捨てられた令嬢は護衛騎士と駆け落ちをする
「しばらく部屋から出てくるな」
氷のように冷たく鋭い声と共に、部屋の扉が閉じられる。返事をする前に出ていった父の背は、失望したと突き放すようであった。
公爵令嬢であるアイリス・ブルーベルは、そんな実の父の態度に取り乱したりはしなかった。
ただ、「ああ、捨てられるんだろうな」と、どこか他人事のように思うだけであった。
アイリスは住み慣れた自室を、まるで美術品を観賞するように見て、天蓋付きのベットに後ろから倒れ込んだ。最高品質の羽毛が詰め込まれた布団が、アイリスを優しく包む。
目蓋を閉じると、先程までの出来事が浮かび上がってくる。
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マリノア大陸の南に位置し、温暖な気候と肥沃な土壌により、一年を通して豊かな作物に恵まれるハリスツィー王国。
大陸では身分や階級を撤廃し、平等な社会を作ろうとする傾向が高まっていた。しかし、ハリスツィー王国は貴族を絶対とする階級制度が根強く残り、貴族至上主義を掲げていた。
そんな王国の公爵家の令嬢として生まれたアイリスは、幼い頃から貴族として様々な教育が施された。アイリスを人前に出しても恥ずかしくない、立派な貴族にすることが目的ではない。父であるワリオ・ブルーベルが公爵以上の身分を手に入れるための駒として利用するためである。
公爵以上の身分。それは王族である。
基本的に、王族には王家の血を引くものしかなれないが、王家に娘を嫁がせれば話は変わってくる。
父はアイリスを王家に嫁がせるべく、ありとあらゆる知識や教養を叩き込んだ。普通の子供なら根を上げるであろう厳しい教育であったが、アイリスは難なくこなした。
朝から晩まで家庭教師に学ぶ生活に文句の一つも溢さずに、言われたことを淡々とこなす姿に子供らしさはなく、機械のようであった。
感想らしい感情を表に出さないアイリスは使用人たちに気味悪がられたが、父にとっては都合が良かった。
アイリスは、13歳になる頃には全ての教育を受けきり、貴族の中でも一目置かれる才女になっていた。
そんなアイリスを、父はあの手この手で売り込み、第一王子の婚約者にした。
アイリスが王子との婚約を知ったのは、15歳の誕生日であった。
父から王子との婚約を知らされた時、アイリスは驚きもせず、「結婚するんですね」と他人事のように言っただけだった。
その後、アイリスは頻繁に王子と面会するようになった。
全て順調に進んでいたはずだった。
しかし、王子の18歳の誕生日パーティー当日。アイリスとの婚約破棄が発表された。
誕生日パーティーに来ていた賓客たちに動揺の波が広がるが、アイリスは冷静であった。ただ他人事のように「そうなんですね」と思っただけであった。
婚約破棄の理由は、第一王子を侮辱したからだと告げられ、詳しい経緯が説明された。
「婚約者アイリスは自身の優秀さを鼻にかけ、王子は自身より劣ると見下し、反論した王子を殴るなどして暴行を加えた」
次の瞬間、会場の人々の視線が一斉にアイリスに向けられる。
側に控えていた護衛騎士が、好奇の目を遮るようにマントをアイリスに被せる。
アイリスは、どうして見られているのか分からないと言わんばかりに首をかしげた。
アイリスは王子を見下したことも、暴行を加えたことも一度たりともない。王子との面会は頻繁にあったが、会話らしい会話はしなかった。お互い無関心で共通の話題もなかったため、時間になるまでお茶を飲んだり本を読んだりして時間を潰していた。
暴行どうこうは全くの嘘であるが、この場でアイリスが弁解したとしても信じられるわけはない。
護衛騎士が反論しようと一歩前に踏み出したが、アイリスは静止する。
そして王子に言われるがまま婚約破棄の書類にサインをした。
そのまま追い出されるように会場を出て馬車の元に向かう。
護衛騎士に支えられながら馬車に乗り込み、帰路に着いた。
帰ってすぐに父に婚約破棄されたことを伝えた。父は怒りを露にして暴言を吐き散らした後、見張りの騎士を付けてアイリスを部屋に閉じ込めた。
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そこまで反芻して、アイリスはゆっくりと目蓋を開く。
婚約破棄はほぼ離婚に近い。王子の婚約者となれば、その意味は更に重くなる。
婚約破棄された令嬢は成金貴族の妾になるか、売り飛ばされて娼婦になるしかない。地位と名誉をこよなく愛する父のことだ。婚約破棄された娘を速く追い出したくてたまらないはず。恐らく明日にでも娼館に売りに出されるだろう。
