第3回
掲示板に貼られた『廊下を走ってはいけません』なんて標語を完全無視して、全速力でぼくが向かったのは、当然教務室だった。
炎絲教え長に平身低頭夕方の補習の嘆願をし、はては教務室中の教え長全員に頼みこんだりもしたんだけど、結局全部徒労に終わってしまった。
「べつに西の崖じゃなくて、東の砂漠や南の岩場とかならいいんじゃないですか?」と提案もしてみたのに、どの教え長も許可できないの一点張りで、それこそとりつくしまもないというやつだ。
魎鬼は昼夜の区別なくうろつく輩で夜目も効くが、人間のほうはそうもいかない、というのが理由だ。
今日の昼の補習はぼく1人だったけど、いつもそうってわけじゃない。仲間の命を軽々に扱う気かと言われると、何も言えない。
結果、今のぼくはかなりの不機嫌状態で窓から庭園の木へと飛び移り、枝の上にどっかり足を投げ出して座っているというわけだった。
まったく。まったく、まったく、まったく!
むかつくったらありゃしない、と額をこする布を持つ手に力をこめる。
次の試験は5日後だぞ? たしかに昼間はいつもどおり実技受けられるけどさ、ザーハにいたときを合わせて連続25回も最終実技試験に落ち続けた――これはデュイたちには絶対内緒だ――ぼくにはたった1度の練習だって惜しいんだ。なのに、なんだよ、あの聞く耳持たずな態度! こっちが悪いと言わんばかりじゃないか!
……そりゃあぼくだって悪いと思ってはいるよ? 普通なら1発――でなくとも2、3回目にはほぼ受かるはずの試験にすら落ちて、ザーハにある封師専門養成所から下級退魔剣士との合同養成所であるこのライカへ移動させられたというのにいまだ封魔失敗記録更新中。座学が優秀で、封魔具に〈道〉を開いて気を通すこともできなかったら、とっくに才能なしと見捨てられてたって、ちゃんと自覚してる。
この6年、封師になるための勉強しかしてないのに、今さら市井に出たところでロクな仕事につけるわけないんだから、多少ランクを落としてでも封師の免許をとらせてやろうって配慮でここへ移動させられたのは分かっているし、十分ありがたいと思ってるさ。
けど、どこが悪いのか自覚ないまま試験受け続けたって、そんなの受かるわけないじゃないか!
大声で叫びたいのをぐっと握りこぶしでこらえて、大きく息を吐き出す。
ついでに不要な力も抜いて、ひょろひょろ萎えた体を再び幹に押しあてたぼくは、腰の袋に入れていた連鎖をとり出して、あらためて見入った。
ほんと、どこがおかしいっていうんだろ。
ちゃんと妖気の流れだって視えて、識別できるし、封力も送りこめてる(ハズ)。結界だって完
璧に張れてる(ハズ)なのに。
これ以上どうやれっていうわけ?
ほとほと困りはてて目を閉じ、思わず唸った矢先。
「どうしようもないにきまってるでしょ!」
なんて言葉が横の窓から飛んできた。
「そう、どうしようも――って、えっ?」
考え事に熱中してたあまり、つい同意を示してしまったあとでぼく宛の言葉じゃないことに気付いて身を起こす。
声の出所を求めてキョロキョロ視線を辺りに飛ばすと、いつの間に来ていたのか、1組のカップルが真下に立っていた。
枝葉のせいで、ぼくは見えないらしい。
でなくてもカップルは互いに意識が向いてるから、まさか木の上に人がいるなんて、思いもよらないんだろう。
「もういいかげんにしてよ! 何度言ったら分かるの?」
神経質に前髪をかき上げながらイライラを吐き出す金髪美女は、見覚えあるぞ。
「ハシュの町の募集は封師1名に下級退魔剣士1名。その剣士があたしに決まった以上、あんたの入る隙間はどこにもないの!」
「おれは、べつに、きみから奪おうなんて、そんなこと……」
聞くからに歯切れの悪い、弱々しい声でしどろもどろに言う男のほうは……ちぇっ、モロ真下で見えないや。
「ただ、おれは、きみに思いとどまってほしくて……」
「やめてよ。なにそれ。冗談にしても全然笑えないわ。
いい? いくら最終実技に受かったところで雇用してもらえなけりゃおしまいなのよ?
退魔師不足なんてうそっぱち。そんなの上級退魔剣士や退魔剣師に限ってだけで、イモのようにゴロゴロいるあたしたち下級には100%雇用される保証なんかどこにもないの! それっくらい、あんただって知ってるでしょ!?
なのに、あんたはせっかく手にしたこの権利を手放して、この先あるかどうかも分からない下級退魔剣士2名以上なんて募集を待てって言うの?」
さあ言えるものなら言ってごらん。
そう言わんばかりに詰め寄って、男の胸を人差し指で小突いている。
2人とも下級退魔剣士なのか。
下級退魔剣士と封師はカリキュラムから違っているから、同じ養成所といっても寮以外で顔を合わせることは滅多にない。それだって、せいぜい食堂とか、購買所とか、廊下とか、その辺りで視界に入るくらいだ。
あれだけの美女だから、そのどこかで目にしたんだな、きっと。
そして、彼女の言い分は正しい。1000%正しい。
ぼくたち封師だって同じだ。全員が採用されるとは限らない中で幸運にも就職先が決まったのに、この先来るかどうかも分からない募集のためにそれを棒に振るなんて、できるわけがない。
途中から聞いてるぼくにだって十分察しがつく言葉だっていうのに、男の返した答えは。
「できれば、そうしてほしい」
……ほんとのばかか? こいつ。
「……じょおおおおおおおぉぉぉっっっだん!!」
ぼくと同じく数瞬の間絶句したあとで、女はあらん限りの大声をもって男の耳元で叫び、男に尻もちをつかせると、フンと鼻息荒く男を見下ろし、その場にほうってズカズカ歩み去り始めた。
「あ、あの……、イルディカ……?」




