蝮―⑥:別れの涙と一文銭――祖父、美濃にて運命の糸を手繰る
美濃路に賭けた男 〜祖父の夢と商才〜
「あなた様を見ている事が生き甲斐なのでございます。離れては生きていけませぬ」
などと妻は毎日のようにそう言っていたのだ。さてどうしよう、さすがに今のように四六時中そばにいられたらやりにくい。しかもどこに行くにも妻を連れて歩く男など、軽んじられる可能性もある。妻の尻に敷かれているとか、妻に頭が上がらぬ男とか言われかねない。元々婿養子なだけに、妻の御機嫌伺いをしているなどと思われても片腹痛し、だ。
祖父は妻に自分の思いを懇々と言って聞かせた。男として生まれたからには自分の夢を叶えたい。一生をかけるに値する夢だ、夫を思う妻なら力を貸して欲しい、陰から見守って欲しい。どんなに離れていようと心は供にあるのだ、信じて待つことも賢い妻のありようなどと、まあ離れるのはわしも辛いとか言って涙の一粒くらいこぼしたのかも知れぬ。
祖父に諭された、というか言いくるめられた妻は元々賢く潔ぎ良い女でもあったからゆえか最後には頭をあげて
「ようございます。あなた様の夢を叶えていらっしゃいませ。私はあなた様のお帰りをいつまでも待っています。その代わり必ずお戻りくださりませ。この私のもとへ」
と言ったそうだ。これ以上引き留めれば、鬱陶しい女と思われ、祖父に飽きられるかもしれぬ、との懸念も働いたのかもしれぬ。祖父の中ではいい女でありたいという女心も働いたのであろう。まあ、祖父はそれも分かっていて付け込んだのやも知れぬが。
何だろう、今なら結婚詐欺師にでもなれたのではないかと思ってしまう私がいる。
(やがては一国一城の主に!)
それが祖父の思いであった。そうして、祖父は毎年春になると美濃路へ下った。
槍で一文銭を貫く芸は、油売りの行商に役立った。白い頭巾をかぶり顔も白い布で覆ってまるで芝居のように見得を切る。今で言うと歌舞伎役者さながら、というところだ。柄杓で大きな油壷から油を汲んで高く差し上げ、一文銭を左手に持つと、その手を買い手の小さな油壷の約三尺ばかり上に固定して、油を継ぎ始める。油はまるで糸のようにその一文銭の穴を通って買い手の壺の中に注がれていく。一種の曲芸の様なものだ。人々はその様子に感嘆し、それを見たさに祖父のもとへ油を求めにやって来る。その人々から情報を得、美濃の情勢を祖父は見極めておったのだ。
私はこの話を聞いて、祖父のその芸とやらを見せてもらった。父は祖父から教わっていたようで完璧にそれを模倣できた。それは幼い私の目にはとても面白く、パチパチと手を叩いて父に何度もそれを披露してもらったものだ。父も満更ではなかったと思う。豪傑で頭の切れる人、父にとって祖父は目標でもあり誰よりも尊敬できる人であったのだ。
美濃は当時、都との交流が少なく、実質的に閉ざされている状態であった。応仁の乱のとき、美濃国守護の土岐氏が西軍の山名氏に加担して以来、京都の足利将軍家と敵対関係にあったからだ。祖父はそこに目を付けた。
元々持っていた商才を遺憾なく発揮した祖父は、商売も上手く行き思っていた以上の財も貯えた。そして僧侶時代に同僚として親しくしていた南陽坊を訪ねた。美濃平野には稲葉山があり、別名を金華山と呼ばれる。その山上には砦があり、守護代・長井氏の番城となっておる。その麓に鷲林山常在寺という日蓮宗の寺があり、南陽坊はそこで上人を務めておった。
都との往来が簡単にできる祖父は油の販売で独占的な権利を上げ、美濃国でひと財産を築き上げた。油屋として美濃で一目置かれるようになった祖父・庄五郎は、両刀を差し武士の出で立ちをして上人に面会を申し入れた。この寺の上人であった南陽坊こと日運上人は長井一族の実力者である長井利陸の実弟でもあった。
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