『無限の異者』
とある世界、この世界では大きい事件など一切起こらず、平和な日々が続いている。
その世界のどこか――人の目が滅多に入ってくることのない辺境の地で一つの『椅子』が置いてあった。
そしてその『椅子』に向き合うように、一人の男が立っている。
男は手にメカメカしい大剣を握っている。
男はその大剣を構え、次の瞬間には、目の前の『椅子』を両断していた。
両断された『椅子』は塵になり、風によって空中へ霧散した。
それを見届けると男は大剣を変形させ、背中に背負い、一仕事を終えたようにため息を吐く。
『これで何個目だったか…………』
男はこれまで壊したそれの個数を数えようとしたが、すぐに諦める。
「それ」とは、椅子のことを指しているのではない。
「それ」とは、『特異点』と呼ばれる世界の癌のことだ。
『椅子』もその一つだった。
この世界だけでも『椅子』の他に、多くの『特異点』が存在していた。
『特異点』は『椅子』のように物品であったり、人物であったり、場所であったりと様々だったが、この世界の『特異点』は全て、この男が『椅子』と同様に、消し去ってしまった。
男が世界から癌を取り除く医者のようなことを行っているのにはわけがあった。
男は休憩のついでに自身の過去を思い出す。
◇
これは男が成人したばかりの頃のことだ。
その頃、男は研究をしている友人の元へ向かっていた。
友人は研究熱心な人物で食事の時間さえ惜しんでしまうような人物であった。
なので男は食事を持って友人の元へ毎日赴いているのだ。
男は友人の家に着くとドアをノックし「おい、入るぞ」と言う。
返事は帰ってこないが、いつものことなので、男は遠慮せずにドアを開け、家に入る。
友人は居間にいたが、その居間は生活感の一切ない場所で、研究室と言ったほうが正しい。
机や棚には、薬品の瓶やガラスの管などの道具が乱雑に置かれており、床には研究の記録や考察などが記された紙が落ちている。
男は研究に熱中している友人に近づき、肩を手で軽く叩いた。
それによって友人は手を止め、振り返る。
「やあ、友よ」
「ほら、飯だ」
男は友人にパンを渡す。
「毎日、毎日、すまないね」
友人はパンを口に運ぶ。
「いつも言っているが、このままだとお前は死ぬぞ?」
男は至って真剣に言うが…………
「大丈夫、大丈夫」
友人は軽く聞き流す。
このやり取りもいつものやり取りであった。
「それよりも、最近の調子はどうだい?」
「まずまずだな」
「そうかい? 何か進展があれば教えてくれよ」
男も友人とジャンルが違えど同じ研究者であった。
「お前の方はどうだ?」
男はそう聞かれると目の色を変え話し始める。
このやり取りも毎日のことであり、返事が変わるのは決まって友人の方であった。
友人は毎日、新しい研究の成果を男に早口で話す。
男はその話を参考程度に聞く。
この研究の話は真面目に聞いても一割理解できれば賢いほうだった。
友人の話が終わると、男はまた明日と言い友人の家を去り、自宅へ帰る。
そんな毎日だった。
ある日、男はいつも通り食べ物を買い、友人の家へ向かった。
そしていつも通りドアをノックし、家へ入っていった。
居間へ向かうと、そこには普段とは違う変化があった。
乱雑に置かれた道具は変わらず置いてあり、床には紙が散らばっている。
一見、変化は無いように思えるが明らかな変化があった。
居間には友人の姿が無いのだ。
男は珍しく思いながらも別の部屋を探すが、どこにも友人の姿は無かった。
男は友人は珍しく出かけているのだと考え、心当たりのある場所を巡って友人を探したが、町のどこにも友人は居なかった。
それからというもの、男は毎日、友人を探した。
毎日、友人の家へ向かい、家に誰もいないことを確かめると、町へ友人を探しに行くようになった。
家へ確認しに行く時、男は食べ物を持って行くが、食べる友人は居なかった。
友人が行方不明になってから一週間が経った頃、男はいつも通り友人の家に確認へ向かう。
友人の家の居間に入ると、机に昨日まで無かったはずの一風変わった紙が置いてあった。
男はその紙を手に取り、観察する。
その紙にはこう書かれていた。
「友人へ、ここに来てくれ」
その文字の下には簡単に書かれた地図が書いてあった。
地図が示していた場所は過去、男と友人が共に行ったことのある町はずれの丘だった。
男はすぐにその場所へ向かった。
丘は男が以前――子供の頃に訪れたときより小さくなっているような気がしたが、男は自分が成長したのだと実感した。
男は丘の付近をくまなく探す。
するとポツンとある巨大な岩に扉が付けられていることに気が付いた。
男は一切の迷い無く扉を開いた。
扉の先は地下へ続く階段があった。
男はこの先に友人がいると確信し、階段を下りた。
