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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
七.信長上洛
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信長上洛ー⑦:信長の思いのままに――義昭の誤算

信長が突き付けた「五か条」

そしてその年の8月、信長は岐阜に戻るとすぐさま北伊勢へと出兵し、北畠具教(きたばたけとものり)を攻めた。阿坂城を落とし、大河内城を兵糧攻めにして降伏を勝ち取ると、具教の子・具房(ともふさ)に自らの息子・信雄(この頃は信勝)を養子に入れて和議を結び、ふたたび上洛して義昭に報告した。


 しかし、このあたりから、信長と義昭の関係にほころびが見え始めたのだった。


 義昭が信長の力を借りて十五代将軍になったのは、言うまでもないこと。本人も、その恩には深く感謝していた様子であった。されど、義昭には義昭の理想があった。足利幕府を、かつての栄光ある姿に戻したい。その一念に突き動かされておった。そして義昭は信長もその思いに共じてくれていると思い込んでおったのだ。


 だがそのためには、織田の力だけに頼っていてはならぬと考えたのだろう。上杉、大友、毛利、武田ら有力諸侯に対して御内書を送り、己に忠義を尽くすよう命じた。毛利には四国の阿波・讃岐の平定を依頼し、信長の手の届かぬ地で自らの影響力を広げようとした。


 だがそれは、信長にしてみれば裏切りということになる。これまで義昭を立て、将軍職にまで押し上げてきたのは信長自身。それなのに他の諸大名と同列に扱われては面白いはずもない。信長が激怒したのも当然であった。


 というか、信長にしてみれば、これでは信長が激怒しても仕方がないという状況を、義昭自身が作り出してくれた、というところであったのではないか。まあ、どちらにしても結果は同じ。大人しくしていれば、懐柔され、動けば逆鱗に触れる。義昭のさだめは信長を頼りにした時から決まっていたようなもの。


 元亀元年(1570年)10月16日、二条城にて両者は激しく言い争い、ついに信長は怒りに任せて席を蹴り上げ、義昭をギロリと睨みつけると、そのまま足音荒く城を後にし、岐阜へと帰ってしまった。


 帰館した信長は、しばらくの間、苛立ちを抑えきれず、部屋の中で怒鳴り散らしておった。


「殿、気を静めませ。怒ってばかりでは事は進みませぬ」

「義昭の奴……誰のおかげで将軍になれたと思ってるんだ!出世したとたん、恩も忘れて勝手な真似ばかりしやがる。なまじ生まれが良い者ほど、始末が悪い。百姓のほうが、よほど義に厚いわ!」

「そうですね。百姓であれば、いざとなればその場で斬っても大事にはなりませぬし」


そう言って私が笑うと、信長は不機嫌そうにドサッと座り込み、ため息をついた。


「回りくどい駆け引きばかりで、さぞ骨が折れることでしょう」


信長は私の顔を見てニヤッと笑う。


「なんだ、お見通しか」

「殿のお考え、私にはだいたい見えておりますよ。私もきっと同じようにしたと思いますゆえに」

「そうよな」

「それにしても義昭様も城まで建ててもらったのですから、そこに甘んじて鎮座しておられれば良いものを」

「人には欲があるからな」

「とは言っても、あの二条城も、義昭様のために建てたわけではござりませぬでしょうけど。御城とは、住まう者より建てる者の力を示すものでございますし」


 などと話しているところに、信長の思惑通り、天皇家からの使者・山科言継(やましなときつぐ)が女房奉書を手に現れた。そして幕府側からは、元を質せば信長の腹心・光秀と、僧侶の朝日山乗が使者としてやって来た。信長が今は義昭に仕えさせていたのだ。


 信長は上洛に際して、皇室領を復旧し、内裏の修復も進め、公家衆の所領をも保護していた。その甲斐あって、正親町天皇(おおぎまちてんのう)も信長の功績を認めており、むしろ義昭が信長と手を切ることを恐れていたふしがある。折角平和になったのに、信長が手を引いたらまた元に権威が乱されてしまうと。


 この時、信長が義昭に突きつけたのは「和解案」という名の恭順状であった。実質的には、義昭の権限を大幅に制限する内容である。要点を挙げれば、以下の五か条にまとめられる。


〇元亀元年(1570年)正月二十三日 信長が義昭に提示した「五か条」

一、将軍が諸国に御内書を出す際は、必ず信長に下命して書状を添えること

二、これまでに出された御下知はすべて破棄し、今後は慎重に思慮の上で行うこと

三、幕府に忠節を尽くした者に褒賞を与える場合、領地が不足すれば信長の領国より提供すること

四、天下の政はすべて信長に委ねられたので、将軍の裁可を要することなく執行されることに異議を唱えぬこと

五、天下が安定した今、将軍は朝廷の事務に専念し、それ以外に干渉せぬこと


 まさに信長にとって一方的に有利な内容であった。第四条など、政治の主導権を信長が完全に掌握することを認めさせるものであり、第一条に至っては義昭が一通の書状も自由に出せぬことを意味していた。

 そして第五条は、義昭に向かって「そなたは朝廷のためだけに尽くせ。他の政には口を出すな」と釘を刺すものに他ならぬ。実質、手足をもがれたようなものだ。


お読みいただきありがとうございます。

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