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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十一.石山合戦
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石山合戦ー⑧:裏切りの中で――心安らぐ者

信長を支える蘭丸という存在

蘭丸はまた、主の心を和ませる術にも長けていた。ある日、安土城での酒宴の席。信長は諸将の遅参に腹を立て、盃を投げ捨てていた。誰もが顔色をうかがい、宴が凍り付く中、蘭丸が進み出て、乱れた盃を拾い上げ、にこりと笑った。


「殿の盃が壊れては、次に酌をする者が困り果てましょう」


そう言って新しい盃を差し出すと、信長は一瞬目を丸くし、やがて声を立てて笑った。


「小癪な小僧め。だが、その機転は悪くない」


場の空気は一転して和み、諸将も胸を撫で下ろした。こうした場面を幾度も目にしてきた。そうして、あの若者は本当に信長にとって唯一無二の存在になっていったのだ。正直なところ、蘭丸が来て私の役目が格段に減った。ホッとすると共に一抹の寂しさも覚えたものじゃ。


 なれど蘭丸の含みのない純粋な思いが私にも伝わり、私は蘭丸をどこか息子のようにも思うておった。私にも最大限の礼を尽くしてくれていた。


 私がちょっと咳をしただけですぐに温かい茶を入れて持ってきてくれる。大丈夫だと言っても横になるまで、傍を離れない。たまに信長が笑うこともあった。


「いったいどっちの小姓か分からぬわ」


と。なれど蘭丸はキョトンした顔で


「殿に取って大事なお方様であるからには、私にとっても同じでございます」


とこともなげに答える。思えば、信長のもとには数多の家臣がいたが、主の気性をあそこまで理解し、しかも恐れずに寄り添えたのは蘭丸ただ一人であったろう。強者の傍らには、美しき盾とでも呼ぶべき者が必要だったのかもしれぬ。


 これでは、可愛がるなという方が無理というものだ。そして私は、このように信長に尽くしてくれる小姓がそばにいてくれることを嬉しく思った。信長の周囲で、唯一腹黒くない人物と言っても過言ではなかっただろう。私にもよく気遣いを見せてくれる、心の細やかなところは私よりずっと秀でていた。


 私は確かに信長を好いておったが、このように四六時中、信長の傍に侍りたいとは思わなかった。蘭丸は巷では“色小姓”ともささやかれておったが、実際のところは分からぬ。ただ、殿を慕っている忠犬のようにも見えるし、女房のようにも思えなくもない。しかし正直なところ、その点は私にとってはどうでも良いことであった。肝心なのは、信長が彼に心を許していたという一点だ。


 村重の例に限らず、長い戦が続けば、裏切ったり裏切られたりは世の常。実際、信長も相手方からの裏切りによって、この戦いを優位に進めた部分もある。根来衆の大将のひとり、杉坊(すぎのぼう)が、相手方を裏切って信長方についたのだ。


 杉坊は当初、荒木村重の謀反を支援していた。しかし、あの村重がついには城も家臣も捨てて逃げてしまった。家族さえも捨てて逃げてきた村重を、そのまま迎え入れる本願寺に対して「なんたることか、このような男を後押ししていたのか」と、自分自身が腹立たしくなったのかもしれぬ。


 そのことに失望したゆえか、あるいは信長の調略に心を動かされたのか、それとも、己の身を守るために寝返っただけか、どちらにせよ、最終的に信長に与することとなった。信長はこうした人の心の隙に付け入ることに長けていた。分断・調略こそが、あの人の真骨頂であった。

 

 杉坊の裏切りは、紀伊や根来の衆に大きな動揺を走らせた。反信長派の包囲網は、ここにきて揺らぎ始めるのである。村重の謀反は信長にとって手痛い裏切りであったが、それすらも逆に利用したと言えるだろう。


 信長は毛利を抑えるため、秀吉を大将として播磨・備前へと向かわせた。毛利の援軍は石山本願寺を後援すべく動いたが、備前で秀吉軍と衝突し、激しい攻防が繰り広げられた。秀吉は小寺政職(こでらまさもと)や黒田官兵衛らの支えを得て、どうにか毛利勢を食い止めることができた。


 戦の主役は毛利と信長であったが、その裏で、土豪や地侍たちが右往左往しながら誰に付くべきか迷い、村々の民は怯えながら行き場を失っていたのだ。望まぬ戦で泣くのはいつの世も力のない者達である。待っても負けても、得るものなどないに等しい。私が言える立場でないのは重々に承知してはおるが、真に不憫である。

お読みいただきありがとうございます。

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