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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十一.石山合戦
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石山合戦ー⑦:忠義の美少年――森蘭丸

麗しき小姓

 その後の村重は、毛利のもとを経て出家し、「道糞(どうふん)」と名を改め、茶人として余生を送ったという。千利休とも茶を楽しんだそうだが、私はどうにも納得がいかない。家族を焼かせ、家臣を斬らせておいて、よくも茶を味わえたものだ。


 本人は自分のせいで多くの犠牲者が出たことを、どう思っていたのだろうか。たとえ中川清秀に言いくるめられたとしても、自分も殺されるとしても、尽くしてくれた家族や家臣を見捨てるとは……。ならば、共に果てようという心さえなかったのか。毛利に援軍を頼みに行ったという説もあるが、皆が次々と殺されていく中で身を隠していたのでは、言い訳のしようもないわ。


 名を道糞(ミチクソ)としたのは、せめてもの自嘲かもしれぬが……やはり、糞は糞だ。


 こうして有岡城の混乱の中で先輩小姓・万見仙千代が命を落とし、森蘭丸がその役目を継ぐことになった。蘭丸は見目麗しいだけでなく、所作も凛とし、信長には誰より忠実だった。その姿を見て、私は思わず「この子は、決して村重のようにはならぬ」と胸の内で呟いたものだ。


 信長の機嫌を取るためではなく、ただ信じ、尽くす。その眼差しには、覚悟があった。蘭丸は時に恐れることなく信長に注進もした。


 村重の一族の処置を決める前夜、外では冬の風が城壁を鳴らし、遠くで犬が吠えている寒い夜のこと。信長は帳の中で横になっていたが、目は閉じていない。あの人は眠っているように見えて、実は常に耳を澄ましている。まるで虎が獲物の気配を待っているかのように。蘭丸は信長に、


「殿、明日の評定、荒木残党の処置をお決めになるおつもりでしょうか」


蘭丸の声は静かで、しかし揺らぎがない。信長は眉をわずかに動かしただけで、しばし沈黙した。


「……余は甘くないぞ。裏切り者には裏切り者の報いを与えるまでだ」


その声音に、私は背筋が冷えるのを感じたが、蘭丸は怯まなかった。


「はい。しかし、残党の中には、まだ若い者もおります。御威光を示すには十分にございますれば……」


信長は鼻で笑い、起き上がると、蘭丸の肩を軽く叩いた。


「お主は優しいな。だがそれが戦を知る者の言葉か」


蘭丸は黙って頭を垂れた。だが、その目の奥には「命を繋ぐ道もまた策なり」という強い光があった。まあ、聞いてはもらえなんだが。


 私から見ても、蘭丸はただの美少年ではない。信長の怒りをかわす術を知り、時にその怒りを沈めるための盾にもなった。あの若さで、命を懸けて主の心を護る。そんな家臣は、そうそうおらぬ。それは信長にも伝わっていたのであろう。他の者なら眉を吊り上げるような言葉も蘭丸に対しては、そうではなかった。


 有岡城の騒乱がひと段落した頃、信長はかねてよりの多忙に加え、諸勢力の動きを注視せねばならず、常に神経を尖らせていた。誰もがその苛烈さに恐れをなし、近寄ることすらためらったものだ。だが、そんなときでも、蘭丸だけは迷わず側に進み出る。


 ある夜、信長が地図を前に筆を走らせていた。その尖った雰囲気に、周囲の者たちは声をかけることすらできず、ただ息を潜めて見守っていたが、蘭丸は静かに燭台を寄せ、紙面がよく見えるように光を整えた。


「……うむ」


信長は視線を地図から外さぬまま、一言だけ漏らした。その短い声の裏に、確かな信頼がこもっていたことを、私は見逃さなかった。


 戦場でも、蘭丸の忠誠は際立っていた。天正7年、播磨での一戦で、信長が馬上から采配を振るっていた折、敵兵が一人、槍を携えて信長に迫った。周囲の護衛が一瞬遅れたその刹那、誰よりも早く駆け出したのが蘭丸だった。


 まだ十六の若さであったが、迷いなく信長の前に躍り出て、槍を弾き返したのだ。周囲の武将たちが驚いて駆け寄る頃には、既に蘭丸が敵兵を地に伏せていた。


「我が命は殿にございますゆえ」


そう言い切るその姿は、幼さを脱ぎ捨てた武士そのものだった。

お読みいただきありがとうございます。

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