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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十一.石山合戦
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石山合戦ー⑩:ついに遂げられなかった――幻の一銭

松永久秀ー三たびの裏切り

手取川の戦いは、あまりにも一方的であった。織田方は夜の豪雨に行軍を乱され、川を渡る間に謙信の軍勢に急襲される。織田兵の多くは馬も鎧も投げ捨て、泥濘に足を取られ、次々に討ち取られた。今回ばかりは天も味方にはなってくれなんだようだ。


 利家などは「槍の又左」と勇名を馳せた豪傑であったが、この時ばかりは泥に塗れ、落ち武者狩りに追われる姿を人々に笑われたという。けれど、その生き汚さこそが後の大名としての運を繋いだのだ。


 一方で、謙信の陣には厳格な掟があった。敗残兵をいたずらに虐げることを禁じ、民への掠奪も厳しく罰した。ゆえに、謙信の軍が通るとき、村人はむしろ戸口に食を供え、道を清めて迎えたともいう。信長の軍とはまるで違う在り方であった。そうした姿もまた、謙信を「義の武将」と仰がせる所以であったのだろう。


 しかし、そんな謙信にも天命は容赦せなんだ。翌天正6年(1578年)3月13日、春日山城にて突如倒れ、そのまま還らぬ人となった。死因は脳溢血と伝わる。謙信は戦支度を整え、鎧直垂を枕元に置いたまま息絶えたという。最後まで戦場に生きる人であった。


 信長にとっては、またしても天が味方したかのような出来事であった。天候ではなく、敵将そのものを消してくれるとは、というところである。武田信玄に続き、上杉謙信までもが、決戦を目前にしてこの世を去ってしまったのであるから。


 信長はそののち、勝家や利家を北陸に送り込み、能登から加賀、さらに越中へと版図を広げてゆく。信長が「自分には戦の神がついている」と思ってしまうのも、無理からぬことだったのかもしれぬ。


 信長が神に守られていたのではない。むしろ、その強烈すぎる意志と執念が、敵をも味方をも巻き込み、ことごとく砕き散らしていったのだ。あの男ほど、運命をねじ曲げるかのように突き進む者を、私は他に知らぬ。


 信長が北陸に心を奪われていたその頃、大和の信貴山城(しぎさんじょう)にて松永久秀がまたしても反旗を翻した。まことに、なんと懲りぬ男であったことか。あちらに付いては裏切り、こちらに付いてはまた裏切り──いったい何度目になるのやら。ここまで来ると、裏切りそのものがこの男の生き甲斐であったのではないかと、私には思えてならぬ。


 人の上に立つ器は持たず、されど人の下に甘んじることも出来ぬ。悲しき(さが)とでも言うべきか。己の才覚を試さずにはおれぬ気質であった。余計な策を弄せずにいれば、老後くらいは静かに暮らせたものを……。それでも信長は、二度までも久秀を許している。これはなかなかに奇特なことであった。


 だが三度目はなかった。この年、久秀は信貴山城にて自害し、その生涯を閉じることとなったのだ。

松永久秀といえば、世に「戦国三悪人」と呼ばれる一人である。他の二人は宇喜多直家、そして我が父・斎藤道三。父様と並べて語られるのは、娘としては実に不本意であるがこれも致し方ない。久秀は茶器「平蜘蛛」の名を広め、道三は「蝮」と恐れられた。


 されど、その在り方はまるで異なる。父様は己の野望に殉じ、久秀は裏切りを楽しんでいたと、私にはそう映っていた。


 久秀の最期にまつわる話は、今も語り草である。平蜘蛛の茶釜を抱えて火薬に火をかけ、自ら爆死したと伝わるが、実際には腹を掻き切り、城に火を放ったのち果てたのだろう。だが、伝説めいた最期がこの男にはふさわしかった。茶の湯と謀略を好み、信長に二度まで赦されながら、なお裏切りを選んだ。その結末に、人々はむしろ快哉を叫んだかもしれぬ。


 思えば、久秀には奇妙な魅力があった。私も何度か顔を合わせているが、姑息さと剛毅さが同居した、得体の知れぬ男であった。一緒にいると不思議と居心地が悪く、肌にまとわりつくような空気を感じたものだ。けれど、その異様さこそが、信長を惹きつけていたのかもしれぬ。


 「人を裏切る者は信用ならぬ」、信長はいつもそう申していた。にもかかわらず、久秀だけは何度も許してきた。あるとき私が問いただすと、信長はは笑みを浮かべて言った。


「どうしてであろうな……良き駒となると思うたのか、あるいはまた裏切るやもしれぬと分かっていて、その時を眺めるのが面白かったのかもしれん。ただ使える男手ったのは確かだ」


まったく、信長らしい答えである。

お読みいただきありがとうございます。

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