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神楽舞  作者: Mimi
第1章 試衛館編
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第4話 水死体と少年

りぃーー…ん


間延びした能天気な鈴のような音が聞こえる。



夢?それとも、幻だろうか。




ぼやぼやしたもやがかかる目に映ったものは、木の色をした天井。頬にふわふわしたものが触れる。




此処は、あの世?私は、確かに川に飛び込んだ。息ができなくなって、意識が飛んだ瞬間も覚えている。


誰かの呼吸の音がする。


…私の呼吸だ。


急に意識が覚醒して、朧げだった視界が明瞭になる。

起き上がってみると、布団の上で私は寝ていた。咄嗟に辺りを見回すと、清潔な木の匂いに包まれる部屋であることがわかる。



「ここ…どこ?」


発した声は自分でもびっくりするくらい枯れていた。


…私、死んだんじゃなかったっけ。


全部夢なのかな。


何もかも分からず、霧の濃い森の中みたいに頭の中がぼーっとする。


ふと腕に、ぴしりと打たれたような痛みを感じた。のろのろと目をやると、痛みを感じた部分に丁寧に清潔な包帯が巻かれていた。


すると、すーっ、と襖を滑らせる音がした。


「あ…目が覚めたんだね。良かった」


襖の隙間から顔を覗かせた、幼い少年。


「はっ…」


咄嗟に、肺から絞り出したような声を漏らして布団を被る。布団は小刻みに震えていた。否、これは私の震えだ。人間が怖かった。また何かされるんじゃないかって思うと、恐怖心でいっぱいになる。


少年は大きな目をぱちぱち瞬いて、にこりと微笑んだ。


「そんなに怯えなくても、大丈夫だよ。

君、川で水死体みたいに浮いててさぁ。そこを僕が通りがかって、引き上げたの」


私を、たすけた?


ああ、そうだ。


私は川に飛び込んだんだ。

あの恐ろしい、地獄みたいな日々に嫌気が差して。


私の記憶が濁流のように一気に押し寄せてくる。


死ねなかったんだ、という気持ちが、脳を支配した。



「何で…助けたの?」


私は布団からゆっくりと顔を出した。

少年はびっくりした面持ちのまま、悩むような素振りを見せる。


「何で、って言われてもなぁ。あのときは必死で、特になにも考えてなかっ…


「余計なことしないでよ!!」


私は勢いに任せて叫んだ。

涙を浮かべて、目を剥き出したまま少年を睨む。


お腹の底と目の奥が、ぐつぐつと熱い。


少年はびっくりしたみたいに眉を上げて、何かを言おうと真白い前歯が見えるくらい少しだけ口を開いた。


でも私は、それに気づかず遮るように言う。


「死にそうになってたんなら…じゃあ、そのまま…そのまま見殺しにしてよ!そんな半端なおせっかい、いらない!」


自分の情けなさと、死に損ねた絶望に、涙が止まらない。命があることに安心を覚えたと同時に、もう川に飛び込む勇気がない、死ぬことができないんだという気持ちに駆られて、堰を切ったように泣き声をあげた。


────もう私には、帰るべき場所がない。

今更吉原に戻ったって、勝手に脱走したと、きつい仕置きを受ける。


殺されるかもしれない。いや、そこで楽に死ねたらどんなにいいだろう。現実はそこまで、甘くはない。


その後、こんな醜い私を誰が歓迎してくれよう。もう、生きていたって何もいいことがない。生き地獄を味わいたくはない。

あの痛みを、感じたくはない。


絶望だ…


目の前が真っ暗になった。



「ねぇ、君、幾つ?」

急に話題が変えられた。


私はびっくりしながらも驚きを悟られないように、げんなりした様子で返す。

「…八つ」

「そっか〜。じゃあ、僕より五つ年下だね」

「え…?」

五つ?そんなに年嵩としかさに見えない。ほんの二つくらいしか変わらないように見えるのに。

「じゃ、じゃあ、えっと…」

私は必死に数を数えた。数えようとした。でも、わからない。十までの数字は知っていた。でも、それ以上の数字がわからない。何せ指が足りないのだ。指を使わずに数えることなんて、出来やしない。


「僕、13歳だよ」


13…


どうやったら指を使わずに数えられるの?


だなんて、聞けない。


自分の無知さを痛感させられた。私は、何の教養もない子供だ。押し黙って、俯く。


「ねぇ、よかったらお名前教えてよ。

友達になりたい」


耳を疑い、少年の顔を食い入るように見つめた。


友達?


