだよ!? ああああぁぁ……
「すううっ、すうふううーーーーっ」
勝手に浮足立ってしまった脳内を落ち着かせるためにも、ベットの上で身体を大の字にして大きく一呼吸置く。
やっぱり、落ち着くことは大事だ。今まで理不尽な不幸に遭遇してきても、取り乱さずに、落ち着いて対処した方が結果的に良い方向へ向かうことは身を持って学んできた。
幼いころのわたしに不思議な贈り物をくれたお姉さんが、あの頃と変わらない姿で夢の中に出てきてくれた。
夢の中だったし、あっちはニコニコしているだけで一言も話せなかったし、そもそも本当に夢を見ていたこと自体、怪しいのかもしれない。
それでも、久方ぶりにお姉さんと会えたことはここ数年の中でかなり嬉しかった。
その喜びを噛み締めながらベットから起きて、窓から降り注ぐ朝日と、まだ蕾だけどもいつも御神木のように見下ろしている桜の木を横目にして、机に向かう。
そうして、いつものように、日課となった。
あの時に今も名前を知らないお姉さんから貰った、桜の木で作られたと思われるサイコロを振るう。
からん、ころんと机の上でサイコロが踊るように転がり、やがて踊り終えて、出目が決まる。
「五かぁ……」
「お母さん、いってきます」
「気を付けていってらっしゃいね、幸咲!!」
仕事で先に家を出てるお父さんの分も気持ちが込められているような挨拶を背にして、まだ通い慣れていない隣町の高校へ向かう。
今日はサイコロの出目が五だったから、五回の不幸が起きる。
いつも通りだが、不幸のせいで学校を遅刻はしたくない。
まだ、高校の入学式から一週間しか経っていないのに、周りからズボラだとは思われたくないし、不良だとも思われたくない。
ここは、田舎の都会。最低限の電車やバスといった交通手段はあるが、ネットやテレビでよく目にする都会と比べると、本数は少ない。自宅から高校までは、おおよそ片道一時間半ぐらいかかるから、時間に余裕を持って登校した方が絶対にいい。
しかも、最近は都会なこの町でも野生動物が出没しているらしく、普通に歩いても危険だと思う時があるし、そうしたトラブルに対しての心がけも日ごろから必要だとは思う。
やはりわたしの場合は、サイコロ分の不幸を消化しない限りは、石橋を叩いて渡るぐらいの慎重さを持つのがちょうどいいのだろう。
無事に危険な動物達とはエンカウントすることなく、電車に乗って最寄り駅へ着き、そこから、また歩いて高校へ向かう。
今日は心地よい晴天だが、この付近は海が見えないけど港町で、潮風が髪に染み入る。さらに潮風の勢いも強いから、わたしの原状お気に入りヘアのショートボブが二重になってダメージを受けた気がする。
ああ……本当はロングにしてみたいけど、今でさえいっぱいいっぱいだからなぁ。
そんなこんなで、町一つ分ぐらいしか移動していないが、開花前の地元とは違う、五分咲きの桜並木を通過した。
もう、校門前に繋がる小路まで来たが、一向に不幸がやってこない。いつもなら、ここまでの道中で一つや二つ不幸に遭うはずなのだが、今日は違うらしい。なんだが、妙にそわそわしてきて、左手首にある痣をつい何気なく触ってしまう。
この左手首にある痣は、一輪の桜の花が咲いているように見える。だけど、五枚ある花弁部分が中心から離れてあるせいで、桜が散ったような姿に見えてしまう。
そのせいで、わたしの先祖である日運家は、この痣を代々縁起が悪いものとして伝えてきたらしい。わたし自身は、縁起がどうのこうのよりも、この痣のせいで明確に身体へ違和感を覚える時があって……
ちょうど痣について考えていた、この瞬間だった。
「シャーッ」
前方から、入学して何度か見覚えがある茶系の猫さんがこちらに向かってくるのではないですか。凶暴な動物ではないが、知り合いの猫さんだからご機嫌は損ねさせたくない。普段は登下校中の生徒にのんびりとあくびで挨拶をしていた猫さんが、あまりにもアグレッシブにこっちへ向かってきた。
それだけで、何か嫌な予感がして、普通乗用車が一台しか通れなさそうな校門に続いている小路の小道を、端に移動して猫さんに道を譲ろうとする。
ところが、このタイミングで校門からトラックも道路に対して車幅狭しと、こっちにのろのろとやってくるのであった。そして、猫さんは後ろからゆっくり迫ってくるトラックから逃げるように、さらに加速する。
