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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
八.姉川の戦い
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姉川の戦いー④:叶わぬ思い――藤吉郎の思慕

浅井・朝倉の抗戦

 昨今の夏というのは、まこと容赦がない。私たちの時代よりも暑さは遥かに増したというが、それでも、私が信長と共に過ごした夏も、充分に地獄であった。


 なにしろ、風も通らぬ着物に幾重もの装束を重ねておったのだ。今のように風の出る道具もなければ、氷すら貴重品。下々の者ならば、川辺で裾をまくり上げて水と戯れることもできよう。けれど、武家の姫ともなれば、それは許されぬ所作。ましてや立場が上がれば上がるほど、衣は分厚く、枚数も増える。まるで暑さに耐える修行のようなものであった。


 それでも私は、信長のもとへ嫁いだばかりの頃、百姓姿に身をやつして川原を駆け回り、政秀殿にしこたま叱られたこともあったっけ。自分では十分に大人のつもりであったが、今から思えばまだ十四歳の世間知らずの小娘であった。


 あれから、もう20年近くも経った。あっという間だった気もするし、果てしなく遠く感じる日でもある。人の命は50年――そう言われていた時代だ。けれど私は、その頃、信長と共にある日々はたかだか50年程で終わるなどとは夢に思っておらなんだ。その先もまだまだずっと続くと思っていたのだが……。


 夏は、女子にとっても苦しいが、男たちにとってはなおさらであったろう。戦のともなれば、分厚い甲冑を身にまとい、汗でずっしりと重くなる鎧を背負い、命を懸けるのだ。夏の戦など、好き好んでやる者はおらぬ。けれど、避けて通れるものでもなかった。これも時と場所を選んだりはできない。


 浅井と朝倉が、はっきりと信長に対抗する態度を示してきた。もはや見逃すことはできぬ。信長は先に浅井を攻め落とすことにした。信長は、三河に戻っていた家康に出陣を促し、自らはおよそ2万の兵を率いて岐阜を発った。


 元亀元年(1570年)6月29日、江北に侵入。じりじりと照りつける夏の太陽のもと、馬も兵も汗まみれになりながら、21日には浅井の本拠・小谷城の南、虎御前山(とらごぜやま)に本陣を構えた。


 小谷の城下の町を焼き払い、柴田勝家や木下藤吉郎らに小谷城の南面を包囲させた。浅井の本拠攻撃を目の前にして藤吉郎は随分と興奮していたそうだ。先陣を切って市殿を助けて参るとしきりに口にしていたとか。私にはその藤吉郎の胸の内は分かっておった。


 あやつは、初めて市姫を見たときから、明らかに浮き足立っていた。もちろん信長の妹である市姫は、端から高嶺の花だということは理解しておったろう。だが藤吉郎は、その小賢しさゆえに、つい望まぬ妄想にすがるのが常だった。


 市姫はというと、粗野でズル賢い猿のように振舞いながらも、蛇の目をした藤吉郎を嫌っておった。


「私は、あの者がどうしても好きにはなれません」


そう言っては、藤吉郎の姿を見るたびに露骨に顔をしかめていた。

藤吉郎は抜け目なく、狡猾で、調子が良くて、何より己の利だけで動くような男だった。市姫のようにまっすぐな気性の者には、どうにも鼻についたのだろう。


 実際、藤吉郎という男は、何もかもが胡散臭いものであった。どこからどこまでが本心なのか、虚言なのか分からぬ男だ。とはいえ、藤吉郎も馬鹿ではない。市姫に好かれていないことは分かっていながら、小谷城に彼女がいると思えば、心が踊ったのだ。これも惚れた男の(さが)とでもいうのだろうか。


 敵の将の妻とはいえど、信長の妹という立場なら、戦火の中から救い出す口実には十分。うまくいけば信長からも感謝され、市姫にも見直されるかもしれぬ、娘たちもろとも命を救うことに一役買えば、感謝もされ、そこから……などという淡い、滑稽な期待にすがっていた。


 一方その頃、家康の軍はまだ戦場には到着していなかった。小谷城には浅井勢およそ八千が籠もり、朝倉からの援軍を待っていた。しかし朝倉の本隊・義景はなお動かず、その代わりに朝倉勢の一部が大寄山(おおよりやま)に布陣した。さらに東南の横山城には、小野木土佐や三田村左衛門らが守備に就いていた。


 信長は、浅井・朝倉を誘い出して野戦で決着をつけたいと考えていた。だが相手は容易には出てこない。包囲を続けても、城に籠もられたままでは埒があかぬ。


(さて、どうしたものか――)


そう思った信長は、城攻めの標的を切り替えた。横山城、ここを突けば、浅井にとって前線の要を突かれることになる。黙って見過ごすわけにはいかぬであろう。ここが危うくなれば、救援のため兵を動かすしかなくなる。そうなれば、本拠小谷の守りが手薄になるという読みであった。

お読みいただきありがとうございます。

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