「これからどうしようかしら」
アイリスの呟きが、広い室内に木霊する。
「どうするんですか?本当に」
アイリス一人しかいないはずだったが、いつの間にか騎士が扉を開けて部屋に入っていた。護衛騎士のリッターである。彼は騎士らしく振る舞うのが苦手なため、アイリスと二人きりの時は敬語を使えど、友人のような態度を取る。
「部屋には立ち入れないように見張りがいたはずだけれど、どうしてここにいるの?」
「代わりに見張りをやるって言ったらどっか行きました」
「相変わらずね」
アイリスの表情が和らぐ。
リッターはベットの横を通りすぎて窓の近くに行く。天井まで伸びる窓の外には、澄んだ夜空と美しい満月が広がっている。
「で、これからどうするんですか?」
「多分明日にでも売られると思うわ。西地区の娼館はワケ有りの貴族の令嬢を高く買うと聞いたことがあるし、お父様なら私を高く売り付けるはずよ」
「……それでいいんですか」
「よくはないけれど、どうしようもないわ。お父様は私が居なければ王族になれないけれど、私はお父様が居なければ貴族ではないもの。所詮私はお父様の道具でしかない」
「そんなわけないだろ…」
リッターが悔しそうに呟く。
アイリスは自分にも他人にも無関心である。だから自分のことでも他人事のように感じるし、感情を露にすることはない。婚約破棄だって、アイリスにとっては劇を観ているような心地でいる。
しかし、リッターはアイリスのことを自分のことのように怒ってくれる。それがアイリスにはたまらなく嬉しかった。
「あなたこそどうするの? 私がいなくなって護衛騎士としての役割から外されても、あなたの実力ならここに残れるわ」
リッターは元孤児だ。10年前、アイリスが城下街に出ていた際に、スリを働いている所を護衛が見つけて複数人でリッターを捕まえようとした。しかしリッターは子供とは思えないほど身体能力が高く、アイリスの護衛数人がかりでも取り押さえることができなかった。
そんなリッターの能力を見込んだアイリスは、リッターを屋敷に連れて帰り、ブルーベル家の騎士として育てるように父に頼んだ。
最初は渋っていた父であったが、リッターの実力を見て目の色を変えた。
それからめきめきと能力を伸ばし、数年前にアイリスの護衛騎士となった。
「残りませんよ。アンタに付いていきます」
「どうして? 騎士として更に名声を得られるかもしれないのに」
「名声なんて興味なんてない。俺はアンタが居るからここに居たんだ。アンタの居ない場所に居る意味はないです」
リッターの声音は優しかった。
リッターは騎士らしい振る舞いが苦手で、敬称を使うのを嫌がる。だからアイリスは二人きりの時のみ、アンタと呼ぶことを許可している。
ずっと、リッターがどう思っているのか気になっていた。貴族社会は平民や孤児に優しい世界ではない。辛い思いもたくさんしてきているはずだ。ここに連れてきたことを恨んでいてもおかしくない。
公爵令嬢という肩書きが無くなろうとしているアイリスに付いてくるメリットはどこにもない。それでもリッターは付いていくと言ってくれた。
どうせこの家から出るならいっそ………
「いっそのこと、俺と駆け落ちでもします? 」
アイリスは少し目を見開きリッターを見る。リッターは月の光を背にして立っているため、表情は見えない。
「…しちゃおうかな」
「……え?」
アイリスの答えが意外だったのだろう。リッターの口から驚いた声が漏れた。
「どうして驚いているの?あなたが言い出したんじゃない」
「いや、そうですけど…。こんな簡単に返事貰えるとは思ってなくて」
「簡単には決めてないわよ。しっかり考えたわ」
それに、とアイリスは続ける。
「あなたなら、私を幸せにしてくれるでしょう? それとも、冗談のつもりで言ったのかしら」
「まさか。一世一代のプロポーズでしたよ」
リッターはアイリスに嘘はつかない。だからこそ、この言葉が本当に言ってくれているものだと信じられる。
「ねえ、リッター」
アイリスはベットから体を起こしてリッターに向かって両手を広げる。
「私を拐って?」
窓から差し込む月の光が、アイリスの表情を照らす。そこには他人に無関心なアイリスはいない。居るのは子供のように無邪気で、いたずらっぽく笑う可憐なお姫様だ。
「仰せのままに」
リッターはそう言うと、アイリスを優しく抱きかかえ、星と月が見守る夜の中を駆けた。
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