第2回
「だめよ、封魔中に短気起こしちゃ」
とどめとばかりに砂上を転がった頭部へ剣をつき立てたあと、にっこり笑って言ってくる。
封魔に失敗したというのに笑顔を見せたりして……この笑顔がくせ者なんだ、このひとは。その証拠にちっともこっちの身は心配してくれない。
「結界がなくなったからってあせって気を乱したりするから連鎖への力が弱まるの。
おちついて対処すれば、方法はまだあったでしょう?」
「はぁ……」
そうこぼしてから、教え長の後ろで湯気をたててる魎鬼の下半身に目を向けた。
心臓を失って絶命したその肉塊は、はやくも腐敗が始まって腐り汁が広がっている。
「じゃあ今回の反省文にはその方法を思いつくだけ書きこんで、提出すること」
ぽん、といつものようにぼくの額にゴム印を押しつけて、その出来栄えを見ながら教え長はにこにこ笑顔でそう言った。
◆◆◆
「はぁい、リシ。 今日も外へ出てたんでしょ。どう? 今回は合格できた――って、訊くまでもなかったみたいね……」
服のひだのあちこちにたまった紅砂を、頭に巻いてあった布を使って払い落としながら廊下を歩いていたぼくを見つけて横に並んできたデュイは、開口一番そう言ってため息をついた。
彼女の視線の先にあるのは、ぼくの額に押された『がんばりましょう』マークだ。
「あーあ、今日はまたくっきりついちゃって。気合い入れてこすらないと、ちょっとやそっとじゃ落ちないわよ、これ」
心配そうにデュイの指がなぞるように触れてきたので、ぼくもさぐってみる。
あたりまえだけど、それらしい手触りなんか全然ないし、すっかり乾いてインクもつかない。
「あっ、だめよ。 そんなことしたら肌が傷ついて、むけちゃうわ」
ぼくがごしごしこすり出したのを見て、デュイがあわてて手を掴みとめた。
「しめらせた布で拭くの。
厨房に寄って、お湯をもら ってから食堂に行きましょ」
「いいよ、めんどくさい」
前髪を下ろせば、隠れて見えないって。
「だぁめ。 みんなリシの額を覗いてくるに決まってるんだから。今だってきっと、食堂であなたが来るのを今か今かと待ってるに違いないのよ?
自分がどれだけ注目されてるか、ちゃんと自覚あるんでしょうね?」
ぼそぼそぼやいたぼくのつぶやきまでしっかり聞きもらさず、すぐさま腰に手をあてて叱ってくる。
同い歳のくせに、まるで姉さんきどりだ。
「はいはい」
本試験に続き追試も失敗したことにすっかり身も心も疲れきっていたぼくは、少しうんざり気分でおざなりに答える。
この、いかにもおあいそな態度に、またもやデュイの口からため息が吐き出された。
「あなたがここにやって来た1カ月前は、教え長に個人授業してもらえるのを羨ましく思ったりもした
けど、相手が炎絲教え長じゃ、考えものね。どんなに本人が口をつぐんでも、ひと目で試験結果がばれちゃうんだから。
ほんと、彼女くらいのものよ、こんなのつけるの」
自分の言葉にうんうん頷くデュイをちらと横目で見て肩をすくめる。
この態度も癇に障ったらしい。目つきが厳しくなったと思ったら、いきなり声がそれまでと一変した。
「ついでに言うと、連続5回もらう者っていうのも前代未聞のことよ。
来週の試験が最後なんでしょ? 大丈夫なの?」
思いがけずずばっと切りこまれた痛みに、思わず胸に手をあててしまう。
「そりゃ、大丈夫じゃないと困るよ、ぼくだって……」
「ほんとに? 対策は思いついてるの?」
「……と、とにかく、教務室へ行ってくる」
心の内まで見通そうと、じっと見据えてくるデュイの目は苦手だ。 これが不自然でなく見えることを祈りながら目をそらし、丁字になっている突き当たりを、食堂があるほうとは反対の、右に向かって踏み出した。
「ちょっと、昼食はどうするの?」
「あとから行くよ。
夕方の実技訓練にも参加させてもらえるように、今から頼んでおかなくちゃ」
われながら言い訳がましいなと思いつつ口にしてた、そのときだった。
デュイが寝耳に水の爆弾発言をぶちかましたのは。
「あら。今日からしばらく夕方以降の実技訓練はなくなったんじゃない。
……知らなかった?」
たたらを踏んで振り返ったぼくの表情を見て、デュイは小首を傾げた。
とっさに言葉が出ず、ぶんぶん首を横に振って答えたぼくに、やおら真面目ぶった顔をして、重要なことだと言うように人差指を立てた彼女が言うことには。
「なんでも魎鬼の群れが西の崖に現れたんですって。今朝来た商隊から目撃情報が入ったの。日程なんかに調整がつき次第、教え長たちが行って退魔するから、それまで夕方の実技訓練は中止――」
「えぇえっ!? じゃあ補習できないの?
い、いつまでっ?」
「だから、しばらくだってば。
そんなことよりほら、早く行かないと昼休みが終わって、食べる時間がなくなっちゃうわよ」
なんて、デュイは気楽に話題転換するけど、5日後の最終試験の前に1回でも多く練習しておきたいぼくにとってはそんな簡単に脇へどけられる問題じゃない。
「あっ、リシ! どこ行くの? 食堂はこっち――」
突然身を翻して駆け出したぼくに、デュイが驚く。
左手の通路を指してる彼女を振り返り、ぼくはこう返した。
「先に行ってて! あとから行くから!」
もちろんそんな気全然なかったけどね。




