2章「vs後輩」_3話
「急に訓練指導が入って、一緒に過ごせなくなった。本当に、申し訳ない」
アルフレードの謝罪に、アンジュは固まってしまった。
「待ちに待った!」といえば大袈裟だが、それ程楽しみにしていた週末。
前夜お祭り気分で眠りについたアンジュを起こしたのは、玄関の呼び鈴であった。
寝坊したのかと慌てて時計を見ると、アルフレードが訪ねてくる時間よりもずいぶん早い。正体不明の来訪者は、何度も呼び鈴を鳴らす。
警戒しながら静かに玄関に近づいたアンジュ。扉の向こう側から、見知った気配がしたため扉を開けると、婚約者がいたのだ。彼はアンジュと目が合うと、腰の位置まで頭を下げた。
そして冒頭の謝罪を口にしたのだ。
今日は休日だが、新人の戦闘訓練が行われる。今回は指導担当に入っていなかったアルフレードであったが、担当の1人が体調を崩して休むと今朝連絡が本部に入った。その交代要員にアルフレードが指名されたのだ。
早朝寮までやってきた上司から直接命令が下され、アルフレードは引き受けるしか無かった。
悲壮感と申し訳なさが滲む声で謝りながら、何度も頭を下げるアルフレード。その顔色は青白く、目の下には隈が出来ている。
「…アルフレードこそ体調は大丈夫なの?顔がすごく白いけど」
「あ…いや!大丈夫だ。ありがとう心配してくれて」
「…そう?なら、いいけど。無理はしないでね」
アルフレードが言葉に一瞬詰まったようだったが、アンジュは追及をしなかった。話したくないこともあるだろう。なにより訓練指導で忙しくなるのだ。変な所で時間を取らせ、困らせたくはない。
アンジュは微笑んだ。
「来てくれてありがとう。私は大丈夫!また今度出かけよう?それより、訓練前に準備とかあるよね。時間、大丈夫?」
顔をあげたアルフレードは、バツの悪そうな表情を浮かべていた。アンジュが言ったように、これから他の指導員と訓練内容のすり合わせや訓練へ向け準備をする必要がある。改めて頭を下げ、アルフレードは本部に向かっていった。途中、何度も、何度もアンジュの方を振り返る。
アンジュは彼の姿が見えなくなるまで笑顔で見送った。内心は残念な気持ちで一杯なのを隠しながら。本当に楽しみにしていた。アルフレードや友人から送られてきた手紙を読み返し、最近の中央区で流行っているスポットや話題を調べ直した。地図も穴があくほど見直したため、細かな道も隅々まで思い出せる。一緒に過ごせる今日を心待ちにしていたのは本音だが、落ち込んだ姿を見せても無駄に困らせるだけ。彼の迷惑にもなりたくないと、気丈に振る舞う。
アルフレードの姿が見なくなってしまい、アンジュは名残惜しそうにゆっくり玄関扉を閉めた。1人きりの静けさと、空気の冷たさにますます気落ちしてしまう。
「……もうすこしねよう…」
アンジュは元気のない足どりで自室に戻った。
ゴーン、ゴーン。
17時を告げる鐘が鳴る。訓練終了の時間だ。アルフレードは訓練終了の号令をかける。
新人たちに訓練場の片付けを指示し、アルフレードは広場から離れた。後片付けは他の指導員が担ってくれると言うので、言葉に甘え、班室に戻り訓練後のレポートを特急に書き終わらす。急ぎシャワー室へ駆け込んだ。
アルフレードは急いでいる。時刻はまだ夕時前。今からでもアンジュを誘えば、夕食だけでも一緒に摂れるのではないか、淡い期待がアルフレードにはあったからだ。今朝見た夢も相まって、彼女と過ごせないまま1日を終わらせたくないのである。
昨晩、アルフレードは遅くに帰宅した。
半年ぶりのアンジュとのデート。いつもアルフレードの都合で予定が変更になる。今回自分から誘った手前、絶対に予定を潰すわけにはいかなかった。急な予定も入らないように先々も見越して仕事に取り掛かり、昨晩ようやく区切りを付けることができた。ほっと安心して、準備を整えたアルフレードは瞼を閉じた。
すると、急に眩しさを感じた。
閉じた瞼を上げると、巨大なステンドグラスがそびえ立っていた。ひらひらと花びらが舞い、パイプオルガンか、厳かな音楽が奏でられている。周囲には家族や友人たちがアルフレードに、夥しい拍手を送っている。
ふと自分の姿を確かめると、正装を見に纏っていた。
(そうだ、結婚式だ)
アルフレードは思い出した。仕事の合間になんとか準備を進め、3年という長い月日を経てようやく、アンジュとの結婚式を挙げることができた。周囲からの祝いの言葉に、じわじわと実感が湧いていく。純白のドレスが目の端に映った。隣にはアンジュがいるのだ。着飾った彼女を一目見ようと、顔を向ける。
そこには見知らぬ女がいた。
顔はベールに隠れているものの、アンジュではないことは確かであった。背丈も雰囲気もまるで違う。慌ててアンジュを探すと、彼女は遠い客席にいた。顔には影が落ち、その表情は見えないが厚みのある唇が動く様子は、はっきり分かった。
『おめでとう!アルフレード、幸せになってね』
『アンジュ!』
恋人の名を叫ぶと、豪華な教会は消え失せ、薄明るい独身寮、つまり自分の部屋が目の前に広がった。心臓は痛いほどバクバクと打ち、視界が歪む。身体はひどく冷たいが、汗は取り止めなく流れていく。身を屈め、浅い呼吸を繰り返す。落ち着きを取り戻したアルフレードは、最後に大きく息を吐いた。
『ゆめ、か…』
時間を確かめると、針は7時前を指していた。アンジュとの待ち合わせには2時間以上時間がある。朝早く目が覚めると、寮の周りを走り込んだりするが今は気が乗らない。何より疲れた顔で赴けば、優しい婚約者が予定を早々に切り上げる可能性がある。
((もう1時間だけでも寝た方が得策だな))
アルフレードは息を吐きながらベッドに横になる。
途端、玄関の呼び鈴が鳴った。
アルフレードは息を呑んだ。今までの経験上、早朝からの来客は仕事の呼び出しが多いからだ。それを証明するように、来客はしつこく呼び鈴を鳴らし、扉を叩く。
恐る恐る玄関扉を開けると、班長であるエゼリオが申し訳なさそうな顔で立っていた。
エゼリオはアルフレードが、今日のために必死に仕事ひ励んでいたのを知っていた。交代要員にアルフレードが指名された際、『自分が代わりますから、どうか…』と交渉したものの、決定は変わらなかった。頭を下げ詫びる班長をアルフレードはとうてい攻めることなんてできなかった。
今朝の出来事を思い出したアルフレードは再び大きなため息をつく。
一刻も早くアンジュの元に駆けつけたいが、汗臭いまま恋人に会いたくない。
湯を出し、急いで身体を洗う。
(今どこにいるだろう。部屋でゆっくりして…いや今日は買い出しに行っているかもしれないな)
アンジュに想いを馳せていると、シャワー室の扉が開く音が聞こえる。ペタペタと室内を歩く音はどんどん近づき、なぜかアルフレードが使うシャワーブースの前に止まる気配がした。
振り返れば、そこにはアンジュの次兄・セオドアがいた。
●登場人物
アンジュ・ブルナー
アルフレート・ランゲ
〈アンジュの家族〉
セオドア・ブルナー…ブルナー兄妹の3番目。アンジュの2番目の兄にあたる




