第1回
ライカ砂漠の砂は紅い。
ヒスミル大陸に数ある砂漠の中で、なぜかここだけが紅色をしている。
赤でも朱でもないその微妙な色合いから『紅砂』と呼ばれるこの砂漢のど真ん中に、下級退魔師養成所ライカ支部はあって、ぼくはそこで封師になるための訓練を受けていた。
封魔というのはいたってシンプルな技だ。
用いる道具(封魔具)こそ千差万別、扱う封師によって違うけど、それは『封じる』という行為に対する個人的観念や相性・嗜好に関係しているだけで、やり方は1つしかない。
封じる相手の内側で流れている気の流れを読みとり、その流れを止めることで弱らせ、封魔具と同調させることで封魔具の内側へ閉じ込めること。
これさえ確実に行えれば、相手は間違いなく封魔できる。
なーんて、えらそうに言ってみたけど、残念なことにこれは人間の天敵・魅魎のうち、下級に分類される魎鬼や妖鬼にしか通用しない方法だ。
やつらはほかの生き物を捕食することで生気を補充しないと放出しきって腐ってしまう体だから気の流れを読むのは簡単だし、頭も良くないから隙だらけで封じやすい。
でも、これが中級以上となると、とてもじゃないけど封魔じゃおいつかない。
下級・中級と分類はしてるけど元は同じだから、理論的には可能――とは言われてるけど、現実を見れば、こっちが態勢整えてる間にあの不可視な超常能力でやられるのがオチだし、それに質・量ともに下級魅魎なんか比較にならない気を持ってる相手を封じるなんて、封師の能力じゃ、まず無理だ。
だからそういった手にあまる連中はそういうのを専門に相手どる能力を持つ退魔剣師や上級退魔剣士に任せて、ぼくみたいな封師や下級退魔剣士は、地味な下級魅魎専門の退魔師に徹してるというのが実情。
ちなみにぼくの封魔具は連鎖だ。
もちろん市場や商隊なんかで手に入る、ただの鎖じゃない。中が空洞になっていて、力を伝えやすくするために小さな鎖1つ1つに《道》を開いてある。当然軽いし鉄鎖としての耐久力は劣る。
これを巻きつけて相手の動きを止めたところで口呪により力場を固定して周囲に簡易結界を張ったうえで相手を封じるというのがぼく流の封魔だ。
そして今日もまた、ぼくは未来の封師目指して魎鬼と対峙していた。
魎鬼は、一言で言ってしまえば『どろどろぐちょぐちょの生ゴミでできた化物』だ。
すごく臭いし直視に堪えない醜怪な容貌をしている。生きて動いてることすら信じられない、腐肉の塊だ。
そいつを前にして封魔を決めたら簡易結界による場の固定まで一気にすることが肝心。
やつらは生き物ならなんでも餌だと思っているし、見た目に相応して知能も低いから相手を選んで行動したりしてくれない。目に入ったが最後、猪突猛進でまっすぐ突っこんでくる。見かけによらず足は早いし動作も敏捷だ。
でもしょせん腐った肉の塊だから……なんて、ばかにしちゃいけない。 やつらには一撃で人間なんかたやすく引き裂ける鋭利な爪や桁外れの膂力があって、しかも自分の肉まで溶かしてしまう強力な酸胃液まで持ってるんだ。
だから、それらで仕掛けてくる前に素早く動きを封じなくちゃならけない。
腕や足にからみついた鎖に驚き、ほんのついさっきまでもがいていた魎鬼の周りで結界がちゃんと固定されているのを確かめておいてから、ぼくは緊張から詰めていた息をそっと吐き出した。
ぼくが流してる力によって青緑色に発光している鎖は、場が固定されると同時に結界の一部となって魎鬼の動きをおさえる手助けをしている。
でもまだ安心はできない。
ここまではできてあたりまえなんだから。
問題は、これからだ。
顎をひき、肩幅の広さで足を開いて全身から余分な力を抜く。
身をかがめて絶えずうなり声を発している魎鬼は、今にもぼくに襲いかかろうと身構えてるみたいだ。 不並びな歯のせいで閉じられない口元から白いあぶくとなってしたたり落ちてる酸が紅砂を黒ずませている。
その鬼気迫った形相は、鎖縛して動きを封じてると知ってるぼくでも思わず尻ごみしてしまうほどすごみがある。
事ここに至り、今にも飛び出してしまいそうな心臓をできるだけ静めようと目を閉じた。
そうしても、鎖縛された魎鬼の姿は簡単にまぶたの闇に浮かべることができた。
すすけた黒影となってその身をとりまいている負の力は、箇所によって急激に厚くなったり薄くなったりと、全然安定していない。
それを発生源の心臓部から遮断して、同時に全身を包みこむようなイメージで封力を鎖の端から送った――が。例によって反応がない。
もう1度やってみる。
やっぱり手応えは皆無だ。
もしかして……と思ってちらと目を開けてみたけど、魎鬼は健在だった。相変わらずつながれた野生動物さながら上唇めくり上げて、全然ぼくの力が効いてるふうじゃない。
結界のほうがやばくて、もう限界が近付いてると訴える、空間のきしむ音のような波動が届いてくる。
やばい。
ひじょーーーーに、やばい。
だんだんいやーな予感が大きくなってきて、あせりながらもう一度目を閉じた。
先と同じ要領で、封力を魎鬼に向けて伝わらせる。
本当ならここでなんらかの手応えが返ってこないといけないのに、いくら待っても何も返ってこない。
もう1回、もう1回とくり返してるうちにきしみ音はますます大きくなっていく。
鎖を引きちぎろうとする魎鬼の動きも鎖から伝っわってきてて、しかもそれがどんどん大きくなっていることが、ますますぼくをあせらせた。
結界は簡易的なものだ。封魔に要する短い時間しかもたない。
結界の放つ光が不安定に揺れて、明滅が始まっている。タイムアップが近づいてるっていうのに、一向にぼくの封魔は進まない。
封じてんだってばよ。いいかげん観念しておとなしく封じられろよコイツッッ!
胸の中で叩きつけながら、再度やり直してみた。相手の気の流れを読みとって、その力を止めるための力を流しこんで――……
「ちゃんと流れてんのになんでてめーはぴんしゃんしてやがんだよ! そっから先にちっとも進まねーじゃねぇかッ!」
あんまりにも頭にきたもんだから、つい叫んでしまった。瞬間。
結界が、ふっと消えた。
「……えっ?」
まさかとぎっくり身を強張らせる。
その刹那、案の定、ぼくの鎖は魎鬼の怪力でぶっちぎられ、あとに残ったのは激怒した魎鬼だった。
「っ、わーーーっっ!」
反射的、とびずさって尻もちをついたぼくの頭上を影が通りすぎていく。
風を切って飛来した短剣が魎鬼の踏み出そうとした地へと突き刺さり、下ろす場をなくしてたたらを踏んだ一瞬で、魎鬼は間合いへと飛び込んだ炎絲教え長の剣によって3つに分断されていた。




