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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
八.姉川の戦い
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姉川の戦いー②:逃げるが勝ち――金ケ崎の退き口

なんと言っても長政は、信長が一番可愛がっていた市姫の夫であるのだから。誰よりも袂を分かつことはしたくなかったであろう。しかし向こうから仕向けて来たのでは仕方あるまい。こうなってしまっては、もはや敵である。


 浅井長政が兵を率いて動いたということは、信長に背を向けたということだ。今や目前には朝倉義景、背後には浅井長政。信長の軍は挟み撃ちの構えを取られた。朝倉軍との戦が長引く中、背後から長政の兵に討ちかかられては、勝ち目は万に一つもない。


 この一報を受けたとき、信長はしばし黙した。が、すぐに気づいた。浅井長政は戦に長けた男ではない。兵を率いての本格的な進軍など、これまでに何度あったか。急ぎ段取り良く道を塞ぐことなど、果たして可能だろうか。今いる場所からは浅井勢の方が近い。ならば浅井をやりすごした方が得策なのではないか。上手くいけば朝倉が進軍して来る前に戻れる可能性がある、否、どう考えてもそちらの方が勝てる目算があるというもの、と信長は判断したようだ。


「今なら抜けられる」


そう確信したとき、信長の動きは早かった。ためらいなど、一片もなかった。t目羅っている暇さえ惜しかったのだ。朝倉が少しでも遠くにいる間に、京都に戻ってしまえば、もう追ってくることも無いであろう。


 信長は藤吉郎に越前の一揆勢の動きを押さえさせ、明智光秀と丹羽長秀を若狭方面へ先発させた。家康の護衛は柴田勝家、佐久間信盛、前田又左衛門らに任せ、若狭経由で京都へ戻らせる。一方の信長自身は、わずかな供回りだけを引き連れて西近江を越え、朽木谷を抜ける道を選んだ。まさに命懸けの決断である。


 退却が朝倉方に知れ渡れば、挟撃は免れない。その夜のうちに信長は朽木谷を越える道中、佐柿(福井県美浜町)の小城に立ち寄った。


 その城を治める粟屋(あわや)越中守(えっちゅうのかみ)は、突然現れた信長の姿に驚き、朝倉から逃げてきたものと思った。嫡男の内記もそう思ったようだ。彼はこれは信長を討つ、絶好の機会ととらえた。信長が将軍・義昭と仲たがいした事は周知の事実である。


「父上、今なら弓矢で討ち取れます。今、あの信長を討ち取れば、我が家の大功になる。首を取って義昭公に差し出しましょう」


 そう進言したのだ。そしてすでに信長のいる部屋をこっそりと取り囲んでいた。勿論、信長はその殺気を感じ取っていた。


 けれど越中守は、それに首を縦には振らなんだそうだ。信長の才を見抜いていたのだ。将軍義昭など所詮は権威の名ばかりで、真に天下を動かせる器は、信長しかいない、そう信じていたのか、もしや打ち損じた時の後の報復を恐れたのかは定かではないが……。


 結局、越中守は家臣を従え、信長を朽木谷の入り口まで送り出した。信長も彼の厚意に深く感じ入っていたようで、別れ際、傍にいた松永久秀にホッとしたようにこぼしたそうだ。

「どうやら、生き長らえているようだな」、と。


 久秀は、先代将軍を謀殺した男である。腹黒く、どこまでも保身に長けた男。とにかく生きるためなら最もらしい嘘をスラスラと吐ける男である。今なら一角(ひとかど)の詐欺師になれたかもしれない。だが信長は、こういう時代にはこういう男も必要なのだと見抜いていた。まっすぐすぎる者よりも、抜け目のない者こそ生き残る。こういう男が、案外と役に立つ場面があるのだ。


 朽木谷に入った頃には、既に夜も更けていた。夜中に下手に侵入すれば騒がれて、襲撃される恐れもある。谷の主・朽木信濃守元綱の反応を考えて、信長は森三左衛門に挨拶と道中の無事通過の許可を求めさせた。けれど、三左衛門は戻ってこなかった。監禁された、と見た信長は、即座に久秀に命じる。役に立てば重畳、そうでなくても使い捨ての駒、といったところであろう。信長は久秀に


「元綱を説得してこい」


と、命じた。久秀は口元を緩めて言ったそうな。


「褒美をお忘れなきように」


 そうして、館へ馬を駆けさせた。やがて久秀は、朽木家の家臣数十名を連れて戻ってきた。


「殿、お迎えに上がりました。元綱殿もお待ちしておりますぞ」


信長はにやりと笑った。


「やはり、お前は使える男だ」


この話を聞いた時、私は密かにこう思っていた。


「久秀は策士である。けれど、心から信じられるような人ではない」


だが、信長にとっては「使えるか否か」が全てだったのだ。


 こうして信長は朽木谷を抜け、京都へと戻る。そのあと、家康も、藤吉郎も、各地に散っていた将たちが次々と戻ってきた。あまりにも早いこの退却劇に、誰もが驚きを隠せなかった。


 一方の朝倉軍は、いよいよ信長が攻めてくると構えた矢先、すでに信長の姿は都にあったのだ。信長の首を取る千載一遇の好機を逃したことに、義景は地団駄を踏んだという。この一連の出来事は、後に「金ヶ崎の退き口」として語り継がれることになる。信長は家臣を失うことなく、無傷で京へ戻ることができた。。それどころか、「生き延びる」という一点において、完璧な戦をしたのである。


 信長はいつだって、勝つよりも、生きる方を先に選ぶ人だった。命を無駄にするために、不利な状況でも前に進むなどという、無謀はしない。正に命あっての物種。そしてそのためなら、情も、信義も、何もかもを、切り捨てることができる。まあ、そうでなくては戦国で生き残れる武将にはなり得なかったであろう。

お読みいただきありがとうございます。

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