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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十.長篠の戦い
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長篠の戦いー④:信長の勝算――秀吉の見込み

武田勝頼と老臣たち

 とはいえ、恋だの愛だの、私にはよく分からぬ。そもそも男に焦がれたことも、甘く思われた記憶もない。私はただ、信長の「妻」という役割を演じているだけなのかもしれぬ。だが、夫婦とは必ずしも、男女の関係で成り立つものではなかろう。


 信長と私との間には、言葉にはできぬ絆がある。それを「愛」と呼ぶには、あまりに遠い。けれども、私がこの時代に生まれ、この男と共に歩んでいること。それは、確かなる縁である。私は信長と共に、生きる。狂気の果てまでも、これが私と信長の夫婦の形なのであるから。


「勝頼が、もしわしの倅であったら、早々に家督を譲って隠居してもよいと思うほどの器量よ」

「それはそれは」

「しかし残念なことに、あやつはわしの敵じゃ。敵は打たねばならぬ。強くなりうるものであるならば、一刻も早くにな」

「さようでございね……」

「完膚なきまでに、一網打尽にしてくれる」


この時の信長にとって、家康よりもはるかに頼りになる臣下は秀吉であった。家康は大名の子として育った。人質に取られるなどの辛苦を舐めたとはいえ、根は「お坊ちゃん」。人質生活であった今川でもそれなりの待遇は受けておったであろう。


 その点、成り上がりの秀吉がくぐった苦難の底は深い。見下され、蔑まれた事も少なくなかろう。それゆえに根にあるのは頂点へ上り詰めようとする執念の濃さだった。


 信長の命は苛烈であった。「鉄砲千挺と兵一万を揃えよ」、とは。当時、鉄砲は国産化が進みつつもまだ数は限られ、千挺もの調達は容易でない。だが秀吉は命を受けるや否や、領内の鍛冶場や商人に急使を走らせ、以前から密かに作らせていた鉄砲を一斉に供出させた。


 こういう備えを日頃からしているのも、秀吉の先見の明とも言えよう。大八車に積まれて岐阜に届いたその数、実に1200挺余。まったく、この男の動きの早さは、信長にとっても頼もしかったに違いない。

秀吉は鉄砲隊を含む1万の兵を引き連れ、岐阜へ行軍。信長はそれを見て、久しぶりに上機嫌な顔を見せた。


「筑前(秀吉)、ようこれだけ集めたな」

「殿のお仰せ、何としても果たさねばと、かき集めましてございます」

「うむ、重畳じゃ」


やがて麾下(きか)の武将が続々と岐阜に参集し、その数およそ5万近くにのぼった。その中から鉄砲隊が選抜され、三河へ進発した。兵が集まれば必ず間者も紛れ込む。秀吉も、信長の作戦は武田方に漏れていると見ていた。


 しかし信長はお構いなしに、兵に木材を担がせて馬防柵を築かせる。正面からの騎馬突撃を防ぐためだ。これでは間者がいなくとも正面突破は無理だと、敵にすぐ察知されるはず。そう思った秀吉だったが、信長はその先を読んでいた。


 武田方の参謀には、信玄に鍛えられた馬場美濃守(ばばみののかみ)信春(のぶはる)山県三郎(やまがたさぶろう)右兵衛尉(うひょうえのじょう)昌景(まさかげ)内藤修理亮(ないとうしゅりのすけ)昌豊(まさとよ)ら錚々たる名将がいる。彼らが柵のある正面から攻めるはずがない。


 となれば側面に備えるべしと、秀吉は設楽ヶ原の北に陣を取った。絶対にあの馬防柵を避けてこちらに来る、迎え撃って更なる武勲を建てようと構えておったようだ。


 決戦(5月21日)の朝、秀吉は横にいた竹中半兵衛に問うた。半兵衛は美濃の斉藤龍興(たつおき)側にいたが、彼を見限って信長に仕え、今は秀吉の参謀となっていた。


「甲州勢、本当に攻めてくると思うか」


半兵衛は首を傾げた。


「老臣たちは止めるでしょうな……しかし勝頼公は、父・信玄公と比べられることを何より嫌っておられる。反発されるやも」


勝頼は信玄を心から敬愛していたが、その名声は常に重荷であった。「信玄公ならこうした」と言われ続ける若殿の胸中は、私にも察するに余りある。父を越えねばならぬ、そうでなければ誰も認めてはくれぬ、そんな焦りにも似た思いが勝頼の胸を占めていたのやもしれぬ。


「ではどっちなのだ?」

「さようですなあ…」


と半兵衛が答えを渋っていると、陣太鼓が鳴り響いた。武田軍が正面から突撃を開始したのだ。この状況で正面からくるとは無謀としか言えない。だが勝頼がそう出てくると、信長は見越していたということだ。


 その上での馬防柵、信長の読みが的中。勝頼の中にある、亡き父親への反骨精神と、今なお信玄公ばかりを称える老臣たちへの反発心、そういう心情まで図っていたということだ。老臣たちが止めれば止める程に、勝頼はそれに逆らい進もうとする。彼らの言いなりになってなるものかと。正に内部分裂であった。


 そんな勝頼を見て老臣たちも、徐々に諦めに近い感情を持つようになったのであろう。もし勝頼をこの先も立てるつもりであったのならば、兵を率いて突入するようなことはしなかったであろう。秀吉はそれを見越した信長の先見に改めて戦慄した。

お読みいただきありがとうございます。

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