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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
九.小谷城の戦い
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小谷上の戦いー⑤:戦い抜いた男――浅井長政の最期

市姫と長政の別れー藤吉郎の恋慕

 市殿も、きっと長政と共に果てる覚悟を固めておったはず。なれど3人の姫の命だけは、どうしても助けたい。供に下れば、信長も無碍にはしない。しかし己は、最期まで夫のそばに在りたいと、そう願っていたことだろう。


 私は後に、長政と市殿が最後に交わした言葉を市殿から聞いている。ただ、最期の刻、長政殿は市殿の前に姿を見せなかったという。未練が生まれることを恐れたのか。あるいは、どう説いても「共に死ぬ」と言い張る市殿を、これ以上引き止める自信がなかったのか。


 今生の別れは城がお落ちる前夜のことであったそうな。市殿自身、長政が信長をどう思っていたのか分からぬと申していた。ただ、市殿が生きることを望んでいたことだけは確かだと。こういう時、夫の意に従うか、背いてでも夫と最期を共にする方が正しいのか私にも分からぬ。


 もし私だったらどうするか、やはりその時になってみなければ分からぬ。ただ、子を成していない私には、夫が死を覚悟した時に残していく者への未練がない分、一緒に天に召される事も厭わぬだろうという気はする。


 総攻撃を仕掛けたのは、木下藤吉郎であった。あの男のこと、きっと逸っておったであろう。炎の中から市殿を救えば、自分の思いが通じるのではないか、と。しかし、女心というもの、そんな簡単には割り切れぬ。ましてや最初から良い感情を持ってはおらぬ男。そんな中、迎えに来たと言われても腹立たしいだけ。しかも相手は実の兄の命とは言え、夫の命を奪いに来たのだ。藤吉郎の思惑とは裏腹に、憎しみの矛先が彼に向いたとしても致し方ない。


 兄である信長が直々に乗り込んできたのなら、その手を取ることも吝かではなかったであろうが、助けに来た藤吉郎を見て、市殿がどれほど嘆かれたか、想像に難くない。


 「なぜ、このような男の手を借りねばならぬのか」夫を残して嫌いな男に手を引かれ、連れ出される身の哀れ、胸の裂ける思いであっただろう。憎しみの矛先が信長ではなく藤吉郎に向かっても無理もない。このことも一因のひとつになったかもしれないが、市殿の心が藤吉郎に向くことは、この先も、ついぞなかった。


 長政は、最後まで陣頭に立ち戦場で指揮を揮っていた。だが、その父・久政はといえば、奥の間でお伽衆の福寿庵・鶴若太夫と悠々と茶を喫しておったという。戦う気など、最早なかったのだ。


「もし、あの時信長に味方しておれば……」


そう呟いたというが、今さら遅い。久政は、朝倉に賭け、負けたのだ。勝算を捨て、義理を重んじたが故の結末。甘んじて受け入れるしかなかったのであろうが、せめて武士らしく最後まで家臣と共に戦うべきであったのではないかと、私は思えてならない。


「利より義を重んじた、後悔はない」


これが久政の大義名分だ。信長を甘く見た。朝倉が負けるはずはないと信じていた。自らの愚かさを認めたくはなかった。ただの小心者に過ぎぬ。それが久政の本質であった。


 8月28日の朝。蜂須賀隊が城に乱入してくると、久政はついに腹を決め、切腹。共にいた福寿庵も、鶴若太夫も、すぐにその後を追った。


 そして長政は、父の死を知り、ついに自らの番が来たことを悟る。市殿には、娘たちを連れて落ち延びよと命じていたが、市殿はかたくなに拒んでいた。もう一度、説得を試みた方が良いかとも思ったが、今一度、「共にあの世へ」と言われたら、もうはねつける勇気がなかった。誰よりも愛しい妻だからこそ、この間違った戦の中で無駄にその命を散らせたくはなかった。


 そんな長政のもとへ信長の使者が現れ、こう伝えた。


「市殿と姫君たちを、信長公が一生涯お守りなされる」


長政は、その申し出を受け入れ、静かに頭を下げた。


「よろしくお願い申し上げます」


とても静かで、穏やか顔をしておられたとか。きっと使者の言葉に安堵されたのであろう。あとは、思い残すことなどない。そう思われたのか、その時の長政の目は、何かが溶けたように澄んでいたと伝え聞いた。

 

 市殿と三人の姫は、駕籠に乗せられ、小谷を後にした。


 長政はその姿を天守閣より見送り、最後の力を振り絞って指揮を執り、戦い抜いた。そして、翌29日、自刃。こうして浅井の城、小谷は落ちた。


 姉川の合戦から実に3年の歳月を経てのことであった。

お読みいただきありがとうございます。

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