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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十.長篠の戦い
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長篠の戦いー⑤:繰り返される殺戮――止まらぬ狂気

積み上げられた死体

 鉄砲三段撃ちが放たれると、武田の騎馬軍は次々と崩れた。それでも秀吉は、もし側面から回られれば危ういと備え続けた。今引いて、そのあと来られたのでは敵わぬ、そう思うと、去るにも去れなかったのであろう。これまでの労力を無駄したくない、得てして人間とはそういうものであるから。しかし武田勢は押し返され勢いを失い、やがて攻撃を中止する。


 老臣たちはこの突撃を「自殺行為」と見ており、勝頼を見限ったとも言える。この戦いで山県昌景、馬場信春、内藤昌豊ら名将は討死。勝頼は若すぎた。父の大きすぎる名声は、彼の足枷になったのだ。もし信玄が生きていたならば、この先、彼を超える名将になれたかもしれぬが、正に運が悪かったとしか言えない。


 武田軍はこのまま信州に敗走した。大敗に瀕した武田は急速に弱体化し、逆に徳川はここで地位を確立。信長の勢威はさらに高まった。


後年、秀吉は私にこう洩らした。


「殿は異常だ。天性の武運に、先を見る勘、人を人とも思わぬ冷酷さ……あれは人ではない。あのような人にどう足掻いても勝てるはずもない」と。


 同年、天正3年(1575年)8月。長篠で武田の牙を折った信長は、勢いそのままに越前へ矛先を向けた。あの地は元は朝倉義景の領国であったが、義景滅亡ののち、織田方に寝返った者も少なくなかった。しかし、政情は安定せぬまま、やがて国は〝一揆餅の国〟と化した。


 姉川合戦の頃には朝倉景健(かげたけ)景胤(かげたね)父子が守護代として残っていたが、一向宗の勢いは止まらず、ついには彼らを追い出してしまった。


 背後には大坂本願寺の差配があり、下間和泉(しもづまいずみ)杉浦法橋(すぎうらほうぎょう)らが越前支配の責任者として送り込まれていた。寺院を拠点に兵糧や武器が蓄えられ、城塞化した坊舎が各地に築かれ、農民も僧兵も同じ一揆旗の下に集っていた。


 越前も信長の分国とするはずだった信長はこの報に烈火のごとく怒った。


「くそ坊主どもめ!宗教だの浄土だのと、耳障りのよいことを並べおって、やることは国盗りじゃ。神仏など腹の足しにもならんわ!」


その怒声は岐阜城の石垣に反響し、居合わせた家臣らも息を呑んだ。


 私は、信長の機嫌を取ろうなどとは毛頭思わぬが、これ以上その狂気に拍車がかかれば、弱き者たちまで巻き添えになると感じていた。戦場で敵将を討つことは是とする。だが、武も持たぬ農の民や、年寄り・子どもまでも刀槍の的とするのは、胸の奥を鈍く痛ませた。けれど、その暴走を止められる者など、この世に一人もいなかった。今の信長には私でさえもその歯止めとはなり得なかった。


 信長の大軍は越前へ雪崩れ込み、まず虎杖(とらづえ)城を囲み、火矢と鉄砲で一日足らずで落とし、続いて今庄(いまじょう)火打(ひうち)河野(こうの)と城砦を次々に攻略。城に籠もる僧兵は善戦したが、鉄砲の雨と柵破りの猛攻には抗えず、城門は焼き破られた。逃げる者は斬られ、降る者も容赦なく槍で突かれた。


 道の両側には焼け焦げた坊舎が並び、山門の瓦は熱で割れ、灰が風に舞って頬に貼りつく。田の稲は踏み荒らされ、血で黒く染まり、牛馬の死骸が道を塞いでいた。僧侶700余、その妻子3000余、信徒は12000を超える命が奪われたと記録されている。


 信長の狂気はいつも私の夢の中に現れた。例えその場にいなくても、私はそこにいるかの如く、その惨状を肌で感じていたのだ。足元に転がる木魚や念珠が、血に濡れているのが見える。信長はその光景を見回し、ゆっくりと頷く。


 その横顔に浮かんだのは、戦略家の達成感ではなく、何か獲物を狩った獣のような満足の色だった。血を浴びて笑う信長の顔はまさしく殺人鬼そのものであった。


 この殲滅ののち、軍はさらに北上し、加賀に侵入。能美(のうみ)江沼(えぬま)の地もあっという間に占領され、そして北ノ庄に城を築き、越前八郡は柴田勝家に与え、前田利家、金森長近(かなもりながちか)が目付として置かれた。


 血と炎の臭いがまだ越前の空に漂う中、信長はすでに次の戦のことを語っていた。この人と歩む以上、平穏など来ぬのだと、私は改めて悟った。ここまで来て今さら平穏など願う術もないが。無残に殺された者達の怨念が救われる日は訪れるのか、否、その無念はきっといつまでもこの地を、彷徨い続けることであろう。

お読みいただきありがとうございます。

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