正直、わたしは猫さんとの距離がまだ少しあったことで多少油断していた。茶色い弾丸が脇目も振らず、こっちに距離を詰めてくる。なんとか避けようと慌てて足を動かそうとするが……
――視界が淡いピンクに染まった。
桜の花びらが潮風に舞って、わたしの目を覆い被さったのであった。避けようとして上げた足は、突然視界が塞がったことで千鳥足となり、明後日の方向に進んでしまう。
わたしの意味不明な動きは猫さんすら惑わしてしまったのだろう。
「あいたッッッ!」
「ギャオ!?」
腹部に衝撃が走り、そのまま尻もちをついてしまう。カバンがクッションになってくれたおかげで、そこまで痛くなかった。けれども、カバンの中身が少し心配だ。
わたしの横を何かがシュッと通り抜けていた気配もあった。たぶん、元気に走り去っていった猫さんの方は無事なのだろう。
わたしの方はと言うと、桜の花びらが目に貼り付いていて周囲の様子は分からない。だが、他の登校中の生徒や地域の人に心配されているような、何とも言えない絶妙に気まずい雰囲気が伝わってくる。
「ふうぅ」
とりあえず、これ以上恥を重ねたくないから、一呼吸置いて落ち着かせよう。
まずは、視界を塞ぐ桜の花びらを取って、立ち上がろうと――
「大丈夫ですか?」
視界が淡いピンクの世界から現実世界に戻ると、そこには、神々しい光を放つ女神が手を差し伸べてくれていた。
ふと、なぜかお姉さんからサイコロを貰った日のことを思い出した。あの日もたしか、うずくまるわたしに、お姉さんが手を差し伸べてくれた記憶があった。
「だ、大丈夫です! 高清水さん!!」
女神の正体は、同じクラスメイトの高清水 心優さんだった。出会ってから一週間しか経ってないけど、少し小柄ながらもトレードマークのポニーテールを大きく揺らして、いつも皆に優しく、ニコニコ見守ってくれる。わたしと違って徳を山ほど積んでいそうだけど、たぶん人間だ。
「ほら、私の手を取っていいから。日運さん立てる?」
大丈夫というわたしの言葉を受け流して、高清水さんは手を差し伸べ続けてくれる。でも、わたしはその手を取らないで、飛び跳ねるように、自分の足で起き上がる。
「心配して声をかけてくれてありがとうございます。わたしは大丈夫ですので。では、また教室で!」
最後の方は早口になっていた気がするが、それを気にする余裕はない。まだ、高清水さんとほとんど喋ったことがなかったけど、しっかり認知されていたし、恥ずかしい姿も見られた。そうとなれば、次は逃げるしかないと大真面目に結論付け、正面衝突した猫さんにも負けないぐらいのスピードを出そうと構える。
「待って! 日運さんの左手の指から血が出ているよ」
待ってと言っているのに、すでに逃げようとするわたしの左腕をガッチリと掴んでいて、絶対に逃さないゾという高清水さんの圧を感じた。
「あっ、本当に血が出てる」
高清水さんのことは一ミリも疑っていながったが、実際に掴まれた左腕を見たら、薬指から出血していた。さっき尻もちをついた時に少し切ってしまったのだろう。自覚したら、ヒリヒリとした鈍い痛みを段々と感じてきた。
「今、絆創膏を貼るから、とりあえず一回学校まで移動しよっか? トラックの運転手さんも待っているみたいだからね」
「はい……」
有無を言わせない高清水さんに手を引かれたまま、今までクラクションを鳴らさないで待っていてくれたトラックの運転手さんに頭を下げ、校庭にあるベンチまで移動する。
「日運さん、消毒と絆創膏貼り終わったよ」
「何から何までありがとうございます」
改めて、高清水さんに心からの感謝を伝える。
絆創膏だけではなく、応急手当の道具が一通り揃っていたからスゴいありがたかった。
「私にできることをやったまでだから全然だよ。それより、委員会の用事で保健室にちょっと用事があるから、ゴメンねだけど先に行くね」
「お忙しいところ、時間を使わせてしまいすみません。今度何かお返ししますので」
「……それじゃ、お言葉に甘えてお返し楽しみにするね。また、教室で!」
春一番の嵐のように高清水さんは玄関の方に去っていった。どことなくその後ろ姿は、軽やかな足取りに見えた。
「ふうぅぅ」
わたしも一呼吸をついたから、教室に行こうと思う。
今になってきて、左手首の痣がむず痒くなった。
これで、やっと、これから今日起こる五つの不幸の内一つが消化された。