階段の下りた先は、地下にあるとは思えないほど大きい部屋があった。
部屋は友人の家の居間のように、研究の道具が乱雑に置いてあるわけでは無く、ガランとしていた。
だが、その中央には一際大きい水槽のようなものが設置されていた。
水槽は液体で満たされており、中には何かがいた。
そして男はすぐに水槽の中にいるのが友人だと気が付いた。
男が一歩前にでると、水槽の中にいる友人が目を開けた。
「やあ、友よ」
友人はいつもの口調でいった。
男は友人に問いかける。
「その水槽は何だ?」
そう聞くと、友人は急いで答える。
「これかい? 念のため言っておくけど、この液体には間違っても触れてはいけないよ。これは強力な酸だ」
友人は驚くほど冷静に答える。
「まずは順を追って話してくれ」
男は友人に説明を求めた。
「分かった話すよ」
友人は男に何があったのか、話し始める。
「これは数週間前のことだ。その日、私は自分の研究を成功させた」
男は驚いた。友人の行っていた研究は『神』になることだったからだ。
『神』になる。友人の研究は無謀なものだった。
その事例は神話上に片手で数えるほどしかない。
友人はそれを実現したのだ。
「おめでとう」
男は素直に祝う。
「ありがとう」
友人は素直にその祝いを受けとった。
「で、だ。『神』になったのはいいのだが、一つ問題があってな…………」
友人は少し溜めて言った。
「それは、私が成ったのは『無限の神』だったということだ」
「『無限の神』?」
男が聞き返す。
「そうだ。『無限の神』はその名の通り、『無限』を司る。そしてその『無限』の力によって、私の肉体は無限に細胞が増え続ける」
男は合点がいった。
細胞が増えすぎることを抑えるために酸に浸かっているのだと納得した。
「というわけで、私はこの酸から出ることはできない」
友人は軽い口調で言った。
「そうか、それは残念だったな」
男は友人を慰める。
「否、そのことに関してはそこまで残念ではないのだよ。本題は別なんだ」
友人は続ける。
「『神』になってから知ったのだが、『神』は万能ではなく、一つのことに突出しているんだ。そして私の場合、その突出していることが『無限』なのだよ」
友人が話すことが常軌を逸していることは今に始まったことではないので、男は続けて聞く。
「そして私は全ての世界の『無限』を掌握することができる。だが、例外があってな」
「例外?」
男が聞き返す。
「例外とは、『特異点』だ。『特異点』は無限で永遠なのにも関わらず、私は何もできないのだ。それがとても悔しい」
悔しいと言った友人の表情は、これまで男に見せてきた前向きな表情ではなかった。
その顔を見て、男は友人に一つの提案をする。
「ならばその『特異点』、俺が全て壊そう。そうすればお前は全ての無限を掌握できるだろう」
友人はこれまた男に見せたことのない表情をする。
その表情は呆気にとられ、ありえないと言いたげの表情だった。
だが、すぐに友人の顔は明るくなり、笑い出す。
「ハハハ、君が全て壊すか、そうかそうか………………」
友人は冗談のように笑う。そして、
「………………ならば任せるよ。友よ」
友人は男に期待した。
「友よ。せめて私からの感謝の気持ちだと思って、これを受けとってくれ」
友人は男に自身の『無限の神』としての加護を授けた。
「感謝する」
男は友人に礼を言う。
「ところで、その背中に背負っている鉄の道具は何だい?」
友人が水槽の中から指で指し、聞いてくる。
「これか、これはな…………」
男は背中に背負っていた、物を手に取り、起動した。
起動すると、大きさが人の身長ほどになり、半透明な鋭い剣先が現れる。
「…………研究成果の武器だ。持ち運びがしやすいし、それなりに切れる」
「研究は、まずまずではなかったのか?」
「お前の研究に比べればまずまずだ」
友人はまた驚かされたような表情になった。
「それでは行ってくる」
男は魔術で空間に穴を作り出す。
元々男にはそこまで膨大な魔力も、緻密な技術も無かったが、実現できたのは【無限の加護】のおかげである。
開いた本人も無自覚で行った、文字通り神技であった。
「たのんだよ」
友人は男を見送る。
「まかせろ」
男は空間の穴を潜り、世界から去っていった。
◇
あれから数年、男は友人のために数えきれないほどの世界を訪れ、幾億個もの『特異点』を加護と発明品で破壊してきた。
そして男はこれからも『特異点』を破壊し続ける。
そいしていくら破壊したとしても、もう一度友人と一緒に毎日を過ごすことは叶わない。
それが分かっていながら、なお破壊し続ける。
「次に向かうか…………」
男は立ち上がり、次の世界へと穴を開ける。
そしてその穴へ消えていった。
『無限の異者』――シンの旅は終わることなく無限に続く。