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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
九.小谷城の戦い
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小谷城の戦いー①:叡山焼き討ち――燃え上がる地獄の炎

狂気ー信長と共に

     九.小谷城の戦い


「叡山を焼き払う」

「……は?」


思わず、耳を疑った。


「な、何をおっしゃっておいでですか?お気がふれましたか?」


私が口を滑らせると、信長はギロリと私を睨み据えた。


「お前も光秀と同じようなことを申すか」

「光秀殿は何と?」

「延暦寺を、坊主もろとも焼き払うと申したら聞き返しよった。このわしに二度も同じことを言わせおって……あの禿げ頭めが」


叡山延暦寺は最澄上人が開いた由緒正しき寺。千年の時を刻み、堂宇には幾多の経典や宝物が眠る。僧兵を抱える寺とはいえ、いくらなんでも――私はこの時ばかりは、信長の心が狂気に堕ちたかと身震いした。


 この頃の信長は、常人には理解しがたい焦燥と苛立ちに取り憑かれていた。それでも私は誰よりもこの人の味方であろうと決めていた。私が背を向ければ、この人は完全に人の道から外れてしまう、否、どんどん壊れていく、そんな気がしたのだ。


「延暦寺の坊主がそれほど目に余りましたか?」


「そういうことだ。なのに光秀めは、『それだけはおやめくだされ』などと、この期に及んで何を甘いことをぬかしておった」

「さようにございますか…」

「最近の坊主は腐りきってる、ここで誰の力が強いか見せつけてやるわ」


確かに、延暦寺は信長に敵対していた。姉川の戦いの後、浅井・朝倉の残党は南近江に逃げ、叡山の僧たちは彼らを匿い、兵糧を与え、反信長の拠点と化していた。僧が政治に口を出し、刀を取り、世を動かす、武家にとって代わろうとしている。それを信長は心底憎んでいた。


「……光秀殿は、坊主どもをかばったのではなく、蔵書や建物を惜しんだのでしょう。あの御方は元より学者肌でございますから」

「知ったことか。丸ごと火の海にしてやる。これが見せしめになる。わしに逆らえばどうなるかをな」

「それが、殿のお決めになったことならば。まぁ、私が何を申した申したところで、取りやめなさるおつもりもございますまい」


正直、そのような非道なこと賛成とは言い難い。信長にはっきりと敵対したのだから、攻め入る事は致し方ないとは思っていたがまさか丸ごと焼き払うとまで言うとは私も想像だにしていなかった。寺の方も、信長がそこまでするとは思っていないだろう。

 

 どの武将も、僧たちの厚かましい態度に辟易する事はあっても、やはり寺に攻め入る事は躊躇してしまうのだ。神仏の罰が当たると思っている者も少なくない。そして僧たちは、そこに胡坐をかいておる。


「ふん、よく分かっておるな。わしが阿修羅にでもなったと思うか?」

「そのような戯言、阿修羅様が聞いたらお怒りになりますぞ。あなたは、ただの人間です」


そう申すと、信長はにやりと、いつもの愉快そうな笑みを浮かべた。


 それでも、あの時の目は笑ってはいなかった。光秀もまた、信長の気性をよく承知しておるから、とどのつまり折れたのだろう。実際、今の信長は光秀を結構気に入っている。だが、気が逸れたら最後、容赦はない。今の光秀は、信長という太陽のもとでしか生きられぬ人。それが分かっているから逆らえぬのだ。


 そして、元亀2年(1571年)9月20日。信長自らが兵を率い、比叡山を取り囲んだ。


そこにいた者は老いも若きも、僧も女子供も、逃れることを許されずことごとく斬られ、生きたまま焼かれた。泣き叫び、逃げ惑う人々、堂宇は焼き払われ、山は紅蓮に染まり、地獄絵の如く空は血と煙で覆われ、麓を流れる川は、絶え間なく流れる落ちる血の為に何日も赤く染まったままだったという。「叡山焼き討ち」は人の所業非ずと、歴史に残る信長の悪行であると、今も語り継がれておる。


その夜、私は悪夢に魘された。


 炎のなか、目をギラギラと輝かせ、血にまみれた信長が、女子供にまで容赦なく刃を振るっていた。あれは、もう人ではなかった。あまりにおぞましい光景に、目覚めてもなお身体の震えが止まらなかった。それでも私は信長を恐ろしいとは思わなかった。……いや。違うのだ。


 震えたのは、恐怖ではなかった。あの光景を見て、私は信長と一つになっているような感覚に囚われた。狂気に呑まれ、快楽すら覚えた。夢から覚めても、覚めやらぬ興奮に、そんな自分自身に、私は恐れを抱いたのだ。


 この焼き討ちのあと、光秀は延暦寺の東麓、坂本に築城を命じられた。新たな城を与えられ、禄も増えた。そう、彼は出世したのだ。心ならずも非道を見届けた後に褒美を受け取る自分に、光秀はきっと自嘲したことだろう。


 世の中とはかくも思い通りにはならぬものかと。非道を先導すれば出世し、慈悲を与えると寝首をかかれ、間抜けな男とそやされる。

お読みいただきありがとうございます。

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