急に沈んだ私を慰めてくれようとしたのだろうか。それとも、ぼろを纏ったガキの私に情けをかけているの?


「…嫌」


つん、とそっぽを向く。

馬鹿にされた気分になったからだ。

「え〜?何でよ」

「嫌なもんは、嫌なの」

「教えてよ、僕、君のこと知りたい」

あんまり熱心に言うので、ちら、と彼の方に目をやる。


でも、すぐに縫い付けられたみたいに私は少年から目が離せなくなった。


真っ白だけれど、健康そうな肌。黒目がちな大きい褐色の瞳。高く一本に結われた日本人離れした茶色い髪が、時折り窓から入ってくる風に揺れている。


彼は常に、ふわりと微笑んでいた。


そんな彼の纏う空気を見ていたら、自然と言葉を交わしたくなった。


私は、重い口を開く。


「…かぐら。

ふじえだ、かぐら」


ガサガサの唇が、少し震えた。


「へぇ〜、かぐらか。いいね、巫女さんみたい」


「ミコさん?」

うん、と言って、少年はにこにこと続きを喋る。


「巫女さんが、神さまにお祈りとか、感謝の気持ちとかを伝えるために舞う“神楽舞かぐらまい”っていう舞があってね。

同じ“かぐら”だから、巫女さんみたいだなぁ、って」


「ヘ、ヘェ」


急に少年が弁舌になり、色々と難しい言葉を紡ぐので、私は戸惑い、棒読みで言葉を返す。


「小さい頃に、家族で観てさ。

それがすっごく綺麗で、僕ずっと忘れられなくて」


その言葉を皮切りに、私たちはすこしの間黙った。


その沈黙を切るように、少年はぱっと笑った。


「僕、沖田宗次郎っていうの。


よろしくね、かぐら」


真珠みたいな小さい歯を見せるように、にかっと笑う。


彼は笑うと、ひらめみたいな顔になった。


「…うん」


こくりと頷いた。


何だろう、これ。


胸に、淡くてあったかいきもちがちょっとずつ湧き上がってくるのを感じた。


人は基本的に嫌いだった。

何を考えているか分からないし、にこにこしていると思ったら急に態度を変えることもある。信じられるのは自分しかいない。


でも、なんだかこの人はそうじゃないのかもしれないという気がした。

理由はあんまり…ないけど。


単に子どもだからかもしれない。


今までこうして、面と向かって子供と話したことはない。みんな、子供っていうのはこういうものなのかもしれないけど。


同世代の子と、あまりちゃんと関わったことがないから分からない。

何というか、体の根っこが粟立つ感覚を覚えた。

宗次郎は、私が寝ていた布団にちょこん、と座り直した。


「ねぇ、君さ。さっき帰るところがないって言ってたじゃん?」


何気ない一言にすぅっ、と心臓のあたりが冷たくなった。急に現実に引き戻された感覚に、横隔膜がぴくぴくする。


そうだよ、私、何呑気にお喋りしてるんだろう。私はただの死に損ないだ。


これからどうしたらいいかとか、何にも分からないのに。


布団をぎゅっ、と握りしめる。そうしたら、引っ込んだはずの涙が、幾つも幾つも頬を伝う。


深い穴に落とされたみたい。


もがいてるのに、誰にも助けてもらえない。

本当は、誰かに助けて欲しい。


こんなにずっと…叫んでるのに。


でも、こんなこと言えるはずもなかった。


「あのね。もしよければ、なんだけど。


君が、しばらく身を寄せられるかもしれないところを紹介したくって」


願ってもいない提案に、私はゆっくりと顔を上げた。


少年は「どうかな?」と言って小首を傾げる。


この際、もう逃げられるなら何でもよかった。


この人が、たとえ私を騙そうとしていても。


もうどうでもいい。全部全部どうでもいい。


なにがどうなっても、もう、何でもよかった。


どうせ捨てたこの命、もうなるようになればそれでいい。


私がこくりと頷くと、少年は私に手を差し出した。


「立てる?」


少年の手は取らず、黙って布団を剥ぎ、立ち上がった。頭がぐらぐらして、視界に白いものが飛ぶ。倒れそうになったけど、何とか耐えた。


「こっちだよ」


ゆっくりと歩き出した少年に、少し距離を置いて着いて行った。




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